抜刀といえば
狩人を目指す。そう決めてから、数日が過ぎた。
進路が決まったからといって、カインの日常は変わらない。
朝は学園へ通い、夕方には家へ帰る。そして夕飯までの間、庭でイサナに稽古をつけてもらう。
今までと変わらない毎日。
……変わったことといえば
「遅い。」
「うわっ!」
振り下ろされた木剣を受け止めようとした瞬間、カインの手から木剣が弾き飛ばされた。
乾いた音を立て、木剣が庭の端へ転がっていく。
「はい、今日も俺の勝ち。」
「……親父、少し厳しくするって言ってなかったか?」
「言ったな。」
「少しか?」
「俺の中では。」
「絶対嘘だろ……。」
痺れた両手を振りながら、カインは地面に転がった木剣を拾う。イサナは涼しい顔で、自分の木剣を肩へ担いでいた。
「狩人は魔物相手の仕事だからな。待ってくれとも、もう一度とも言えないぞ。」
「分かってるよ。」
「なら、もう一回。」
「今の流れで?」
「まだ夕飯まで時間あるだろ。」
カインはため息をつきながらも、再び木剣を構えた。
イサナもそれに応じて構える……剣先が向けられた瞬間、先ほどまでの気の抜けた父親の姿が消えた。
世界を救った英雄。
その呼び名に相応しい威圧感が、カインへ向けられる。
「いくぞ。」
「いつでも。」
一歩。
イサナが踏み込む。
……速い。
けど、ずっと向き合ってきた。
激しい音が庭に響く……が、今度は弾かれない。
「お。」
「まだ!」
押し返し、そのまま剣を振るう。
イサナが身体をずらし、紙一重で避け、すぐ木剣を返しカインの肩を軽く叩く。
「そこまで。」
「……くそ。」
「でも、今のは悪くなかった。」
「本当か?」
「あぁ。昨日より一回多く受けられた。」
「一回かぁ……。」
「一回を笑うなよ。その積み重ねが大事なんだから。」
イサナは笑い、木剣を肩へ戻した。
「今日はここまで。」
「まだ時間あるけど、夕飯前に動きすぎると……母さんに怒られる。」
「親父が?」
「俺が。」
その答えに、カインは思わず笑った。
◇
夕飯の席には、いつものようにセトもいた。
「今日も負けたのか?」
「見てたなら聞くな。」
「途中からしか見てねぇもん。」
セトは皿に盛られた肉へ手を伸ばそうとする。だが、その手が料理に届くより先に、リアの声が飛んだ。
「セト。」
「はい。」
「皆が揃ってからね。」
「まだ何もしてないのに。」
「しようとしていたでしょう?」
「見るくらいはいいだろ。」
「手を伸ばしていたわよ。」
セトは名残惜しそうに手を引っ込める。
そしてふと、カインが口を開く。
「気にしてなかったけど、セトって当たり前にうちで飯食ってくよな。セトんちもおばさん夕飯作ってるんだろ?」
「それも食う。」
あぁ、セトだなぁ。
その様子を見ながら、イサナがふと口を開いた。
「そういやカイン。」
「ん?」
「お前のスキル、抜刀だったよな。」
「そうだけど。」
「なら、刀を使うか。」
「……刀?」
聞き覚えのない言葉に、カインは首を傾げた。
セトを見ると同じような顔をしている。
「剣の一種だよ。」
「今使ってる剣じゃ駄目なのか?」
「駄目じゃないけど。」
イサナは少し考えた後、当然のことを話すように言った。
「抜刀と言えば、刀だろ。」
「そういうものなのか?」
「日本人ならな。」
「ニホン?」
カインが聞き返すと、今度はイサナが首を傾げた……しばらく親子で互いの顔を見つめる。
「あれ?」
先に口を開いたのはイサナだった。
「俺が召喚者だって、話してなかったか?」
「聞いてない。」
「一度も?」
「一度も。」
「そうだっけ?」
「そうよ。」
リアが料理を並べながら、呆れたように笑う。
「あなた、自分の昔のことをほとんど話さないもの。」
「別に隠してたわけじゃないんだけどな。」
「なら、話しておけばよかったでしょう?」
「聞かれなかったし。」
「知らないことは聞けないだろ。」
カインの言葉に、イサナは「それもそうか」と頷いた。
英雄イサナ。
異世界から召喚され、魔王を討った英雄。
上の世代の者たちにとっては有名な話でも、カインたちの世代には、世界を救った英雄という部分だけが強く伝わっている。
本人も、今では召喚者であることを特別意識していない。この世界で生きた時間の方が、すでに長くなっているからだ。
「じゃあ、ニホンっていうのは?」
「俺が召喚される前に住んでた国。」
「この国から遠いのか?」
「国っていうか……別の世界だな。」
「別の世界……。」
カインが呟く。
