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第86話 当たるべかざる勢い

 危険地帯。


 人間領と魔族領の間に広がる、強力な魔物が数多く生息する地域。


 一般の狩人が立ち入ることすら難しいその場所を、二人の人間が歩いていた。


「ねー、ファント。」


「はい。」


「魔物、めっちゃいるね。」


「……そうですね。」


 ファントが周囲を見回す。


 既に、何体もの魔物と遭遇していた。


 そのどれもが、通常の狩人であれば討伐に相当な人数を必要とするような個体ばかり。


 だというのに。


「次、どっち行く?」


「……ミカさん。」


「ん?」


「少しは休憩されてはいかがですか?」


「えー? まだ全然余裕だけど?」


 ミカが不思議そうに首を傾げる。


 ファントは小さくため息をついた。


 危険地帯へ足を踏み入れてから、まだそれほど時間は経っていない。


 しかし、その間にミカが倒した魔物の数は、既に両手の指では足りなくなっていた。


 しかも、ほとんど無傷。


 英雄としての実力を疑っていたわけではない。


 それでも、ここまでとは思っていなかった。


「……ミカさん。魔力の残量は?」


「んー、まだまだ。」


「本当ですか?」


「ほんとほんと。心配しすぎだって。」


「心配もしますよ……。」


 ファントがそう答えた、そのときだった。


 木々の向こうから、低い唸り声が聞こえてきた。


「……またですか。」


「おっ、来た?」


 ミカが声のした方へ顔を向ける。


 茂みを押し分け、巨大な魔物が姿を現した。


 四本の太い脚。


 岩のように硬そうな外殻。


「……鎧猪。」


「知ってんの?」


「ええ。外殻が非常に硬く、通常の武器では傷をつけることすら難しい魔物です。」


「へー。」


「特に正面からの攻撃は――」


「じゃ、横からいこ。」


「……はい?」


 ミカが片手を上げる。


 次の瞬間、鎧猪の足元から水が噴き出した。


 突然のことに、魔物が体勢を崩す。


「まず足止めしてー。」


 続けて、風が巻き起こった。


 水に足を取られた鎧猪の巨体が、横へと押し流される。


「そんで。」


 ミカが、もう片方の手を向けた。


 地面から鋭く尖った岩が突き出す。


 倒れかけた魔物の腹部へ、岩の槍が突き刺さった。


 鎧猪が大きく身体を震わせる。


 やがて、その巨体が地面へ崩れ落ちた。


「よっし!」


「…………。」


「ね、今の結構よくない?」


「……ええ。」


 ファントは倒れた魔物を見つめた。


 硬い外殻を持つ相手に、正面から攻撃を仕掛けない。


 水で足場を崩し、風で体勢を変え、土魔法で比較的柔らかい腹部を狙う。


 理屈としては理解できる。


 だが、それを即座に判断し、異なる属性の魔法を連続して使うとなれば話は別だった。


「……本当に、器用ですね。」


「え、そう?」


「普通は、あれほど滑らかに魔法を切り替えられません。」


「ふーん。」


 ミカは少し考えた後、倒れた魔物を見た。


「でもさ、岩ってもっと尖らせられそうじゃね?」


「……尖らせる?」


「そ。槍っていうか、刃物みたいに。」


「なるほど……。」


「薄くしたら、もっと刺さりやすそうだし。」


「確かに、そうかもしれませんが……。」


「ちょっとやってみよ。」


 ミカが手をかざす。


 地面から、小さな岩が浮かび上がった。


 それが徐々に形を変えていく。


 最初は拳ほどの塊だったものが、薄く、細長く伸びていった。


「んー……。」


 ミカが目を細める。


 岩の先端が、さらに鋭くなる。


「お、できた。」


 そこには、石でできた一振りの刃が浮かんでいた。


「……見事なものですね。」


「っしょ?」


「しかし、あまり薄くすると、衝撃で砕けるのでは?」


「あー、確かに。」


 ミカが石の刃を眺める。


「じゃ、ちょっと厚くして……。」


 刃がわずかに形を変えた。


「こんなもん?」


「……僕に聞かれましても。」


「だよねー!」


 ミカが笑う。


 そのまま近くの木へ刃を向けかけて、手を止めた。


「あ、でも木切るのもったいないか。」


「……そうですね。」


「じゃ、次の魔物で試そ。」


「実験のように言わないでください……。」


 ファントは再びため息をついた。


 魔法とは、本来もっと慎重に扱うものではなかっただろうか。


 少なくとも、自分はそう教わってきた。


 だがミカは、まるで新しい遊びを思いついたかのように魔法を使う。


 それでいて、結果は確かなものだった。


 ◇


「おー、いい感じ!」


 ミカが嬉しそうに声を上げた。


 先ほど作った石の刃が、魔物の身体を貫いている。


 相手は、木々の間を素早く飛び回る獣型の魔物だった。


 通常なら、その動きを捉えるだけでも難しい。


 だがミカは、風魔法で進路を制限し、逃げ道へ石の刃を放った。


 魔物はそれを避けきれず、地面へ倒れた。


「これ、普通の岩飛ばすよりよくね?」


「……そうですね。」


「あとさ、風で飛ばしたらもっと速くできそう。」


「……可能かもしれません。」


「だよね!」


 ミカが満足そうに頷く。


 ファントは、倒れた魔物を確認した。


 確かに、ミカの言う通りだった。


