「持たざるの者の盾』への始まり
半沢直樹が敵を追い詰める感じを想像して書きました。
それは僕がオックスオード大学に入学する少し前。実家と決別し、来るべき王太子の破滅から逃れるための独立資金をどう稼ぐかと思案していた頃の話だ。
ある日、僕は法学の専門書や過去の判例集を探すため、エレノアを連れて王都の商業区にある大きな古書店を訪れていた。
そこで偶然、僕のお人よしのスイッチを強制的に押すような、酷い場面に出くわしたのだ。
「どうか、どうかご慈悲を! あの倉庫の品は、私がスラムから這い上がり、血の滲むような思いで十年かけて集めた全財産なんです! それをたった一度の支払い遅延で全て没収だなんて……!」
古書店の前の石畳で、身なりの良い若い商人が、地べたに這いつくばって号泣していた。
彼を見下ろしているのは、恰幅の良い傲慢な貴族――エドワード王太子派閥の末端にいる、バロウズ子爵だった。
「ふん、平民の分際で貴族の私に意見する気か? お前がサインした『投資契約書』には、期日を一日でも過ぎれば担保を全て没収すると書かれている。お前が雇った弁護士も、私に恐れをなして逃げ出したではないか」
子爵の隣に立つお抱え弁護士が、嫌らしい笑みを浮かべて契約書をヒラヒラと振る。
商人の名前はトーマスといった。新興の貿易商として才覚を現していたが、そこを悪徳貴族に目をつけられ、法律の抜け穴を悪用した罠にハメられたのだ。
周囲の平民たちは同情の目を向けていたが、相手が貴族とあっては誰も助けに入れない。
前世で、法知識を持たない弱者が大企業や権力者に蹂躙される姿を嫌というほど見てきた僕の心が、ギリッと音を立てた。
「……アーサー様。あまり関わり合いにならない方がよろしいかと」
「ごめん、エレノア。やっぱり僕の悪い癖だ。……ちょっと、見過ごせない」
エレノアの静かな制止を振り切り、僕は優しげな微笑みを浮かべて、トーマスの前に歩み出た。
「そこの貴方。もし弁護士がいなくて困っているなら、僕が代わりに引き受けましょうか?」
唖然とする子爵たちを残し、僕は三日後に商業ギルドの調停場で争うことを宣言した。
その日の夜。
実家の薄暗い書庫には、山のように積まれた分厚い法学書と判例集、そして僕とエレノアの姿があった。
「アーサー様。バロウズ子爵の契約書ですが、当時の『貴族投資法』の第4条を逆手に取った極めて悪質なものです。表向きは合法に見えます」
「ああ。普通に戦えばトーマスの負けだ。だけど、法律ってのは人間が作った矛盾の塊だ。絶対にどこかに『致命的な綻び』があるはずなんだ」
夜明け前。過労で倒れた前世の記憶がフラッシュバックし、僕の意識が朦朧とし始めた時だった。
「……アーサー様。こちらを」
エレノアが、淹れたての紅茶と共に一冊の古い判例集を僕の目の前に開いた。
「王歴128年、『グレイ対東商会事件』の判例です。接収される財産が『王室への納税に供される予定の品』を含んでいた場合、個人の接収権よりも国家への納税義務が優先される……という例外規定です。トーマス氏の倉庫には、関税対象の輸入品目録が含まれていました」
「……っ!! これだ!!」
僕は跳ね起き、そのページを食い入るように読んだ。完璧だ。
「すごいぞ、エレノア! 君の記憶力と検索能力は天才的だ! 君がいなきゃ絶対に見つからなかった!」
興奮のあまり、僕は思わずエレノアを抱きしめていた。
「あっ……」
エレノアはビクッと肩を震わせ、白磁のような頬を一瞬にして真っ赤に染めた。
「……いえ。アーサー様のお役に立てたのなら、これ以上の喜びはございません」
彼女の深海の底のように静かだった瞳に、熱を帯びた執着が揺らめく。
「理不尽に虐げられる者を見過ごせない、あなた様のお優しい心……。この身が擦り切れるまで、どこまでもあなた様にお供いたしますわ」
祈りのような言葉を受け取り、僕は力強く頷いた。
さあ、反撃の時間だ。
三日後。商業ギルドの調停場。
