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第十九章 代価

 その時ガラティスは御前会議を控え、ガラ神への祈りを捧げるために廟に籠っていた。

 いきなり現れた闖入者は三人。いずれもこの場に現れるとは予測もできない顔ぶれだ。

 例によってパールがナシアスにおぶさり、そのパールを抱きすくめるようにして一平がくっついているのだ。三人分の重量が何の前触れもなく激突してきた衝撃は半端ではなかった。ガラティスはそれまで心を鎮めて祈りを捧げていたのだから尚更だ。何が起こったのかわからぬままに、一瞬意識を失った。


 三人のうちで一番貧乏くじを引いたのはやはりナシアスで、一平は一番頑丈な自分が防波堤になりたいところだったが、こればっかりはうまくはいかなかった。

 自分の行なった跳躍でガラティスが伸びているのを知ると、パールは思わず手を伸ばして気付けの施術をしてしまったらしい。ガラティスはすぐに意識を取り戻し、トリトニアの三人に取り囲まれているのを知った。流石に一度パールの跳躍の犠牲になったことがあるので、状況を飲み込むのは早かった。


「…やはり、来おったな…」

 一人一人を睨め回し最後に目を留めたナシアスを揶揄して言った。

「余計な奴もおるようだな…」

 ナシアスは頬を引き攣らせたが、賢明にも何も口には上せなかった。

「ずいぶんと無礼な挨拶だが、パールティア姫を連れてきてくれたのであれば許して進ぜよう。やっとこちらの提案を受け入れてくれる気になったのだな」

 一平にとってその選択肢は端から存在しないのが、ガラティスにはまだわからないらしい。


「不躾は百も承知だが、そちらのやり方に倣ったまでのこと。貴様に会うには一番手っ取り早い方法を取らせてもらっただけだ。再三言うがオレも陛下もパールをガラリアへやる気は毛頭ない。貴様とガラリアのやり方には反吐が出るほどの嫌悪感を感ずるのみだ。

 ガラティス。腹を括れ。オレは貴様に決闘を申し込みに来た」

「何!?決闘だと?」

 少なからずガラティスはたじろいだ。決闘など彼はしたことがない。それどころか、武術はからきしだめなのだ。


「貴様は一度ならず二度三度とオレの妻を拐かした。破廉恥な振る舞いに及び、パールの心を傷めつけた。そのことを謝罪するどころか己の欲望のままにオレからパールを奪い取ろうとする。もう許しておけない。これは一国の王たる者のすることではない。ポセイドニアの各国に是非を問うがよいか。それともここでオレと決着をつけるか?」

 一気に引導を渡した一平の口振りはこの上もなく堂々として一点の曇りもなかった。


「世間に知らしめればパールティア姫の評判に傷がつくぞ。よいのか?」

「私は平気です。何も悪いことなどしていませんもの」

 毅然とした声でパールが口を挟む。一平も負けじと言い放つ。

「パールには傷などつかぬ。オレが傷つけさせはせぬ。貴様の所業を知ればトリトニアの民もポセイドニアの皆々も必ずやわかってくれよう。むしろ評判を恐れるのはそちらではないのか」

「ふん、強がりを。世間はそのように甘いものではないわ。わしの身体の下でのたうつ姫の姿を想像する者は大勢出てくるに相違ないわ」



「パールが青ざめた。思い出したくないことだ。自然と身体が硬直して拒否反応を起こす。

「姫。耳を貸すのではありません。ガラティスの言い逃れです故」

 急ぎナシアスが囁いて支えてくれたが、パールのショックは大きい。

「パール。行け。ナシアスを連れて。トリリトンへ帰れ」

 一平とてこのような戯言をパールの耳に入れたくはない。彼は指示したがパールは聞かなかった。

「いやです。行きません。一平ちゃんと一緒でなければ」

「わからないことを言うな。それではオレが戦えん」

「だって…」

 パールは一平を助けに来たのだ。彼を連れて帰れなければせっかく来た意味がない。

「オレは死なん。ガラティスを倒したらおまえを呼ぶ。そうしたらまた来い。その時こそ、一緒にトリリトンに帰ろう」


 一平は本気で言っていた。自分が強く思えばパールには必ず通じると。自分にその力があるというよりは、パールの方にキャッチする能力があって、それがまだ埋もれているだけなのだと。何の根拠も兆候もありはしなかったが、なぜかそう思えた。

