第十章 宣戦布告
ガラリアとトリトニアのいざこざはいっかな収まる気配を見せなかった。
窃盗事件から始まって大小の喧嘩、取り引きのトラブルから果ては隊商の襲撃事件まで、ありとあらゆる問題が起きつつあった。その度、警察の役割を担う軍隊が駆り出され、あちこちで軋轢を生んでいた。
主に問題を吹っかけてくるのはガラリアの方であり、トリトニアの人々は堅実で謹厳であるだけに無法を許せず、目を瞑って水に流すことができないので諍いは大きくなるばかりだ。
国の成り立ちや政策に問題があるのだとしても、それだけで人々がこぞって道を踏み外すような行為に駆られると考えるのは少々無理がある。原因の一端は他にもあった。
度重なる群発地震がガラリアの人々の不安を煽っているのである。
トリトニアにもガラリアとの国境にクレイ山という火山がある。だがひとたびクレイ山を越えれば総じて平野状に地形が広がっている。それに比べ、ガラリアの国土は山が多い。それも火山が。いつ、どこで海底火山か噴火し、災害に巻き込まれるかわからないのだ。過去ずっとこの地で、この海で暮らしてはいても、このように噴火の前触れとも言える地震が活発化したことは絶えて久しかった。
ところが昨今の状況は誰もがドキッとするような大きめの地震に加えて、身体に感じるか感じないかの微かな揺れまで日に何度も起こっているのである。
そのような状況で生活や身の安全に不安を感じずにいられるわけがなく、家財をまとめて密かに他国へ亡命しようと計画し、実行する者が増えてきているのだ。
ガラリアは他国への移住を認めていない閉鎖的な国である。よしんばガラリアの人民に同情してトリトニアの人民が住処を提供したり匿ったりしても、見つかれば命はない。せっかくの親切が仇となって跳ね返ってくるのである。
そうしてついに、正義感からガラリア人を庇って抵抗したトリトニア人が、ガラリアの逃亡者共々ガラリア兵に殺されてしまった。
このような暴挙が許せるはずもなく、犠牲者を出したトリーニの村人たちは一致団結してガラリア兵を血祭りに挙げてしまったのである。
戦端は開かれた。
もはやガラリアの怒りと暴挙を止める術は残っていない。
ガラリアは宣戦布告をしてきた。
魔王ガラティスの名に於いて。
「魔王だって?」
オスカーから事の次第を聞かされて一平は鼻白んだ。
「左様。ガラティスは『ガラリアの魔王ガラティス』と名乗ってきおった」
「それは一体どういう…」
ガラリアは魔術の国だ。その途方もない恐ろしさは少しだが実感している。何をしでかしてもおかしくない。
「魔術を身につけた王、ということなのでしょうか。オレがガラリアに行った時、確かに魔術師らしき黒フードの人間を見かけましたが、ガラティス自身は自ら魔術を嗜むようには見えませんでした」
「おそらく、ガラ神を味方につけた、という意味だろうな」
「ガラ神、ですか?魔術を行う時に彼らが崇めると言う⁉︎」
「崇めるだけではない。彼らは契約を交わすのだ。自分の望みを叶えてもらう代わりに代価を支払う。望みに見合うだけの代価を支払えば、どんなことでも叶うそうだ」
にしては、ガラリアはいろいろなことに不自由している。そういうことになぜ魔術を使わないのだろうと、一平は不可解だ。
ウート老が判じた。
「一口に代価と言っても、難しいのだろう。何しろ相手は神だ。金品を差し出したとても嬉しくもなんともないはずじゃ」
「では一体何を?」
「心…じゃろうな。あるいは身体の一部。その機能。または身近な者の命とか…」
「なんですって?」
身近なものの命、と聞いでまず一平の頭に浮かんだのはわが子の命を差し出す、ということだった。そんな惨いことが許されるものなのか?と、眉間に深く皺を寄せた。
「わしの調べでは、手っ取り早いものなら霊力が宿ると言われる毛髪を捧げる、大事にしているものを自ら壊して見せる、ある人との関わりを断つ、または逆に得体の知れない生き物を育てることを受け入れる、などだが、高度なものになると指を一本切断する、視力を失う、記憶を手放すなど、そう簡単に決心できるものではなくなってくるようじゃ」
「……」
あまりのことに一平にも言葉がない。
「そしてその望みが実行され、ガラ神に代価を払うと、なんらかの自然現象が起こるらしい。それが代価を受け取った証なのだという」
「では魔術師というのは…」
「それらの仲立ちをする者のことじゃな。適性がなければ務まらぬが、最終的にはガラ神と通じる力も代価を払って得るものらしい」
一平はガラティスとの会見を思い出していた。
