影章 奈々未 008
同棲の話を、私たちはまず、それぞれの保護者に伝えることにした。
伝えるというのは、ふつうの順序だった。同棲を始める前に、それぞれの親に説明をする。
私には、伝える相手がいなかった。
両親も、祖父母も、親戚も、私のなかにはもういなかった。三歳のときに別れた母は、それきり消息がわからなかった。父も、五歳でホームに連れてこられて以来、私の前に現れなかった。祖父母も、親戚の鈴木さんも、私の知らない名前の親戚たちも、私のなかでは、全員いつのまにか「いない」になっていた。
ふつうの十九歳の「いない」とは、意味が違った。
ふつうの十九歳の「いない」は、亡くなったというかたちでの「いない」だった。亡くなった人は、墓があった。命日があった。思い出すべき日があった。「いない」けれども、思い出すための場所があった。
私の「いない」は、ちがった。
私の「いない」は、どこにいるかわからない、というかたちの「いない」だった。生きているかもしれないし、生きていないかもしれない。生きているとしたら、いまどこにいるかわからない。私を覚えているかもしれないし、忘れているかもしれない。覚えているとしたら、私のことをどう思っているかも、わからない。
その「いない」を、私はずいぶん前から生きていた。
ホームの先生たちは、私のような子のことを「天涯孤独」と呼んだ。あんまり子どもの前では使わない言葉だったけれど、私は何度か聞いたことがあった。書類のなかとか、大人どうしの会話のはしっことか、そういうところで。
天涯孤独。
その言葉を、私は十代のあいだに、自分のなかで何度も転がして、確かめた。最初のうちは、その言葉が私を傷つけるか、確かめていた。確かめてみると、傷つかなかった。傷つかなかったのは、私がもう、その状態に慣れていたからだった。
天涯孤独であることに、私は慣れていた。
慣れていたから、同棲をふつうの親に伝えるということが、私にはできなかった。
それでも、誰かに伝えたかった。
伝えないと、なんだか、自分のしようとしていることが、宙に浮いた気がした。人生で大事なことを決めたときに誰かに伝えるというのは、その決断を地に着けるための、儀式のようなものだった。
そのかわりに、ホームの先生に伝えようと思った。
ホームの先生たちは、私の両親ではなかった。それでも、いちばん私のことを知ってくれている人たちだった。同棲を始めるということを、私が誰かに伝えたいと思ったとき、いちばん最初に思い浮かんだのが、ホームの先生たちだった。
私は週末、ホームに、ひさしぶりに足を運んだ。
ホームの建物は、私が出てから二年半が経っていたけれど、ほとんど変わっていなかった。古い木の看板に丸い字で「ひかりホーム」と書いてあった。読めなかった字も、いまではぜんぶ読めた。読めるようになっても、看板はやはり遠く見えた。
中に入ると、いまの先生たちが、私を覚えていてくれた。
「ななちゃん、ひさしぶり」
そう呼んでくれた。
「ななちゃん」と呼ばれるのは、ひさしぶりだった。彼は私を「奈々未さん」と呼んでくれていた。「奈々未さん」のほうが、いまの私には自然な呼び方だった。それでも、ホームの先生たちの「ななちゃん」は、ぜんぶ「ななちゃん」だった頃の私のものだった。「ななちゃん」と呼ばれると、私はその頃の私に、すこしだけ戻った。
先生たちの何人かは、私が知らない先生だった。私がいた頃から働いていてくれた先生は、もう半分くらいになっていた。施設の先生は、入れ替わりがあった。それでも、半分残っていてくれたというのが、私にはありがたかった。
応接室のような小さな部屋に、私は通された。
ホームに私が住んでいた頃には、入ったことのなかった部屋だった。職員と、外から来た人が話をするための部屋だった。私は外から来た人になっていた。外から来た人として、私はホームに通されていた。
その変化が、その日、私のなかでは少しだけさみしかった。