 二人のやりとりがガラティスに余裕を与えた。

 ガラティスの背中から何か黒いものが伸びてきて、一平の背後から彼を絡め取りにかかった。

 気配に気づいた一平が慌てて振り返った途端、それは眼前で広がり、一平の目鼻をも塞いだ。


 呼吸器官を塞がれたのを引き剥がそうと必死に引っ張るが、先日ドメスが放ったぶよぶよのように、引けば引くだけ伸びて広がった。

(こいつ…)

 ガラティスが魔術を使うとは知らなかった。

 いつもお抱えの魔術師にやらせていたから使えないものと思っていたし、集められた情報の中にそのような事実はなかったはずだ。


 実はガラティスは魔術の力を今さっき会得したばかりなのであった。レオノーラもドメスも使い物にならなくなった今、なんとかしなければならなかったのだ。

 とは言え。魔力など簡単に手に入る代物ではない。代価が高いため下々の者には手が出ないことが、術者が不足している一因でもあるのだから。

 そのためガラリアは人材に乏しいのだと言ってもいい。ガラティスは国財を擲って、自分に魔力が宿るようにとガラ神と取り引きをしたのである。



「いやあっ‼︎」

 黙って見てなどいられなかった。止めようとするナシアスを振り切って、パールは一平の元に駆け寄った。彼の身体とぶよぶよの両方に手を掛け、必死に叫ぶ。

「離れてえっ‼︎」

 バチバチバチッ…。

 電気がスパークするような爆ぜる音がして、パールの周りが光った。ぶよぶよは黒から灰色、そして黄色へと変化して、干からびてぼろぼろになり、散じた。

 後には一平を庇うように覆い被さるパールの健気な姿が残された。


 これを見てガラティスは悔しがるどころか大喜びした。

「わはははは…これじゃこれじゃ…これが姫の破壊の力よの…見たぞ見たぞ。使いこなせるではないか。実用化は夢ではないのう。わはははは…」

 笑うその姿は気狂いじみていた。いや、正に狂っていた。

「一平ちゃん…一平ちゃん…一平ちゃん…」

 パールは一平のことだけを考えていた。ガラティスが何を喚こうが耳には入らない。彼の危機を救えたのならそれでよかった。自分が何をしたのか、できたのか、それは今のパールにとって問題ではなかった。


 一平がそっと起き上がる。パールの頭を引き寄せ、髪に手を突っ込んでよしよしする。

「大丈夫。…大丈夫だ、パール。おまえが守ってくれたから…」

 ガラティスの狂態に半ば呆然とするナシアスの背後、廟の入口から光が差し込んだ。中の様子がおかしいのに気づき、外のガラリア兵が扉を開けたのだ。兵の後ろにはドメスとタボステもいた。

「陛下…」

 皆、ガラティスの狂態に立ち竦む。中に部外者―それも要注意人物だ―がいることよりも、主の異変に動転している。

 頭がおかしいと思われる節もないではなかったが、事ここに至っては決定的だった。この様が、普通の精神状態であるはずがない。ましてや彼は国の中心人物、国主なのである。

 ―ガラリアは終わる―誰もがそう思った。



「一平どの。これはどういうことですかな?」

 タボステが最初の一歩を踏み出し、問うた。

「見ての通りさ。狂っちまってるんだよ。あんたがたの大親分は」

 苦々しげにナシアスが言い捨てる。ガラティスの哄笑は先ほどから止まらない。ヒーッヒッヒッ…という引き攣った高笑いがいつまでも続いている。

「陛下…」ドメスが察した。「一体何と魔力を引き換えになされたのか…」

 彼はこのような状態になった人間を何人も知っていた。

魔力とは途轍もない力。生半可な代価では支払えぬ。ガラティスのこの状態を見る限りでは、正常な思考能力か、あるいは人の心の箍、といったものだろうか。元々そのようなものがしっかりとあったようには見えなかったので、単に人の心と引き換えただけなのかもしれない。国財と共に。


