第十五章 魔術
目を血走らせてトリーニ物見処に突入して行ったはずのアンニャンが、いたって呑気に悠然とした様子で建物の外に戻ってくるのを見て、ガラリア軍は作戦が失敗に終わったのを悟った。
突破口では一平の策に嵌ったガラリア兵たちがトリトニア精鋭の強者たちに阻まれて後退を余儀なくされている。戦法を変更せねばトリーニを陥すのは無理と考え、司令官は撤収の命を下した。
トリトニア軍の方も物見処駐留部隊と増援部隊が晴れて合流できたのだ。敢えて追撃はせず、隊の立て直しと再編成を図った。籠城の構えになるが、地上と違って食料には事欠かない。腹を膨れさせる元となる魚たちは悠然と城の中を泳ぎ回っている。その上、命を救われたアンニャンの一部が、恩返しにと思うのか、魚の群れを物見処へ誘導しようと追い回してくれた。これは全く計算外の収穫だった。
その後何度かガラリア軍は物見処をつついてきた。トリトニア軍は防戦一方だが、前述したように籠城戦で一番不利になる食料は問題にならない上、パールがいるために負傷者の数も減りこそすれ、増えることはなかった。
ガラリアはとにかくトリーニを陥としたいのだが、戦況は一進一退を繰り返し、捗々しくなかった。
城を陥すのに一番良い方法は何といっても主要部隊の留守を狙うことだ。他の場所で大掛かりな戦闘を起こして兵を引きつけ、警備が手薄になったところを背後から突く。それが常道だったし効果的だ。だがトリーニはあまりにもガラリアに近すぎた。他で戦闘を起こそうと思っても、そこまで辿り着くためにはトリーニを通り越して行かなければならない。大部隊が素通りして行くのはあまりにも不自然であり、敵に本意を悟らせることに繋がりかねない。
ガラティスは頭を抱えていた。
そして行き着く先は神頼み―魔術―なのであった。
「いかがいたしましょう、陛下」
魔術省長官のドメスがガラティスの顔色を窺いつつ口を開いた。
「仕方がない。今更トリトニアを諦めるわけにはゆかぬ。ガラ神にお縋りしよう」
ガラティスがそう言うであろうことは容易に想像がついたが、ドメスは一も二もなく仰せのままに、とは言えなかった。
ガラ神に縋るということは魔術を使うということ。即ちガラ神と契約を交わすということだ。依頼者にとって大切な何かを代償として引き換えに渡すのだ。望みが大きくなればなるほど、失うものは大きくなる。
その仲介役をするのが魔術師の本来の役目であった。中でも一番力がある者が魔術省長官の椅子に座ることができる。当然のことながらドメスはガラリア一の魔術の使い手であるということだ。だが、普段はドメスは長官としての仕事にかまけていて滅多なことでは他からの魔術の依頼を受けたりはしない。直参で仕えるガラティス王の用命さえ、専ら例の魔術師が請け負っていた。
今まではそれでよかったが今回は戦である。総指揮を執らなければならない立場にある。そして何より戦果を挙げなければなならないのだ。
国力の充実しているトリトニアに普通の方法で勝つことが難しいことは端からわかっていた。それを敢えてこのような強硬手段に出たのはドメスの本意ではない。ガラティスの意向だ。
ガラリアは貧しい国。国土の資源の乏しさ故と言われているが、それだけではない。頂点に立つ者の施策の影響が大きいのだ。国王であるガラティスが白と言ったら白、黒と言ったら黒であり、誰が見ても黒いものをガラティスが白と言えばそれは白なのである。
ガラリアという国が貧しいのを国土の貧弱さのせいにして、民の生活を向上させる策にろくに力を入れないできた代々のガラリア王の施策に何の疑問も抱かず、困ったことには魔術を当てにすることに慣れきっているガラティスは、もちろん自らを顧みることの極めて少ない、国主としては最低の性質の持ち主であったのだ。
その王に仕える重臣たちも推して知るべし、王宮内の官僚どもは腐敗しきっていたと言っても過言ではなかった。
ガラティスは、自分の嗜好、欲望を強引に優先させる。それを実践するために官僚たちは部下に無理を強いる。部下は止むを得ず下々の者たちから過重な搾取をする。国が潤うはずもなかった。
