第29話:分身の代償
1. 「残像」が「実体」に変わる時
「分身の術。それは敵を撹乱し、死角から一撃を見舞う忍びの極意よ!」
アニスの指導は、もはや「忍術」という名の「超能力開発」へと変貌していた。
彼女が手本として見せたのは、素早いステップで自分の残像を三つに見せるという、本来は極めて高度な体術だ。
「さあ、バルカス! あんたなら十人くらいに増やせるわよね?」
無邪気なアニスの期待に、バルカスは再び「超解釈」で応えた。
「(十人……。つまり、一つの空間に私の存在を十重に重ね合わせろということか。単なる残像ではアネゴは満足されまい。必要なのは、全ての個体が敵を叩き潰せる『実体』だ!)」
バルカスは呼吸を整え、細胞の一つひとつに魔力を充填させた。
「おおおお……分身ッ!!」
彼は猛烈な勢いで左右に反復横跳びを開始した。最初はただの残像だった。しかし、その速度が音速を超えた瞬間、空間が「ベリッ」と嫌な音を立てて剥がれた。
「……増えたわね」
アニスが呆然と呟く。
そこには、汗一つかかずに直立するバルカスが、等間隔に五人。全員が実体を持って存在していた。
「(いや、細胞分裂の速度が物理限界を超えてるだろ!?)」
ツヨシの突っ込みも虚しく、ザックとビルもそれに続く。
「俺は三人だ!」「僕は四人いけるよ!」
崖の上は、瞬く間に「バルカス軍団」「ザック軍団」「ビル軍団」で埋め尽くされ、異様な熱気に包まれた。
2. 喜びの宴の影で
その日の夜、里は新しい術の完成を祝う宴に沸いていた。
増えたバルカスたちが自分同士で腕相撲をし、増えたザックたちが合唱する。その光景はあまりにシュールで、ツヨシは酒を煽るしかなかった。
しかし、宴の喧騒から離れた見張り台で、カイルは冷めた目で月を見上げていた。
隣には、事態の深刻さを察知したツヨシが歩み寄る。
「カイルさん。……やっぱり、まずいですよね」
カイルは深く頷き、手元の古びた魔導書を閉じた。
「……ツヨシ殿。魔法学の観点から言えば、彼らがやっていることは『存在の複製』……神の領域に等しい禁忌です。本来、一人の人間が持つ魔力量は決まっている。しかし、彼らは『気合』という名の異常な精神エネルギーで、世界から無理やり質量を奪い取っている」
カイルの声は低く、シリアスだった。
「この噂が隣国や魔王軍の耳に入れば、彼らはもはや『便利な冒険者』ではなく、『世界を滅ぼしうる兵器』として認識されるでしょう」
3. 忍び寄る「視線」
里を囲む深い森の暗闇。
そこから、赤く光る数対の瞳が里の様子を観察していた。
「……報告にあった通りだな。数が増殖している」
漆黒の鎧を纏った影が、掠れた声で囁く。
「あれは魔法ではない。もっと根源的で、原始的な……『意志』による現実改変だ。放置すれば、我が主の支配をも脅かす」
影の手には、水晶球が握られていた。そこには、宴で笑い転げるアニスと、それを守るように並び立つ「増殖したバルカスたち」の姿が映し出されている。
「潜入ユニットを放て。彼らの『力』の源泉……あの『アニス』という女と、妙な術を教えている『ツヨシ』とやらの正体を暴くのだ」
影は霧のように消えた。
翌朝、ツヨシが目覚めると、里の入り口に見たこともない黒い小鳥が死んでいた。その死体からは、微かな魔族の残り香が漂っていた。
4. 決意の朝
アニスは、朝露に濡れた草むらで一人、クナイの素振りをしていた。
「……ツヨシ君? 起きてたの?」
「アニス……。少し、術の特訓を控えめにしないか? みんな、ちょっと強くなりすぎている気がするんだ」
ツヨシの言葉に、アニスは動きを止めた。彼女の瞳には、いつもの天真爛漫さだけではなく、里の長としての重圧が滲んでいた。
「……わかってるわ。バルカスたちが普通じゃないことくらい。でもね、守りたいのよ。あの人たちが笑って、バカな修行をして、美味しいご飯を食べられる場所を」
彼女は空を見上げた。
「そのためなら、私は忍者の『悪名』だって背負うわ。たとえ世界中を敵に回してもね」
ツヨシは黙って彼女の隣に立った。
忍者の術は、本来「影」に生きるためのもの。
しかし、彼らが手にした力は、あまりにも強く「光」を放ちすぎていた。その光が深い影を呼び寄せていることに、まだ彼らは気づいていない。
「……わかったよ。なら、俺も覚悟を決める。次は『隠行の術』だ。……本当に、誰からも見つからないための術を教えよう」
二人の背後で、再び「ドォン!」というバルカスの空中散歩の爆音が響いた。
シリアスな予感を含みながらも、里の朝はいつも通り、騒がしく幕を開ける。




