15 十月 甲子社高校 雨乞い 4
「ただいま」
家に帰ったソラが、自分の部屋に向かおうしたときだった。
「ソラ!」母さんの声がした。
声の感じがまずい。ソラは、そっと居間のドアを開けた。
「何してたの。遅いじゃない」母さんが睨んでいる。
「あんた、自分のやること、わかってるの?」
「ごめん。明日の準備が――」
「うるさい、口答えしてるんじゃないよ」
母さんの声が、どんどん大きくなる。
「あんた、誰のおかげで学校行けてると思ってるの?」
ソラは黙った。
「最近、テレビに出られるとかなんとかで、調子に乗ってるよね」
「そんなつもりじゃ――」
「私がこれだけ、あんたのため思って言ってやってるのに!」
母さんの手元にあった雑誌が飛んできた。ソラの足元に落ちる。
「なんであんた一人、浮かれてんのよ!」
その瞬間だった。
ソラの頭の中が、突然暗くなった。黒い土砂降りが降り始めた。
轟音がする。
視界から色が失われていく。世界がモノトーンになる。光がどんどん消えていく。
黒い闇が、周囲からじわじわと迫ってくる。
息が苦しい。吸えない。
だめ。息ができない。
耳がキーンという音の向こうで、母さんの声が響いている。
「あんた、聞いてるの?」
「……」
「ほんと、腹たつ!」
何かが頭に当たった。
ボンッ! と鈍い衝撃。だが、それがなんだったのか、もうわからなかった。
「あんた、あんな学校、やめてしまえって、ずっと言ってるだろ!」
その言葉だけが、はっきりと聞こええた。
「もう限界だわ」母さんの声が続く。
「明日、学校辞めますって言って、書類でも何でももらってきなさい」
「……」
「あんなくだらないとこ、もう行く必要なんてないから」
ソラの心臓が、大きく跳ねた。
「絶対に行かせないからね」
学校をやめる。その言葉が深く胸に突き刺さった。
――私の何がいけなかったんだろ。
――どうしたら良かったんだろ。
八月。対抗戦の前から、母さんは「学校をやめさせる」と言うにようになった。
それが今のソラにとって一番辛い。それがわかってて言っている。
だから、何とか嵐が過ぎるのを待っていた。
いつか終わる。そう思っていた。
でも――
――もう、それも無理なの?
――どうしたらいいの? どうしたら良かったの?
ソラの中から、真っ赤な血が流れ出した。どこまでも黒い穴へ吸い込まれていく。
いつもそうだ。
誰も助けてくれない。
誰も――、誰も――
そのとき。ソラの頭の中に、泉さんの声が響いた。
美紅の顔が浮かんだ。朱莉の顔も。葉山先生。トビ。パン。
そして、花山先生の言葉。
『あなたは、どうしたいの?』
ソラの中で、何かが小さく震えた。
…………気がつくと、ソラは玄関を飛び出していた。
夜の道を走っていた。
行先なんて、決めていない。
ただ、ここから離れたかった。
走る。
走りながら、声にならないものが喉の奥からこみ上げてくる。
「……うっ」
えずく。涙が出る。
それでも走る。
これまで、逃げだすなんてしたことなかった。
だから、一度止まったら、もう二度と動けなくなる気がした。
一生動けなくなる。そんな気がして、ソラは夜を走り続けた。
どこへ行けばいいのかもわからないまま。
ただ――
ここではないどこかへ。
必死に走り続けた。




