第二十章 噴火
一平たちは一旦トリーニへ向かった。この噴火はトリトニアにも影響を及ぼす。まずはトリーニだ。時間の無駄を省くためトリリトンには向かわずに直行した。
トリーニではピアソラの指示の下、既に避難を始めていた。街に降り、人々の誘導、救助に当たっている。パールも自ら街に出た。
もうガラティスはいない。そういう意味ではもう護衛は必要ない。一平の方にも自分のすべき役割がある。何と言っても彼は総指揮官なのである。責務を果たすべく忙しく働き回らざるを得なかった。
トリーニの街は恐慌に陥っていた。
ダトラ山の噴火に誘発されたのか、並び立つ山々が次々に噴火を始め、ガラリアは地獄絵図のようになっていた。トリーニもそれに近いものになりつつある。
噴火のエネルギーで衝撃が空振現象を起こしていた。爆風が空気中を一気に伝わるのではなく、海水がそのまま爆流となって人や家屋を押し流す。溢れ出た溶岩や吹き飛ばされた岩塊が大小の礫となって街に降り注ぐ。溶岩に取り込まれた建物の数が鰻上りに増えてくる。逃げ回る途中で怪我をした人や、噴石に当たって火傷をした人や、恐ろしさのあまり正気を失った人や…パールが手を貸してあげたい人は数え切れないくらいいた。
人々の治療に当たりながら、ふとガラリアの方を見遣ったパールは愕然とし、恐ろしさに涙した。遠くで苦しみ、悶えている人々の声や姿がパールには見えてしまったのだ。
少しでもその力になりたくて、パールは歌を歌おうと口を開いた。
だが、声が喉から先に出てこない。
(一平ちゃん…一平ちゃんがいない…)
そばに一平がいないことでパールはとても不安になっていた。
(前にもこんなことがあった…)
パールは忘れていた記憶を呼び覚まされた。
この光景は以前見たことがある。大きな山が火を噴いて、海水が不自然に揺れて、大勢の人が逃げ惑っている。そしてその時も、パールは歌を歌いたいのに歌えないのだった。一平がそばにいないから怖いのだと、思ったことまで同じだった。
だがそれは一平が解消してくれた。優しく抱き締めて、これは夢だと教えてくれた。だからパールはすぐ泣き止むことができた。
ではこれは夢なのだろうか。あってはならない、恐ろしい夢…。
いや、違う。これは現実だ。パールの触れるもの、見るもの、聞こえるもの全てに実感がある。パールはこの状況をなんとかしたい。
そのためには一平のそばに行けばいいのだと、パールは結論した。
彼のそばなら怖くない。一平の心臓の鼓動の音を聞けばきっと心を落ち着かせて癒しの歌を歌うことができる。
パールは一平の姿を思い浮かべた。突然現れて彼に激突するかもしれないという不安はパールはもう抱いていない。思い浮かべる姿が鮮明であればあるほど、微調整がしやすいのだと、この何回かの跳躍で学習したのだ。
パールは一平を見つけた。小高い岩場のてっぺんに立っている。右からも左からも上からも下からも、トリトニアの兵がやって来ては指示をもらって戻って行く。きびきびとした仕種、真剣な眼差し、吹き煽られて乱れる髪も、むしろその勇姿を際立たせていた。その様子がパールにははっきりと見えた。十五アリエルも離れた場所にいるのにもかかわらず。
(一平ちゃんだわ。パールの好きな…。みんな見て。これがパールの好きな人よ。あれがトリトニアを守ってくれる人よ。パールはそれを手伝うの。一平ちゃんに勇気をもらって。そして守るの。彼を。トリトニアを)
そしてオパール色の輝きがパールを包んだ。
一平の方も慣れたものだった、
目の前にオパール色の光の玉が出現した刹那、パールが現れることを確信し、それまでとは打って変わって穏やかな表情で、黙って両腕を光の方へ差し出した。
すとんと、まるで測ったようにぴったりと、パールの身体は一平の両腕の中に収まった。上から落ちてくるのをただ受け止めたかのようだ。
一平は言った。
「まだオレは呼んでないぞ」
それが少し前に交わされた約束だったことをパールも思い出す。
「パールの方で一平ちゃんが必要だったの。あの時みたいに抱っこしてほしくて…」
「あの時?」
パールは件の夢の話をした。一平にも覚えがある。その夢のあと実際に海底火山が噴火して、あまりに間がいいので、パールには予知の力があるのではないかと感じたのだった。
人々に癒しの歌を届けたいとパールが考えるのは理解できる。が…。
「それは構わないが…どれだけの人が助けを求めているかわかって言っているのか?」
「…すごくたくさんだ、ってことだけ…」
それでは不十分なのかとパールは言葉を濁したが、すぐ開き直る。
「どこまで届くかわからないけどやってみたいの。やらずにはいられないの。一平ちゃんのそばなら怖くないからきっと声が出ると思うの」
言うなりパールは一平の胸に飛び込んで勝手に耳をつけた。パールの要請に従うのは吝かではないが、非常時の今、公衆の面前でいちゃついているように見えるのには些か抵抗があった。近頃はだいぶ分別もついてきてこのようなことはなくなっていたのだが、パールにとってこれは大真面目に必要なことのようだった。
と…。
誰かに呼ばれたような気がして一平は顔を上げた。
気を利かしてくれているのか、戸惑っているのか、周りには今誰もいない。
一平は自分の腰に目を落とした。青の剣が微かに光っている。
(やはり…)
剣が彼を呼んだのだ。光っているのは鞘の中から光が漏れ出ているからだ。
―抜いて―
今度ははっきりと聞こえた。
―今だよ。ボクを使うのは今しかない―
(青の剣!?)