さみしかったというのは、悪い感情ではなかった。ホームから外に出るということが、ちゃんとできていたという証拠でもあった。さみしさの正体は、卒業の遅れた挨拶のようなものだった。
応接室には、私がホームにいた頃からの、いちばん長く一緒にいてくれた先生が入ってきてくれた。
「林先生」
私は呼んだ。
林先生は、私が三歳のときに親戚をたらい回しにされて、五歳でホームに来た日に、廊下でしゃがんで「奈々未ちゃん、今日からよろしくね」と言ってくれた先生だった。あの日のエプロンの女の人。
その林先生が、いまもホームにいた。
「ななちゃん、大きくなったね」
林先生は、私にそう言ってくれた。
大きくなったというのは、子どもの頃から知っている人だけが言える言葉だった。林先生は、十四年前の春から、私が大きくなる過程を、ぜんぶ見てきてくれた人だった。
「ご無沙汰してます」
私は頭を下げた。
林先生は、私の前に座って、お茶を出してくれた。お茶のカップを、両手で包んだ。林先生の手は、私が知っていたよりも、少しだけ細くなっていた。年齢のせいだと私は思った。年齢を、私はそこで初めて、林先生のなかに見た。
「どうしたの、ななちゃん」
林先生は、ゆっくり聞いてくれた。
ゆっくり聞いてくれるのは、林先生のいつもの聞き方だった。私が答えるまで、林先生は待ってくれた。待ってくれる人を、私はいちばん最初に、林先生のなかに知った。
「あの」
私は口を開いた。
「同棲、します」
そう答えた。
「同棲」と私の口から出た瞬間、私はその言葉の重さを、少しだけ感じた。同棲というのが、私のような子どもの口から出る言葉になるとは、十四年前の私は想像していなかった。
林先生は、ゆっくり頷いた。
「相手の人は、いい人?」
「いい人です」
私は答えた。
答えるのが早かったと自分でも思った。早すぎたかもしれない。それでも、早すぎたくらいでよかった。林先生に対して、私はいい人だということを、しっかり伝えたかった。
「どんな人?」
「大学の同じ学年で、別の大学です」
「年は?」
「私と同じです」
「どこで知り合ったの?」
「高校が一緒で、そのときから」
林先生は、ひとつひとつ、ふつうの質問を、ふつうにしてくれた。
ふつうの質問が、私にはありがたかった。ふつうの十九歳が、ふつうに答えられる質問だけを、林先生は私にしてくれていた。施設出身ということを、林先生はわざわざ口にしなかった。施設出身でない子どもにも同じ質問をするように、林先生は私に質問してくれた。
それが、林先生の、私への接し方だった。十四年前から、ぜんぶそうだった。
「家には、ご挨拶に行くの?」
「来週末、行きます」
「向こうのご両親、どんな方?」
「お父さんは、会社の社長さんで。お母さんは、専業主婦で」
「立派な方ね」
「はい」
「ななちゃんが、ご両親の前で、緊張するんじゃないかしら」
「すると思います」
私はそう答えた。
答えながら、私は来週末のことを、少しずつ思い浮かべ始めていた。
思い浮かべると、胃のあたりが少しだけ重くなった。重くなっていくというのが、林先生の前で、私の体に出始めていた。
林先生は、私のその様子に、たぶん気づいていた。気づいていながら、何も言わなかった。代わりに林先生は、お茶を一口飲んで、それからこう言った。
「ななちゃんは、ななちゃんとして、行けばいいの」
「私として」
「あなたは、もう、ちゃんと、立派な大人になってる」
林先生は、そう言ってくれた。
私は、何も答えられなかった。
答えるかわりに、私は、お茶のカップを両手で包んだまま、しばらく林先生の目を見ていた。
林先生の目は、十四年前の春の、応接室ではない廊下で、私の前にしゃがんでくれたときと、同じ目をしていた。
「ありがとうございます」
私は、しばらくしてからそう答えた。
「ありがとうございます」は、その場面でも、ふつうの答えではなかった。それでも、それが、私の口から自然と出てきた言葉だった。
林先生は、笑ってくれた。
