089 異界からの侵食
クロエです。
ほんとは、入学も卒業も、みんなと一緒が良かったです……
ほら、卒業イベントってあるじゃないですか!卒業証書とか、寄せ書きとか、好きな人の第二ボタンとか。
魔法院のマントはボタンがないけど、友達とマントの留め金を交換したら盛り上がると思うんですよ!
「うん、もうリハビリも終わりで良さそうじゃ。健康と言って良いぞ」 ルチアさん。
「ただし、魔法を使用しない前提でだ」 バルが釘を刺す。
こいつ、まだ怒ってるかも。
「そうじゃな。これからは、魔法発動時の魔臓への影響を検査していくことになるぞ」
「ただし、魔法はごく小規模の発動のみだ」
うわ、やっぱり怒ってる。
「そうじゃな。であるから、まだまだここの治癒院で療養してもらうことになるぞ」
「でも、モデルテ市で色々やりかけになってるし……せっかく魔法院も、聴講生から普通の生徒になれたのに」
バルはおかあさんに向かい、
「モデルテ市魔法院へはクロエの休学手続をとり、王都魔法大学への留学手続をとってもらいたい。
ついては、保留となっていた養子縁組の件も、ソフィ殿とクロエの意思が変わらなければ、養子手続の上、ソフィ殿の名で休学および留学手続をお願いしたい」
「まあ!
ありがとうございます」 と、おかあさんは頭を下げる。
「待ってください!養子縁組は嬉しいのですけど、モデルテ市の方はあのままはちょっと!」
バル
「モデルテ市の現状は、お前のマナへの依存が過ぎる。
確かに、市の窮状を鑑みれば、一時的にお前のマナに活路を見いだしたことが正しい選択だったかもしれないが、お前のマナありきで恒久対策を立てることは、市政にとって良い選択肢とは言えまい」
そう厳しく指摘した。
「ぐっ」
バルの正論に言葉が詰まる。
「疾病対策、農業生産、人口対策、インフラ整備、租税問題等、一定の成果が出た今、クロエのマナ依存を止め、市全体として体制を立て直す時期にある」
「お前のマナは市を依存体質に陥らせる危険がある」
きっついなぁ
「市政の問題が解決した以上、お前が問題としてきた魔素学の研究に取り組むべきタイミングではないのか」
くっ、反論できない
「加えて、お前の魔法は特殊すぎて、モデルテ市の魔法院では事実上独学となっていた。研究を行う上でモデルテ市魔法院にいる意味はない」
「でも、魔法院は卒業したいです」
「その点は、魔法大学で取得した単位をモデルテ市魔法院に送れば卒業資格が得られる手続が可能だ」
「でもでも!
ヴァロンティンヌ服飾店や「優雅な家」の契約があるし、「風のみち」や「ラ・ターブル・ドール」とも……」
それに、おかあさんのやりがい問題だってあるじゃん!
そこは言葉を飲み込んだ。
おかあさん
「クロエちゃん、大丈夫よ。どちらの商会も王都にお店があるでしょ?王都経由で契約は引き続き可能だと言ってくれたの」
アリシア先生 「スパークリングワイン魔法も同じよ。「ラ・ターブル・ドール」との契約は、ミレーヌとアンヌちゃんで引き継ぐわ」
私は口をあけ、そして言い返すことができず、何度か口をパクパクした。
ルチアさん、「手続について別室で説明するぞい。クロエは友人達からの手紙を読んでおれ」
そう言い残して、4人は部屋を出て行った。
________________________________________
バルディーニ
「ここから話すことは機密事項の一端となる。
機密を明かした相手には、契約魔法をかけさせてもらう」
バルディーニはソフィに向き合い、
「養子縁組前に以前より踏み込んだ話をしなければならないが、ソフィ殿は同意するか」
ソフィは真剣なまなざしで言った。「もちろんです」
「アリシア先生はここまでクロエのサポートに尽力していただいた。感謝している。しかし、ここから先は覚悟がいる内容である。今ここで退席することも可能だが、どうするか決めていただきたい」
アリシア 「その内容が犯罪や、隊長からの指示に反しなければ。また、クロエちゃんに不利益をもたらす内容でなければ、契約魔法を受けても聞きたいです」
「そうか…………
ルチア、第一次情報開示請求を申請する」
「分かった。
『風よ…………最高神ユグドラシルへ、クロエに関する第一次情報開示を請求いたします!
