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拝啓、語りの外へ  作者: おやゆびキング
御方の祝福とともに I
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御方の祝福とともに I 006

 アシェメル神聖国の山あいに、その修道院はある。


 中央大陸の西にあるサアン大陸。その大陸全土を覆う神聖国の中でも、山あいに建てられた修道院は特別な静けさを持っている。麓の街の喧騒が届かず、空が近く、季節の移り変わりがはっきりしている。春には山の斜面に花が咲き、夏には緑が濃く、秋には色づいた葉が風に舞い、冬には深い雪が積もる。


 修道院で育つ娘たちは、その四つの季節を繰り返しながら、祈りと学びと奉仕の中で大きくなっていく。唯一神ナスレスク様の語りを学ぶ場所だった。


 信仰を学ぶだけではない。文字を覚え、薬草の知識を学び、病人の世話をする方法を学ぶ。年上の娘が年下の娘の面倒を見て、ベテランのシスターが全員を見守る。そういう秩序の中で、娘たちは少しずつ、この世界で生きていくための力を身につけていく。石造りの回廊には、朝になると薬草と、蜜蝋を溶かした蝋燭の匂いがうっすらと漂う。それが修道院の朝の匂いだった。


 人族の娘。竜人族の娘。岩人族の娘。樹人族の娘。それぞれが少しずつ違う体格で、少しずつ違う声で、でも同じ祈りの言葉を覚え、同じ食卓を囲んでいた。


 幼い頃は種族の違いが目についた。竜人族の娘は角があって翼が生えていて、岩人族の娘は肌が少し硬くて、樹人族の娘は人族より背が高くて手が少し大きかった。でも一緒に暮らしているうちに、そういうことがどうでもよくなっていく。同じ部屋で眠り、同じ勉強で悩み、同じ失敗で怒られれば、種族の違いより、一緒に過ごした時間の方が大きくなる。


 修道院のシスターたちも同じだった。年配の人族のシスターが若い竜人族のシスターに刺繍を教えていたり、岩人族のシスターが樹人族の娘の勉強を手伝っていたりする。この場所では、そういうことが当たり前だった。


 修道院の一日は、夜明けの鐘とともに始まる。起床、礼拝、朝食、勉強、作業、礼拝、昼食、勉強、作業、礼拝、夕食、就寝。その繰り返し。自由な時間は少ない。だが娘たちは、その規則正しい生活を窮屈だとは思っていない。少なくとも、慣れてしまえば。


 幼い娘が寝台へ入る時刻は厳しく決まっていた。消灯の鐘が鳴ったら、どんなに眠くなくてもベッドに入る。どんなに楽しいことがあっても、それを翌日に持ち越す。それが修道院のルール。


 だが年に一度だけ、その規則が少し緩む夜がある。


 各地の修道院で学び育ち、独り立ちした女性が訪問してくる夜だった。娘たちはその日をずっと楽しみにしていた。戻ってきた女性たちは、外の世界の話をしてくれる。街の様子、旅の話、仕事の話、恋の話。修道院の中では聞けない種類の話を、笑いながら語ってくれる。


 その夜、談話室にはいつもより少し遅くまで灯りが残っていた。暖炉の火はやわらかく燃え、窓の外には秋の夜気が静かに広がっている。薪の爆ぜる匂いと、暖炉の奥でじわりと温められた石の匂い。その匂いが、談話室の中をゆっくりと満たしていた。小さな椅子にちょこんと座った娘たちは、みな同じ期待で目を輝かせて暖炉の前に集まっている。


 誰が来るのだろうと、娘たちはずっと話し合っていた。去年来た女性は、街で薬師をしている岩人族のお姉さんだった。一昨年は、遠い街で結婚して子供が生まれたという人族のお姉さんだった。今年は誰が来るのだろう。




 やがて、談話室の扉が開いた。


 白い修道衣に身を包んだ女性が入ってきた。樹人族だった。


 人族より背が高く、両腕は長く、手が大きかった。肌は薄い緑みを帯びた色で、髪は深い緑色。樹人族の中でも、特に木の精のような雰囲気を持つ人だった。動くたびに、どこかゆっくりとしていて、でも確かな力がある。