魔術でできることには限度がある。まず第一に代償を支払わなければならないことだ。下々の者たちは金もないため、それぞれ大事なものを手放して望みを叶えてきたが、ガラティスに限ってそれはない。報酬を与えて代行者に代償となるものを肩代わりさせるのだ。自分の腹が痛くなることも自分の手を汚すこともないわけである。
時にそれは代行者ではなく仲介となる魔術師が行わなければならないこともある。
かの女魔術師レオノーラは何度もガラティスの代行をしてきた。容姿が悪いのもそのせいである。若かりし頃は人並み程度には整っていたのだ。尤も、出世のために代償の肩代わりを申し出たのは彼女自身の方からであったが。
ドメスはそれを懼れていた。
今度こそ自分にお鉢が回ってくる。
財力も伝も何もないが野心だけはあるレオノーラを見出し、彼女の持つ力でガラティスに奉公してみないかと持ち掛けたのは誰あろうドメスその人であった。
ドメス自身は、育った環境の影響も大きいのだろうが、生まれながらにして魔術と相性がよく、とんとん拍子に力を身につけたので、さしたる苦労もなしに今の地位まで上り詰めている。
ガラティスとは年も近く、その性質を若い頃から目の当たりに見てもいる。いずれは国王になるはずの男とどう付き合えば自分が損な役回りにならないですむかを常に考えて行動してきたのだ。
そんな時出会ったのがレオノーラだった。そして出世していい暮らしがしたいレオノーラを言いくるめ、ガラティスお抱えの魔術師として、本来なら自分がするべきガラティスの魔術の代行をさせて隠れ蓑としてきたのである。
そして実際にガラ神と交わす契約がどのようなものなのかも実際にこの目で見てきている。ガラティスの代行をする度にレオノーラが若さを失い、美しさを失い、輩を失ってゆく様を。おそらく今度ガラティスの必要とする魔力の代価はとてつもなく大きいだろう。それをこの自分が支払うことになるのではないかという絶望的な不安がドメスの心に襲いかかっていた。
そんな心を見透かした上で面白がってでもいるようにガラティスは言った。
「のう、ドメスよ。どのような攻撃が一番効果的であろうか」
「効果的…でございますか。どこに重点を置くかが問題になりますが、陛下の仰りたいのはトリーニの殲滅でしょうか。それとも一挙にトリリトンを攻略できるような圧倒的な手を求めておられるのか…。それによって代価は大きく変わってまいります。出し惜しみをお勧めするわけではありませんが、目的に見合った願い事でないと結果的にぼったくられることになりますので」
わが身に直に関わってくることなので慎重にならざるを得ない。
「何を的外れなことを。もっと小さなことでよいのだ。パールティア姫さえ手に入れればトリトニアなど赤子同然ではないか」
「では姫を拉致できればよろしいので?」
少し胸を撫で下ろしながらドメスは確認する。
「今までと同じ手ではだめだぞ。手の内を知られているからな。あの守人めが同じ手に引っ掛かるはずがないわ」
「左様でございますな。閉じた空間を使って魔術師を送り込んだとして、見つからないという保証はないのですからな。もしあやつに発見されれば手向かうだけ無駄というもの。見つかっはたとしても向こうが手も足も出ないような脅威を見せつけなければなりません」
しばし考え、ドメスは言った。
「自然の力を借りるしかないでしょうな。嵐や雷、急流、竜巻…そうですな、大渦でいきましょう。物見処に直接突入して姫を吸い上げ、ここへ戻ってもらうのです」
それはいい考え、とガラティスもポンと手を叩いた。
そのくらいなら命までは取られまい。どんな代価を求められるか交信してみないとわからないが。
「ドメス。わかっておるな。この依頼はおぬしからのものだ。レオノーラはもう使い物にならん。もうすでに女ですらないのだからな」
ガラティスとレオノーラは肉体関係もあったはずだった。それをもう女でない、と言うことは、代価として生殖能力をも支払ってしまったのだ。曲がりなりにも女性が女性であるためにとても大切なもののはずだが、一体どれほどの要求を、レオノーラに対して突きつけ続けてきたのだろう。それを考えるとやはり恐ろしい。一歩間違えば自分もあの女の二の舞になる。その前になんとかしなければならなかった。