「ガラリアは…いろいろなことに魔術を応用して食い繋いでいるとガラティスは言っていました。その言葉から察するところ、ガラリア国内には至る所で魔術が蔓延していると思われますが、皆、そのような代価を支払ってまでガラ神を頼らねばならないほど、ガラリアは逼迫しているのでしょうか。本当に、皆、そんな代価を支払っているのでしょうか」
一平には疑問だ。ごく一部の人間ならともかく、日常茶飯に行われているとは到底思えない。だがオスカーは言った。
「我々はトリトニアの民だ。ガラリアの人民の心も苦しみも簡単には理解することはできまいよ。気候も暮らしも、隣国とはいえあまりにも違う。ポセイドニアを作った神はどうしてこうまで差のある国を作られたのだろうな…」
ポセイドニアを作った神…海人たちはそれをポセイドンと呼んでいる。ポセイドンの十人の子どもたちがそれぞれの国の守護を仰せつかり、国主をして治めさせているのだという。
第一子モノトーンがモノリスを、第二子ジンがジーを、第三子トリトンがトリトニアを…というように。ガラリアのガラは末っ子の第十子であった。
末子であるから一番最後に残った区域を与えられた、という説、かわいいかわいいと甘やかされて育ち、あまりにもわがままだったので、敢えて厳しい地を与えて成長を促そうとしたのだという説、また、単にポセイドンはどのような地が海人の暮らしに最適なのかを調べるために様々な環境の国を用意して実験し、たまたまガラが厳しい地を引き当てたのだという説、と諸説ある。
だが、今それをしのごの言っても始まらない。国は既に成り立ち、歴史を刻んでいる。事件は起こり、戦端は開かれた。いくらトリトニアが戦をしたくないと思っても、戦線を布告されれば受けて立たないわけにはいかない。
「ガラティスは…一体何を犠牲にして代価を支払ったのでしょう。奴の目的は一体…」
「一平どのが会った時にはトリトニアの秘宝が欲しいと抜かしおったのだったな」
「はい。その在処を突き止めるためにパールの額の徴を狙ったのです」
「そのようなもの、どこにもありはせぬのにな…」
「オレもそう言いましたが、聞く耳を持たぬというか…信じてもらえませんでした」
「ない袖は振れぬ。ガラ神とて、ありもしないものを与えることはできぬだろう。しからば、何か別の理由があるのだろうな」
オスカーにも図りかねるものがあるのか、しばし考え込んだ。
「探るのは難しいが十分注意せねばならん。トリーニでは既に人死にが出ているのだ。とにかく騒動を収めねば」
「申し上げます!」
男の声が割って入った。中将のユリアンだ。三人の会談している主宮の国王執務室の扉の外から、緊迫感を 含んだ厳しい声が降りかかった。
「何事だ?」
その声を部下の一声と判じ、一平が応える。一瞬オスカーを振り返り目で許可を取ってから、入れと招じ入れた。
「只今トリーニより伝令が参りました。これへ…」
ユリアンは後ろに控えていた兵を前へと促す。
「トリーニ物見処より馳せ参じました。ピアソラ長官の部下のカルーと申します。一平どの及び陛下に急ぎお伝えせよとのことでございます」
「申せ」
「はっ」
伝令のカルーは片膝をついた姿勢のまま一礼して続けた。
「トリーニ物見処がガラリア兵に取り囲まれました。現在物見処は籠城状態になっており、一触即発の危機に見舞われております」
「何⁉︎」
戦線を布告してきたからには予測できない展開ではない。だが、まだこちらはその報せを受け取ったばかり。言わずもがなとは言え、受けて立つという返答を返すまでには至っていなかった。これはガラリアの立派な不意打ちである。
「…さもあろうよ…」
呟いたオスカーの言葉はまるで他人事だ。
だが、これが彼が危機に陥った時のいつもの反応だった。
「陛下!」
オスカーの態度を詰るように声を上げた一平だったが、すぐに思い直して続く言葉を飲み込んだ。
思えばパールがレレスクに攫われた時もガラリアに拉致された時もそうだった。なぜ、あのように愛してやまない娘の救出に制動をかけるのかともどかしくも疑わしく思ったものだ。
悔しそうに臍を噛む一平に宥めるような眼差しを向け、若さゆえの血の逸りを羨ましく思いながらオスカーは言った。
「落ち着け。まだ取り囲まれただけだ。手立てはまだある」
オスカーの言う通りだ。たがあまりにも無法にすぎる。
「まずは向こうの要求通りこちらも謝罪を入れなければならない」
ガラリアは宣戦布告の理由として以下のように言って来たのである。