 年の頃は、一見では難しい。樹人族の寿命は平均四百年で、見た目から年齢を読むのは人族には難しい。でも娘たちの目には、二十代後半か三十代に見えた。


 上品で落ち着いていて、それでいて娘たちの前では少しだけ照れたように笑う人だった。娘たちは目を輝かせる。知っている顔ではなかった。でも、その佇まいには何か特別なものがあった。修道院で育った娘たちには、そういうものを感じ取る感覚が自然と育っている。


 女性は娘たちの顔を一人ずつ見渡した。全員の顔を見て、それから少し困ったような、でも嬉しそうな笑顔になった。


「今日は、なんのお話がいいかな?」


 そう問うと、娘たちは待ってましたとばかりに声を上げた。


「聖女様のお話!」

「また聞きたい!」

「いちばん好きなの!」

「夢のお話して!」


 女性は、くすっと笑った。困ったように目を細め、それでもどこか嬉しそうだった。


 聖女のお話は、この修道院では特別な位置を占めている。


 アシェメル神聖国には、語りの御方に見初められ、奇跡の夢を授かった者を特別に尊ぶ習わしがある。その中でも、少女の頃に奇跡の夢を授かり、聖女として迎えられた存在の話は、修道院の娘たちにとって最も身近な物語だった。


 自分たちと同じように修道院で育ち、同じように祈り、でもある夜に特別なことが起きた。その話を聞くたびに、娘たちは胸が高鳴る。もしかしたら、自分も。

 そういう気持ちが、どこかに灯るのだった。


「それじゃあ……聖女様のお話をしましょうか」


 女性がそう言うと、娘たちはいっせいに背筋を伸ばした。小さな手が膝の上で揃えられ、暖炉の音だけが静かに部屋を満たした。竜人族の娘の小さな尾が、興奮したようにぴんと立つ。岩人族の娘が隣の人族の娘の手をそっと握った。


 女性は少しだけ遠くを見るような目をしたあと、ゆっくりと語り始める。その語り口は、静かで、でも確かだった。シスターたちが礼拝で経文を読む声とも違う。街で物語を売る語り部の声とも違う。自分が経験したことを、自分の言葉で語る声だった。



「その日は、とても、とても寒い夜でした」


 娘たちが静かになる。


「まるでミセリアの森から氷そのものが風に乗って降りてきたみたいに、骨の芯まで冷える夜だった。修道院の石壁は昼間のぬくもりをすっかり失い、毛布にくるまっていても足先がじんじん冷えるほどです」


 談話室の一人の娘が、思わず自分の足先を見た。別の娘が、膝の上で手をぎゅっと握った。


「少女は、なかなか眠れなくて、同じ部屋の子とこっそりお人形遊びをしていたの。本当は、そんなことしちゃいけないんだけどね」


 ひそかな笑いが漏れた。みんな、心当たりがあるのだろう。


「すぐに寝ないといけないんだけど……でも、その日だけは、眠らなくて本当によかった」


 その一言で、談話室が再び静まり返った。




 女性は語り続ける。


「同室の子は、やがて眠くなって先に寝てしまった。でも少女だけは、どうしても眠れなかったのです」


 暖炉の火が、ゆらりと揺れた。


「そんな時だった。どこかから、微かな声が聞こえたの。最初は風の音かと思った。でも違う。たしかに誰かの声だった。大人の女性の声」


 娘たちは息を止めていた。


「聞いたことがあるような気がするのに、はっきりとは思い出せない声。それが、暗い廊下の向こうから、何度も、何度も聞こえてくる」


 女性は少し声を落とした。


「はやく……誰か、来て……このままじゃ……」


 談話室の空気が、変わった。


 暖炉の前にいる娘たちの背中が、少し緊張した。一番小さな娘が、隣の娘の袖を掴んだ。竜人族の娘の尾が、ぴたりと動きをやめた。


「その声は、だんだん焦りを帯びていきました」


「少女は毛布の中で震えていたの」


 女性の声が、静かに続く。


「怖かった。夜の修道院は静かで、静かすぎるからこそ、暗闇の向こうに何かがいるんじゃないかと思えてしまう。でも、声はどんどん弱くなっていく。このままじゃ、ほんとうに危ないことが起きるのかもしれない」


