5 六月の暑すぎる仰天 5
翌日からは、彼女の大切な秘密を共有できたことで、天見もずいぶん心を開いてくれるようになった気がする。終わりのホームルームの後や、対抗戦の練習の時など、よく向こうから話してくれるようなった。ただいつも彼女の横には伊山や南條、生徒会のメンバーがいて、あの絵の話については、あれから何も聞けていない。
なんだか、こちらから聞くのもためらわれて、絵のことについては、彼女から話すまではと、静観することにした。
かるたの練習は六月に入ってますます熱が入り、週末には街のかるた会に練習をつけてもらいに行くなどして練習を重ねている。夏が近づくにつれ、忙しさは増していった。
岡崎の話によるとかるたの実力は順調に伸びているという。柊も彼なりのペースで練習に顔を出して、来れば楽しそうにやっている。
京都の夏は厳しいことで有名だが、六月の終わりだというのに、すでに連日30度を超える日が続いて、これからの本格的な夏が思いやられた。
梅雨の方も、今年は本当に雨が少なく、ここまで少ないと夏の水不足が心配されると、気象庁が注意喚起を始めた。
そんな六月が終わろうとする放課後。俺は、伊山に相談があると呼び出された。
俺がガラリと実習室の扉を開けると、中には伊山、天見、南條のいつもの三人組がいた。
伊山が、いつになくかしこまった態度で喋り出した。
「先生さ、マンションに一人暮らししてるって聞いたんだけど。先生のマンションって、ペットとか飼ってもいいとこなのかな?」
「ん? 随分古いからな、特にダメっていうのはないみたいだ。1階の部屋の人は、犬を飼ってるんじゃないかな。時々吠えるのが聞こえてくるから」
それを聞いて三人の表情が一気に明るくなる。
「先生なら私たちの話、聞いてくれると思うから言うんだけど」
「うん、絶対聞いてくれるよね」
南條が、大袈裟なほど頷く。横では天見が、訴えるような目で、俺をじっと見ている。
「先生。今私たち、とっても困っているんだ」
「なんだ?」と先を促すと、伊山が突然頭を下げた。
「先生、お願いだ。ネズミを一匹飼って欲しいんだ」
伊山に続いて、両横の天見、南條も頭を下げる。
「ネズミ? どういうことだ?」
三人は、その言葉を待ってましたとばかりに、勢い込んで説明を始めた。
三人の熱さに圧倒されながら俺はただ話を聞いた。話を整理すると、こういうことらしい。
この校舎で迷いネズミを見つけたのが、四月、入学して早々のこと、どうやらどこかから逃げ出してきたファンシーラット(掌サイズの一般的な飼いネズミのようだ)で、三人はそいつに密かに餌をやっていたらしい。
「お前ら、小学生みたいなことやってたんだ」
俺が少し呆れてそういうと、南條が言いにくそうに言い訳を述べる。
「私たちも、ここでずっと飼えるなんて思ってたわけじゃなくて、心当たり探して回ってたんです。ただ、私たちの家はもちろん、なかなか飼ってくれるって人が見つからなくて、それと、パンのことが学校で知られたらきっと大騒ぎになるだろうって相談してたら、ずるずると……」
「それにしても、三ヶ月もお前ら、よくバレなかったな」
「パンは、なんと言っても聞き分けのいい子なんで」
伊山がニコニコと自慢げに言うと、天見が勢い込んで、俺に訴えた。
「パンていうのは、私たちがつけたその子の名前です。パンが好きなのと、模様がパンダなので」
天見はそこで息をつぐようにして、俺を見る。
「先生も京の暑さは大変だっていうのは、すごくわかってると思うんですが、ネズミって暑さ寒さに弱くって、このままの暑さが続くと学校ではもう危険なんです」
「ネズミの最適飼育温度は二十度から二十六度。今は校舎の下にいるんだけど、最近は夜になっても温度が下がらないです。これが夏休みになったら校舎の冷房も切られちゃうからもう限界なんです」
南條の解説に、天見、伊山もうんうんと大きくうなずく。
俺が、三人の真剣な顔を見回して、うーんと唸った。
小学生の頃、学校帰りに拾った猫に餌をやっていたことがある。
しばらくして、その猫が車に轢かれて死んだと聞いた。友達が、轢かれてどんなだったかを、やたら具体的に語るのが、とても嫌だったのを覚えている。そんなの聞きたくないって言いたかったのに、言えなかった。
だが、今の俺にペットの世話ができるかというと、正直自信がなかった。恥ずかしながら、自分の食事さえ面倒で腹さえ満たされればいいという生活をしている俺だ。命を預かるのを、そう簡単にという気持ちもあった。
「ここまで話しちゃったんだから、もうパンを見てもらおうよ」
南條がそう言うと、「わかった」と天見が言い、教室の後ろにある戸棚へ向かった。
彼女のてのひらに、そいつがちょこんと乗っていた。
天見の手に立ち上がるようにして、こっちを見上げるネズミは、白黒模様のパンダ柄だ。しかも毛がふわりとして、きらきらの黒い目で鼻をヒクヒクさせてこちらを見上げている。そいつは、俺に明らかに訴えかけるように「チュチュッ」と鳴いた。俺でさえ、その可愛さに唸ってしまう。
「うっ、こいつは確かに危険だな」
「もうー、いつ見てもやっぱりかわいいっ! 先生、こんな可愛い子に、熱中症で倒れろっていうんですか」
南條が俺に詰め寄る。
「な、先生、可愛いだろ。お願いだ。こいつをなんとか助けてやってよ」
「お願い、葉山先生!」
声を合わせての懇願に、俺はあっけなく陥落した。
「わかった、なんとかするよ」
三人は大騒ぎで手を取り合って喜んだ。その喜びようを見てしまうと、まあいいっかと思ってしまう。
帰り道。六月とは思えない熱気の中、俺は自転車を走らせながら、空を見上げた。
雲一つない。
今年の梅雨は、ほんとうに雨が降らない。
その時は、まだそれが、これから起こることと関係しているなんて思ってもいなかった。




