終話 静かなる王都
裁判から、十日。
王都は、奇妙なほど静かだった。
あまりにも――何事もなかったかのように。
「……落ち着いているな」
城務庁舎の一室で、年配の官吏が思わず呟いた。
「ええ。前よりも」
若い書記は、帳簿から目を離さずに答える。
「高官が、まとめて停職になったというのに?」
官吏の声には、隠しきれない戸惑いが滲んでいた。
「はい」
返事は、あまりに淡々としている。
「ですが、決裁は早くなりました。根回しが、いらなくなりましたから」
一瞬、空気が止まった。
官吏は、机の上に積まれた書類へと視線を落とす。
処理済みの印が、整然と並んでいる。
「……皮肉なものだな」
「ええ」
書記は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「書類の山は、まだ減りませんが」
それは勝者の笑みではない。
ただ、現場が正常に戻ったことへの安堵だった。
同刻。
臨時監査室。
「第二陣です」
扉が開き、若い男女が一斉に頭を下げた。
二十代前半。
だが、視線は揺らがず、背筋は自然と伸びている。
オデット・ロジポツ女伯爵は、書類から顔を上げ、静かに立ち上がった。
そして一人一人の前に立ち、丁寧に握手を交わしていく。
「長旅、おつかれさま。伯爵領でのシミュレーション通りでいいわ。今日から入ってもらえる?」
「はい。この一年、準備してきましたので」
若者の一人が、言葉を選びながら付け加える。
「……予算さえ、不足しなければ」
「そこは大丈夫よ」
即答だった。
「搾り取るあてが、あるから」
あざといほど自然な笑み。
だが、その意味を理解できる者だけが、息を呑む。
「“伯爵領、奇跡の復興”が、まぐれでなかったことを、王都でも証明しましょう」
机に置かれた書類を、軽く叩く。
「財務、物流、治安。指示系統は私に直通」
若き官僚たちの背筋が、揃って伸びた。
「代役だなんて、思ってないでしょう?」
誰も否定しなかった。
「筋は通すけど、暴力に訴える相手がいたら……」
背後から、二メートル近い長身のジャイアナが一歩前に出る。
「私に任せるのだ」
「そう、暴力には、それ以上の暴力よ」
オデットは再び微笑む。
声は、あくまで穏やかだ。
「血統じゃない。実力で、国を動かすのよ」
誰も言葉を発しなかった。
だが、その沈黙は、恐れではない。
覚悟が、胸の内で固まった音だった。
別室。
「……これは、どういうことだ」
ライカイ派の元高官が、震える声で言った。
正面に座る監査官は、感情を一切交えず、書類を読み上げる。
「使途不明金。過去五年分。罰金として、全額徴収」
「ま、待て! それは――」
「さらに」
紙がめくられる。
「管理不全による領地返納。面積、三割」
空気が、完全に凍りついた。
「……な……」
男は、椅子に崩れ落ちる。
命も、爵位も、奪われていない。
だが、金と土地が削り取られていく。
王宮・軟禁室。
ライカイ侯爵は、報告書を読み終えると、静かに目を閉じた。
(……なるほど)
罰は、確かに軽いと思っていた。
自ら、政権を返上する先手の策が功を成したと、ほくそ笑んでいた。
(だが……)
紙束を机に戻す。
(派閥が、死んでいく)
金。
土地。
人。
「引き継ぎを見越した、甘い罰だったとはな……見事だ」
低く、笑う。
「これでは……どうにもならぬ」
天を仰いだ。
東宮。
王太子ミサラサは、寝台に身を投げ出していた。
「……女……」
掠れた声。
「女を、呼べ……」
返事はない。
重い沈黙だけが、部屋に沈殿する。
「……くそ……」
爪が、シーツを掴む。
誰かが来れば、まだ救われる。
果てなき依存心が、そこにあった。
満たされている間は、考えずに済んでいた。
空虚も、不安も、責任も。
だが、今は。
欲だけが、ここにある。
満たす手段だけが、失われていた。
王妃の管轄する北宮の一室。
王都到着と同時に、王妃直属の侍女たちに囲まれ通された場所。
付人の聖騎士たちは、外で待機させられている。
「……一人じゃつまんないじゃん。なんで、こそこそしなきゃいけないのさ」
聖女エリカは、鏡の前に立つ。
映るのは、自分のようで、自分でない顔。
脳裏に響くのは、あの声。
『あの男、飢えておる』
「……王子サマのこと?まだ会ってもいないのに、わかるの?」
『造作もない。聖女のつがいに丁度よい』
「つがいって、彼氏のことよね?なにを根拠に?」
『似ている。悲しいほどに』
鏡の中の女が嗤う。
『濃密なマナ、肥大した欲望、空っぽの中身、張り続ける虚勢』
「……女神サマ、それ悪口?意味わかんない」
『畏れ敬えばよい』
エリカは肩をすくめる。
「今まで外れたことないし、力もらったから信じるけど。もっともっとシアワセにしてよね」
『賢くなるな。
それは、幸福に向かぬ』
王宮西、禁図書館。
午後。
窓際の席で、メイリーンは紅茶を口にしていた。
焼き色の美しいビスケットを一枚、指先で摘まむ。
「はあ……セシリアのお菓子、やっぱり美味しいわ……」
「ふふ、久しぶりに王都の厨房で作れたの。まだ、ありますよ」
籠を差し出しながら、セシリアは報告を続ける。
前線から舞い戻った諜報班の長。
そして、腕利きのパティシエール。
「戦線、安全圏まで押し返しました。背後に隠蔽されていた魔王級消失の影響ですわ」
「もう、後ろを気にせず前線を上げていけるものね」
メイリーンは、静かに頷く。
「突然、湧いてくる敵に挟撃されながら……よく耐えたものだわ」
カップを置く。
「王都の政治は?」
「オデット伯爵が、綺麗に」
「そう」
微笑む。
「若い官僚の育成、彼女にかなう者はいないわね」
少しだけ、間を置いて。
「次は」
視線が、セシリアへ向く。
「ライカイと、王妃殿下のご実家。神聖国と、そこから送り込まれた聖女」
「仕込みを、お願いできる?」
セシリア・ドゥルセは、微笑んだ。
「すでに神聖国の商会を一つ、秘密裏に買い取りましたわ」
「早いわね」
「王妃殿下と聖女の住まう北宮。
その出入りを、こちらで押さえました」
メイリーンは、紅茶を一口。
「頼もしいわ。これなら、教皇の計画も遠からず止められる」
禁図書館には再び人の気配が戻ってきていた。
低い声の報告。
紙をめくる音。
焼き菓子の甘い匂い。
そして――
「とうっ!ノエル・キック!」
「ぐほっ!これ!年寄りを労わらんかっ!」
笑い声が、静かな王都へ溶けていった。