「早速交信に入りたいと思います。お人払いを願わしゅう。恐れ入りますが陛下もしばしの間ご遠慮くださいますよう」
ガラ神との契約は一対一でのみなされるのだ。ドメスはガラティスの居室からそう遠くない小部屋に一人入って行った。
やがて退室してきたドメスはとても大儀そうであった。
「首尾は?」
ガラティスが尋ねる。
「ご安心くださりませ。私の発声により発動する運びとなりました」
「ふむふむ。…で?どんな代価を支払ったのだ?」
「陛下…。自然の力を借りるのは代価が途方もなく高いのです。ガラ神は私に魔力の返還を要求してきました」
「な…なんだと?」
ガラティスは目を剥いた。
「前払い分として私の魔術の力の半分を吸い取られました。生気を抜かれたような感じでふらついておりますのはそのような理由によるものです。申し訳ございません」
「お… おぬしの魔力がなくなったらわしはどうすればよいのじゃ。残りの魔力は?いつ奪われる?」
「依頼が発動された時です。大渦が発生すればその時はもう私は魔術師ではございません」
「何ということだ…」
ガラティスは天を仰いだ。
「甚だ無念ではございますが、魔力がなくなった時点で私はお暇を頂戴することになります。この後は…誰か然るべき人物に引き継ぎたいとは存じますが何分…」
ドメスが魔術師でなくなればガラティスには大きな損失だ。魔術省長官の席も穴埋めしなければならない。ガラリアは資源も乏しいが有能な人材にも困窮していたのだった。
「それは困る。…それは困るぞ。おぬしがおらんでは話がややこしくなる。…撤回はできないのか?大渦の件は白紙に戻してくれるようガラ神にお頼みして…」
「…それは不可能にございます。ガラ神は厳しく狷介なお方。一度実行したこと、口にしたこと、約束したことは枉げませぬ。それに万が一撤回できたとしても、すでに奪われた魔力は違約料としてあちらの手に残ります。私の元に戻ることはありません」
「ではその万が一に賭けてみよう。奪われたものは戻らなくても、まだ半分残っている。…な?」
「…試みてはみますが…多分無理でしょう」
消極的な姿勢のドメスにガラティスは言い募る。
「おぬしはそれでよいのか?せっかく身に付けた魔力を全て失って、今の地位までなくすのだぞ。長官だって…おぬし以外の誰に勤まる?」
そこまで説得すると、ガラティスの脳裏にある考えが過った。
「ン?…別によいか。魔力のないことなど黙っておればよい。そのまま長官職を続けるのだ。その方がわしも助かる」
ドメスが思わずガラティスの顔を直視した。
「そうじゃそうじゃ、そうしよう。おぬしは今まで通り魔術省長官だ。どうせ今までだって、魔術は殆ど必要ではなかった。そして尚且つガラ神はわしの依頼を聞き届け、パールティア姫を大渦で攫ってくる、と。何も問題はない。めでたしめでたしじゃ」
「……」
奈落の底に突き落とされたところを救い上げられて戸惑う態のドメスだが、その実心の中では笑いを堪えるのに苦労していた。
(こんなにうまくいくとは…。魔力を失うのは痛かったが、なに、今後代行者を務めさせられることを考えればいかほどのものか。おまけに長官職まで手元に残るのなら万々歳だ)
ドメスは自然の力を依頼することが大きな代価を必要とすることを知っていた。自分にとって大きな代価が何なのかは今までの経験上予想がついた。
それが魔力なのなら…魔力さえなくなればガラティスの契約の仲介に関与することはなくなる。地位は失っても今までいい思いをして蓄えた分はこの先暮らしてゆくのに十分なものになっている。
加えてガラティスは心から忠誠を捧げるに足る主君ではない。ここらで第一線から退いてのんびり隠居生活もいいかと考えた上での決断だった。
だが、そう言われると長官職にも未練が残る。一方的ではあったが、おいしい話を足蹴にするほどの実直さも、権威に敢えて逆らう肝の太さも、ドメスには備わっていなかった。
結局ドメスはガラティスの言うがままに契約の発動の言葉を口にしたのだった。