―君の大事な人と一緒に高く捧げ持って―
「パール…」一平は左手で青の剣の鞘を持ち、右手で柄を持って妻を呼んだ。「癒しの歌は後回しだ。今は他にするべきことがあるらしい」
「え…!?」
一平の声に妙に真剣で神がかった響きを感じ取り、パールは夫のしていることに目を戻した。
「…青の剣が…光ってる!?」
「オレが抜くから、一緒に待ってくれ。怖いだろうが、少しだけ我慢しろ。目を瞑っていてもいいから」
「う…うん…」
パールは言われた通りにした。
刀身が露わになるにつれ、眩い光が少しずつ広がっていった。
青白い輝きが二人を包み、どんどん膨れ上がる。それと同時に光の一番外側から細かい光の粒が飛び出して行った。薄い赤や青や黄色や緑色を帯びてオパールの粒ようにきらきらと輝いて火山の方へ飛んでゆく。
その目指す先は噴き上がるマグマだった。まずはダトラ山。そして隣のボルルン山、カッペリ山…と、それぞれの火口のマグマに纏わりつく。なぜかマグマの動きは光に戸惑ったように鈍くなり、次第に活動を鎮静化させていった。
(収まれ…)
光の源では一平が念じていた。
(火山よ。大地よ。鎮まってくれ。あなたたちは休眠中のはずだ。ガラティスの不当な要請により眠りを乱されただけだ。奴は成敗した。本来の姿に戻ってくれ。頼む…)
理屈ではなく、そうするべきなのだと一平は感じていた。青の剣を抜いた瞬間、自分がどうすればよいのか理解した。
自然が本来あるべき姿へ戻れるよう、その役割を思い出して元の鞘に収まれるよう願うことしかなかった。
この際武力は何の役にも立たない。心からの祈りと願いを青の剣を通して山々に、その神々に届けることしかできない。それが己の役割だ。守人である自分の。
パールにも流れ込む。一平の思いが。そして同調し、共に願う。
一平の精神力が山々の心を開き、パールの優しい癒しの力がその怒りの心を鎮めてゆく。
「おお…」
「おお…:」
「見ろ。あの光を。輝きを」
「噴火が収まってゆくぞ」
「青の剣だ。青の剣の力だ。守人が青の剣を使ったのだ」
人々が指を差し、口々に告げ合う。
「一平さまが火山の噴火を鎮めてくださっている」
「パールティアさまも一緒に…」
真っ赤な溶岩はもう火口からは噴き出してこなかった。
光の粒は山の中へと吸い込まれて行き、やがて地鳴りも感じられなくなった。
辺りに静けさが戻る。
一帯を覆っていた青白い光も今はない。青の剣は輝くのをやめて今はただの鉄色の刀身を晒している。
「…一平ちゃん…」
もう手を離してもいいかという意味でパールが名を呼んだ。一平が頷くのを確認して剣から手を離そうとした。
が、手が硬直していて動かない。
「だ…め…」
パールの手は一平の右手の上に重ねられていた。一平は左手を剣から離し、そっとパールの両の手を掴む。
(温かい…)
そう感じると、心と共に緊張が解けていくようだった。
「見てみろ…」
一平が国境の彼方へと顎をしゃくる。
「…やった…うまく…いったんだね…」
剣を納め、一平が改めてパールの肩を抱いた。
「ああ…よくやった。ありがとう…」
「よくやったのは一平ちゃんだよ」
「いや、おまえがいたからできたんだ。オレたちは二人で一人だからな」
聞いたことのある台詞を言われ、パールはおかしそうに言う。
「前にもそんなこと言ったね、一平ちゃん」
「ん?…ああ…そうだな…」
あれはいつのことだったか…。パールが何かで落ち込んでいる時だった気がする。元気づけてやりたくて、一平は今と同じ言葉を使ったのだ。懐かしい。
トリトニア―トリーニの危機を回避できたことで、彼は少しくほっとしていた。
厳密に言えば被害は甚大だった。決して無傷だったわけではない。怪我をした人も命を落とした人も家屋を失った人も大勢いた。大地は静けさを取り戻したが、人々はまだ苦しんでいる。
身体が無傷でも、大事な人を失って心が傷ついていたり、失ったものが大きくてショックから立ち直れなかったり…。
恐ろしい経験は心の傷となって長く痛むだろう。
そのことにパールは気づいた。
青の剣の力でなんとか被害の拡大を食い止めたものの、人々はその喜びや安心も束の間、再び嘆き、悲しみ、苦しみ始めている。
それを見ること、聞くことで、パールも辛かった。




