第83話 危険地帯
人間の領土と、魔族の領土。
その二つを隔てるように広がる、広大な土地。
人々はそこを、危険地帯と呼ぶ。
強力な魔物が数多く生息し、人間も魔族も、滅多なことでは足を踏み入れない場所。
そんな場所の入り口に、カインたち四人は立っていた。
「……普通の森だな。」
セトが、目の前に広がる木々を眺めながら言った。
「うん。」
カインも頷く。
街から離れた場所にある森と、見た目には大きな違いがない。
木々が生い茂り、鳥の鳴き声が聞こえる。
少なくとも、ここから見える景色だけなら、危険地帯という名前ほど恐ろしい場所には思えなかった。
「まあ、入り口はこんなものだよ。」
エイルが軽く肩をすくめる。
「でも、油断しちゃ駄目だからねー。」
「わかってるって。」
「ほんとかなぁ。」
エイルがセトを見て笑う。
「……リムち、お願いできる?」
「はい。」
リムが小さく頷いた。
「【隔帳】。」
その言葉とともに、四人の周囲を薄い何かが覆う。
目に見える変化はほとんどない。
けれど、周囲から自分たちの存在が認識されにくくなっているはずだった。
「これで、魔物に見つかる可能性は低くなると思います。」
「ありがと、リム。」
「い、いえ……。」
カインの言葉に、リムが少し俯く。
「それじゃ、行こっか。」
エイルを先頭に、四人は森へと足を踏み入れた。
◇
しばらく歩いても、景色に大きな変化はなかった。
木々の間を抜け、草を踏み分けながら進む。
時折、小さな動物が姿を見せることもある。
「……なんか、拍子抜けだな。」
セトが呟いた。
「もっとこう、入った瞬間から魔物が襲ってくるような場所かと思ってた。」
「そんな場所だったら、そもそも誰も通れないでしょ。」
エイルが笑う。
「それに、今はリムちが守ってくれてるんだから。」
「あ、そっか。」
「……ただ。」
エイルが足を止めた。
「そろそろ、気をつけた方がいいかな。」
「何かいるの?」
カインが尋ねる。
「いる、というか……。」
エイルは少し先の地面を指差した。
「ほら、あれ。」
そこには、木が一本倒れていた。
いや、倒れているというより、根元から引き裂かれている。
太い幹は途中で折れ、周囲の木々にも大きな傷が残っていた。
「……でっかい魔物でも通ったのか?」
「多分ね。」
セトの問いに、エイルが答える。
「でも、これくらいならまだ可愛い方かな。」
「これで?」
「うん。」
エイルは、何でもないことのように頷いた。
「もっと奥に行けば、木なんて簡単になぎ倒すような魔物が普通にいるから。」
「……マジか。」
セトが改めて倒木を見る。
幹の太さは、自分の胴よりも遥かに大きい。
これを簡単になぎ倒すような魔物。
少なくとも、普段の依頼で遭遇する相手とは違うらしい。
「……あの。」
今度はリムが声を上げた。
「少し、遠回りした方がいいかもしれません。」
「どうして?」
「この先に……大きな魔物がいます。」
カインたちは顔を見合わせた。
「リムち、わかるの?」
「はい。以前、この辺りを通った時にも見かけたことがあって……。」
「そっか。じゃあ、迂回しよっか。」
エイルはあっさりと進路を変えた。
「……見に行かないの?」
カインが尋ねる。
「見たい?」
「いや、そういうわけじゃないけど。」
「だったら、行かない方がいいよ。」
エイルが笑う。
「ここでは、戦わなくていい相手とは戦わない。それが一番だから。」
「……なるほど。」
カインは頷いた。
普段の狩人の仕事なら、魔物を見つければ討伐することも多い。
けれど、今の目的は魔物を倒すことではない。
凶暴化の原因を調べることだ。
無駄な戦闘は避けた方がいい。
そう納得して、カインたちはエイルの後を追った。
◇
さらに奥へと進むにつれて、森の様子は少しずつ変わっていった。
地面が大きく抉れている場所。
幹に深い爪痕を残した木。
何かに踏み潰されたように、草木がまとめて倒れている一帯。
そして、時折響く、聞いたこともない鳴き声。
「……なあ。」
セトが小声で言った。
「さっきから、結構すごい音してね?」
「してるね。」
カインも耳を澄ませる。
遠くから、何かがぶつかり合うような音が聞こえていた。
木々が揺れ、鳥の群れが一斉に飛び立つ。
やがて、地面が微かに震えた。
「……何がいるんだ?」
「わかんない。」
エイルが答える。
「でも、近づかない方がいいね。」
「エイルさんでも?」
「おねーさんだって、何でも倒せるわけじゃないからねー。」
そう言って、エイルは少し笑った。
「昔、イサナたちと来た時も、戦う相手は選んでたよ。」
「親父たちも?」
「そりゃそうだよ。勝てる相手でも、わざわざ戦う必要がなければ避けるし。」