「お幸せにね、ななちゃん」
林先生は、私を見送りに、ホームの玄関まで出てきてくれた。
玄関で靴を履きながら、私は林先生のほうを振り返った。
「林先生」
「なに?」
「あの」
私は少し迷ったあとで、もう一度、口を開いた。
「『ただいま』って、言ってもいいですか」
林先生は、一瞬、不思議そうな顔をした。それから、私が何を言いたいのかを、たぶん理解してくれた。理解したあとに、林先生は、ゆっくりとこう言った。
「ただいま」
私は、声に出して、林先生に言った。
「おかえり、ななちゃん」
林先生は、笑顔でそう返してくれた。
私はその日、ひかりホームの玄関で、ようやく、ちゃんとした「ただいま」を、人に言うことができた。
ホームを出てから二年半。私のアパートには、「ただいま」を返してくれる人がいなかった。私は誰にも「ただいま」を言わずに、ひとりで玄関を開けて、閉めてきた。
その「ただいま」を、その日、私はホームの玄関で、林先生に返してもらった。
返してもらった「おかえり」を、私は心のなかにちゃんとしまった。
しまった「おかえり」は、これからずっと、私の中で消えなかった。
玄関を出て、私は歩き始めた。
歩きながら、私は思った。
今度、私が「ただいま」を言える場所が、もうひとつ増える。
その場所は、まだ存在していなかった。これから、彼と一緒に作ることになる場所だった。作る過程が、これからしばらく続く。作り終わった日に、私はそこで「ただいま」を言えるようになる。
「ただいま」を、彼に向けて言える日。
その日が来るのかもしれないということを、私はホームの帰り道で、初めてはっきりと思った。
はっきり思ったあとに、私は、駅までの道を、少しだけ速く歩いた。
速く歩いたのは、はっきり思ったものを、私の足が追いかけたかったからだった。
凪のご両親への挨拶は、四月の第一日曜日に決まった。
その日まで、私はずいぶん長い時間、何を着ていくべきかを考えた。
考えるというのは、八月の誕生日のときと、似ているようでちがった。誕生日のときは、彼ひとりに私を見せる服を選んだ。今度は、彼のご両親に私を見せる服だった。見せる相手がふたり増えただけで、選び方の難しさは、二倍にも三倍にもなった。
何度もクローゼットを開けて、何度も閉めた。開けるたびに、私の少ない服が、増えていないことを確かめた。確かめなくてもわかっていることを、私は何度も確かめた。
最後に選んだのは、紺のワンピースだった。
ホームを出てから、自分でアルバイトをして買った服のなかで、いちばん「ちゃんとした」服だった。膝丈で、襟が小さく、装飾がほとんどなかった。一度だけ、教育学部の説明会で着たことがあった。それ以来、ハンガーにかかったまま、私のクローゼットの右端で、出番を待っていた服だった。
そのワンピースを、私はアイロンをかけて、ベッドのうえに広げた。
広げて、しばらく見つめていた。
「ちゃんとしている」が私に伝わるくらいの、ふつうの服だった。「がんばりすぎている」とは見えない服だった。誕生日のときに選んだ白いブラウスと、同じ場所に立てている気がした。同じ場所というのは、いちばん難しい中間の場所だった。
中間の場所に立つのが、私はだんだん上手になっていた。
上手になっていたというのは、誇りでもあった。私の服選びの上手さは、私の人生の細かい歩き方の総和だった。「がんばりすぎず、手を抜きすぎず」を、私はいつも、いちばん難しい場所に置いてきた。置いてきた場所が、その日のワンピースに自然と現れていた。
その日の朝、私は彼と駅で待ち合わせた。
彼は紺色のスーツを着てきた。スーツを着た彼を見るのは、初めてだった。スーツの彼は、私の知っている彼より、少しだけ大人びて見えた。大人びて見えるのが、いつもの彼とちがって、私は少しだけ慣れなかった。
「スーツ、なんですね」
「うん。ちょっと、おおげさかも、と思ったけど」
「大丈夫です。すごく、ちゃんとして見えます」
