第十四章 秘宝
オスカーの派遣した五個中隊と合流した一平は、トリーニの物見処から五十アリエル南のプーアルの森陰に陣取っていた。
物見処は既にガラリア軍によって四囲を囲まれ、蟻の這い出る隙間もないほどの兵が配置されていた。
いや、よくよく見れば配置されているのは兵士ばかりではない。黒いフードつきのマントを被った魔術師と思しき人間が所々に見えるし、亀ほどの大きさの生き物が群れを成している。
斥候を出して調べたところ、生き物はアンニャンという妖物だということがわかった。ガラリアの森に多い、比較的おとなしい害の少ない妖物だ。天敵に襲われて窮地に陥れば歯を剥き出して逆襲ぐらいはするが、歯の鋭い割に肉食ではない。地上で言うならウサギのような生き物だった。流線型だが幾分ぽってりとしていて、金魚のように派手な尾と鰭を持っている。
(なぜあんな妖物を?)
イルカのように騎乗に適しているわけでもない。荷運びにも使えないし、戦の役にはおよそ立ちそうもない。愛玩用にはいいかもしれないが、それこそこの場には不似合いなことこの上ない。
(…!!…)
似たような感想を抱いたことがあることに気づいて一平はハッとなった。
―チラコッタ…―
かの妖物もそうだった。
家畜化を検討されているほどのおとなしい妖物が突然凶暴化してキルアの人々を襲ったのは一年ほど前のことだ。癒しの姫を誘き寄せるためにレレスクが講じた策略に使われたのだ。バラカスという薬剤を投与され、暴走したチラコッタは、人も家も別なく傷つけ、壊した挙句、中毒症状を起こして集団死した。
(まさか…)
一平は同じような事態を思い描いて身を震わせた。
確かにレレスクもガラリアもトリトニアに対しよい感情を持っていない。それは今に始まったことではないが、一平にはふと思い浮かんだ光景があった。
先だって訪問したテトラーダの皇女エメロード姫の誕生祝いの席でのことだ。諸国からさまざまな人間がテトラーダを訪れていて、その中に勿論ガラリアとレレスクからの使者の姿もあった。ガラリアからは魔術省長官、レレスクからは第五王子のシャロムがやってきていた。二人とも遠国であることや事情が落ち着いていないことを理由に早々に引き上げて行ったが、宴の間やけに親密に話し込んでいたと記憶している。そのことを一平は思い出したのだ。
双方ともに隣国であり、気候風土など似通ったところの多い間柄である。昔からの誼みもあろう。交易もあろう。その時はそう思い、深く勘ぐりはしなかったが、今にして思えばこういうことを考え、何らかの手配を実行していたのかもしれなかった。
バラカスはレレスクの産物のひとつであり、それを調達すればおとなしいアンニャンを武器として利用することができる。
他に考えようはなかった。
そしてその考えが的を射ていることは間もなく明らかになった。
一平たちの見ている前で、アンニャンが物見処へ向かって移動を始めたのである。
「いかん…!!」
一平はエルシーを通じ、物見処のピアソラ長官に急ぎこの考えを伝えた。
が、ピアソラから末端の部下にまで警戒の指示が行き渡るよりもアンニャンの群れが窓から中へ入り込む方が早かった。
物見処の人々にとってアンニャンは見慣れた妖物である。普段は害のない生き物であるし、邪魔になるほど大きいというものでもない。ぽってりした腹とひらひらした鰭を動かして泳ぐ様はかわいくもある。窓から侵入したとて、騒ぎ立てるような代物ではないのだ。当然、兵たちは何の危機感も抱かずにアンニャンの侵入を許した。それが間違いの元だとも気づかずに。
兵たちは思いもかけぬ闖入者に不意打ちを喰らって次々と戦闘不能になっていった。
目の前で殺戮が行われようとしているのに手を拱いて見ているわけにはいかない。一平は迷わず援護部隊を出した。
数的にはトリトニア側の方が圧倒的に不利だが、幸いなことにガラリア軍は物見処をぐるりと一列に包囲している。即ち防衛戦に厚みがないのだ。一枚岩のようになってはいるが、横方向からの攻撃には弱い。
一平はそこを突いた。
物見処のぐるりの中から、森に接しているために平地が狭くなっている場所を選び、そこに自軍の兵を集結させたのだ。
街中で多勢に無勢の戦闘になった時、戦いを有利に運ぶために狭い路地に誘い込み、一人ずつ片付ける、という戦法がある。それを応用しようというのだ。
一平はトリーニには何度か足を運んでいる。物見処の周辺にもある程度は通じていた。その知識と経験を活かし、ガラリア軍の兵士を一人ずつ片付けていった。
個々の実力ならばトリトニア軍はガラリア軍を凌いでいる。この戦法ならば人数の不利を有利に運ぶことができる。
果たして目論見は当たった。トリトニア軍はじりじりとその本隊を物見処内部に躍り込ませていった。その様子はさながら軍隊アリの大群が自分たちの身体を繋いで橋を作り、水面を渡る姿のようだった。
物見処内部に入れば入ったで凄惨な状況を目の当たりにすることになった。
アンニャンは誰彼構わずその牙を剥き、流血沙汰を引き起こしていた。
その様子を一目見るや、パールは顔色を変えた。あまつさえ、アンニャンはパール本人にも牙を向けてきて、パールに黄色い声を上げさせた。だが、パールがアンニャンの犠牲になるのを一平が黙って見ているわけもなかった。一平はこの惨状をさえ、パールには見せたくなかったのだ。素早くパールを庇い、見るなと叫んでパールの顔をその胸に抱え込んだ。