 ただ岩を飛ばすのではなく、形状を工夫する。


 さらに風魔法で速度や軌道を調整する。


 一つ一つは、理解できない発想ではない。


 だが、それを実際に形にするには、高度な魔力制御が必要になる。


 まして、複数の属性を同時に扱うとなれば。


「……ミカさん。」


「ん?」


「そのような魔法は、どこで学ばれたのですか?」


「え?」


 ミカが首を傾げる。


「いや、なんとなく?」


「……なんとなく。」


「だって、石って削ったら尖るじゃん?」


「それは、そうですが。」


「で、風って物飛ばせるじゃん?」


「はい。」


「じゃ、合わせたらよくね?」


「…………。」


 ファントは黙った。


 言っていることは、わかる。


 わかるのだが。


「……普通は、そう簡単にはできないのですよ。」


「えー、そうなん?」


「そうなんです。」


「ふーん。」


 ミカは少し考える。


 そして、にっと笑った。


「じゃ、ウチ結構すごくね?」


「……今さらですか。」


「へへー。」


 嬉しそうに笑うミカを見て、ファントも思わず苦笑した。


 英雄。


 女神に選ばれ、この世界へ召喚された存在。


 その力が特別なものであることは、最初から理解していた。


 しかし。


 ミカの強さは、単に魔力が大きいというだけではない。


 何かを思いつき、それを実現する。


 その速さが、尋常ではなかった。


 ……もっとも。


「ね、ファント。」


「はい。」


「次の魔物、どこ?」


「……少しは休みましょう。」


「えー。」


「約束したでしょう。無理はしないと。」


「してないってー。」


「それでもです。」


「んー……。」


 ミカが少し考える。


「じゃ、ちょっと休憩!」


「……ありがとうございます。」


 ファントはようやく肩の力を抜いた。


 近くの倒木に腰を下ろし、水筒を取り出す。


 ミカもその隣に座った。


「いやー、結構倒したね。」


「ええ。正直、ここまで順調に進むとは思っていませんでした。」


「っしょ?」


「ですが、油断は禁物です。」


「わかってるって。」


 ミカが水を飲む。


 それから、ふと森の奥へ目を向けた。


「……でもさ。」


「はい。」


「なんか、魔物多すぎじゃね?」


「……そうですね。」


 ファントも頷いた。


 危険地帯に魔物が多いこと自体は、珍しくない。


 だが、それにしても遭遇する頻度が高い。


 しかも、どの魔物も妙に攻撃的だった。


「ここって、いつもこんな感じなの?」


「……私も、実際に足を踏み入れるのは初めてですので。」


「そっかー。」


「ただ、最近は各地で魔物の活動が活発になっていると聞いています。」


「じゃ、やっぱいっぱい倒さなきゃだね。」


「……そうですね。」


 ファントは小さく頷いた。


 少なくとも、魔物の被害が増えていることは事実だ。


 そして、目の前の英雄は、その脅威に対抗できるだけの力を持っている。


 だからこそ。


 自分が、しっかり支えなければならない。


 ファントは改めてそう思った。


 ◇


 しばらくして。


「……ん?」


 ミカが足を止めた。


「どうされました?」


「なんか、向こうに人いない?」


「……人、ですか?」


 ファントが目を凝らす。


 木々の隙間。


 少し離れた場所に、複数の人影が見えた。


 武装した集団。


 その装備は、少なくとも人間領の狩人が身につけるものとは異なっていた。


「……あれは。」


「知ってんの?」


 ミカが尋ねる。


 ファントの表情が強張った。


「……魔王軍です。」


「え、マジ?」


「はい。間違いありません。」


「へー。」


 ミカが人影を見つめる。


 魔王軍。


 召喚されてから、何度も聞かされてきた存在だった。


 人間と敵対する魔族の軍勢。


 英雄が戦うべき相手。


「……こんなとこにもいるんだ。」


「魔族領に近い地域ですから、不思議ではありません。」


「ふーん。」


 ミカが片手を上げた。


「……ミカさん?」


「じゃ、先にやっとこ。」


「……はい?」


 ファントが振り向く。


 ミカの周囲に、魔力が集まり始めていた。


「待ってください、ミカさん!」


「ん?」


「まずは状況を確認して――」


「でも魔王軍なんでしょ?」


「それはそうですが!」


「なら、先手必勝じゃん!」


「ミカさん、待っ――!」


 ファントの言葉が終わるより早く。


 ミカの手から、魔法が放たれた。


 膨大な魔力を込められた一撃が、木々の間を駆け抜ける。


 直後。


 轟音。


 激しい衝撃が周囲へ広がり、木々が大きく揺れた。


「……ミカさん!!」


 ファントが叫ぶ。


 だが、ミカは前方を見つめたまま、首を傾げていた。


「……あれ?」


 土煙が晴れていく。


 吹き飛ばされた木々。


 抉れた地面。


 その中心に、薄い膜のようなものが見えた。


 魔法による防壁。


 そして、その向こうには。


 武装した魔王軍の兵士たち。


 さらに、見覚えのない四人の姿があった。


 ミカが目を瞬かせる。


「あれ? 人間もいる?」

現英雄と、先代英雄の息子、交錯。

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