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半端者

 いつの時代も、例外というものはある。


 好奇心旺盛な、一人の青年がいた。


 とても穏やかで、心優しい、一人の魔族の少女がいた。


 そして、二人は出会った。


 人と魔族が争うことなど、当たり前だった時代。


 ましてや少し前には、英雄イサナによって先代魔王が討たれたばかり。


 人々の胸には、まだ戦いの傷も、憎しみも、恐怖も残っていた。


 それでも二人は、出会ってしまった。


 最初は、ほんの少し言葉を交わしただけだった。


 青年は、自分とは違う魔族という存在に興味を持った。


 少女は、恐れも敵意も向けずに話しかけてくる青年を、不思議に思った。


 何度か顔を合わせるうちに、言葉は増えた。


 言葉が増えれば、笑うことも増えた。


 そしていつしか、二人は互いを待つようになった。


 人間だから。


 魔族だから。


 そんなものは、二人にとって次第にどうでもよくなっていった。


 二人は愛し合った。


 やがて共に暮らすようになり、一人の子を授かった。


 銀色の髪と、少し尖った耳を持つ、小さな女の子。


 その子に、二人はリムと名付けた。


 三人で囲む食卓。


 父に抱き上げられ、母に髪を撫でられる時間。


 決して裕福ではなかった。


 それでも確かに、そこには幸せがあった。


 だが。


 世間は、二人ほど優しくはなかった。


 人の中に行けば、魔族の女とその娘は奇異の目で見られた。


 魔族の中に行けば、人間の男とその娘は遠巻きにされた。


 中には、露骨な敵意を向ける者もいた。


 人間の血が混じっている。


 魔族の血が混じっている。


 ただそれだけのことで。


 それでも、両親は笑った。


 ……少なくとも、リムの前では。


「大丈夫だよ。」


 父はそう言って、頭を撫でた。


「あなたは、何も悪くないの。」


 母はそう言って、優しく抱きしめた。


 幼いリムには、よく分からなかった。


 どうして父と母は悪く言われるのか。


 どうして自分を見る目だけ、他の子を見る目と違うのか。


 けれど、父と母がいてくれるなら。


 それだけでよかった。


 ――ずっと、そうだと思っていた。


 けれど。


 幸せというものは、いつまでも同じ形ではいてくれない。


 最初に父がいなくなった。


 それからしばらくして、母も身体を悪くした。


 無理を重ねていたのだろう。


 頼れる者もほとんどいない。


 薬を手に入れることすら、簡単ではなかった。


 小さな家の中で、リムは日に日に細くなっていく母の手を握っていた。


「お母さん。」


「……なぁに、リム。」


「元気になる?」


 母は少しだけ困ったように笑った。


 そして、リムの頬へ手を伸ばす。


「リム。」


「うん。」


「あなたはね、とっても優しい子。」


「……うん。」


「だから、そのままでいてね。」


 リムには、その言葉の意味がよく分からなかった。


「そのまま?」


「そう。」


 母はゆっくりと頷いた。


「誰かに嫌なことをされても。」


 一度、息を整える。


「誰かを嫌いになっても。」


 もう一度。


「あなたまで、誰かを傷つける人にはならないで。」


「……うん。」


「そうすればきっと、いつかリムの事を好きになってくれる人が現れるから。」


 リムは母の手を握る力を強くした。


「……わかった。」


 母は安心したように微笑んだ。


 その笑顔を、リムは生涯忘れることはなかった。



 魔王城の城下町。


 新たな魔王が即位してから、まだそれほど長い月日は経っていない。


 先代魔王の死によって揺れていた国も、少しずつではあるが落ち着きを取り戻し始めていた。


 その日。


 一人の青年が、護衛をほとんど連れずに城下を歩いていた。


 黒い髪。


 整った顔立ち。


 纏う衣服こそ上等ではあるものの、派手な装飾は少ない。


 一見すれば、少し身なりのいい青年にも見える。


 だが。


 彼が通れば、道行く魔族たちは慌てて頭を下げた。


「ま、魔王様!」


「気にするな。今日は見て回っているだけだ。」


 そう言って、また歩き出す。


 新しく魔王になったからには、自分が治める国を知らなければならない。


 どこに誰が住んでいるのか。