「奈々未さんも、ちゃんとして見える」
彼はそう言ってくれた。
私の白いブラウスのいちばん上のボタンに、彼が誕生日の夜に気づいたかどうか、わからなかった。今日のワンピースの紺色を、彼が選んでくれた色として受け取ったかどうかも、わからなかった。
それでも、「ちゃんとして見える」と彼に言ってもらえたということが、その日の朝、私の中でたしかな形を持った。
電車に乗った。
彼の実家までは、私たちのアパートから、電車で四十分くらいだった。乗っているあいだ、私たちはあまり話さなかった。話さなかったのは、ふたりとも、何かを考えていたからだった。
私は左手の薬指の付け根を、右の親指でなぞっていた。
なぞる癖は、その日も出た。なぞるたびに、私のなかで、これから会うことになるご両親のことを、少しずつ思い浮かべた。
凪のお父さんは、会社の社長さんだった。お母さんは、専業主婦だった。それくらいのことは、彼から聞いていた。それ以上の細かいことは、私はまだ知らなかった。
知らないまま、私は会いに行こうとしていた。
知らないことが、その日、少しだけこわかった。こわいというよりも、相手の輪郭をうまく描けないまま、自分を見せに行くというのが、私には不思議な感覚だった。
彼が、隣で、私の左手を見ていた。
私の指が薬指の付け根をずっとなぞっていることに、彼はたぶん気づいていた。気づいていながら、彼は何も言わなかった。何も言わないでくれたのが、ありがたかった。「緊張してる?」と聞かれていたら、私は「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。聞かれないというのが、その日の私には、いちばんちょうどよい温度だった。
駅に降りた。
駅から実家までは、歩いて十分くらいだった。
歩きながら、彼は私に、家の周りのことを少しずつ話してくれた。「この通りの先に、俺が小学校の頃に通ってたパン屋がある」「この坂の上に、夏祭りをやる神社がある」。話してくれる声は、いつもの彼の声だった。話してくれることが、私の緊張を少しずつ和らげようとする、彼の動作だった。
私はその動作を、ありがたく受け取った。受け取りながら、「うん」「そうなんですね」と相槌を打った。
実家の門を、彼が開けた。
庭に、新緑が出ていた。木の若い葉が、四月の光のなかで、まだやわらかかった。庭の隅に、チューリップが咲いていた。赤と黄色のチューリップが、並んでいた。
「母さんが、毎年同じ場所に植えるんだ」
彼はそう教えてくれた。
毎年同じ場所に、同じ花を植えるお母さん。
そういうお母さんを、私はそれまで知らなかった。私が知っていたお母さんは、ある日突然「行ってくる」と言って、帰ってこなかったお母さんだった。お母さんという言葉に、私が結びつけてきた「毎年同じ場所」のイメージは、ずっと欠けていた。
彼のお母さんは、毎年同じ場所に、同じ花を植える。
そのことが、私のなかで、ひとつの新しい絵を作った。新しい絵は、まだ私の遠くにあるものだった。それでも、絵としてはじめて見えたというのが、私には少しだけ大事なことだった。
玄関で、彼のお母さんが、私たちを待っていてくれた。
お母さんは、五十代くらいの、おだやかな顔立ちの人だった。エプロンをつけていた。エプロンの下に、清潔そうな白いシャツを着ていた。髪は短く整えられていた。
「いらっしゃい」
そう、お母さんは言ってくれた。
玄関の三和土には、スリッパが二足、きちんと揃えて置かれていた。
「二人分のスリッパ、出しておいたわよ」
お母さんは、私のほうを見ながら、そう言ってくれた。
私は、彼が事前に伝えていなかったのか、と一瞬思った。けれども、すぐにわかった。彼は、何も伝えていなかった。お母さんは、彼が「今度の日曜に帰る」と言っただけで、私が一緒に来ることをわかってくれていた。
わかってくれていたお母さんは、私にスリッパを用意してくれていた。