言葉の意味は分かる。
だが、あまりにも話が大きくて、実感が湧かなかった。
「親父、別の世界から来たのか。」
「そう。」
「今更すごいこと言うなぁ……。」
「別に今の生活には関係ないからな。」
イサナは平然と答え、ようやく全員が揃った食卓へ手を伸ばした。
「それで、そのニホンだと抜刀には刀なのか?」
「あぁ。俺の中ではな。」
「親父の中だけ?」
「日本人として、そこは譲れない。」
妙に真剣な表情だった。
理由として正しいのかは分からない……だが、イサナ本人は本気らしい。
「刀なんて、この街じゃ見たことないぞ。」
セトが肉を頬張りながら言う。
「そりゃ、この辺じゃ使ってる奴いないからな。」
「どこにあるんだ?」
「昔買ったのがある。」
「持ってるのかよ。」
「英雄やってた頃に、刀の文化がある街へ行ってさ。懐かしくなって買った。」
イサナの顔に、少しだけ懐かしそうな笑みが浮かぶ。
「その街、昔に召喚された英雄が刀を広めたらしいんだ。」
「親父以外にも召喚された英雄がいたのか?」
「いたらしいな。」
「誰?」
「えーっと……。」
イサナは食事の手を止め、天井を見上げた。
「なんだったかな。サムライの英雄で……ノブ……なんとか。」
「忘れたのか?」
「昔、刀を買った店のおっちゃんが話してたんだけどな。」
うーん……と、イサナは首を捻る。
「聞いてなかったんだ。」
「刀を見てた。」
「あなたらしいわね。」
リアが小さく笑う。
イサナは否定せず、むしろ楽しそうに続けた。
「いや、初めてあの街へ行った時は震えたよ。」
「刀を見て?」
「それもある。」
「それも?」
「あの街、飯まで日本に似てたんだよ。」
途端に、イサナの声が少し弾んだ。
「米じゃないんだけど、よく似た穀物を炊いた飯があってさ。それに味噌汁みたいなスープと、漬物っぽい野菜、それから焼き魚。」
「普通の飯じゃねぇか?」
セトが言う。
「お前には分からん。」
「何が?」
「故郷の味だよ。」
イサナは遠い目をした。
「全部そっくりってわけじゃなかったんだけどさ。皿に並んだの見た瞬間、ちょっと泣いたわ、俺。」
「大袈裟ねぇ。」
「何年ぶりだと思ってるんだよ。」
リアは笑っているが、イサナの表情はどこか嬉しそうだった。
帰りたいと嘆くわけでもない。ただ、遠い故郷を思い出した、それだけ。
「惜しかったのは、醤油がなかったことだな。」
「ショウユ?」
カインが首を傾げる。
「日本の調味料、あれさえあれば完璧だった。」
「作れないの?」
「俺は料理人じゃないからなぁ。」
その時、カインの頭に、料理人を目指すと話していた少年の顔が浮かんだ。
「アランなら作れたりして。」
「アラン?」
「この前話しただろ。料理人を目指してる同級生。」
「へぇ。」
イサナは少し考える。
「今度聞いてみるか。」
「何を?」
「醤油、作れないかって。」
「いきなり無茶言うなよ。」
「聞くだけならいいだろ。」
リアが「また何か始めそうね」と笑っている。
イサナ自身は、まだ知らない。
その何気ない思いつきが、いつか一人の料理人の人生を大きく変えることを。
「そういえば。」
カインはふと気になり、父へ尋ねた。
「その昔の英雄は、刀を残したんだろ?」
「きっかけを作っただけじゃないか? 今の刀は、その街の人たちが長い時間をかけて作ったものだろうし。」
「じゃあ親父は、何か残したの?」
「俺?」
イサナは少し考え……。
「……いや、なんも。」
と、首をふる。
「魔王倒しただろ。」
「それは仕事みたいなもんだし。」
「英雄の仕事って何だよ。」
「魔王を倒すこと?」
「疑問形じゃん。」
食卓に笑いが広がった。
◇
夕飯を終えると、イサナは家の奥へ向かった。
しばらくして戻ってきたその手には、細長い黒色の鞘が握られていた。
「これが刀。」
カインは差し出されたそれを、両手で受け取る。
鞘には目立つ装飾もなく、長い間使われていなかったためか、少しだけ埃っぽい……それでも、雑に扱われていたようには見えなかった。
柄を握る。
普通の剣とは形が違う。何より、僅かに反っている。
「抜いてみろ。」
「ここで?」
「ゆっくりな。」
カインは柄を握り、慎重に鞘から引き抜いた。
銀色の刀身が、室内の明かりを反射する。
「……片方しか刃がない。」
「刀は片刃だからな。」
刃の反対側へ指を近づける。
「こっちは?」
「峰。斬れない方。」
「斬れる方と斬れない方あるのか。」
「斬る時に刃を向ければいい。」