向かってきたアンニャンを一刀の元に切り伏せたのは側近に控えるナシアスだった。一平が剣を抜くまでもない。凶暴化しているとは言え、単純な動きのアンニャンはナシアスの敵ではなかった。
アンニャンが切り伏せられた瞬間、パールは何かに衝撃を受けたかのようにビクッとし、面を上げた。一平の見るなという制止を耳に刻みつけてはいたが、それを上回る叫びを聞いたパールは居ても立ってもいられない、といった風情をしていた。パールは恐る恐る振り返って自分の肩と一平の腕越しにナシアスの足元を見た。
そこには無惨に切り裂かれたアンニャンの死骸が漂っていた。胴体の真ん中から夥しい量の血が流れ出し、血走った白目を剥いている。
パールの耳にした叫び声は、このアンニャンが切り伏せられる直前に発したものだった。
一般的に海人たちが妖物の言語を理解することはまずない。イルカやクジラなど身体の大きな海獣たちとは話を通じ合わせることができるが、小さな魚たち及び妖物たちの言葉は余程の能力を備えていない限り理解するのは難しい。中にはそういう能力を有した者も存在していて、修錬所の研究機関などで実務に役立てているが、日常生活ではあまり必要がないしなじみも少ない。
パールはその稀有な能力の持ち主だった。軍で使役される連絡用のリーフィーシードラゴンの言いたいことすら理解できるのだ。それに比べれば格段と大きな身体のアンニャンのこと、パールが意思を読み取るのは造作もない。
アンニャンは苦しんでいたのだ。薬を投与され、自分の意思ではどうしようもなく暴れたがる身体を、動きの自由を束縛される苦痛を、彼らは苦しい息の下で表現していたのだった。
(ああっ…)
(何てこと…この子たちは…自分がしたくてこんなことをしているのではないのに…)
(ああ、あっちでも…)
連絡が行き届くようになり、兵たちが冷静に対処できるようになってくると、さして機敏でもないアンニャンの形勢は不利だった。そこかしこで成敗されるアンニャンの数が増えてきていたのだ。
「だめよ…だめ…」
一平の胸元からパールのか細い声がする。
「…殺してはだめ…この子たちは悪くない…」
はっと一平はパールを見下ろす。
そう。パールがそう考えるのは当然だ。だからこそ一平はパールにこの惨状を見せたくなかったのかもしれない。こうなった場合、彼女の思考の行き着く先は…。
パールがいきなり動いた。一平の手を振り払い、戦闘に真向かう。
両手を組んで高みに差し上げ、再び胸元に下ろして瞑目する。
その身体が荘厳な静けさに包まれ、淡く輝きを帯びてくる。
こうなってはもう一平にも手出しはできない。やめろと止めることはパールの意志を侵害することになり、不可能である。言って聞くような娘ではない。他者の生命の危機に関しては。
ほどもなくその愛らしい唇から清らかな歌声が溢れ始めた。
歌詞はわからない。少なくともトリトニア語ではない。スキャットとも違う。アンニャン語なのではないかとふと一平は思った。
初めは手探りだったのか小さな音量だったが、次第に声は幾重にも重なり合うように響きを重ねてゆく。まるで聖堂の大伽藍の中で歌を歌っているかのようだ。歌声は物見処中を吹き荒れる風が出口を求めて吹き抜ける炎のように流れて行った。
その先にいるアンニャンの傷を癒やし、凶暴性を解除し、怪我を負ったトリトニア軍の兵士たちをも徐々に回復させていった。
(これは…)
誰よりも多くパールの癒しの力をその身に受けてきたであろう一平にして驚愕を隠せないほどの衝撃だった。
パールの癒しの力は確実に強くなっている。
以前はこれほどではなかった。
みるみるうちに傷が塞がってゆくことや今までの痛みや苦しみが嘘のように退いてゆくことはもう珍しくもなかったが、今までのパールは一人、若しくは一体ずつの対応しかしなかった。そばにいる者に力が波及して眠りを誘ったり、ついでに癒されたりすることがなくもなかったが、基本的にはまず目の前の患者に集中していた。
今のパールはそこら中にいるアンニャンと傷ついた兵全てを一度に治そうとしている。
いつからこのような力を備え、発揮できるようになっていたのだろう。パール本人にはわかっているのだろうか。
―人々を遍く癒さんとす―
不意にザザの言葉が蘇った。
(なんだって?)
一平は自分の考えに自問する。
その伝説を聞いた時にはパール本人にそんな力はありはしなかった。何よりそのような体力もあるはずがなかった。
だが…。
目の前のこの現象は、あの伝説を裏打ちする。規模はどうあれ、パール自身の方向性が、あの伝説を示している。
(そんな…)
できることなら、そのような大役は押し付けてほしくなかった。甚だ未熟者に思える自分自身にもだが、パールには荷が重すぎる。ムラーラの時のような心臓の縮み上がるような思いはもう御免だった。
だが、妙に腑に落ちたこともある。
―秘宝によりて―
『秘宝』とは、財宝ではない。パールの癒しの力だ。
ガラティスはあの伝説から『秘宝』を得ようと画策していた。初めは金銀財宝だと考えていたらしいが、今ではパールの持つ破壊の力を得ようと考えている。
だが違う。
『秘宝』とは癒しの力だ。
『破壊の力』では人々を癒すことはできない。
「パール…」
一平は戦闘中だということも忘れ、一心に祈り続けるパールを見つめ続けていた。