スリッパを履く前に、私は玄関で靴を脱いだ。靴をきちんと揃えて、つま先を外に向けて。それから、頭を下げた。
「初めまして」
私はそう言った。
「初めまして。こんな素敵な子が来てくれて嬉しいわ」
お母さんは、笑ってくれた。
笑ってくれたというのが、私の中で少しだけ大きかった。笑ってくれる人に対して、私はいちばん弱かった。笑ってくれる人を、私はずっと信じてきた。
スリッパを履いた。
スリッパの感触は、私の足の裏に、少しだけくすぐったかった。
「奈々未ちゃん」
お母さんがそう呼んでくれた。
呼ばれた瞬間、私は息を半分くらい止めた気がした。
「奈々未ちゃん」と呼ばれるのは、ホームの先生たちに呼ばれて以来、ひさしぶりだった。彼は私を「奈々未さん」と呼んでくれた。彼のお母さんは、私を「奈々未ちゃん」と呼んでくれた。「ちゃん」の音が、私の名前のあとに、ふいに戻ってきた。
「奈々未ちゃん、こっちの部屋へ」
お母さんは、私をリビングへ案内してくれた。
リビングは、広かった。私のアパート全体より、たぶん広かった。床は木で、ソファが大きく、テーブルのうえに、お茶の準備がしてあった。窓の外に、さっき見たチューリップが、もう一度見えた。
ソファに、お父さんが座っていた。
カーディガンに、シャツ姿だった。スーツではなかった。休日のお父さんだった。私は、お父さんのほうに向かって、もう一度、頭を下げた。
「初めまして。吉野奈々未です」
私は、自分の名前を、はっきり言った。
吉野奈々未。
その名前を、彼のご両親の前で、自分の口で言うのが、その日、私には大きなことだった。
吉野奈々未。
私のフルネームは、私のなかでずっと、私のものだった。私のものを、私はこれから、彼のお父さんとお母さんに渡そうとしていた。
お父さんは、私をしばらく見ていた。
何か言うとか、笑うとか、そういうことを、お父さんはしなかった。ただ、見ていた。
その目で、お父さんは、私を見てくれていた。
見られているということが、その日、私にはこわくはなかった。こわくなかったのは、お父さんの目が、私を評価しているのではなくて、ただ確かめている目だったからだ。
確かめている目を、私はホームで、何度か見たことがあった。新しい子がホームに連れてこられた日、先生たちはその子を、しばらくじっと見ていた。叱るためでも、励ますためでもなかった。「この子は、いまどんな子か」を見ていた。
彼のお父さんの目は、それと似ていた。
私は、その目に自分を見せていた。
「大学は楽しいか」
お父さんは、最初にそう聞いた。
「はい。学ぶことが多いです」
私は答えた。
「体は丈夫か」
二つ目の質問が、それだった。
私は、少しだけ驚いた。
驚いたというのは、ふつうの初対面の質問ではなかったからだった。「体は丈夫か」を初対面の相手に聞く人を、私はそれまで、あまり見たことがなかった。
それでも、私はお父さんの質問の意味を、たぶんわかった。
この人は、自分の息子の隣にいて、大丈夫か。
それを、お父さんは聞いていた。健康であること。それが、お父さんにとっての、最低の条件だった。
最低の条件を、彼のお父さんは、私にだけ聞いてくれた。私のお父さんは、私のことを十四年間、何も聞かなかった。
「はい。あまり風邪もひかないです」
私は答えた。
お父さんは、小さく頷いた。
頷いたあとに、お父さんは、もう何も聞かなかった。
「よく来てくれた」
それだけ、お父さんは言った。
短い言葉だった。けれど、その言葉に、お父さんのすべてが入っていた。
入っていたものが何かは、私には正確にはわからなかった。それでも、入っているということだけはわかった。
入っているものを、私は受け取った。
「ありがとうございます」
私は、頭を下げた。
頭を下げてから、私の目が、少しだけ熱くなった。
熱くなったのは、お父さんが、私のことを初対面でちゃんと見てくれたからだった。
私の家族は、私を見てくれなかった。母は出ていった。父は私をたらい回しにした。祖父母は目を逸らした。親戚たちは、私を「お前」「あの子」と呼んだ。
