9 小町 4
次の日の放課後。
天見から珍しく「話がある」と言われ、俺は一階の端にある実習室へ向かった。
「どうした。今日は一人か?」
天見は、黙って持っていたスケッチブックを差し出した。
「先生、実は見てほしい……いや、会ってほしい人がいるんです」
「そのスケッチブック、トビか?」
「それが……」
天見がスケッチブックを開いた。
そこには、すでに鉛筆デッサンが描かれていた。
着物。
十二単。長い髪。
その人物が両手をついて、こちらに向かってお辞儀をしている。
「これって……まさか」
「はい。その……、小町さんです」
「え?」
驚きのあまり俺は口を開けたまま絵を見つめた。
すると――
モノクロの女性が、ゆっくりと動いた。長い髪が揺れる。
女性はゆっくりと顔を上げた。
「うわっ」
俺は思わず息を呑む。
待ってくれ。
伝説の美女の御尊顔を拝見する、心の準備がまだできてない。
女性は、俺をまっすぐに見つめた。
「あなたね。ソラのいう先生というのは」
「はい、初めまして」
間抜けな挨拶しか出てこなかった。
俺は瞬きすることさえ忘れていた。
長い髪は黒々と艶やかで、俺を見つめる目は切れ長で鋭い光が宿っている。
白い顔に、小さな口。モノクロの絵なのに、俺にはその唇だけが鮮やかな朱色の光を放っているように見えた。
俺は勝手な想像で、平安美女といえば、おたふくのような下膨れの顔を思い浮かべていた。だが、その細面の顔は、現代にいても美しい。美しいというのは、時代を超えるものなのか。
「でも、一体なんで……」俺がようやく声を出す。
「昨日、あの絵を間近で見ていたら、もう頭から離れなくなったんです」天見が言った。
「家へ帰っても、あの絵に呼ばれているような気がして。それで夜中に起きて、描いてみたんです。そしたら……小町さんが出てきちゃって」
「我が一心に呼んだのが届いたようね」小町がほほ笑んだ。
「我も、こうしてまたミコに巡り会えるとは思わなかったわ」
「天見が巫女?」
「あ、違うんです」天見が慌てる。小町がくすりと笑った。
「我のいうミコというのは、古代より天と通ずる力を持つ者のこと。神の子の神子。それが本来の神子の意味よ」
「神子……」
「我は歌で天と通じた。でもソラは、絵を通して天と通じる。どうやら自覚なしの天然タイプみたいね」
「小町さん、あなたもその神子だったんですか」思わず職業的な興味で聞く。
「そう。歌で天に祈りを届けていたわ。雨乞いだったり、豊作だったり」
小町は、少し遠くを見るような目をした。
「そんなことをしていたからか。現世の務めを終えた後も、ときおり心だけが、この現世に戻ることがあったのよ」
「戻る?」
「ええ。でも大抵は心があるだけ。人と通じることもなく、そのうちに自然に消えてしまう。そんなことが何度かあったわ」
小町は自分の手を眺める。
「でも、此度はこの絵に宿って、まだ間がないうちにソラと出会えた。まさに僥倖。何百年ぶりかしら。こうして心が人と交わることができるのは」
立ち上がった小町は、十二単の裾を気にしながらも身体を動かす。自分の手足が動くのが楽しくて仕方ないようだ。その姿は、今にもその場で踊り出しそうな勢いだ。




