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帳を上げて

「…………。」


 リムは、待ち合わせ場所で一人立っていた。


 街から少し離れた場所……周囲には木々が広がり、人が通ることはほとんどない。


 昨日、自分で選んだ場所だ。


「…………。」


 まだ、少し早いのは分かっている。


 遅れるよりはいいと思って、早めに来ただけ。


「…………。」


 来てくれるでしょうか。


 手紙、ちゃんと読んでくれただろうか。


 場所は分かっただろうか。


 時間も間違えていないだろうか。


「…………。」


 そもそも……いきなり手紙なんて渡して、変ではなかったでしょうか。


「…………。」


 少し不安になってきた。


 でも今日は、ちゃんと話してみると決めた。


 遠くから見ているだけではなく。


 人間と。


 ……あの人と。


「…………。」


 まずは、自分から名乗る。で、名前を聞く。


 人間について聞きたいこともある。


 魔族をどう思っているのかも。


「…………。」


 あとは。


 何を話せばいいんだろう。


 ザッ。


「……!」


 人の気配にリムは顔を上げた。


 来たかな、そう思って振り返る。


「よぉ。」


「…………。」


 そこに立っていたのは。


 腰に刀を差した少年ではなかった。


 大きな身体。


 荒々しい風貌。


 肩には、一見すれば巨大な鉄の塊。


「……ジェイドさん?」


「…………。」


 ジェイドは答えない。


 ただ、リムを見て。


「よぉ、半端者。」


 低く。


 そう言った。


     ◇


「話したいこと、かぁ……。」


 カインは昨日渡された手紙を思い返しながら歩いていた。


 銀色の髪の少女。


 村で会った、あの子。


 突然現れて手紙を渡して。


 凄い勢いで走っていった。


「なんなんだろ。」


 話したいこと。


 心当たりはないが、あの時のことだろうか。


 子供を助けたこと。


 村人たちのこと。


 それとも、別の何か。


「…………。」


 まあ……うん、行けば分かるか。


 指定された場所までは、もう少し。


 街から離れた、人通りの少ない場所。


 そんなことを考えながら歩いていると。


 ――ドォォォンッ!!


