17 夜が明けて 1
頬をペロペロと舐められて目を覚ました。
昨夜はトビが心配で、ずっとそばにいたはずなのだが、いつの間にか寝てしまったらしい。
目を開けると、眼前に三毛猫の顔があった。
「うわっ!」
俺は飛び起きた。
「トビ、お前、出てきたらだめだろ。……えっ、熱は大丈夫なのか?」
トビが、弱々しく、「にゃー」と鳴いた。
だた、昨日までとは明らかに違う。目に力が戻っている。
「そうか。少しは良くなったか」
俺はトビの頭を撫でた。
外は、すでに明るくなっていた。
昨夜の余韻が残る神泉苑へ、朝早くから鴨高生たちが次々と集まってくる。
池の前で、生徒たちを待ちながら、俺は別のことも気にしていた。
天見のことだ。
昨日、学校に戻ってから時に確認したが、天見の母からの連絡はまったくはいっていなかった。
娘が夜になっても帰らなかったというのに、学校にも連絡をしていない。
いつもの勢いなら、すぐにでも問い合わせがありそうなものだ。
……いや。
もしかすると、外には知られたくないのかもしれない。
結局、その後も天見本人からの連絡もなく、朝を迎えた。
片付けに集まる生徒が増え始めた頃だった。
いた。天見の姿が見えた。
俺が声をかけるより先に、天見がこちらへ歩いて来る。少し疲れた顔だった。
あまり血の気もなく、昨日よりずっとやつれて見える。
それでも、表情は柔らかかった。
「先生」
「おう。大丈夫だったか?」
「はい」天見は小さく笑った。
「いっぱい言われましたけど」
「そうか……」
それ以上、俺は聞かなかった。
聞かなくても、だいたい想像はつく。
天見が、少し空を見上げた。
「でも、不思議なんです」
「何が?」
「いつもなら、母さんが怒り出すと、すぐ白黒の世界になっちゃうんです」
「……うん」
「母さんが怒っているのに、私、雨乞いのことを思い出してました」
「雨乞い?」
「竜王様が降りて来たときのこと」
天見は、青い空を見上げた。
「そしたら、白黒じゃなくて……蒼い空色の中に、ずっといられたんです」
俺は、何も言わずに彼女を見ていた。天見が少し笑った。
「なんだか、母さんの言葉が、前ほど怖くなかった」
「そうか」俺も空を見上げた。
「龍神様の力を受け止めたお前だ。人の力ぐらいで、そう簡単に倒れないよな」
「はい!」
天見は半袖シャツの腕を曲げ、ガッツポーズをしてみせた。
「私、ちょっと強くなったかもしれません」
「ちょっとじゃないだろ」
俺たちは笑った。
そこへ、伊山と南條がやって来た。
「おはよう、ソラ」
「昨日は大変だったね」
「二人とも、お疲れさま」
天見も笑顔で二人を迎えた。
俺は、その姿を見て、ようやく胸の奥の緊張がほどけていくのを感じた。
あらゆるものに感謝した。
小町さんにも。龍王さまにも。そして、ここにいる生徒たちにも。
「そうだ、トビのことなんだけどな」
俺が話すと、三人が一斉にこちらを向いた。
「今朝、久しぶりに少しフードを食べたんだ」
「ほんとですか!」
天見の顔がぱっと明るくなる。
「でもな、……元気になった途端、じっとしないんだよ」
「トビらしいね」
「お札のそばでじっとしてろって言っても、すぐ出てくる。仕方ないから、今日はかわいそうだが、バスタブに閉じ込めて来た」
「バスタブ?」
伊山が吹き出す。
「それ、大丈夫ですか?」
「ああ、帰ったら風呂場がどうなってるか、不安だ」
三人が笑った。
そこへ、生徒会の日野と岡崎がやって来た。
「昨日はお疲れさま!」
「先輩たちも、お疲れさまでした」
日野がスマホを見ながら言った。
「ネットのほうは、まだ差があるよ。やっと三十万を超えたところ。これだってすごい数字だからね。
二十万以上の願いを、ちゃんと届けられたんだから」
岡崎が言う。
「それだけでも、やったかいはあったよね」
「はい」天見がうなずいた。
「あと、この一週間以内に、雨が降るかどうかだな」
日野が空を見上げた。雲一つない青空だった。
「大丈夫です」天見が言った。
「きっと降りますよ」
その言葉に、日野が少し驚いた顔をした。
「いつも控えめなソラが、そこまで言い切ってくれると、なんだかすごく頼もしいね」
「えっ、私、そんなに控え目ですか?」
「ああ。そこにいるお友達たちと比べて、って意味だけど」
「何ですか先輩。まるで私が厚かましいみたいじゃないですか」
伊山の言葉に、みんなが吹き出した。
昨日までの緊張が、少しずつほどけていく。
昼には、片付けも掃除も終わった。生徒たちは道具を抱え、それぞれ学校へ戻っていく。
神泉苑には、静けさが戻り始めていた。




