第十七章 決意
「タボステどの。このようなことをしていて大丈夫なのでしょうか」
話を持ちかけたのはドメスである。折角己の魔力を差し出して大渦を引き起こしてもらったのに当のパールティア姫を攫うことはできず、代わりに手に入った一平を三日三晩の間閉じ込めているだけなのは彼には承服できかねる出来事だった。流石にガラティス本人に進言することはできず、宰相のタボステに様子伺いをしているのだ。
閉じ込めるだけと言っても、食べ物を与えられず、睡眠は奪われ、レイプまがいのことを強いられているのだ。立派な拷問である。
「ドメスどの。陛下には陛下のお考えがおありなのだ」
応えたタボステも苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「でもありましょうが、あんなことをしていて本来の目的のパールティア姫の力は一体…何の関係が…」
ドメスには、ガラティスの単なる鬱憤晴らしと異常なる性的嗜好の捌け口としか思えなかった。
今まで似たようなことがなかったわけではないが、今は開戦中。下手をすれば国力の充実しているトリトニアに袋叩きに合うことも考えられるのだ。遊んでいる場合ではない。
「ドメスどの。陛下はただ楽しんでおられるわけではない。今陛下がお命じになったことはそもそもはパールティア姫の徴を手に入れるために用意していた策だが、他にも使い道があることに陛下は気づかれたのだ」
「と言いますと!?」
「一平どのはパールティア姫のご夫君であられる。相思相愛で仲の良いご夫婦だということはポセイドニア中に知れ渡っている。その最愛の男性が他所で女性関係を持ったとしたら、女性は一体何と思う?嫉妬し、諍い、しまいには愛想を尽かすこともあろう。傷心の姫を手なづけ、ガラリアに引き込めれば戦などせずとも姫の力は我々のものさ。幸いトリトニアは世襲制ではない。王女とて国外へ嫁に出しても国家は揺るがぬ」
「ははあ、いかにも…陛下のお考えになりそうな理屈ですな」
「確かに利己的で自己中心的。楽観的なお方故な」
タボステにもわかっているのだ。己の主人の欠点は。
「だが試してみる価値もある」
それを諌めず、同調してしまうのはお国柄だろうか。
「まあ、しばらく様子を見ようではないか。トリーニも少なからず痛手を受けたはず。すぐに攻め込んでは来まい。ひょっとしたらまたパールティア姫が一平どのを助けに現れるやもしれぬしな」
「なるほど。一平どのの方を連れてきたのは強ち誤算ではなかったということですな」
「そういうことだ」
タボステは薄く微笑んだ。
大渦が一平を連れ去るのは驚くほど速かった。
まるで向かってくる時は手探りで、帰りは一目散、という態であった。
当然誰も追うことはできず、何が起こったか知っているのはナシアスとパールのみだった。
物見処内は大荒れ、人的被害はおかげさまで軽微だったものの、武器や物品の流出は激しく、当面戦どころか普通の生活もできる状態ではなかった。
一平がいなくなった今、指揮を執るのはナシアスであり、トリリトンは元より、割合と近場のベスと連絡を取り合って物品の調達などの立て直しに忙殺されていた。 だが、一番頭の痛いのがパールの扱いだった。
目の前で最愛の人が攫われ、しかも真の狙いは自分の方だったということで、後悔しきり。毎日泣き暮らしているような有り様だった。悲しみのあまり乳の出も止まってしまったようであり、面倒がなくなったと喜ぶどころか逆に母親としても資格を失ったと思うらしく、塞ぎ込んでばかりいた。
(どうして!?どうして一平ちゃんを連れて行ってしまうの!?どうして、パールの大事な人を…パールの大好きな人たちを…パールから奪ってしまうの?パールは何かしたかしら?そんなにいけないことを !?