「さあ、さっさと全財産を差し出せ! 時間の無駄だ!」
バロウズ子爵がふんぞり返り、お抱え弁護士が勝ち誇った顔で書類を並べる。
「トーマスさん。僕の後ろにいてください」
僕はそう言うと、顔からお人よしの微笑みをスッと消し去った。スイッチが入った。前世で悪党どもを絶望の淵へ追い詰めてきた、冷酷無比な検察官の顔をだす。
「……な、なんだその目は」
僕の雰囲気の激変に、子爵が怯んだように声を上ずらせる。
僕は無言のまま歩み寄り――鼓膜を劈くような凄まじい音を立てて、分厚い判例集を卓上に叩きつけた。
「バンッ!!」
「ひっ!?」
「バロウズ子爵。貴方はこの契約に基づく差し押さえが、完全に『合法』であると仰った。……間違いないですね?」
僕は卓に両手をつき、極限まで子爵に顔を近づけて、その目を射抜くように睨みつけた。一切の感情を排した、氷のように冷たく、そして重い声。
「あ、当たり前だ! 私の弁護士が作った完璧な契約書だぞ!」
「……完璧? 笑わせないでいただきたい」
僕はエレノアから受け取った書類を、子爵の鼻先に突きつけた。
「王歴128年の判例および、ブラックストーン法釈義・第2巻第14章の規定をご覧下さい! トーマス氏の倉庫には王室に納めるべき関税対象品が含まれている。これを私的な契約を盾に強引に差し押さえる行為は、王室の徴税権を真っ向から侵害する『国家への背任』にあたります。……まさか、知らなかったとは言わせません」
「なっ……ば、馬鹿な! そんな大昔の判例など……!」
お抱え弁護士が顔面を蒼白にして後ずさる。
「言い逃れ…?させるか!」
僕はさらに一歩踏み込み、逃げ場を完全に塞いだ。
「加えて、貴方の過去三年間における投資記録を調べさせてもらいましたが……この利益、一切申告されていませんね? 国家への背任、および極めて悪質な『脱税』。これが宰相府に知れ渡れば、バロウズ家は明日の朝には取り潰され、あなたたちは揃って絞首台行きだ!!」
「あ……ああ……っ」
子爵は滝のような冷や汗を流し、ガチガチと歯を鳴らして椅子から崩れ落ちそうになっていた。
完全に心が折れた相手を見下ろし、僕はトドメの言葉を冷ややかに言い放つ。
「権力を笠に着て、法の抜け穴で弱者を泣き寝入りさせるというなら……私は完全な法と証拠で、貴方から全てを奪い、地獄へ叩き落とす」
僕はネクタイを少しだけ緩め、冷酷な笑みを浮かべた。
「理不尽な法による搾取には、法によるお返しだ。……きっちり、責任をとっていただきます」
僕の瞳の中に「一切の妥協がない」ことを悟り、子爵とお抱え弁護士は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。彼らに残された道は、トーマスへの要求を全面放棄する誓約書に震える手でサインすることだけだった。ふう、と一息入れる。
その時だ。
「――見事な手腕だった。小僧と侮っていたがなかなかなものだ、アッシュクロフト家の三男坊殿」
野太い声と共に現れたのは、商業ギルドのトップである初老のギルドマスターだった。彼は調停の一部始終を、裏からすべて見ていたのだ。
「我々新興の商人は富を得たが、古い貴族たちの理不尽な要求には常に脅かされている。……どうだろう。我々商業ギルド全体の『専属顧問弁護士』として、契約してくれないか?」
それは僕が、来るべき王太子の破滅から独立するための「資金源」と「商人たちの強固なネットワーク」を同時に手に入れた瞬間だった。
この日を境に、僕は商人たちの依頼を水面下で次々と解決していくことになる。
「アーサー様。……最高に、格好よかったですわ」
帰り道、僕の一歩後ろを歩くエレノアが、誰にも聞こえないほどの小さな声で囁いた。
その誇らしげで、甘い微笑みは、僕の心にに安心と、少しばかりの重さをもたらすのだった。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