その私を、彼のお父さんは、十秒、二十秒、しっかりと見てくれた。
「この子は、いまどんな子か」を見てくれた。
その目を、私は生まれて初めて受け取った。
受け取った私は、少しだけ生まれ直した気がした。
生まれ直したというのは、おおげさな言葉だった。それでも、その言葉が、その瞬間にいちばん近かった。
私は、お茶を両手で包んだ。
包んだのは、左手の薬指が勝手に動き出さないようにするためだった。
ホームの林先生の前でも、私は同じことをした。両手でお茶のカップを包んだ。包んでいるあいだ、薬指は止まっていた。
止まっている薬指のうえで、私は、自分の感情を少しだけ整えていた。
整えながら、私は、お父さんの「よく来てくれた」を、もう一度、自分のなかで繰り返した。
繰り返すたびに、私の中で、その言葉がすこしずつ深くなっていった。
お茶を一口飲んだ。
飲んでから、私は、自分の心臓が、いつもより少しだけ早く動いていることに気づいた。
「体は丈夫か」と聞かれたときに、私はほんの少しだけ驚いていた。驚いたのは、その質問が、初対面のふつうの質問とは少しちがう順番で出てきたからだった。「大学は楽しいか」のあとに、「ご家族は」とか「ご兄弟は」とか、そういう質問が来るのが、ふつうの順番のはずだった。お父さんは、それを聞かなかった。
聞かないでくれたというのは、お父さんの判断だった。
判断してくれたという感覚が、私のなかで少しずつ広がっていた。聞いてくれたら答えなければならなかった。私の答えは、お父さんを少しだけ困らせた。困らせなくてよいように、お父さんは最初から、聞かないということを選んでくれた。
選んでくれたということが、本当にそうかどうか、私にはわからなかった。お父さんが私の家庭環境について知っていたのかどうかも、知らなかった。彼が伝えていたのか、伝えていなかったのか。私のお父さんというよりは、私には何もないことを、彼がご両親にどう伝えていたのか、私は知らないままだった。
知らないままで、よかった。
知らないままにしておけるくらいの優しさを、彼のお父さんは持っていた。
お茶のカップを置こうとしたとき、お母さんが、私の左手を、両手で包んだ。
両手で。
私の指は、お母さんの手のひらの中で、ふつうよりも小さく見えたと思う。お母さんの手は、私の手より一回り大きくて、温かかった。エプロンを長くつけている人の手だと、私は思った。料理をしている時間が長い手だった。台所の水と、油と、湯気の中に、ずっといた手だった。
「待ってたわ」
お母さんは、そう言った。
私は、少し、目を丸くした。
丸くしたのは、その言葉の意味が、その瞬間、私にはわからなかったからだった。
「待ってた」、というのは、誰を、いつから待っていた、ということなのか。
私が、お母さんに会うのは、その日が初めてだった。お母さんから見れば、私も初めての人のはずだった。初めての人を「待っていた」というのがどういうことか、私の頭は、すぐには追いつかなかった。
追いつかないまま、私は、お母さんの目を見た。
お母さんの目は、彼の目と、少し似ていた。
似ていたというのは、形のことではない。待ってくれている人の目、というかたちで似ていた。彼の目は、いつも、私の答えを急がせずに待ってくれた。お母さんの目は、その彼の目の、もっと深いところに、たぶんずっと前からあった目だった。
お母さんは、彼が、誰かを連れてくる日を、待ってくれていた。
彼が、家のなかで誰かの話をするようになる日。彼の「ただいま」が、少しだけ明るくなる日。
そういう小さな変化を、お母さんは毎日見てくれていた。見ていてくれた人が、その変化の先に、私を待っていてくれた。私を、知らないままで待っていてくれた。
それが、お母さんの「待ってたわ」だったと、私はそのとき、たぶんわかった。
わかってから、私のなかで、何かが少しだけ決壊しそうになった。
