第55話 伝心
――斧鹿が立ち上がる。
続いて、疾鷹が翼を広げた。
「……ほんとに、どうすんのこれ。」
エイルが息を吐く。
確かに同時だった。少なくとも、カインたちにはそう見えた。
エイルと、その分身。
同じ人間が、同じ瞬間に二体を仕留めた……だが、それでも駄目だった。
「もう一回やってみる?」
「……やるしかないですね。」
カインが刀を構える。
斧鹿が地面を蹴った。
同時に、疾鷹が空へ舞い上がる。
「来ます!」
リムが【隔帳】を張る。
斧鹿の巨大な角が、見えない壁へ叩きつけられた。
その横を、カインが駆ける。
疾鷹が急降下する。
「カイン、上!」
「はい!」
身を沈める。
頭上を爪が通り過ぎた。
すぐさま刀を振るう。
だが、疾鷹は翼を翻して斬撃をかわした。
「ほんっと速いなぁ!」
エイルと分身が左右へ散る。
二人が同時に斧鹿へ迫った。
斧鹿が角を振るう。
一人が跳び退き、もう一人が懐へ潜る。
短刀がその首を斬り、斧鹿が倒れる。
「カイン!」
「分かってます!」
疾鷹へ走る。
リムが【隔帳】を展開した。
疾鷹の進路を塞ぐ。
逃げ道を失った疾鷹へ、カインが刀を振り抜いた。
翼が裂ける。
地面へ落ちたところへ、もう一撃。
疾鷹が動かなくなった。
「…………。」
三人が斧鹿を見る。
淡い光が、その身体から伸びていた。
疾鷹へ。
「……またか。」
傷が塞がる。
疾鷹が翼を動かした。
直後、今度は疾鷹から斧鹿へ、淡い光が伸びる。
「くそっ。」
カインが駆け出す……が、遅かった。
斧鹿が立ち上がり、巨大な角が振るわれる。
「カインさん!」
【隔帳】が、その一撃を受け止めた。
「ありがとう、リム!」
「はい!」
再び、二体が動き出す。
斧鹿が地を駆ける。
疾鷹が空を舞う。
倒しても。
倒しても。
どちらかが、もう片方を起こす。
何度目だっただろう。
「はぁ……はぁ……。」
リムの呼吸が荒くなっている。
何度も【隔帳】を使っている。
エイルも額の汗を拭った。
「さすがに……きつくなってきたねー。」
隣に立つ分身が消える。
エイル自身も、何度【鏡面】を使ったか分からない。
カインも同じだった。
刀を握る手が重い。
走り続けた足も、少しずつ動きが鈍くなっている。
それでも……斧鹿と疾鷹はまだ立っている。
「……一回、退く?」
エイルが言った。
「このままやっても、こっちが先に動けなくなるよ。」
「…………。」
カインは答えなかった。
二体を見る。
斧鹿。
疾鷹。
どちらかを先に倒せば、もう片方が起こす。
ほとんど同時でも駄目。
エイルと分身でも駄目だった。
「カイン?」
「……もう少しだけ。」
刀を握り直す。
「もう少し、やってみたいです。」
「何か思いついた?」
「まだです。でも……。」
カインは二体を見る。
「何かあると思うんです。」
倒せないわけじゃない。
ただ、自分たちがまだやり方を見つけていないだけだ。
「…………。」
エイルは、そんなカインを見た。
昔から知っている。
イサナの息子。
英雄の息子。
ずっと、そういう目で見ていた少年。
けれどこの数日、少しずつその見方が変わった。
困っている人がいれば手を貸す。
仲間が疲れていれば気にかける。
分からなければ考える。
出来なければ、出来るようになるまでやる。
英雄になりたいわけでもない。
父親に追いつきたいわけでもない。
――ただ。
これが、カインなのだ。
「……カイン。」
「はい?」
「使って。」
「……何を?」
エイルは自分を指差した。
「私の。」
カインが目を瞬く。
「……【鏡面】?」
「うん。」
「でも。」
今まで、一度も使えなかった。
カインも、エイルも知っている。
「エイルさんのスキルは、まだ……。」
「うん。」
エイルが笑った。
何故かは分からない……けれど、今なら大丈夫だと思えた。
カインを見る。
「きっと今なら、大丈夫だから。」
《条件が満たされました》
「…………!」
聞き覚えのある声。
カインが目を見開く。
「……エイルさん。」
エイルが笑う。
「ね、大丈夫だったでしょ?」
「……はい。」
カインは刀へ手をかけた。
分かる。
今までとは違う。
けれど、確かにそこにある。
エイルの【鏡面】。
「……やってみます。」
刀を抜く。
その瞬間。
カインの姿が――増えなかった。
「……あれ?」
エイルが首を傾げる。
「失敗?」
「いや……。」
カインは手の中の刀を見る。
もう一度、意識する。
増やす。
自分ではなく――これを。
「…………。」
刀身が揺らいだ。
一本だった刃にもう一本、同じ形をした刀身が重なった。
「……そっちなんだ。」
