10 成らずの柿 5
「人の祈りには、陰と陽がある」
「陰と陽?」
「喜びは感謝ばかりではない。恨み、妬み、怒り、悲しみもまた、人の強き思いじゃ。それらも天へ届く」重衡は言った。
「祈りが天へ届き、気が巡っておれば、それは人の世へも返ってくる。陽が強ければ、豊作や穏やかな気候となり、陰が強ければ、災いとなる」
ソラは黙って聞いていた。
「あの『成らずの柿』はな、依代として、神より与えられたものの一つじゃ」
「神様が?」
「うむ。あの木は、人の祈りを集める働きを持っておる」重衡の声が低くなる。
「集められた祈りは、依代を通じて天へ送られる。そして、その祈りが形となったものが、あの柿の実なのじゃ」
「柿の実が……祈り?」
「そうじゃ」
ソラは、森の中で見た小さな柿の実を思い出した。
「だた、あの木にはもう一つ、特別な役目がある」重衡は言った。
「陰と陽、そのどちらの気も受け止める。いわば溜め池のようなものなのじゃ」
「溜め池?」
「そう。天と地の流れが滞った時のための、非常用の溜まりよ」重衡は続ける。
「本来、祈りが天へ届き、気がうまく巡っておれば、あの木に実は成らぬ」
「じゃあ、実が成るってことは……」
「気が滞っておるということじゃ」
ソラは息をのんだ。
「人の気が天へ届かず、行き場を失っておる。その証が、あの実なのじゃ」
「それが、今……」
「そうじゃ」重衡は苦しそうにうなずいた。
「しかも今の世は、信仰という天への祈りが途絶えつつある。その一方で、恨みや妬み、怒りといった陰の気は、決してなくならぬ」 重衡の顔に、深い憂いが浮かんだ。
「行き場を失った陰の気が、あの木に溜まっておる」
「どのくらい?」
「それは……」重衡はしばらく黙った。
「まろも、これほどのものは見たことがない」
その言葉に、ソラの背筋が寒くなった。
「あの木の実が、今までにないほど大きくなろうとしておる」
「じゃあ、あれが大きくなったら……」
「はじける」重衡は、はっきりと言った。
「溜まりすぎた陰の気が、行き場を失って、この世に流れ出す」
ソラは言葉を失った。
「明治以降、それは何度も起きた。陰の気が溜まり、限界を超え、世に災いとして現れた」
「戦争……?」
「そうじゃ」重衡は遠くを見るような目をした。
「因果応報と言うてもよい。陰の気が大きく膨れ上がれば、争いもまた大きくなる」
重衡は、静かに続けた。
「そして今、これまでにないほど大きな実が成ろうとしておる」
ソラは思わず身を乗り出した。
「それも……陰の気なの?」
「明らかにそうじゃ」重衡はうなずいた。
「すでに行き場のない気は熱を持ち、この辺り一帯にまで熱を及ぼしておる。これほどの熱の塊は、まろも初めてじゃ」しばらく重衡は黙った。
「どうすればよいものか。まろも、ずっと憂えておった」
そして、ソラを見つめる。
「だが、これはお主のような、天と地をつなぐ神子にしかできぬことじゃ」
「私に?」
「どうか、この『お使い』を果たしておくれ」
重衡の声が少し強くなった。
「何とか、お主らで、まつり――」
その瞬間だった。
重衡の姿が、ふっと消えた。