―先般貴国の住人がわが国の役人を襲撃、死に至らしめた件につき謝罪を求める。わが国の役人は忠実に咎人を取り締まったに過ぎない。不幸にも貴国にも死者がでたが、これは犯罪人と知りながらそれに加担し、公務執行の妨害を行った際の正当防衛で、不可抗力であり、当方に落ち度はなかったものと判断する。
この要求が受理されない場合はわがガラリアはトリトニアに宣戦を布告する。
開戦を回避する術はただ一つ、貴国の青の剣の守人夫妻がわが国に赴き、謝罪の言葉を述べると同時に損害賠償を支払うことである。但し、この場合で言う損害賠償とは金品ではなく、ガラリアに必要な力をトリトニアが提供することである。 それについては追って沙汰をする。まずは謝罪の使者をわか国に差し向けられたい―
「トリーニの人々がしてしまったことは明らかにこちらにも非がある。いかに人道的な見地から見て正しいことから始まったとしても、役人をよってたかって懲らしめ、死に至らしめたことは行き過ぎであり、罪状がついて然るべきものだ。トリトニアからの謝罪は絶対条件だ。ガラリアの言う正当防衛と不可抗力という表現には承服しかねるものがあるが、公務の執行を妨害したことには変わりない。トリトニアはガラリアに謝罪しなければならない」
オスカーはあくまで冷静に客観的に状況を判断できる人だと、一平は改めて感じ入った。
「しかし、なぜそれが青の剣の守人とその連れ合いでなければなりませんのか」
オスカーの判断をさもあれかしと聞いていたウート老だったが、その要求だけは承服できずに拳を握りしめた。
「…ガラティスは…オレたち…特にパールを手元に引き寄せたいのだ」
一平にはわかっていた。これは口実に過ぎない。開戦の理由ははっきり言ってどうでもいい。ガラティスはパールをガラリアに呼び寄せられればなんでもよかったのだ。ひょっとしたらこの事件も巧妙に仕掛けられたもので、いわばでっちあげられたものなのかもしれなかった。
(あのやろう…)
シェリトリに一服盛られた件も、囮にされたサクサ老人は見事に何も知らなかった。そういう策を弄するのはガラリアのお家芸なのかもしれないと一平は思った。
「取り敢えず、謝罪をする意思があるという事を下の者に伝えに向かわせてはどうでしょう。賠償の中身を打診してからこちらの出方を決めては…」
ウート老もパールをガラリアへやりたくないのか、些か消極的に地道な案を申し出た。
「いや。それは無意味だろう。そのような使者を出したとしても無事に帰ってくるとは思えんよ。謝罪の使者は一平どのとパール、それ以外は受け付けぬ、という無言の圧力が今回の物見処攻めなのだから」
「……」
いわばトリーニ物見処は一平たちを誘き寄せるための人質というわけだ。
「一平どの…」
どうする?とオスカーが目で問う。
「トリーニの人々を見殺しにするわけにはいきません。オレはどんなことでもします。あのガラティスに頭を下げることぐらい…どうということはありません」
ガラティスは一平の妻を手籠にしかけた男だ。二度と顔を見たくはないだろうし、頭を下げるなど以ての外、というのが普通の感覚だ。だが一平はトリトニアの武の守り、その頂点に立つ位置にいる。個人的な恨みやプライドにかかずらわっていては務まるものも務まらない。
「だかパールは…パールは同行するわけにはいきません。ガラティスはパールの額の徴が見たいのです。そのためならどんなに汚いことでもする。そんな奴の所へのこのこ出向いて行って、はいどうぞと差し出すわけにはいかないじゃないですか」
その徴はパールひとり手に入れただけでは発現できない。どうあっても一平も必要なのだ。だからこそ、ガラリアは使者に青の剣の守人夫妻を、と指定してきたのである。
それがわかっているから、罠だと確信できるからこそ、熟考する必要があった。
「徴か…。厄介な….。そもそも何の徴だというのだ。秘宝というのは一体何なのだ?」
―勇者によりて、至福へと導かれし時、徴生まれ出で、秘宝によりて人々を遍く癒さんとす―
伝説にはそう謳われている。
一平にエクスタシーを与えられて初めて徴は現れた。そして秘宝が人々を広く癒す手立てになるという。
―癒す―それは既にパールがしている行為だ。老若男女の人々を。請われるままに。体力の許す限り。
だがそれ以上はパールにはできない。虚弱なパールには人々を遍く癒すことなどできない。
そこまで考えて、一平はふと思った。
では…体力不足を克服できれば、パールにはそのような偉業が可能なのだろうか?その手段が秘宝なのだろうか?