これは何かの罰なの?パールは一生懸命自分のできることをしているのに…。ただ、みんなに笑顔でいてほしくて精一杯生きているだけなのに…)
自分が使役されるだけならいい。例えその身が攫われたとしても、苦難が自分に降りかかるだけなのならば敢えて試練と受け止めよう。その覚悟は今のパールにはとうにできていた。これだけ何度も拉致されたり身を狙われたりすれば嫌でも最悪のことを考え、その対策に思いを巡らしたりするようになるのは当然である。手立てや結論、いい方法が思いつくかどうかは別として。
しかし、それが他者へ影響を及ぼし大きな迷惑、足枷となれば話は別だ。とりわけ、一平に負担をかけ、彼を窮地に陥れることになることをこそ、パールは恐れ、危惧していた。
今まさにそのようなことになったのだ。パールの嘆きは通り一辺倒のものではなかった。一平はパールの身代わりとして連れて行かれたのだから。
(いやよ…。返して。一平ちゃんを返して。パールの一番大切な人をパールのそばから連れて行かないで。パールはただ…一平ちゃんのそばにいたいだけなのに)
ふっと以前にも同じような気持ちになったことがあるとパールは思った。その感覚と共に思い起こされた顔の持ち主にパールは呼び掛けた。
(ニーナ…)
(ニーナ、どうすればいいの?教えてちょうだい。どうしてあなたもいないの?なぜ、死んでしまったの?あなたもパールにはとてもとても大切な人だったのに…)
彼女の死も、言ってみればパールのせいであった。ニーナ自ら望んで赴いたとはいえ、パールの身代わりとして乗り込んだその先で、彼女は敵刃の下に倒れたのだ。
パールを助けるために命を落とした者はニーナばかりではない。翼もパールを人間の目から隠すため、心臓の病を押して無理なことをしたために若くしてこの世を去った。
彼らの自己犠牲の上に己の生が成り立っていることを、パールはいやというほど自覚していた。
だからと言って償いのために自分の命を投げ出すことも、一平との生活を諦めることもパールにできようはずもない。
二人の死を悼むのであれば尚更、貰った命を大切にし、悔いのないように生きなければならないと、人にもそう言われたし自分でもそう思うようになった。
怖いのはそれらの事実だ。二人の人間が自分のために命を落としたという…。一平がその三人目にならないという保証はどこにもない。そしてパールに何かあった時、一平が自分の身体を張ってパールを守るであろうことは誰の目にも明らかだった。
現に今パールの目の前で、一平はパールをナシアスに託して単身巨大な渦に飲み込まれて行ったのだ。
それだけは何があっても阻止したいことであった。だが、力及ばず一平は…。
―いやああああ…―
パールは声にならない悲鳴を上げていた。
(パール…)
(パール…泣かないで。泣かないでよ、パール)
どこからか声がした。どこか懐かしい、慕わしい声が。
「誰?」
(君のせいじゃないから。大丈夫。一平は死んだりしないよ)
これは…この優しい声は…一平のことを呼び捨てで呼ぶまだどこか少年らしい落ち着いた声は…。
パールは知っていた。この声の主を。
「翼ちゃん?…」
その名を口にした途端、その姿は現れた。
記憶と寸分違わない、病弱そうだが賢そうなパジャマ姿の少年。
(そうだよ。ボクだ)
「翼ちゃん。…生きてたの?どこにいたの!?」
(ボクはずっと君と一緒にいたよ)
「パールと?…じゃあ…」
パールは髪に手をやった。王女の身分に戻っても、右宮に嫁いでも、肌身離さず身につけていた髪飾り。翼がプレゼントしてくれた真珠のカチューシャ。
「やっぱり、翼ちゃんはこれになったんだね。お星様じゃなく」
(うん…まあ、そんなところかな。…それよりパール、本題に入るよ。急ぐからね)
「え!?」
(君があんまり悲しむから出てきたんだ。ボクが死んだ時みたいに)
「翼ちゃん…」
やはり翼は死んでいるのか、とパールの表情が少し翳った。
(一平は無事だよ。ガラリアにいる。但し、幽閉されているけどね。ガラティスの奴、余程一平に恨みがあるのか、おかしな拷問をしているけれど、それはパールは知らなくていい。一平には全然屁でもないことだから。…大丈夫。身体を傷つけられるようなことはされてないから)
拷問という言葉に反応して目を瞠いたパールを見て翼は付け足した。
「本当?本当に一平ちゃんは大丈夫なの?」