決壊というのは、おおげさな言葉だった。それでも、その瞬間、私の感情は、ふつうの場所より少し高いところに上がっていた。上がっていたものが下りていく方向が、たぶん涙だった。
涙というのが、私には長いあいだ、苦手だった。
ホームを出てから、私はあまり泣かなかった。泣くことを、私はずっと、できれば誰にも見られたくないものだと思っていた。
それでも、その瞬間、私の目は少しだけ熱くなっていた。
熱くなるというのが、自分でわかった。熱くなるというのは、涙が出るの一歩前の状態だった。一歩前で、私は止まりたかった。お母さんの「待ってたわ」のあとに、私が泣いてしまうと、お母さんは私のことをもっと心配してくれた。心配してもらうのは、その日の私には、重すぎた。
私は、深く頭を下げた。
長く下げた。たぶん、五秒、十秒くらいだった。
頭を下げているあいだ、私は自分の唇を噛んでいた。噛んでいたのは、唇を動かさないと、声が出てしまいそうな気がしたからだった。声を出すかわりに、私は唇を固く噛んだ。
下げているあいだ、誰も何も言わなかった。
彼は、何も言わなかった。
お母さんも、私の手を包んだまま、何も言わなかった。
お父さんは、お茶を飲んでいた。
その三人の沈黙が、私にはいちばんありがたい沈黙だった。
何も言わない時間を、その三人がくれたということが、私の中でちゃんとわかった。「大丈夫?」とも「ごめんね」とも、誰も言わなかった。言われたら、私は泣いた。言われなかったから、私はぎりぎりで、泣かないでいられた。
顔を上げた。
顔を上げたとき、私の目は、少しだけ赤かったかもしれない。それでも、涙はこぼれなかった。こぼれないというところで、私はその日、ぎりぎり止まれた。
お母さんは、私の手を、ゆっくり放した。
放してから、お母さんは、お茶のお代わりを注いでくれた。お茶を注ぐというのが、お母さんの優しさの形だった。何か言葉を加える代わりに、お母さんはお茶を注いでくれた。注いでもらったお茶を、私は両手で受け取った。
両手で、受け取った。
両手で受け取るというのが、その日の私には、いちばん自然な形だった。片手で受け取ると、その日のお茶を軽く扱ってしまう気がした。両手で受け取ったお茶は、私の体温で、ゆっくり温まっていた。
「ありがとうございます」
私は、頭を下げた。
下げる頭が、さっきよりは少しだけ軽かった。
その日、私たちは、お昼ごはんをいただいて、四時頃に実家を出た。
帰り道、駅まで、彼と並んで歩いた。
歩きながら、私たちはあまり話さなかった。話さなかったのは、ふたりとも、その日の出来事を、自分のなかで整理しているからだった。整理する時間を、お互いにあげていた。
電車に乗った。
座席に並んで座って、私たちはしばらく、何も言わなかった。
電車のなかは、空いていた。日曜の夕方の上り電車だった。座席の向こうの窓の外に、桜のあとの新緑が、少しずつ流れていった。
私は、窓の外を見ていた。
電車の窓に、私の顔が、薄く映っていた。
窓の中の私は、ふだんの私と、ほとんど同じ顔をしていた。それでも、ほんの少しだけちがう顔だった気がした。何がちがうのかはわからなかった。ただ、ちがうということだけがわかった。
ちがう顔をした自分を、私はしばらく見ていた。
しばらく見たあとに、私はぽつりと、彼に言った。
「お母さん、優しいですね」
声が、いつもの声より少し細かった。
細かったのは、その日の私のいちばん奥に近いところから、出てきた声だったからだった。喉の上のほうではなく、もっと深いところを、私はその日、初めて使った気がした。
「そうだろ」
彼は、それだけ答えた。
「そうだろ」だけだった。
それで、十分だった。
彼の「そうだろ」のなかには、いろいろなものが入っていた。「俺の母さんを、優しいと思ってくれて、よかった」「うちの家族が、奈々未さんを受け入れてくれて、よかった」「来週から、一緒に暮らせるね」。そういう言葉のいくつかが、「そうだろ」の三文字に、ぜんぶ入っていた。
