お互い様
「じゃ、三部屋でお願いね。」
宿屋の受付で、エイルはそう言って財布を取り出した。
「あ、エイルさん。俺たちの分は――。」
「いいのいいの。ここはおねーさんに任せなさい。」
止めようとしたカインにひらひらと手を振って、エイルは財布の口を開く。
じゃらり。
覗いた中で、金色の硬貨がいくつも重なっていた。
「…………。」
カインとセトの視線が、揃って財布に吸い寄せられる。
エイルはそんな二人に気づかないまま、宿代を数えて受付へ置いた。
「なぁ、カイン。」
「うん。多分、同じこと思ってる。」
二人は顔を見合わせる。
「「大人ってすごい。」」
「何の話?」
「なんでもないです。」
首を傾げるエイルから、二人はそっと目を逸らした。
狩人として仕事を始めてから、カインたちにとって金は以前よりずっと身近なものになった。
依頼をこなせば報酬が入る。
その金で宿に泊まり、飯を食い、必要なものを揃える……だからこそ分かる。
今の自分たちの財布をどれだけひっくり返しても、あんな音はしない。
「……あの。」
遠慮がちな声に、エイルが振り返った。
少し離れたところに立っていたリムが、申し訳なさそうに財布を取り出している。
「私の分は、自分で……。」
「いいって。リムちゃんも気にしないの。」
「でも……。」
「こういう時くらい年上に格好つけさせてよ。ね?」
「…………ありがとうございます。」
まだ何か言いたそうだったが、リムは小さく頭を下げて財布をしまった。
その様子を見ながら、エイルは少しだけ目を細める。
――リム。
カインたちが連れていた、魔族の少女。
昨日聞いた話だけでも、大体の事情は分かっている。
人間を知るために魔王から送り出され、偶然カインたちと出会ったこと。
魔族だと知られたあとも、二人と行動を共にしていること。
そして何より。
カインもセトも、彼女が魔族だからといって態度を変えている様子はなかった。
なら、おねーさんとしても文句はない。
――ない、のだけれど。
「…………」
エイルは、改めてリムを見る。
深く被った黒いフード。
そこから覗く銀色の髪、背中は少し丸まり、なるべく目立たないようにしているのが見て取れる。
顔立ちは――昨日も思ったが、かなり整っている。
黙って立っているだけなら、人目を引いて仕方がないだろう……まぁ、本人にはそんな自覚は欠片もなさそうだが。
「……?」
視線に気づいたのか、リムがこちらを見る。
一瞬だけ目が合った。
「…………。」
リムはすぐに視線を落とした。
――なるほど、ずいぶん大人しい子らしい。
「よし。それじゃ荷物置いたら、ご飯にしよっか。」
「腹減ったー。」
「お前、さっき食べてなかった?」
「あれは間食。」
「間食であんなに食うなよ……。」
いつもの調子で歩き出すカインとセト。
その少し後ろを、リムがついていく。
エイルもその後に続きながら、何とはなしに少女の背中を眺めた。
昨日会ったばかり。
事情は聞いた。
カインたちが信用していることも分かった。
それでも、どんな子なのかまではまだ知らない。
――ま、しばらく一緒にいれば分かるか。
そう思っていた、その時。
前を歩いていたリムが、ほんの少しだけ振り返った。
また目が合う。
今度もリムの方が先に逸らした。
エイルは数度瞬きをする。
――ん?
まあ、いいか。
小さな疑問をひとまず脇へ置いて、エイルは三人の後を追った。
宿に荷物を置いた四人は、そのまま一階の食堂へと降りてきた。
「エイルさん、ここも出すの?」
「もちろん。」
「大人ってすごい……。」
「だからさっきから何なの、それ。」
エイルが呆れたように笑う。
その向かいでは、リムが小さくなっていた。
「あの……宿代まで出していただいたので、食事くらいは……。」
「いいのいいの。」
「ですが……。」
「リムちゃん。おねーさん、結構稼いでるから」
言い切られてしまった。
リムは困ったようにカインを見る。
「大丈夫だよ。エイルさん、こうなったら聞かないから。」
「カイン?」
「ありがとうございます。」
「よろしい。」
「俺も!」
「セトは自分で出す?」
「なんで!?」
そんなやり取りをしながら、四人分の料理を頼む。
料理が運ばれてくるまでの間も、エイルは何となくリムを眺めていた。
よく見れば、本当に分かりやすい。
誰かが近くを通れば、少しだけ身を縮める。
大きな声が聞こえれば、そちらへ視線を向ける。
フードがずれて耳が覗きそうになれば、すぐに手を伸ばして直す。
ずっと周囲を気にしている。
人間の街に慣れていないから、というだけではないだろう。
――まあ、無理もないか。
魔族だと知られた時に何があったのかも、昨日聞いている。
それでもここにいて、カインとセトの隣に座っている。
「リム、これ食べる?」
「え?」
「俺これ苦手なんだよ。」
「お前、好き嫌いすんなよ。」
「うるせぇな。リム、いる?」
「……いただきます。」
「ほら。」
「ありがとうございます。」
セトから皿へ移されたものを、リムが小さく口に運ぶ。
「……美味しいです。」
「だろ? 俺は苦手だけど。」
「じゃあ食えよ。」
カインが呆れた顔をする。
リムが、ほんの少しだけ笑った。
それを見て、エイルは目を細めた。
――ああ。
カインたちといる時は、あんな顔もするんだ。
昨日からずっと緊張した顔ばかり見ていたから、少し意外だった。
同時に、少し安心する。
どうやら二人と一緒にいること自体を怖がっているわけではないらしい。
「…………。」
ふと、リムと目が合った。
「…………。」
まただ。
そして、また逸らされた。
エイルは料理を口へ運びながら考える。
――やっぱり、おねーさん警戒されてる?