「……そっか。」
カインは、もう一度音のした方向を見る。
英雄と呼ばれる父たちでさえ、慎重に行動していた場所。
その意味が、少しずつわかってきた気がした。
「……ちなみにさ。」
セトが口を開く。
「もっと奥って、どうなってんの?」
「森を抜けると、荒野が広がってるよ。」
「荒野?」
「うん。木も草も、ほとんどない場所。」
「……なんで?」
「育たないんだよ。」
エイルが、傷だらけの木々を見回す。
「こんな魔物が、そこら中で暴れてるんだから。」
「……ああ。」
セトが納得したように頷く。
「木が育つ前に、全部ぶっ壊されるってことか。」
「そういうこと。」
「……すごい場所だな。」
カインが呟いた。
今いる森でさえ、至るところに破壊の痕跡がある。
それが、さらに奥へ進めば、草木すら残らなくなる。
「……中央の方には、飛竜なども生息しています。」
リムが静かに付け加えた。
「ウェルさん達の街に来たやつ?」
「はい。長く生きた個体は、とても強くて……私も、見つからないように通っていました。」
「……リムでも避けるんだ。」
「は、はい……。」
リムは小さく頷いた。
「私のスキルは、戦うためのものではありませんから……。」
「でも、そのおかげで今もこうして進めてるんだよね。」
カインが言う。
「……はい。」
リムは少しだけ笑った。
「それにしても……。」
セトが頭を掻く。
「こんな場所で、魔物が増えてるかどうかなんてわかるのか?」
「……あ。」
カインが足を止めた。
「そういえば。」
「そういえば、じゃないでしょー。」
エイルが呆れたように笑う。
「もともと魔物だらけの場所だもんね。」
「……うん。」
カインは辺りを見回した。
確かに、魔物の気配はある。
けれど、それが以前より増えているのか。
普段より凶暴になっているのか。
そもそも、何を基準に判断すればいいのか。
「……難しいね。」
「だな。」
二人が揃って唸る。
「まあ、何もわからないってわけじゃないけどね。」
エイルが言った。
「少なくとも、ここにいる魔物がどんなものなのかは、少しわかったでしょ?」
「うん。」
「それに、まだ来たばっかりだし。もう少し調べてみよっか。」
「そうだね。」
カインは頷いた。
すぐに答えが見つかるとは思っていなかった。
それでも、何もしなければ何もわからない。
まずは、自分たちにできることをするしかなかった。
◇
それから、しばらく経った頃。
「……ん?」
最初に異変に気づいたのは、エイルだった。
「どうしたの?」
「……向こう、誰かいるみたい。」
エイルが指差した先から、金属がぶつかるような音が聞こえてくる。
続いて、魔物の鳴き声。
そして、何かが地面に叩きつけられるような大きな音。
「……戦ってる?」
「みたいだね。」
四人は慎重に近づいた。
木々の間から、少し開けた場所が見える。
そこでは、武装した数人の者たちが、一体の大きな魔物を囲んでいた。
一人が正面から魔物の注意を引き、別の者が側面へ回る。
さらに後方から魔法が放たれ、魔物の動きを鈍らせた。
「……おお。」
セトが小さく声を漏らす。
「結構、連携取れてんな。」
「そうだね。」
カインも頷く。
兵士たちは互いに声を掛け合い、魔物の攻撃を避けながら少しずつ追い詰めていた。
やがて、一人の兵士が大きく踏み込む。
武器が魔物を捉え、その巨体が地面へ倒れた。
「……倒した。」
カインが呟く。
兵士たちはすぐに周囲を確認し、倒れた魔物へと近づいていく。
「……あの。」
その様子を見ていたリムが、静かに口を開いた。
「どうしたの?」
カインが尋ねる。
「……あの方々、魔王軍の兵士です。」
「……魔王軍?」
「はい。」
リムが頷く。
「装備に見覚えがあります。それに……おそらく、魔物の討伐任務かと。」
「……じゃあ。」
カインは、倒れた魔物と兵士たちを交互に見た。
「魔族も、魔物を倒してるんだね。」
「はい。魔族にとっても、魔物は危険な存在ですから……。」
「……なるほどなぁ。」
セトが腕を組む。
「ってことは、あいつらも何か知ってんじゃね?」
「……あ。」
カインが顔を上げた。
「確かに。」
魔物の討伐に来ているのなら、最近の異変について何か知っているかもしれない。
それに、魔族側の状況も聞けるかもしれなかった。
「……リム。」
「はい?」
「あの人たちと、話せるかな?」
リムは兵士たちを見つめ、それから小さく頷いた。
「……はい。大丈夫だと思います。」
「そっか。」
カインは笑った。
「じゃあ、話を聞いてみよう。」
そうして四人は、魔王軍の兵士たちへと近づいていった。
忘れがちだけどリムち四天王。
一般兵でも大体知ってる。