 娘たちの一人が、息を呑んだ。


「少女は意を決して、寝台を抜け出したの。裸足の足裏に石床の冷たさが刺さる。けれどそれどころじゃなかった」


 女性は少し間を置いた。暖炉の火が、ゆらりと揺れた。


「廊下へ出た。暗かった。寒かった。怖かった」


 短い言葉だった。でもその短さが、かえって少女の心細さを伝えていた。


「でも、声の方へ進むたびに、はっきり聞こえるようになっていったの」


 娘たちは微動だにしない。竜人族の娘は尾をぴたりと止めていた。岩人族の娘は膝の上で手を固く組んでいた。人族の娘二人が、知らぬ間に肩を寄せ合っていた。樹人族の小さな娘は、目を大きく開けたまま、女性の顔を見続けていた。


「声の先は、大好きなおばあちゃんシスターの部屋だったの」


 女性の声が、少し柔らかくなった。


「シスターマリアは人族の方で、もう長いことこの修道院にいらした方だった。白髪で、背が低くて、でも声がよく通って、怒るとこわい方だったけど。怒った後は必ず優しくしてくれる方だったの」


 年配のシスターたちの間から、小さな笑いが漏れた。知っている人がいるのかもしれなかった。


「少女は扉へ飛びつきました」

「シスター! シスターマリア!」


 女性が少女の声を再現した。少し高い、子供の声だった。


「開けようとした。けれど扉には鍵がかかっていて、びくともしない。胸の奥がぎゅっと縮んだ」


 女性は両手を少し前に出した。まるでその時の少女になったように。


「だから少女は、今度は走ります。いろんな部屋の扉を、ばんばん叩いた」

「起きて! シスターマリアが危ないの! 誰か助けて!」


 女性の声が少し大きくなった。談話室の娘たちが、思わず背筋を伸ばした。


「やがて若いシスターたちが、眠たそうな顔で次々に姿を見せたの。寝巻きのまま、髪も整えないまま、何事かと集まってくる。人族のシスター、竜人族のシスター、みんな眠そうな顔で」


 娘たちの間から、またくすりと笑いが漏れた。想像できる光景だったのだろう。


「どうしたの? そんなに騒いで……何かあったの? って、みんな困った顔をしてた。少女は必死で訴えます」

「シスターマリアの部屋から声がするの! 助けてって! このままじゃ危ないの!」

「でも、シスターたちは困ったように顔を見合わせた」


 女性は少しだけ表情を変えた。困った顔と、もどかしい顔が混じったような表情だった。


「……声? 何も聞こえないけれど。夢でも見たんじゃないの? って言われてしまったの」


 娘たちの中から「えー」という声が上がった。女性は頷いた。


「少女は首をぶんぶん振った。ほんとなの! まだ聞こえてるの! って。その時も、少女にははっきり聞こえていた。か細く、途切れそうな声が、扉の向こうで助けを求めてる」


 女性の声が、少し低くなった。


「このままじゃ間に合わないかもしれない。少女は半泣きになりながら、何度も訴えた。若いシスターたちはまだ半信半疑だったけど、あまりに必死な様子に、ついには鍵を取りに走ってくれたの」


 部屋の空気が、また変わった。


「ついに扉が開きました」

「部屋の中は静まり返っていた。そしてその中央で、大好きなおばあちゃんシスターが床に倒れていました」


 女性は静かに言った。談話室の娘たちが、一斉に息を呑んだ。


「さっきまで眠そうだったシスターたちの顔から血の気が引いて、誰かがすぐに医者を呼びに走る。少女はその場に立ち尽くしたまま、手足の先が震えていたの」


 女性の大きな手が、膝の上で静かに重なった。


「自分の聞いた声は、本物だったんだって思った。でも同時に、こんなことも考えてた。もしあれが妄想だったらどうしよう。悪い無貌魔に騙されていたらどうしよう。そんなふうに、心のどこかでずっと怖かった。でも、信じてよかった」


 女性は、そこで少し間を置いた。


「そう思った途端、張りつめていた何かが切れて、少女はその場で気を失ってしまいました」




 談話室が、しんと静まった。暖炉の火だけが、静かに燃え続けていた。


「目を覚ましたのは、三日後でした。丸三日も眠っていたらしくて」


 娘たちは食い入るように話を聞いていた。竜人族の娘が、思わず「三日も?」と呟いた。女性は頷いた。


「三日間、少女はずっと夢を見ていました」


 女性の声が、少し穏やかになった。


「夢の中で、ひとりの樹人族のお姉さんがずっと一緒にいてくれた。大人の女性みたいなのに、どこか男の子っぽい話し方をする、不思議なお姉さん。一緒におままごとをして、お人形遊びをして、たくさん遊んだわ」