だとしてもとても見当がつかない。その考えを口に出して守人の二人に訊いてみても答えは出なかった。
この難問に対し、一体ガラティスはどういう答えを期待しているのか。
やはり『財宝』しかないのだろうか。秘宝イコール財宝とはあまりにも短絡的すぎはしないか?
まさかガラティスがパールの力を癒しとは正反対の破壊の力と考えているとは思いもよらない三人であった。
ともあれガラティスが、秘宝への手がかりはパールの額の徴にあると考えていることは間違いない。
ではいっそのこと、その『徴』をガラリアに与えてしまったらどうだろうかと、ウート老が提案した。
勿論、パールを、引き渡すのではない。一平が見たそのままをガラティスに伝えて情報を開示してしまえばよいのではないかというのである。元々トリトニアには隠したり失ったりする財宝などないのだから、秘宝が世間に知れてしまってもなんら痛手を被るところではない。『秘宝』を探したい者には自由に探させ、この件からトリトニアは一切手を引く旨を明らかにする。そうすれぼパールの徴を付け狙う者はいなくなり、晴れてパールは自由な身へと解放される、と。
「ふむ…」
それは妙案、とオスカーが頷く。
「幸いなことにわがトリトニアは国も落ち着いて経済も安定している。万が一どこかに財宝などというものがあったとしても、喜んで欲しい奴にくれてやろうよ。パールの存在と秤にかけて、より重いと言えるものなどこの世にあろうはずもないからな」
「陛下…」
オスカーの最後の言葉に一平の表情が和らいだ。それは常日頃一平が思い続けていることだったからだ。一平にとってこの世で一番貴重なものはパールそのものなのだから。
「では早速、一平どのに徴の確認をしてもらってですな…」
「ちょ…ちょっと待って下さい」
ウート老に言われたことが何を意味するのかはたと気づいて一平は狼狽えた。早速確認を、だって!?
「あの…それにも少し問題があると思うんです。あの徴は文字とも絵柄とも判別の難しいもので、言葉ではどう表現したらいいかわからないし…」ポセイドニアには文字も絵もないことを失念しながら一平は言っていた。「よしんば伝えることができたとしても、あのガラティスが簡単に信じるかどうか…。オレは既に奴とやり合って敵対心を露わにしています。そんな相手の言うことをまともに信じるような輩とは到底思えません」
「ご心配めさるな。よい方法があるのじゃ」
「?」
ウート老は着衣の襞から何やら不思議なものを取り出した。
「それは?」
それは一見したところ不透明な水晶玉のように見えた。ウートが両の掌の中で転がすと、みるみる形を変え、平たい板のようになった。左の掌に乗せたそれをギュッと握りしめると簡単にひしゃげ、再び開いた掌の上の塊にはウートの指の跡がくっきりと残っていた。
手の細かい皺、指紋の一つ一つまで丁寧に刻まれている。
―まるで粘土だ―
一平は思った。
「練り土か」
オスカーが呟く。
器を作る際に型となる素材らしい。地上にもあるが、焼いて固めなければ水の中では形が不安定になるものしか知らない一平には非常に珍しく映った。地上のものよりずっと肌理が細かくつるつるしているが、溶けて流れたりはしない。
「これで姫の徴の型をとるのじゃ。確かあの徴は痣のようなもので、多少の凹凸があるものと聞いている。これなら紋様も正確に写し取れよう」
なるほど。
「これを…額に押し付けるだけでいいのですか?その後変形したりはしないんですか?」
「わしの所になるべく早く持って来ておくれ。変形防止の処置をする」
念動力を利用して分子の活動を止めるということらしい。
海人たちには様々な能力があり、ウートがこの能力を有していることは少し前から聞き齧っていた。博学なだけではなく現白の剣の守人も多才なのだ。
「だが、徴だけではいかんぞよ。姫の顔全体に覆って顔形を一緒に写し取るのだ。ガラティスは徴そのものは目にしていないだろうが、姫の人相は知っている。同じ盤にその両方があれば信じないわけにはいかないはずじゃ」
それを実行しなければならない一平は頭の中でシュミレーションしてたじろいだ。徴を浮き上がらせた状態で顔を塞げというのだ。デリカシーも何もあったものではない。一体どういう顔をしてやれというのか。