「っ!?」


 地面が揺れた。


 遠くから、何かが崩れるような轟音。


「なんだ……?」


 足を止める。


 木々の向こう。


 土煙が、大きく上がっている。


「…………。」


 あの方角は……。


「……まさか。」


 手紙に書かれていた場所。


「っ!」


 カインは走り出した。


     ◇


「……何をしているんですか。」


 リムは、ジェイドを見上げた。


「こっちの台詞だ。」


 ジェイドが《無骨》を肩から下ろす。


「最近、人間のところに随分出入りしてるらしいじゃねぇか。」


「……アベル様から、人間の調査を頼まれています。」


「知ってる。」


「では――。」


 ジェイドが一歩近づく。


「昨日。」


 リムの肩が僅かに揺れた。


「人間に何渡した?」


「…………。」


「今日は誰と会うつもりだ?」


「それは……。」


 言葉に詰まる。


 昨日の手紙。


 今日の約束。


 隠すようなことではない。


 アベルにも、人間と直接話してみるように言われた。


 そう説明すればいい。


「私は、アベル様に――」


「人間とこそこそ会って。」


 ジェイドが遮った。


「何企んでやがる。」


「違います!」


「何が違う。」


「私はただ、人間を知るために――」


「人間を知る?」


 ジェイドが鼻で笑った。


「随分熱心じゃねぇか。」


「…………。」


「人間の血が入ってると、そっちの方が居心地いいか?」


「……違います。」


「そうかよ。」


 ジェイドが《無骨》を持ち上げた。


「俺は最初から、お前を信用してねぇ。」


「ジェイドさん……。」


「人間でもねぇ。魔族でもねぇ。」


 巨大な刃が向けられる。


「そんな半端者が、人間とこそこそ何かやってる。」


「…………。」


「だったら――」


 ジェイドが笑った。


「殺しといた方が早ぇだろ。」


「――っ!」


 《無骨》が振るわれた。


「【隔帳】!」


 リムの前に、薄い帳が広がる。


 一枚。


 その奥に、もう一枚。


 さらに重なる。


 直後。


 《無骨》が激突した。


 轟音。


「くっ……!」


 一枚目が大きく揺れる。


 二枚目。


 三枚目。


 重ねた帳が次々と軋む。


 それでも。


 最後の一枚が、なんとか《無骨》を止めた。


「ほぉ。」


 ジェイドが目を細める。


「思ったより硬ぇな。」


「……話を、聞いてください。」


「話?」


「私は裏切ってなんて――」


「うるせぇ。」


 再び《無骨》が振るわれる。


「――っ!」


 帳を重ねる……が、今度は受け切れない。


「きゃっ――!」


 身体ごと吹き飛ばされ、地面を転がる。


「っ……ぅ……。」


 痛い……でも。


 立たなければ。


「…………っ。」


 手をついて身体を起こす。


 ジェイドが歩いてくる。


「まだ立つか。」


「……【隔帳】。」


 再び帳を下ろす。


「…………。」


 ジェイドはつまらなそうに《無骨》を構えた。


     ◇


 何度目だろう。


「――【隔帳】!」


 《無骨》が振り下ろされる。


 帳が受け止める。


「くっ……!」


 吹き飛ばされる。


 また立つ。


「……はぁ……はぁ……。」


 息が苦しい。


 腕が震える。


 魔力も、かなり減っている。


「【隔帳】……!」


 それでも、帳を重ねる。


「しぶてぇな。」


 ジェイドが《無骨》を振り抜いた。


「っ――!」


 重ねた帳が歪む。


 一枚、また一枚。


 破られる。


「くっ……!」


 最後の帳が衝撃を受け止め――。


 耐えきれなかった。


「きゃあっ!」


 身体が宙へ浮く。


 地面へ叩きつけられる。


「…………っ。」


 立たないと。


 リムは身体を起こす。


 右脚に力を入れた。


「――ぁっ!」


 鋭い痛みに、その場に崩れ落ちる。


「っ……。」


 もう一度立とうとするが……。


「……っ!」


 無理だ、力が入らない。


「…………。」


 多分……折れている。


「どうした。」


 ジェイドが近づいてくる。


「もう終わりか?」


「…………。」


 逃げないと。


 でも。


 脚が動かない。


「…………。」


 リムは片膝をついたまま、両手を前へ出した。


「……【隔帳】。」


 一枚。


 二枚。


「…………っ。」


 もう一枚。


 出ない。


「…………。」


 魔力はもう……。


「……んだよ。」


 ジェイドが《無骨》を持ち上げる。


「つまんねぇな。」


「…………。」


 二枚。


 これでは止められない。


 逃げることもできない。


「…………。」


 ここまで……なのでしょうか。


「終わりだ。」


 《無骨》が振り上げられる。


 大きな影が、リムを覆う。


「…………。」


 振り下ろされた。


 ――ガギィィン!!