「それはそうだけど。」
カインは刀を軽く持ち上げる。
細身に見えるが、木剣とは重さのかかり方が違う。いつもの感覚で振れば、刃の向きがずれてしまいそうだった。
「剣とは結構違うな。」
「だから慣れがいる。」
「鞘は?」
「刀を納めておくもんだ、剣の鞘と変わらねぇよ。使わない時はちゃんと納めておけよ。」
「分かってる。」
カインは教えられたとおり、ゆっくり刀を鞘へ戻す。
カチン。
鍔と鞘が触れ、澄んだ音がした。
「なんか、いい音だな。」
「だろ?」
イサナが嬉しそうに笑う。
まるで自分が褒められたような顔だった。
「本物はまだ使わせないけどな。」
「え?」
「まず木刀から。」
「見せただけかよ。」
「いきなり真剣で練習する奴があるか。」
イサナは刀を受け取り、大切そうに抱え直した。
「狩人登用試験までに、最低限扱えるようにするぞ。」
「親父、刀使えるの?」
「少しは。」
「天断も刀で?」
「いや、あれは剣。」
「なんで?」
イサナは少しだけ胸を張った。
「俺の天断って、ズバーンって感じの馬鹿でかい斬撃だからな。」
「ズバーン。」
「そう。だったら刀より、西洋剣の方が映えるだろ。エクスカリバーみたいで格好いいし。」
「セイヨウケン?」
「あ。」
カインが再び首を傾げる。
イサナは少し黙った後、面倒になったように手を振った。
「それも日本の言葉。気にするな。」
「親父、たまに知らない言葉使うと思ってたけど、全部ニホンの言葉だったのか。」
「全部ではないと思う。」
「自覚ないんだ……。」
◇
翌日から、カインの稽古には木刀が使われるようになった。
「刃の向きを意識しろ。」
「木なのに刃なんてないだろ。」
「本物だと思って振るんだよ。」
「難しいな!」
「だから練習するんだ。」
最初は、散々だった。
いつもの剣と同じように振れば、木刀の向きがぶれる。
重心も違う。
受け方も、踏み込み方も違った。
何より難しかったのは、鞘から抜く動作だった。
「引っかかった!」
「力みすぎ。」
「鞘、邪魔じゃないか?」
「抜刀なんだから鞘がなきゃ始まらないだろ。」
「そりゃそうだけど!」
腰へ差した木刀を抜こうとして、何度も鞘へ引っかける。
勢いよく抜こうとして体勢を崩し、そのまま地面へ転がったこともあった。
庭を眺めながら料理を手伝っていたセトは、そんなカインを見て笑う。
「何やってんだ、あいつ。」
「新しい武器の練習よ。」
リアが切り分けた野菜を鍋へ入れる。
「毎日大変そうだなぁ。」
そう言いながら、セトは皿に置かれていた肉を一つ摘まんだ。
「セト。」
「はい。」
「今、食べたでしょう?」
「味見。」
「まだ焼く前よ。」
「……戻す?」
「一度口に入れたものを戻さないの。」
◇
それからも、カインは毎日木刀を振り続けた。
学園が終われば家へ帰り、夕飯まで庭へ出る。
抜く。
振るう。
納める。
最初は一つ一つ確かめなければできなかった動きが、少しずつ繋がっていく。
刃の向き。
足の運び。
腰の使い方。
剣術で身につけた基礎があったからこそ、上達は決して遅くなかった。
それでも、イサナは簡単には褒めない。
「まだ肩に力入ってる。」
「はい。」
「抜いた後に足が止まってる。」
「もう一回。」
「納める時こそ気を抜くな。」
「分かった。」
毎日。
何度も。
何度も。
繰り返す。
季節は少しずつ進み、狩人登用試験の日が近づいていた。
ある日の夕暮れ。
カインは腰を落とし、柄へ手を添える。
イサナが少し離れた場所に立ち、じっとその姿を見ていた。
息を整える。
踏み込む。
鞘から抜き放った木刀が、真っ直ぐに空を斬った。
振り切った姿勢から、そのままゆっくりと鞘へ戻す。
カチン。
庭に、小さな音が響く。
しばらく黙っていたイサナが、満足そうに頷いた。
「うん。」
「ようやく、形になってきたな。」
カインは腰の木刀へ目を落とす。
まだまだ、イサナには遠く及ばない。
それでも、初めて手にした時とは違う。
今では、この形も、この重さも、少しずつ自分のものになり始めていた。
「試験までに間に合いそう?」
「最低限はな。」
「最低限かぁ。」
「狩人になってからも鍛えればいい。」
「そうだな。」
カインはもう一度、柄へ手を添える。
「じゃあ、もう一回。」
「夕飯までな。」
夕暮れの庭へ、木刀が空を斬る音が響く。
狩人登用試験まで、あと僅か。
カインは今日も、刀を抜いた。
やっぱり抜刀と言えば刀すわ。
理由?カッコいいから。
異論は認める。




