第89話 わからない
静かだった。
つい先ほどまで、魔法が飛び交い、地面が抉れ、激しい音が響いていたというのに。
今は、風の音だけが聞こえる。
「…………。」
ミカは、その場に立ち尽くしていた。
魔力は、もうほとんど残っていない。
身体も重い。
それでも、目の前の少年から視線を外せなかった。
「……終わった?」
カインが小さく呟いた。
刀を下ろす。
そのまま、しばらく動かない。
「……カイン?」
セトが声をかけた。
「んー……?」
「……おい?」
「……なに?」
返事が、妙に遅い。
カインは眠そうに目を細め、ぼんやりとセトを見た。
「お前、大丈夫か?」
「……うん。」
そう答えて、一歩踏み出す。
ぐらり。
身体が傾いた。
「カインさん!」
真っ先に駆け出したのは、リムだった。
倒れかけた身体を、慌てて受け止める。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……ん。」
「カインさん!」
「……だいじょうぶ。」
「全然大丈夫じゃありません!」
リムはカインの顔を覗き込む。
焦点が、少し怪しい。
呼吸も荒い。
身体には、戦闘で負った傷がいくつも残っていた。
「どうして……!」
リムの声が震える。
「どうして、いつもそんな無茶するの!」
「……んー?」
「勝てるかどうかも分からない相手に、あんな……!」
そこまで言っても、カインはぼんやりとリムを見ているだけだった。
「……リム?」
「なに!」
「……怒ってる?」
「怒ってるよ!」
即答だった。
「当たり前でしょ!」
「……そっか。」
「そっか、じゃない!」
普段のリムからは想像もつかない声だった。
けれど、本人はそんなことに気づいていない。
ただ、目の前の少年が心配で。
……怖くて。
無事だったことに安心して。
それでも、怒らずにはいられなかった。
「……怪我、治さなきゃ。」
リムはカインを支えたまま、回復魔法を使おうとする。
だが、うまく集中できない。
震える手を見て、唇を噛んだ。
「……あの。」
その時、一人の青年が遠慮がちに声をかけた。
ファントだった。
「僕も、手伝っていいでしょうか。」
リムが顔を上げる。
「……え?」
「治療です。」
ファントはカインの様子を見た。
「かなり消耗しているようですし、怪我もあります。」
「でも……。」
リムは一瞬、言葉に詰まった。
ファントは人間だ。
しかも、つい先ほどまで自分たちと敵対していたミカと一緒にいた。
だが。
「怪我人を治すのが、僕の仕事ですから。」
ファントはそう言って、静かに膝をついた。
「失礼します。」
カインへ手をかざす。
淡い光が、その身体を包んだ。
リムも慌てて魔法を重ねる。
二人の回復魔法によって、傷が少しずつ塞がっていく。
「……ありがとうございます。」
「いえ。」
ファントは小さく頷いた。
「ただ、怪我は治せても、消耗した体力まではすぐに戻せません。」
「……はい。」
「しばらく、休ませた方がいいと思います。」
リムはカインを見る。
「……聞いてましたか?」
「……ん。」
「ちゃんと休んでくださいね。」
「……うん。」
「絶対ですよ。」
「……うん。」
どう考えても、分かっていない。
リムは深くため息をついた。
少し離れた場所で、その様子を見ていた二人がいた。
「……すげぇな。」
セトがぽつりと呟く。
「ん?」
エイルが振り返った。
「やっぱカイン、すげぇな。」
セトは、リムに支えられているカインを見ていた。
「俺だったら、あのミカ相手にあそこまで戦えねぇ。」
「……そうだね。」
「おう。」
それだけ言って、セトは黙った。
エイルも、それ以上は何も聞かなかった。
しばらくして。
「……なあ、エイルさん。」
「なーに?」
「リムってさ。」
「うん。」
「……カインのこと、好きだよな?」
エイルは、ゆっくりとセトを見た。
「…………。」
「……なんだよ。」
「いやぁ。」
エイルは少しだけ笑った。
「やっとセトも気づいたかーって。」
「……そんな分かりやすかったか?」
「うん。」
即答だった。
「めちゃくちゃ。」
「……マジか。」
「マジ。」
二人は再びリムを見る。
リムは相変わらず、カインに何か言い聞かせていた。
カインは、眠そうに頷いている。
「……あれ、本人は気づいてんのかな。」
「さあねぇ。」
エイルは楽しそうに笑った。
「少なくとも、今はそれどころじゃなさそうだけど。」
「っすねー。」
セトも笑った。
その光景を、ミカは少し離れた場所から見ていた。
「…………。」
わからない。
目の前で起きていることが、何一つ理解できなかった。
魔族は、人間の敵。
そう聞いていた。
人間を襲い、傷つける存在。
だから、戦うのだと。
そう教えられた。
あの銀髪の少女は、魔族だ。
その魔族が、人間の少年を必死に心配している。
怒って。
泣きそうになって。
それでも、彼から離れようとしない。
そしてその少年は、魔族を守るために自分と戦った。
――命を懸けて。
「……なんで。」
小さく、声が漏れた。
誰にも聞こえないほどの声だった。
ミカは自分の手を見る。
魔力は、もうない。
あれだけ戦って。
あれだけ魔法を使って。
それでも、倒せなかった。
いや、違う。
勝てなかったことが、問題なのではない。
「…………。」
わからない。
どうして、あんなことができるのか。
どうして、魔族を守ろうとするのか。
どうして、あんなに必死になれるのか。
何も、わからない。
ミカはゆっくりと顔を上げた。
「……ねぇ。」
誰に向けたとも分からない声。
だが、エイルが気づいた。
「ん?」
「……ウチも、一緒に行く。」
「……え?」
セトが振り返る。
ミカは、カインを見ていた。
「まだ、全然わかんない。」
少しだけ、言葉を探す。
「魔族のことも。」
「……うん。」
「カインのことも。」
リムに支えられたまま、カインがぼんやりと顔を上げる。
「……ん?」
「だから。」
ミカは真っ直ぐに言った。
「ウチも、一緒に行く。」
少しの沈黙。
「……いや、ちょっと待て。」
セトが口を開く。
「お前、さっきまで俺らと戦ってただろ。」
「うん。」
「うん、じゃなくて。」
「だから、ちゃんと知りたいんじゃん。」
ミカはそう答えた。
「わかんないまま、終わりにしたくないし。」
セトは言葉に詰まる。
エイルは少し考えた。
それから、カインを見る。
「……カイン、どうする?」
「……え?」
「この子、一緒に来たいんだって。」
「……あー。」
カインは、ゆっくりとミカを見た。
数秒。
「……うん。」
そして。
「……いいんじゃない?」
「軽っ!」
セトが思わず叫んだ。
「お前、今ちゃんと聞いてた!?」
「……聞いてた。」
「本当かよ!」
「……たぶん。」
「たぶんじゃねぇ!」
エイルが吹き出した。
リムは、もう一度深いため息をついた。
「……カインさん。」
「……ん?」
「もう、寝ててください。」
「……うん。」
カインは素直に頷いた。
そして、そのままリムに身体を預ける。
「……ちょ、カインさん!?」
慌てて支え直すリム。
呆れるセト。
笑うエイル。
困ったように見守るファント。
ミカは、そんな彼らを見つめていた。
「…………。」
やっぱり。
何も、わからない。
――けれど。
少なくとも、今まで自分が知っていた世界とは、何かが違う。
それだけは、確かだった。
リムちは流石に自覚しま。
そしてぬるっとカインパーティに加わるミカとファント。




