10 成らずの柿 3
住宅街を抜けると、突然、白い土塀に囲まれた小さな寺が現れた。
安福寺。
平重衡の墓と伝えられる十三重石塔がある寺だ。
境内には、一際高い瓦屋根の建物が見える。
哀堂。
平重衡の死を人々が哀れみ、その葬られた地に建てられたのが始まりと伝えられている。観光寺ではないため、普段は本堂の中までは公開されていないらしい。だが、門は開いていた。
「入っていいのかな」
「境内までは大丈夫そうね」
ソラは門をくぐった。ひっそりとした境内だった。
正面の哀堂は、扉が開いている。風を通しているのだろうか。
人の姿はない。ただセミが一匹、暑さを忘れたように泣き続けていた。
「ちょっとだけ、覗いてみようか」
ソラは、お堂の中をそっと覗いた。
清々しい畳の広間。正面には立派な本尊があり、左の壁には、いかにも由緒のありそうな一枚の掛け軸が掛かっている。
烏帽子をかぶった男性が描かれていた。
「あの絵……呼び出せないかな」
「平重衡様ね
小町の声に、少し興味が混じった。
「あれほどの方を呼び出すのは、今のあなたにはまだ難しいかもしれないわね。もう少し近づいてみましょう」
「うん」ソラは少し迷ったあと、
「ちょっと失礼しまーす」と、小声で言った。
靴を脱ぎ、お堂に上がる。
掛け軸の前まで進み、正座した。膝の上にスケッチブックを置く。
誰かが来たらどうしよう。
そんな不安が頭をよぎった。
でも、お寺なんだし――。たぶん、怒られないよね。
ソラはと勝手な言い訳をして、目の前の掛け軸を見つめた。そして、息を整える。
小町によれば、神子が誰かを呼び出すには、まず相性がある。だが、それだけではない。
絶対的な力の差。いわば「格」がある。
その意味では、ソラはまだまだひよっこだった。
――やっぱり、無理なのかな
弱気が心の奥から湧いてくる。
ソラは、それをぐっと押し戻した。
三校対抗戦を経験してから、自分を見る目が少し変わった気がする。
それまでぼんやりしていた「自分」というものの輪郭が、少しずつ形を持ってきた。
自分は何者なのか。何ができるか。以前より、それを考えられるようになった。
これが、自信というものなんだろうか。最近は、ふとした瞬間に、
――自分はここにいていい。
そう思えることがある。
そのことが、ソラには少しうれしかった。
境内で、あれほど大きな声で鳴いていた蝉が、いつの間にか鳴きやんでいた。
静寂が訪れる。その静けさの中を、一陣の風が吹き抜けた。
汗ばんだうなじに、ひやりとした風を感じた。
その瞬間だった。ソラの手が動いた。
動き出してしまえば、あっという間だった。
描き終えた。
ソラは、鉛筆をポケットにしまった。両手でスケッチブックを開き、そこに描かれた絵と向き合う。
烏帽子。白い狩衣姿。穏やかながら、どこか憂いを帯びた顔。
平重衡だった。
うまくいったのかな。
ソラは、一つ息を吸った。そして、恐る恐る声をかける。
「平重衡様……ですか?」
次の瞬間。スケッチブックの中の重衡が、まるで何かのスイッチを入れられたかのように、ぱちりと動いた。身体を起こし、ソラを見上げる。そして、静かにうなずいた。