 娘たちの顔が、少し柔らかくなった。さっきまでの緊張が、ほんの少し解けた。


「でもそのお姉さん、遊んでる途中で急に難しい顔をして言うのよ」


 女性は少し声を変えた。


「約束を破るのは良くないこと。だけど、それで人を救うこともできる。その塩梅が難しいのさ、って」


 娘たちの中から、くすくすと小さな笑い声が漏れた。女性もつられて少しだけ笑った。


「わたしも、その時は全然わからなかったわ」


 女性はそう言って、また語り続けた。


「それから夢のお姉さんは、語りとは人の営みなのだとか、いろいろ難しいことを言っていた。正直、少女にはあまりよくわからなかった。でも、ひとつだけ、はっきり覚えている言葉があったの」


 女性は静かに言った。


「——きみが、人の語りを守っていくのさ、って」


 談話室が、また静まり返った。


「少女は不思議になって尋ねたの。どうして、シスターマリアでも、他のシスターたちでも、ほかの子たちでもなく、わたしなの? って」


 女性は少し間を置いた。


「するとお姉さんはこう言ったわ。彼女たちには彼女たちの物語がある。きみには、きみにしか語れないことがあるのさ、って」


 娘たちは黙っていた。人族の娘が、静かに目を閉じた。岩人族の娘が、深く頷いた。


「その言葉を聞いたあと、夢は終わったのでした」


 食い入るように話を聞く娘たちは、ここで少し息を呑んだ。女性はそんな彼女たちに微笑みかけながら、静かに続きを語る。


「目を覚ました時、少女はまるで、とてもよく眠った朝みたいにすっきりしていたの」


 竜人族の娘が「気を失ってたのに?」と呟いた。女性は頷いた。


「不思議でしょ。でも、本当にそうだったの。体も頭も、なんだかとても軽かった」


 女性は続けた。


「幸い、シスターマリアは助かっていた」


 談話室の娘たちが、一斉に肩の力を抜いた。


「少し弱ってはいたけれど、ちゃんと笑って少女と話をしてくれた。少女は嬉しくて、たまらなかったの。いなくなってしまうんじゃないかと、本当はずっと怖かったから」


 女性の大きな手が、膝の上でゆっくりと重なった。


「おばあちゃんシスターは、少女の話を静かに聞いてくれた。夜中に声を聞いたこと。扉をばんばん叩いたこと。信じてもらえなくて半泣きになったこと。悪い無貌魔に騙されているんじゃないかって不安だったこと。ぜんぶ、ぜんぶ聞いてくれた」


 女性は少し目を細めた。


「それから、シスターマリアは目を細めてこう言ってくれたわ」


 女性は少し声を変えた。人族の老いた女性の声を真似るように、少しゆっくりと、柔らかく。


「——あなたの語りの種に救われたのね。きっと、ナスレスク様のお導きよ、って」


「少女はその意味を全部理解できたわけじゃなかった。でも、褒めてもらえたのが嬉しくて、そこで大泣きしてしまったわ」


 娘たちの間から、くすりと笑いが漏れた。


「ずっと我慢してたから。泣いたら止まらなかったの」


 女性は少し照れたように笑った。


「それから、夢で見た樹人族のお姉さんのことも話したの。男の子っぽい口調で、でも不思議とやさしくて、見たことがあるような気がするシスターのお話」


 女性は少し間を置いた。


「すると、シスターマリアはとても驚いて、そして嬉しそうに涙をこぼしながら祈ったのよ」


 女性はまた声を変えた。老いた女性の、震えるような声で。


「——語りの御方ナスレスク様、この子を見守っていてくださりありがとうございます、って」


 談話室の娘たちは、しんと静かに話を聞いていた。誰もがその先を聞きたくて、目を輝かせている。


 女性は少し照れたように視線を伏せた。


「そのあと、シスターマリアは王様にそのことを話したわ」

「みんなも知ってのとおり、アシェメル神聖国では、語りの御方に見初められ、奇跡の夢を授かった者を特別に尊ぶでしょ。少女はやがて、聖女として迎えられて、この国でナスレスク様の語りを伝える役目を与えられたのよ」