 一平はすっくと立ち上がり、二人に面と向かった。

「タボステどの。ドメスどの。オレは断罪に来た。と言っても一介の海人であるオレにそのような資格があろうはずもない。妻のため、延いてはトリトニアの国民のため、ガラティスと雌雄を決しに来たのだ。…ところがガラリア王はこの体たらく。今し方決闘を申し込んだところだったが、まともには受けて立ってはもらえぬようだ」

「確かに…」

「代わりに誰かに受けてもらうつもりもない。オレの標的はガラティスひとり。ガラリア王としてのガラティスだが、どうする?王がこうなった場合、ガラリアでは誰が主導権を握る?まさかこのまま玉座に置くことはあるまいな」


 一平の問いにタボステはドメスと顔を見合わせた。そして徐に一平の前に跪き、頭を垂れた。

「トリトニアの青の剣の守人、一平どの。陛下になり代わり某宰相のタボステがお詫び申し上げまする。

 わがガラリアが、トリトニアのパールティア姫及び一平どのに対して犯しました罪の数々、全て陛下のご指示の下、我々が実行して参りました。しかしながら、その全てが我々の本意ではなく、陛下の機嫌を損ねては、という思いの中、いやいや行なったことにございます。

 陛下以外の我々にはパールティア姫の持つ破壊の力というものに関心はなく、勿論姫をガラリアに止め置くようなことは毛頭考えておりません。

 陛下が精神状態に異常を来しているとなれば、いずれ退位。然るべき機関にてご療養なさることになるのは必至でございますれば、どうか剣の方はお収め下さりませ」

 

 常に冷静で気持ちを表に出さないタイプのタボステ宰相は、心の裡ではガラティスの言動に疑問を感じ、水面下で葛藤していたと見えた。

 パールに危害が及ばないことが保障できれば一平に否やはない。彼は応えた。

「パールの身柄をつけ狙いさえしなければ、敢えて刃を向けはせぬ。ガラティスが玉座で力を振るっている以上、何を言っても、約定を結んでも無駄であることがよくわかった故、差し違えてもやむなしと決闘を申し込んだのだ。奴が国表に立たないのであれば速やかに帰国しようとも」


「一平ちゃん…」

 パールは心底ほっとして呟いた。一平は続ける。

「今の言葉、真実嘘偽りはないだろうな。帰国の後、トリトニアから各国に声明を発表するがよろしいか」

 ポセイドニアに文字文化はない。条約の締結など、文章で残すことはできない。証文の代わりとなるのが、それぞれの国から発される声明だ。使者を送ったり、使役魚を介したりして行なわれる。それが双方同じ内容であればポセイドニア全体が証人となり、締結される。破った場合はポセイドニア全体から経済封鎖や爪弾きなどの制裁を受けることになる。

「仰せの通りに」

 タボステは低姿勢でこれを受けた。 

 一刻も早くパールを帰国させたい一平はすぐに声明の内容を打ち合わせに入った。



 内容はこうだ。

一、

現ガラリア王ガラティスは病のため本日を以て王位を返上する。次期国王は第一王位継承権者である嫡男ディモス(九歳)が即位。但し若年のため現宰相タボステが引き続き宰相として補佐を行う。即位式は追って周知する。

二、

ガラリアは今後如何なる理由があろうとも、トリトニアの王女パールティアの身柄や力を要求しない。但し、癒しの力に関しては双方の合意の下でのみ、条件付きで行なうことが可能である。

三、

ガラリア―トリトニア間の抗争は本日を以て全て収束する。トリーニ物見処での兵士殺傷事件についてはトリトニア側の謝罪と賠償を以て既に解決済みである。

 以上の三点を合意した。


 が…。

 話し合いを終え、一平とタボステが握手を交わして会議を終えようとしたその時、不気味な地鳴りが聞こえてきた。

 大地の底からゴゴゴ…と唸るその音は、やがて細かな振動となり、大きな揺れとなった。

「地震か?」

 何かに掴まらなければ身体を支えられないほど、その揺れは大きかった。

(そう言えば…このところガラリアでは地震が多いと聞いていたが…)

