第20話 監察使
休廷の鐘が鳴ってから、しばらく。
大審問堂は、まだざわめきを残していた。
貴族たちは立ち上がらず、聖職者たちも席を離れない。
立ち去り際、オデット・ロジポツ女伯爵が、一通の書簡を提出する。
受け取った書記官は、内容を一目見て凍りついた。
『国王直属・王宮監察使に
メイリーン・セレスタリア・ショカルナを任ず。
同・副監察使に
オデット・ロジポツを任ず』
最後に押された、国王の秘密印。
「……司法の……抜き打ち監査……」
書記官は、言葉を失い――そして、わずかに眉をひそめた。
(まずは……見るだけ、か)
小さく頷き、立ち去るオデット伯爵。
数名の官僚が、視線を交わす。
「……戦時の王都防衛体制そのものが、
罪に問われかねません」
ざわめきが、ほんの一瞬だけ、質を変える。
書記官は、力なく書簡を机に置いた。
◇◇◇
王族控室。
重厚な扉が閉まった瞬間、空気が変わる。
「……母上」
王太子ミサラサが、喉を絞るように声を出した。
王妃マルセナは振り向かない。
窓辺に立ち、王都を見下ろしている。
「あなたは、何も言わなくていいわ」
冷えた声。
「ですが……」
「いいと言っています」
ぴしゃりと遮られ、王太子は言葉を失った。
「私は……知らなかったのです」
「ええ。でしょうね」
王妃は、ゆっくりと振り返る。
「あなたは“気づかなかった”。それで済む立場だと、まだ思っているの?」
鋭い視線。
「陛下不在。戦時。王都を預かるのは、誰?」
分かっている。
だが、王太子は答えられない。
「……あなたです」
王妃が、静かに告げる。
「あなたが、王都の象徴。
判断し、許可し、止める立場」
一歩、距離を詰める。
「その名の下で、何が起きた?」
「……裁判、です」
「ええ」
淡々と。
「陛下直属の監察使を、浅はかに告発する裁判。戦時中に」
王太子は、視線を落とした。
「私は……オデット嬢の件で……」
「理由にはなりません」
即断だった。
「事情は分かる。でも、言い訳よ」
王太子の拳が、震える。
「……では、私は」
「今から、守ります」
王妃は、迷いなく言った。
「それが、母としての役目」
顔を上げる王太子。
「母上……」
「ただし」
一歩、近づく。
「守られる代わりに、奪われるものもある」
「……」
「謹慎。東宮からの人払い。
女官、侍女、側仕え。女は退去」
「なぜ……女がいなければ、私は――」
「あなたは、廃太子寸前です」
その一言が、胸に突き刺さる。
「これ以上、火種を残さない」
王妃は、手を伸ばしかけ――触れなかった。
「いい?」
「……はい」
掠れた声。
「女なら、聖女があなたの元に」
王妃の瞳に、執念が宿る。
「あなたの兄のようにはしない。
必ず、王にする」
王太子は、深く頭を下げた。
◇◇◇
同じ頃。
別室。
ライカイ侯爵は、椅子に腰掛けたまま、微動だにしなかった。
正面には、法務官と聖法院代表。
「……魔王を固定した杭は、ご存知ないそうですな」
「当然でしょう」
ライカイは静かに答える。
「存在しないのですから」
「だが、辺境伯は目撃している!」
「私は、知りません」
微笑み。
「では聞こう」
法務官が低く言う。
「なぜ王都近郊に、魔王級が潜伏していた?」
ライカイは、ゆっくり立ち上がる。
「王都の守備権限は、誰にあります?」
沈黙。
「……王太子殿下」
「ええ」
即答。
「ですが」
帽子を胸に当てる。
「私は責を負いましょう」
二人が息を呑む。
「政治的責任です」
「……権限返上を?」
「その通り」
一瞬、視線を伏せる。
「私は、政治の表舞台から退きます」
沈黙。
「ですが」
顔を上げる。
「私は罪人ではない」
その目は、まだ冷静だった。
「裁く相手を、誤らぬことです」
◇◇◇
大審問堂。
再び、鐘が鳴る。
裁判長が立ち上がる。
「宣言する」
堂内が、静まり返る。
「本裁判は、国政への影響を鑑み、無期限延期とする」
どよめき。
「ライカイ侯爵は、王都行政への関与を即時停止。調査完了まで謹慎処分」
侯爵は、動かない。
「王太子殿下。東宮からの人員整理を命ずる」
王太子が、深く頭を下げた。
「更に、神聖国由来の霧の宝玉。王権により侯爵家から接収」
「ぐ……それは……国際問題になりかねぬぞ……」
ライカイの呻きに、裁判長は、杖を強く床に打つ。
「戦時に王都近郊で魔王級の潜伏を許した。
その疑惑の主因を放置できるほど、王権は軽くない」
一瞬の沈黙。
「異議は認めない」
杖が、再び鳴る。
「以上だ」
◇◇◇
王城の一室。
王妃は、一人で椅子に座っていた。
「……聖女エリカ」
小さく名を呼ぶ。
「あなたの力が、必要になるわ」
その声に、迷いはなかった。
◇◇◇
王宮・軟禁室。
ライカイ侯爵は、目を閉じていた。
(……権力と……アーティファクトを失ったか)
だが、口元は笑っている。
(まだ、終わっていない)
政治の表舞台から退いても、
知識も、人脈も、失われない。
(聖女、か)
盤面は、まだ動く。
◇◇◇
王宮の西、禁図書館。
午後のラウンジ。
「裁判、顔を出す前に終わってしまったわ」
「私は途中参加でした」
「ふふ。オデットのおかげで、聖女は間に合わなかったわね」
「メイ様の判断です。
街々にして回った足止め工作、酒屋への寄付も効きました」
「今代の聖女は、酒と異性に弱いって報告が来てたものね」
「……怖い話です」
「王都にも、もうすぐ来るわ」
窓の外、遠くで警鐘が鳴った。
「でも」
メイリーンは微笑む。
「あなたと、みんながいれば――」
戦線を大きく押し戻した王国に、兵士たちが戻ってきた。
この禁図書館にも。
絵本を広げた小さな女の子、
パティシエールの美女、
物書きに夢中の青年、
居眠りする老人。
「メイおねえちゃん!絵本よんで!」
少女がパタパタとかけてくる。
「いいわよ」
一瞬、風が吹き、
遠方の狼煙が視界をかすめる。
「人が戻った。もう、何も怖いことないわ」
戦時の空気が、静かに流れていた。