エイルが目を丸くした。
「俺が二人になっても、エイルさんみたいに動かせないですから。」
「まあ、そりゃそうだけど。」
カインが二本になった刀身を眺める。
一度振れば、二本とも同じように動く。
同じ腕で。
同じ瞬間に。
「……これなら。」
カインが顔を上げる。
斧鹿と疾鷹。
二体は離れている。
このままでは届かない。
「リム。」
「はい。」
「二体、近づけられる?」
「近づける……?」
「うん。」
カインが二体を見る。
「俺が、一度に斬れるところまで。」
リムも斧鹿と疾鷹を見る。
少し考えて。
「……やってみます。」
「お願い。」
「はい!」
リムが両手を前へ出す。
【隔帳】。
斧鹿の横に、見えない壁が生まれる。
進路を塞がれた斧鹿が方向を変えた。
疾鷹が空へ逃げる。
その先にも。
「そこは、駄目です。」
【隔帳】。
疾鷹が急旋回する。
「なるほどね。」
エイルが笑う。
「じゃ、おねーさんも手伝いますか。」
再び【鏡面】。
エイルが二人になる。
左右から斧鹿を追い立てる。
斧鹿が逃げる。
疾鷹が鳴いた。
すぐに斧鹿が方向を変える。
「リム!」
「はい!」
その先に【隔帳】。
また、進路が変わる。
疾鷹も動く。
斧鹿を助けようと、低く飛ぶ。
少しずつ。
少しずつ。
二体の距離が縮まっていく。
カインは動かない。
刀を鞘へ戻す。
腰を落とす。
右手を柄へ。
エイルが追う。
リムが塞ぐ。
斧鹿が駆ける。
疾鷹が飛ぶ。
そして……二体が重なった。
「カイン!」
エイルの声。
カインが地面を蹴った。
――一歩、間合いへ。
二つの刃が走った。
一つは、斧鹿へ。
一つは、疾鷹へ。
同じ腕から。
同じ一振りから。
全く同じ瞬間に、二体の身体を刃が通り抜けた。
斧鹿が倒れる。
疾鷹が地面へ落ちる。
「…………。」
カインは刀を振り抜いたまま、動かなかった。
リムも。
エイルも。
倒れた二体を見る。
一秒。
二秒。
斧鹿から疾鷹へ。
疾鷹から斧鹿へ。
何度も見た、あの光。
けれど――光は、伸びなかった。
誰も、すぐには口を開かなかった。
やがて。
「……終わった?」
エイルが呟く。
カインがゆっくり息を吐いた。
「……たぶん。」
「たぶんって。」
「だって、何回も起きたから。」
「まあ……そうだね。」
「もう少し待ちます?」
リムが言う。
三人で顔を見合わせる。
「……待とうか。」
「ですね。」
「はい。」
しばらく三人は、倒れた斧鹿と疾鷹を眺め続けた。
けれど、二体が再び立ち上がることはなかった。
「……大丈夫そうだね。」
エイルがようやく息を吐いた。
「疲れたぁ……。」
その場に座り込む。
隣にいた分身も消えた。
「お疲れ様です。」
「リムちもねー。何回【隔帳】使った?」
「……途中から数えてません。」
「だよねー。」
カインも刀を納めた。
「二人とも、ありがとう。」
「ん?」
「エイルさんが【鏡面】貸してくれて、リムが二体を近づけてくれなかったら、無理だったから。」
「…………。」
エイルはカインを見る。
少し前まで。
この少年を見る時、いつも誰かが隣にいた。
イサナ。
似ているところを探して。
違うところを比べて。
いつの間にか、それが当たり前になっていた。
けれど。
今、目の前にいるのは。
ただの、カインだ。
「……いい男になったね、カイン。」
「……急に何?」
「あはは。」
予想通りの反応に、エイルが笑う。
「褒めてるんだよ?」
「それは分かるけど。」
「そっかそっか。」
エイルは楽しそうに頷いた。
――それから。
「こんないい男になるなら、おねーさんも唾つけとけばよかったかなぁ?」
「何言ってんの?」
「冗談、冗談。」
「…………。」
そのやり取りを、リムは隣で聞いていた。
エイルが本気で言っているわけではない。
それくらい、リムにも分かる。
いつもの冗談だ。
カインも、いつものように困っているだけ。
――なのに。
「…………?」
リムは小さく首を傾げた。
何故だろう。
胸の奥がほんの少しだけ……チクリとした。
「…………。」
「……あー。」
エイルの声に、リムが顔を上げる。
「どうしました?」
「んーん。」
エイルは小さく笑った。
「なんでもないよ、リムち。」
「……そうですか?」
「うん。」
リムはもう一度、カインを見る。
カインはそんな二人の様子にも気づかず、倒れた斧鹿と疾鷹を確認している。
「…………。」
胸の奥に残った、小さな違和感。
何なのかは、まだ分からなかった。
斧鹿と疾鷹。
お前の罪を数えたり、ベストマッチだったり、飲料メーカーがちらついて駄目だった。