昨日会ったばかりなのだから、それ自体はおかしくない。
カインとセトには慣れていても、自分はまだ別だ。
ましてや自分は、彼女が魔族だと知っている。
無理に距離を詰める必要もない、そのうち慣れてくれればいい。
「…………。」
そう思っていると、また視線を感じた。
今度はすぐには振り向かない。
料理を食べながら、少しだけ待つ。
それから何気なく顔を上げた。
「…………。」
「…………っ。」
目が合った瞬間、リムは慌てたように俯いた。
――いや。
エイルは首を傾げる。
警戒されてるというかなんというか。
――見すぎじゃない?
◇
エイルという人が、よく分からない。
それが、リムの正直な感想だった。
昨日、初めて会った。
カインの父親と共に旅をした人。
元英雄一行の一人。
そして、自分が魔族だということも知っている。
当然、警戒されると思っていた。
それなのに。
「リムちゃん、足りてる?」
「は、はい。」
「遠慮しなくていいからねー。」
「ありがとうございます……。」
普通だった。
本当に、驚くほど普通だった。
宿では自分のために一部屋取ってくれたし、その代金まで払ってくれた。
――お金持ち、なのでしょうか。
先ほど見えた財布を思い出す。
金色の硬貨が、たくさん入っていた。
カインとセトも驚いていたし、普通ではないのかもしれない。
――大人になると、あれくらい持っているものなのでしょうか。
少しだけ気になったが、それ以上に気になることがある。
「カイン、それ取ってー。」
「これ?」
「そうそう。ありがと。」
「エイルさん、自分で取れるじゃん。」
「細かいこと気にしないの。」
カインとエイルが話している。
二人ともすごく自然で、気を遣っている様子もない。
エイルもよく笑っている。昔から知っている人なのだから、当然なのかもしれない。
それでも。
――楽しそう。
そう思った。
自分の知らないカインを、たくさん知っている人。
「…………」
気づけば、また見ていた。
青い髪。
日に焼けた肌。
よく笑う顔。
自信に満ちた立ち振る舞い。
自分とは、まるで違う。
綺麗な人。そして、とても強い人なのだろう。
昨日からのカインたちの様子を見れば、それくらいは分かる。
「…………。」
エイルがこちらを向いた。
「…………っ。」
慌てて目を逸らす。
――また、見られていました。
先ほどから何度も目が合っている。
やはり気にされているのだろうか。
魔族だから。
カインたちと一緒にいるから。
それとも、何か別の理由があるのだろうか。
分からない。
だから、つい見てしまう。
見れば何か分かるかもしれないと思って。
そして、見るたびに目が合う。
「…………。」
リムは小さく首を傾げた。
――どうして、あんなに目が合うのでしょう。
◇
その日の夜。
「ふぅー……。」
エイルは一人、自室のベッドへ倒れ込んだ。
久しぶりに会ったカイン。
その親友のセト。
そして、二人と行動を共にしている魔族の少女。
「リムちゃん、かぁ。」
大人しい。
真面目。
遠慮がち。
人の目をひどく気にしている。
それでも、カインとセトの前では少しだけ笑う。
少なくとも、悪い子には見えなかった。
むしろ。
「……いい子っぽいんだよねぇ」
カインたちが信用するのも、何となく分かる。
もう少し話してみたい。
そう思う程度には、興味も湧いていた。
ただ。
「…………。」
エイルは天井を見つめる。
今日一日、何度目が合っただろう。
最初は警戒されているのだと思った。
けれど、あれだけ何度も目が合ったということは。
「……ん?」
◇
「…………。」
リムもまた、一人きりの部屋でベッドに腰掛けていた。
エイルは、思っていたような人ではなかった。
魔族だと知っても態度を変えなかった。
宿代を払ってくれたし、食事までご馳走してくれた。
カインとセトが信頼している。
明るくて、よく笑って……美人で。
自分にも、普通に話しかけてくれた。
「……優しい人、なのでしょうか。」
まだ分からない。昨日会ったばかりなのだから。
だから今日、どんな人なのか知りたくてずっと見ていた。
「…………。」
そこで、リムは気づいた。
自分がエイルを見ていた時。
何度も目が合った。
それはつまり。
「……あれ?」
別々の部屋で。
二人は、ほとんど同時に同じことを思った。
――もしかして。
――向こうも、私のことを見ていた?
お金なんてなんぼあってもいいですから