対象:ソフィ、アリシア!』
リィン、リィーン、リィーーン……
突如、空中にホログラムのような鐘が現れ、厳かに鳴り響く。
それぞれの脳内に重々しい声が響き渡った。
『クロエに関する第一次情報開示を許可する…………対象:ソフィ、アリシア』
しばらく誰も話さなかった。
やがてルチアが話し出す。
「これは、真実そのものではない…………
真実をそのまま話すことは許されぬし、仮に話したとしても、今のお主らには理解できぬじゃろう。
……ゆえに、これはたとえ話じゃ。
おとぎ話のように聞くがよい。」
ルチアの話はこうして始まった。
ここ、ディミディウムは最高神ユグドラシルの管理する世界である。
お前たちは知らぬことじゃが、ここには王国を含むあまたの国が散在しておる。
それらの国々を一つの領域とすると、さらに幾つもの領域をまとめた大領域とでもいうべきところが最高神ユグドラシルの統べる世界となる。
さらに、この世界全体は、人知の及ぶ限りの想像を広げても、その果てにたどり着けぬほどの広がりがあり、最高神ユグドラシルといえども、その管理する世界は砂粒よりも小さいのじゃ。
あるとき、最高神ユグドラシルの管理世界、すなわち大領域に、どこからか侵食する「力」が忽然と現れた。
ユグドラシルは、それを異界からの侵食ではないかと推定したのじゃ。
ユグドラシルは、その「力」が管理世界に悪影響をもたらす危険がないか、観測することを決定したのじゃ。
しばらくすると、侵食点には、「力」だけでなく、「物質」も現れるようになった。それは、様々な「物質」が含まれていたが、あるとき「人間」の残骸とでもいうべきものが出現した……
ユグドラシルは、すぐさまその「人間」残骸を保護した。
そして、最高神の全能力をもって、その「人間」を復活させられないものかと試みたのじゃ。
「それが…………クロエちゃん?」 アリシアがつぶやく。
ルチアは続ける。
最高神の全能力をもって復活させた「人間」は、見た目は少女のように見えた。
じゃが、長いこと目を覚ますことはなかった。
しかし、ユグドラシルは、その少女の目覚めを願ったのじゃ。
なぜなら、その少女が意志を持つ存在であるのなら、異界のこと、異界からの侵食という現象を言葉で説明してくれるかもしれないからの……
少女は目覚めることはなかった。
少女に何かあった場合、対策が立てやすいと推測した最高神は、侵食点の側で少女の復活を試みていたのじゃが、目が覚める兆候がなかったため、侵食点から「里」にその少女を移し、そこで腰を据えた研究を行おうと考えたのじゃ。
ところがじゃ!
侵食点からの移送が功を奏したのか、それとも何か別のきっかけがあったのか分からぬのじゃが、「里」へ少女を連れてきたところ、もしかすると目覚めるのではという兆候が見えたのじゃ!