「――っ!?」


 金属がぶつかる音に、リムは目を見開いた。


「ぐっ……!」


 目の前に一人の少年が立っている。


 刀を両手で握り。


 振り下ろされた《無骨》へ斜めに刃を合わせている。


「うぉぉっ……!」


 足が地面を滑る。


 腕が震える。


 それでも。


 《無骨》の軌道が僅かに逸れる。


 そのまま地面へ叩きつけられた。


「はぁ……っ!」


「…………。」


 リムは、その背中を見る。


 本当に来てくれた。


 来て――。


「……どうして。」


 少年は振り返らない。


「間に合った……!」


 荒い息を吐きながら、刀を構え直した。


     ◇


「なんだ、お前。」


 ジェイドが《無骨》を持ち上げる。


「狩人。」


「そうじゃねぇよ。」


「じゃあなんだよ。」


「なんで邪魔する。」


「…………。」


 カインは一瞬だけ後ろを見る。


 銀色の髪の少女。


 座り込んだまま、動かない。


 脚がおかしい……折れてるかもしれない。


「こいつと約束してた。」


「は?」


「それに。」


 刀を構える。


「目の前で殺されそうになってんだ。」


「…………。」


「放っとけるかよ。」


「…………。」


 ジェイドが《無骨》を構えた。


「そうかよ。」


 踏み込む。


「っ!」


 速い。


 さっき一度合わせただけで、腕が痺れている。


 まともに受けたら刀ごと持っていかれる。


 《無骨》が迫る。


 カインは刀を斜めに合わせた。


「ぐっ……!」


 刃を滑らせ、軌道を逸らす。


 身体ごと横へ持っていかれる。


 それでも……後ろには通さない。


「ほぉ。」


 横薙ぎ。


「っ!」


 身を沈める。


 頭上を《無骨》が通り過ぎる。


 風圧だけで身体が揺れた。


「っぶねぇ……!」


 返し。


「――っ!」


 後ろへ飛ぶ……だが。


「…………!」


 後ろには、あの子がいる。


「くそっ!」


 踏み止まり、刀を合わせる。


「ぐっ……!」


 腕が跳ね上がった。


 身体が地面を滑る。


「…………。」


 今まで戦った魔物とは、何もかも違う。


「へぇ。」


 ジェイドが笑った。


「お前。」


「…………。」


「意外とやるな。」


「全然嬉しくねぇよ……。」


「俺は嬉しいぜ。」


「は?」


 ジェイドの笑みが深くなる。


「…………。」


 何か……いや、明らかに変わった。


 ただ笑っているだけなのに、さっきまでより、明らかに圧が強い。


「楽しくなってきた。」


 ジェイドが《無骨》を肩へ担ぐ。


 戦えば戦うほど。


 昂れば昂るほど。


 楽しくなればなるほど、その力を増していく。


 ジェイドのスキル――【歓喜】。


「…………。」


 カインの頬を汗が伝う。


「……最悪だ。」


「ははっ!」


 ジェイドが踏み込んだ。


「っ!?」


 さっきより明らかに速い。


「くっ!」


 かわした……が、次がもう来る。


「――っ!」


 刀を合わせる。


 流す。


「ぐっ……!」


 衝撃に吹き飛ばされる。


 地面を転がる。


 すぐに立つ。


「逃げてください!」


 後ろから声がした。


「無理!」


「でも――」


「その脚じゃ無理だろ!」


「…………。」


 ジェイドが来る。


「っ!」


 前へ。


 少女との間に入る。


 《無骨》。


 避ける。


 返し。


 刀で逸らす。


「ぐっ……!」


 腕が痛い。


 肩も。


 息も苦しい。


「もういいです!」


「よくない!」


「私は逃げられません!」


「分かってる!」


「だったら!」


 少女の声が震えた。


「あなたまで死んでしまいます!」


「まだ生きてる!!」


「逃げてください!」


「嫌だ!」


「どうして……!」


 《無骨》が振り下ろされる。


「っ!」


 逸らす。


 足が滑る。


 それでも立つ。


「なんで……。」


 背後から、小さな声。


「名前も知らない他人のために……。」


「カイン!」


「……え?」


「名前!」


 《無骨》が来る。


「っ!」


 避ける。


「俺はカイン!」


「…………。」


「あんたは!?」


「こんな時に……?」


「いいから!」


「…………リム、です。」


「リム!」


「……っ。」


 止まらない《無骨》。


「くそっ!」


 刀で逸らす。


「俺は見てた!」


「……え?」


「子供、助けてたろ!」


「…………。」


 横薙ぎ。


 身を沈める。


「リムは――」


 返し。


「っ……!」


 刀を合わせる。


 腕の感覚など既にない。


 それでも……。


「優しい子だ!!」


「…………。」


 リムの目が、大きく開いた。


『優しい子でいてね。』


「…………。」


 ふいに、母の声が蘇った。


     ◇


『優しい子でいてね。』


 ずっと昔。


 まだ母がいた頃。


『そしたら、いつか――』


 優しく笑っていた。


『リムのことを好きになってくれる人が、きっと現れるから。』


「…………。」


 最初は信じていた。


 ――でも。


 人間からも。


 魔族からも。


 受け入れてもらえなかった。


 半端者。


 そう呼ばれて石を投げられた。


 追い払われた。


 泣いても誰も来なかった。


「…………。」


 カインが《無骨》を逸らす。


「ぐっ……!」


 膝をつく。


「…………。」


 また、自分の前に立つ。


「……それだけで?」


「は!?」


「それだけで……どうして……。」


「十分だ!!」


「…………。」


 また《無骨》が迫る。


「っ!」


 カインが前へ出る。


 刀を合わせる。


「ぐっ……!」


 吹き飛ばされる。


「カイン……さん。」


 ボロボロだった。


 服は破れ。


 腕から血が流れ。


 刀も欠けている。


 呼吸も荒い。


「…………。」


 私なんて放っておけばいいのに。


 逃げればいいのに。


「…………。」


 昔。


 一人で泣いていた時。


 もし。


 あの時に。


 この人と出会っていたら。


「…………。」


 石を投げられた時も。


 追い払われた時も。


 一人で蹲っていた時も。


 この人なら。


「…………。」


 きっと。


 同じように前に立ってくれた。


 そんな気がした。


「リム!」


「……っ。」


 カインの声。


 ジェイドが来る。


 カインが刀を構える。


 腕が震えている。


 もう。


 限界なのに。


「…………。」


 リムはずっと、誰にも頼らなかった。


 ――いや、頼れなかった。


 助けてなんて言ったことはない。


 アベルに拾われた時でさえ、自分から求めたわけではなかった。


「…………。」


 でも。


 この人なら。


 信じても……いいのかな。


「…………。」


 私が。


 助けてと言っても。


「…………。」


 声が震える。


 怖い。


 それでも。


 初めて。


「…………助けて。」


「――っ!」


 カインはジェイドだけを見たまま。


 叫んだ。


「最初からそのつもりだ!!」


「…………。」


 リムは初めて。


 生まれて初めて、誰かに助けを求めた。


 その瞬間。


 カインの頭の中に、無機質な声が響いた。


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