「その…やはり…オレがやるんですよね⁉︎…」
「何をか言わんや。わしにお二人の寝所に忍んでいろと言うのかね?」
「はあ…」
何とも間抜けな質問、間抜けな返事である。
情けない顔で途方に暮れていると、この危急の場にあるまじき気配を感じた。目を上げるとオスカーがこちらを見て複雑な表情で笑いを堪えている。
一平は一気に真っ赤になった。オスカーだけには、この話題に加わってほしくないのだ。ばつが悪いことこの上ない。
それを知ってか知らずか―多分わざとだと一平は踏んだ―オスカーは断を下すべく口を開いた。
「とにかく…力を尽くそう。やれることはやった上で開戦とあれば致し方ない。一平どのにも大きく働いてもらわなければならなくなるぞ」
「鋭意…努力致します」
一平の立場ではそう答えるしかなかった。
会合の後、一平は右宮に戻り、件の任務に取り掛かった。
ガラリアからの使者が着いたのは日暮れ時だったので、流れとしては不自然ではなかった。だが、普段心の赴くままにしていることを任務でしなければならなくなった一平はどこかぎこちなく、流石の鈍感娘のパールでも何か変だなと思うくらいだった。
それでも愛しい妻の身体を抱き締めれば湧き上がるのは熱い想いだけだ。パールの方には何の準備もないわけだから、ごく自然に一平に身を任せて陶酔する。徴が浮かび上がると、用意しておいた練り土を自分の前に広げ、パールの頭を抱え込んで押し付けた。
「?」
急に抱き締められるのは別段不思議ではないが、その感触に違和感があって、パールの心臓は飛び上がった。
「何!?」
思わず顔を上げて一平を見上げる。
申し訳なさそうな顔で困り果てる夫の顔がそこにあった。
「すまん…驚かせて…」
型取った練り土を見せて訳を説明する。
自分の顔が刻印された練り土を見てパールは残念な顔をした。
「パールって…こんな顔してるの…」
型なので凹凸は真逆である。多少不気味な感がするのは否めない。
「これを元にしてもう一度型を取れば生き写しだぞ。もっと綺麗だ。女神もかくやというくらい」
『もっときれい』と言われ、パールは少し恥ずかしそうに微笑んだ。オーバーに言ってくれているのだとしても、嬉しい。一平のことだから思ってもいないことは言わないだろうが、身内の欲目ということもある。
「なんだか変な感じ…」
不思議そうに眺める。
「これをガラティスさまに渡せばパールはもう攫われることはなくなるのね…。よかった…」
確定ではないが、そうあってほしい。
「だって、いつもパールが攫われるせいで一平ちゃんやみんなに迷惑かけちゃうんだもの…。パールが弱いから…何の力もないから…」
「こら」
次第に沈みがちになってきたパールの声に、一平は喝を入れた。ぐいっとパールの顔を上向かせてその瞳と向き合った。
「おまえのせいじゃないから。おまえの言う迷惑など、オレには如何程のものでもない。おまえが弱いのは事実だが、それを補って余りある力がおまえにはあるのだから自分を卑下するな」
「一平ちゃん…」
一平の賛辞は嬉しい。パールが塞ぎ込んでいるといつもこうやって慰めてくれる。元気づけてくれる。嗜めてもくれるし勇気づけてくれる。前向きな気持ちにさせてくれるのだ。
「二度と…どこの誰にも攫わせたりしないから。ガラティスの奴になんか、指一本触らせはしない。遠目にだって、見せてやるもんか」
そう宣言する一平は少し口をひん曲げ、やんちゃな子どものように見えた。何となく学ちゃんに似てる…とパールは思った。そしてパールは、急に一平を抱き締めてあげたくなった。
素直なパールは勿論実行した。自分の二の腕を掴む一平の二の腕に手を添わせ、肩に這い上がって首の後ろに回した。これでは抱き締めると言うより抱きつくという格好だが、体格の差が歴然としているので仕方がない。
「一平ちゃん…大好き…」
そうして、そんなかわいいことを耳元で囁かれて平常心を保てという方が無理な話だった。一平はパールを抱き締め返して口づけた。今度は任務などではない。迸る情熱を邪魔するものなど何もなかった。
そしてまた…パールの額に徴が現れる。一平のことを、心から愛しいと思っただけで…。
状況は少しずつ、変わりつつあった。