最高神は少女に対する方針を定められた。
それは次のようなものじゃ。
バルディーニは言う。
「ここから先は、既にヴィクトール殿、ソフィ殿は既知の情報となる。
加えてモデルテ神殿司祭、パオロ副校長の両名は、内容は把握していないが、立場上教皇および国王の命令書を私が所持していることは認識している」
教皇命令は次の三箇条となる。
①クロエと呼ばれる、経歴不明の少女の生命・健康・安全を完全に確保すること。この命令は教会のあらゆる命令に優先する。
②クロエの思想、信条、判断等に何らかの影響を与えることを極力排除すること。クロエは、第一項における、自身の生命・健康・安全が確保されている限りにおいて、完全な行動の自由が与えられる。
③クロエの行動の自由のため、教会は必要に応じあらゆる支援を行うこと。ただし、その支援は、第二項に定めるクロエの思想、信条、判断等に影響を及ぼさないよう、十分な注意を払うこと。
また、国王の命令は次の内容だ。
教会の命令書の内容が真実であり、その命令は国王を含む国のあらゆる命令に優先すること。
また、王国も、教会の要請がある場合には、あらゆる支援を行うこと。
つまり、我々は、クロエの安全を最優先に行動している。また、クロエの自由意志も最大限に尊重しているのだ。
これは、クロエの異界知識に関して、非常にデリケートな対応が必要だと考えてのものである。
そのようにバルディーニは結んだ。
________________________________________
アリシア 「この情報をクロエちゃん本人には伝えないのでしょうか?」
バルディーニ 「ああ」
ルチア 「それはな、これらの情報はクロエ本人の精神に多大な影響を及ぼすことが確実だからじゃ。
そして、クロエには悪いが、クロエのことを思いやってではないのじゃ。
最高神は、クロエの精神に変調を来した影響で、異界とわずかに繋がっている細い糸が途切れてしまうことを恐れているのじゃ」
それは冷徹な事実であった。
クロエは神の掌の上にあるのだった。
ソフィ 「クロエちゃんは、とても悩んでいるのです。
自分が人間ではなく、ホムンクルスのような人造物ではないかと……」
ソフィは、あの泣きじゃくって自分にしがみついてきた心細いクロエの肩を思い出した。
(そんなことあるわけないのに!)
ルチア 「正直、クロエの復活にはホムンクルスのような技術は使われておる」
ソフィは目を瞠る。
「正確にはクローン技術と言うが……
違いはの、生命情報の由来が人工的なものか、自然の生命情報のコピーであるかによるのじゃ」
「クロエの場合、異界からもたらされた生命情報をクローン技術によって復活させたものじゃが、クロエの精神は人工的なものではないと、妾自身は思っておる。
なぜなら、クロエの思考や感情は、とても人造生命のような、いわば機械的なものとは思えないからじゃ」
ソフィはそれを聞き安堵のため息をついた。
バルディーニが補足する。
「その点は、サチと比較すれば明らかだ。サチはクロエと同じ技術で肉体が作られた。
だが、その精神は、全く別の由来を持っている。
サチの精神の由来自体は第一次情報開示の対象ではないため、詳細は説明できないが、クロエは目覚めたその瞬間から一個の人間であったことが、その証左と言えるであろう」
バルディーニ
「しかし一方で、クロエは、孤児院で目覚めるまでの一切の記憶がない。
自分が自分であるという確信、自我を形成するための自然な心のよりどころを持つことができなかったことも事実だ」
「クロエの心が、異界での少女の心であるのか、それとも新たに生まれた心であるのか、手がかりはない」
「ただ、一つ言えることがある。
クロエの心が、クロエの自我が、今ここで確立し安定している理由は、ソフィ殿のおかげであることは明白だ」
ソフィの頬に朱がさした。
アリシア 「確かにクロエちゃんは、小さな子供のようにソフィさんと話すわね」
ルチア
「我々の目的は、最高神のお考えに依っており、必ずしもクロエのため、ソフィ殿のためではない」
バルディーニ
「それでも、心からお願いしたい。どうかクロエの親となり、クロエを支えてやって欲しい」
ルチアとバルディーニは頭を下げた。
「はい!!」
ソフィにとって、それはある意味自明のことであり、また新たな決意の言葉でもあったのだった。
クロエ「アリシア先生!私、アリシア先生が昔お世話になったという、食堂に早く行きたいです!」
アリシア「……別に美味しくないよ?」
「でも!厨房のおばちゃんに、アリシア先生が夜中にこっそり食事を分けてもらったというお話を聞きたくて!」
「あ~ そんなこと、クロエちゃんに話したよね~」
「はい!わくわくします!」
「とほほ」