 頻繁に起こる揺れに、ガラリアの人々は少し慣れてきたところだったが、今回の揺れは今までになく大きかった。そして外からは悲鳴が聞こえ始める。


「何だ!?何事だ?」

 鉄面皮のタボステも流石に顔色が変わっている。

「大変です!噴火です!ダトラ山が噴火しました!」

 ダトラ山とは、ガラリアにある海底火山群の中のひとつ。トリトニアとの国境に近い場所に座している山だ。このガラリア城にも近い。

「規模は?」

「かなり大きいです。真っ赤な溶岩が噴き上がっているのが天守からもよく見えます」

 海底火山故、溶岩は噴き上がっても固まるのが早い。だが、それも追いつかないほどの量が流れ出しているということだ。

「兆候はなかったのか?気象観測省は何をしていた!?」


「突然の発生との報告が来ています」

「うむ…」

「タボステどの」

 ドメスが控えめに声を掛けた。

「代価なのではないでしょうか」

「代価だと?」

「ええ。ガラティス陛下の魔力の…」

「しかし…」

「国財を擲ったのです。陛下は多分。いや。ガラ神にガラリアの国土を返上することを約束なさったのかもしれません」

「ガラリアの国土を得るためにガラ神が火山を噴火させたというのか」

「はい、おそらく…」

「…何ということを…陛下‥あなたというお人は…」

 ガラリアの面々の会話を耳にし、一平も呆れた。


 当のガラティスはしばらく前から高笑いをやめて、ひとりぶつぶつ何事かを繰り返し呟いている。全く狂人の姿そのものだった。

「…わしのものじゃ…わしの…ガラ神は…姫…破壊…わしの…」

 憐れみさえ感じた。

 国王という、その国の頂点の身分に立ち、不自由のない生活に恵まれていながら満たされない。何が原因かは一平には与り知らぬところだが、ひとつではないだろう。その境遇が哀れだった。



「タボステどの。我々も避難をした方がよろしいかと。お客人には早々にお引き取りを願いましょう…」 

 ドメスが促した。

「おお、そうだな」

 我に返り、タボステは一平に向き直る。

「事情はお察しのことと思います。どうか一刻も早くお引き取りを…。姫のお力があればすぐにもトリトニアに戻れましょう」

「忝い。お言葉に甘えさせてもらおう。…パール、行くぞ」 

 ここが危険なのは勿論だが、とりわけダトラ山に近いトリーニが心配だった。

 ナシアスに目で合図を送り、三人ひと塊りになる。


 その姿が目に入ったのか、今まで大人しくしていたガラティスが急に唸り声を上げ始め、一平たちに向かって猛突進してきた。

「えっ?」

 パールはドレスの裾を掴まれ、引き摺り倒された。

「きゃ…」

「ガラティス、貴様!」

 ガラティスは形相が変わっていた。獣のように歯を剥き出し、威嚇の声を上げ続け、パールに飛びかかろうとする。

「わしのものじゃあ…」

 一平は思わず剣を抜いていた。

 その切先がガラティスの胸を貫いた。

「うがっ…があ…う…わし…の…」

 仰向けに倒れ、引き攣けて後、力を失った。


「………」 

 パールは恐ろしさのあまり声もない。

「…執念…ですな…。…実に…申し訳ない…」

 ガラティスの行動を予測することも止めることもできなかったタボステが脂汗を滲ませながら苦衷の表情を浮かべて言った。

「声明は変更です。現ガラリア王ガラティスは崩御、と…」

「お気になさいますな。正当防衛です」

 ドメスも付け加えた。

 ドーン!!

 そして再び大音声が響く。

 噴火音だ。ガラリア城の壁も振動であちこち崩れ始めている。

「逃げましょう」

 誰からともなく言い合って城外を目指した。

 


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