 女性はそこで言葉を切った。談話室の娘たちは、うっとりした目で彼女を見上げている。


「それから長い長い時間が流れて……」


 女性はそこでまた言葉を止めた。


「その聖女様は、今どうしているの?」


 ひとりの娘が、おずおずと尋ねた。するとほかの子も一斉に声を上げた。


「まだ王都にいるの?」

「すごい奇跡を起こしたの?」

「ナスレスク様にまた会ったの!?」


 女性は困ったように笑った。頬に、ほんの少しだけ赤みが差す。


「そうね……」


 そして、照れくさそうに肩をすくめた。女性は少し間を置いた。その目が、談話室を見渡した。暖炉の前に集まった娘たちの顔を、一人ずつ確かめるように。人族の娘。竜人族の娘。岩人族の娘。樹人族の娘。それぞれが違う顔で、同じ期待の目で、女性を見ていた。


 女性は、静かに口を開いた。


「こうやって、修道院に来て、昔のお話をしているのよ」


 娘たちは一瞬きょとんとした。それから。


 その意味が、一人ずつに届いていった。最初に気づいたのは、一番年上の人族の娘だった。目が大きく開いた。次に竜人族の娘が気づいた。尾がぴんと立った。岩人族の娘が口を開けた。樹人族の小さな娘が、隣の娘の袖を掴んだ。そして全員が、同時に理解した。


 この女性こそが、かつての少女だった。夜中に声を聞いて、裸足で廊下を走って、扉をばんばん叩いた少女。三日間夢を見て、夢の中で不思議なお姉さんと遊んだ少女。泣きながらシスターマリアに褒めてもらった少女。そして聖女として迎えられ、今もナスレスク様の語りを伝え続けている、この樹人族の女性こそが。


「ええええっ!?」

「うそっ!?」

「ほんものの聖女様!?」

「最初からそう言ってよぉ!」


 談話室はたちまち、きゃあきゃあと賑やかな声でいっぱいになった。


 聖女は、その騒ぎを見ながら、どこか懐かしそうに目を細めた。この騒ぎも、どこかで見たことがある気がした。昔、自分が修道院にいた頃も、こういう夜があった。暖炉の前で誰かの話を聞いて、目を輝かせて、きゃあきゃあと騒いだ夜が。


 談話室の賑わいが少し落ち着いてきた頃、一番小さな樹人族の娘が聖女のそばに来た。


「せいじょ様」

「なあに?」

「夢のお姉さん、本当にナスレスク様だったの?」


 少し考えた。


「わからないわ」と聖女は言った。「証明できるわけじゃないから。でも、シスターマリアはそう信じていた。私も、そう信じたかった」

「今は?」

「今も」と聖女は言った。「そう信じてる」


 娘は頷いた。それから、また元の席に戻っていった。


 暖炉の火は静かに揺れていた。修道院の外では、秋の夜風が木々を鳴らしている。けれど談話室の中はあたたかかった。


 聖女は娘たちの顔を見渡した。それぞれが少しずつ違う顔で、でも同じように温かい目をしていた。語られる物語が、そこにいる娘たちの胸へひとつずつ灯っていくのを、聖女は静かに感じていた。


 語りの御方は、今も誰かの物語のそばにいるのだろう。泣いている子の隣に。迷っている子の夢の中に。これから誰かを支えることになる、小さな手の中に。そのために、静かに糸を紡ぎながら。


 そう信じられることが、彼女にとって祈りそのものだった。


 娘たちが寝台へ戻っていった後、聖女は一人で談話室に残った。暖炉の火が、少しずつ小さくなっていく。薪の燃えた後の、淡く甘い残り香が部屋の隅に漂っていた。聖女は胸の前で手を組んだ。


「語りの御方ナスレスク様」


 静かに言った。


「あの夜、声を聞かせてくださったのがあなただったとしても、そうでなかったとしても、どちらでも構いません」


 少し間を置いた。


「ただ、あの夜のことが、わたしの物語を作ってくれました。だから、ありがとうございます」


 祈り終えて、聖女は立ち上がった。暖炉の火が、最後にひとつ大きく揺れた。それから静かに、小さくなっていった。


 修道院の外では、秋の夜風が続いていた。

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