(うん。あいつは強い。本当に。武力だけじゃなく、精神がね。一平にパールを託したのは正解だったよ)
「!?」
後半の意味がよく飲み込めず、パールは首を傾げた。
翼は淋しそうに微笑んで言った。
(知っていた?ボクも、パールが好きだったんだよ。一平だけじゃなくね)
この告白にパールは実にあっけらかんとした答えを返した。
「うん。パールも。パールも翼ちゃんのこと大好きだったよ。今も好き」
(あ…ありがとう…)
翼は応対に困り、指先で額の横を掻いた。
(一平はね、本当にパールのことが好きだ。好きで好きで大好きで、とても大切で…だから守りたい。自分のことは二の次にしても。多分…パールも同じ気持ちだと思う。だから一平の今の境遇は…彼のしていることは、決して不幸せではない。自分のしたいことをしているんだから。愛しい人を守るという、とても高潔で、純粋で、彼にしかできないことを。…パールを助けて命を落としたとしても、一平は幸せなんだろうと思うよ)
パールはいやいやをした。
(ボクもそうだったから。ぼくも、自分のしたいことをして、それで死んだ。しないで後悔して生きるよりずっと幸せだったよ)
「翼ちゃん…」
(だからパールが気に病む必要なんてない。泣いてる暇があったら、自分のしたいことをした方がいい。それを言いにきたんだ)
そう言って、翼はパールをじっと見つめた。
「パールの…したいこと?」
翼は黙って頷いた。
「それは…何?」
(それは…ボクに訊くことじゃない。パールが自分で見つけなきゃ)
「パールが自分で!?」
しばし考え、パールは言った。
「翼ちゃん、ピピアさまみたい」
(ピピア…さま?)
「うん。ピピア女神さまもね。ずっと前、パールにそう言ったの。あなたのしたいこと、好きなこと、できること、しなければならないと思うことをしなさいって」
(ふうん…ピピアさまね…)
翼は少し首を傾げた。そしてそこに突如、女性の声が割り込んだ。
(思い出してくれましたか)
急に翼の姿がぼやけ、形を失い、オパール色の光になった。
人の形をしている。髪が長いと思しい。だが、顔はわからぬ。
「ピピア女神さま…」
(こうして出てきましたが、もう私の言うことは何もありません。あなたの大事な人が全て教えてくれました)
「そんなこと仰らずに教えてください」
待ってましたとばかりにパールは食いついた。パールにとってピピアは指標であり、師匠のようなものだ。
「私は何をどうすれぼよいのでしょう」
(あなたは成長しました。もう小さな女の子ではありません。自分で考え、答えを出すことができる大人の女性です)
「そんな…私などまだまだです。いつも皆に助けられてばかり…」
(それでも多くの人々を助けてきたのもあなたですよ。癒しの力を以て)
それは事実だ。でもこの力は得ようと思って努力したものではない。
「…この力は…神様が授けてくださったものですもの。パールは何も…」
(力というものは備えているだけでは発揮できないのですよ。あなたは身の裡に備わった力に糧を与えて己のものとした。使えるようにしたのはあなた自身の力量です。自信を持ちなさい)
「……」
(それから、跳ぶこともできたでしよう?一平の元へ行き、彼を連れ帰った)
なぜ知っているのか、とはパールは訊かなかった。ピピアなら知っているのが当然だというのがパールの常識だ。
「あれは…ピピアさまがお助けしてくださったから…」
(あら。私はそんなことしませんでしたよ。何のことかしら?あなたが自力でしたことを私の力と勘違いされては困りますわね)
「……」
(あなたはもうどこへでも、望む所へ自由に跳べるのですよ)
(一平ちゃん…)
目の前がぱあっと明るくなったような心持ちがした。そしてその光の源にパールの求める人の姿があるのが感じられる。
(どこへなりと、行きたい所へお行きなさい。自由の翼で羽ばたいて。…あ、それともうひとつ。行くのなら、ぜひ青の剣を携えてお行きなさい。きっと、力となりましょう。私の連れ合いからの伝言です)
「はい…」
ピピアの姿は次第に薄くなってゆく。最前の翼の姿と同じだ。
「わかりました。ビビアさま。ありがとうございます。パールは一平ちゃんを助けに行きます。そして必ず、トリトニアに戻って参ります」
決意を新たにしたパールの顔は、今までで一番凛々しく、希望に燃えて美しかった。