入っているものを、私は受け取った。受け取って、それ以上、私からは何も言わなかった。
電車のなかで、私は窓の外を、もう一度見ていた。
そのあいだ、私の左手は、ふだんとちがっていた。
ふだんなら、私の左手は、薬指の付け根をなぞっていた。考え事のときの、私の癖。何かを考えるとき、私の指はいつも、薬指の付け根をなぞった。
その日の電車のなかで、私はたくさんのことを考えていなかった。
考えていなかったというのは、嘘かもしれない。お母さんの「待ってたわ」のことを、私はずっと思い返していた。お父さんの「よく来てくれた」のことも、思い返していた。お母さんの手の温度も、お父さんの目の深さも、思い返していた。
それらは、考えていたというよりも、感じていた、ということだった。
感じていることは、考えていることとは、少しちがう動きだった。考えているときの私は、輪郭をもったものを、頭の中で組み立てた。感じているときの私は、輪郭をうまく持たないものを、ただ抱えていた。
考えることと、感じることのちがいに、私はその日、自分では気づかなかった。
たぶん、いまでも、私はその日の自分が、考えているのか、感じているのかを、はっきり区別できない。
電車が、私たちのアパートの最寄り駅に着いた。
降りて、駅から私たちのアパートまで歩いた。
歩きながら、私は彼の半歩後ろを歩いていた。半歩というのが、私のいつもの距離だった。それでも、その日の半歩は、いつもよりたしかに近かった。
近くなった半歩のなかで、私はもう、ひとりではなかった。
アパートに着いた。
私のアパートは、まだ私だけのアパートだった。彼と一緒に住み始めるのは、来週からだった。来週、私たちは、それぞれの荷物を、新しい部屋に運び込む予定だった。新しい部屋は、駅から徒歩十二分の、二階建てのアパートの一室だった。1LDKで、日当たりはふつうだった。内見に行った日、部屋に入ると、畳と、古い壁紙の匂いがした。窓を開けても、見晴らしはよくなかった。隣のアパートの壁が見えるだけだった。それでも、彼が「ここにしようか」と言って、私もうなずいた。
新しい部屋は、まだ何も入っていない、空の部屋だった。
それを、これから、私と彼で、一緒に埋めていく。
私のアパートのドアの前で、私は彼を見送った。
「じゃあ、また来週」
「はい。また来週」
彼は、駅のほうへ歩いていった。
私は、彼の背中が見えなくなるまで、ドアの前に立っていた。
見えなくなってから、私はドアの鍵を開けた。
ドアを開けた。靴を脱いだ。つま先を奥に向けて、揃えた。
それから、私は声に出した。
「ただいま」
部屋の中に、私の「ただいま」が響いた。
返事は、なかった。
返事はなかったけれど、その日の「ただいま」のあと、私はホームの林先生に「ただいま」を言ったあとの、林先生の「おかえり」を、心の中でもう一度思い出していた。
林先生の「おかえり」は、もう私の中にあった。
そしてもうひとつ、その日、私は、お母さんの「待ってたわ」も、自分の中に持っていた。
「ただいま」を、私はまだ、彼に言える日には来ていなかった。
それは、来週から始まる予定だった。
来週、私が新しい部屋のドアを開けて「ただいま」と言ったときに、彼の「おかえり」が、私に返ってくる。返ってくるというのが、まだ少しだけ信じきれなかった。
それでも、信じてみるということを、私はもう、一年と少しのあいだに、何度か自分に許してきた。
許してきた回数の分だけ、私は、来週の「ただいま」を、少しずつ待つことができる気がした。
待つことを、許す。
それも、許すのひとつだった。
その夜、私はベッドに座って、しばらく何もしなかった。
何もしないでいるうちに、私はふと思った。
「ただいま」を、言える日が、もうすぐ来る。
ぼんやり、そう思った。
ぼんやり思っただけだった。それでも、そのぼんやりは、その夜の私のアパートの空気のなかで、消えずに、しばらく私の隣に座っていた。