 何を食べているのか。


 何に困っているのか。


 城の中に座って報告を待つより、自分で見た方が早い。


 ただ、それだけだった。


「……ん?」


 路地の奥から、声がした。


 子どもたちの声。


 笑い声。


 その中に、少し違う音が混じっている。


「やめて……。」


 アベルは足を止めた。


 細い路地へ入る。


 数人の子どもが、一人の少女を取り囲んでいた。


 小さな身体をさらに小さくするように背を丸め、両腕で頭を庇っている。


 足元には、籠からこぼれたらしい食べ物が散らばっていた。


「半端もん!」


「人間の血が混じってるくせに!」


「気持ち悪いんだよ!」


 少女は言い返さない。


 ただ耐えていた。


 アベルはしばらく、その光景を見ていた。


 そして。


「何をしている?」


 子どもたちが振り返る。


 その顔が、一瞬で青ざめた。


「ま、魔王様!?」


 慌てて頭を下げる。


 アベルは少女を見る。


 少女もまた、おそるおそる顔を上げた。


 涙で濡れた紫色の瞳。


 アベルは再び子どもたちへ視線を戻した。


「何をしていた?」


「え、えっと……。」


 一人が答える。


「あ、あいつ、ハーフなんです。」


「ハーフ?」


「人間と魔族の……。」


 アベルは少女を見た。


 なるほど。


 耳の形も、魔族としては少し曖昧だ。


 魔力の気配も薄い。


「それで?」


 子どもたちが顔を見合わせる。


「え?」


「ハーフなのはわかった、それで?」


「あ、いや……だから、その……。」


 別の子が口を挟む。


「半端者なんです。」


「よくないやつなんです。」


 アベルは少し首を傾げた。


「何故?」


 沈黙。


「……え?」


「何故、半分ずつならよくない?」


 誰も答えない。


「そ、それは……。」


「人間の血が入ってるから……。」


「半分は魔族だろう。」


「でも……。」


「この国で生きているのだろう?」


 アベルは少女を見る。


 少女は、小さく頷いた。


「なら、この国の民ではないのか?」


 誰も何も言えなかった。


 アベルはしばらく待った。


 だが、返事はない。


「理由がわからないのに、何故そうする?」


 それだけだった。


 怒鳴るわけでもなく、純粋な疑問。


 子どもたちは気まずそうに顔を伏せると、逃げるように路地から去っていった。


 アベルは地面に散らばった食べ物を見る。


 それから少女を見る。


「怪我は?」


「……だい、じょうぶ……です」


 声が震えている。


「そうか。」


 アベルはしゃがみ込み、一つずつ食べ物を拾い始めた。


 少女は目を丸くした。


「ま、魔王様……?」


「落ちているからな、お前のではないのか?」


「あ……。」


 リムも慌てて拾い始める。


 全部を籠へ戻したところで、アベルは立ち上がった。


「家はどこだ?」


 少女の手が止まる。


「……」


「帰る場所は?」


 返事がない。


 アベルは少女の顔を見る。


 そこで初めて、少し考えた。


「ないのか?」


 小さく。


 ほんの少しだけ。


 少女が頷いた。


「そうか」


 アベルは腕を組む。


 しばらく考える。


 少女は怯えたように、その様子を見ていた。


 やがてアベルは口を開いた。


「なら、城に来るか?」


「……え?」


「部屋なら余っている」


「でも……」


「飯もある」


 あまりにも普通の口調だった。


 リムは何も言えなかった。


「嫌なら別にいい」


 アベルはそう言って歩き出す。


 数歩進んだところで、服の裾が、小さく引かれた。


 振り返る。


 リムが俯いたまま、アベルの服を掴んでいた。


 震える手で。


 離してしまえば、もう二度と掴めないものを掴むように。


「……いき、ます」


 アベルは少しだけ目を細めた。


「そうか」


 それだけ答えて、再び歩き始めた。


 リムも、その後をついていく。


 小さな歩幅で。


 何度も転びそうになりながら。


 それでも、決して離れないように。


 その日。


 一人だった少女に、新しい居場所ができた。

時代が違えば


きっと奇跡のような存在。

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