愚かな王太子
「あーん、エドワード殿下ぁ。このクッキー、とっても美味しいですぅ。殿下にも半分、食べさせてあげますねっ」
「あはは、リリーに食べさせてもらえば何でも美味いさ。ほら、もっとこっちへおいで」
王宮の庭園で開かれた、オックスオード大学への入学を控えた若い貴族たちの親睦会。
その中心で、周囲の目をまったく気にすることなく、イチャイチャと下品な甘い声を響かせているバカップルがいた。
我が国の王太子、エドワード。
そして彼の腕の中にすっぽりと収まり、猫のようになだれかかっているのは、年上の男爵令嬢、リリーである。
前世で「検察官」として、数々の人間の業を見てきた僕からすれば、リリーの振る舞いは見慣れたものだった。
庇護欲をそそる小柄で可愛らしい容姿に、男のプライドを絶妙に持ち上げる「甘え上手」と「褒め上手」。
『殿下は本当にご立派ですぅ』『私のこと、守ってくださいね?』
そんな見え透いたおだて文句に、エドワードは完全に骨抜きにされていた。
前世の法廷で、僕は「善人」の顔をした悪党も、「被害者」の皮を被った詐欺師もさまざまな人間を数え切れないほど見てきた。
その経験から言えば、エドワードは自分の能力を過信し、他人の痛みなど理解しようともしない傲慢な男だ。
自分を肯定してくれるリリーを溺愛する一方で、少しでも意に沿わない目下の者には、ヒステリックに当たり散らす。
「おい、そこの給仕! ワインの温度がぬるいぞ! 貴様、未来の国王たる私を舐めているのか!」
「ひっ、も、申し訳ございません殿下!」
平手打ちを食らって床にうずくまる使用人を見て、エドワードは鼻で笑う。
さらにタチが悪いことに、彼はリリーを溺愛しているくせに、他の女性にも平気で手を出す女癖の悪さを持っていた。
「そこのお前。見ない顔だが、どこの家の娘だ? なかなか愛嬌があるな。私の側室にしてやってもいいぞ、光栄に思え」
通りかかった他家の令嬢の腕を強引に掴み、高圧的に言いよるエドワード。男爵令嬢も、嫉妬もなく、さりとて止めようともせず、ニヤニヤしながらその光景を見ている。
令嬢が青ざめて震えていると、ついに見るに見かねた「彼女」が進み出た。
「エドワード殿下。その辺りになさいませ」
凛とした、氷のように冷たく美しい声。
現宰相の令嬢にして、エドワードの正式な婚約者であるヴィクトリアだった。
彼女は才色兼備を絵に描いたような女性で、その婚約者の醜態を見ていられなかったのだろう。毅然とした態度で王太子をたしなめる。
「ここは私的な親睦会とは言え公の場です。王太子としての品位を欠く振る舞いは、王室の威信を傷つけます。また、男爵令嬢との過度な接触は、周囲に余計な誤解を与えかねません。お慎みください」
感情を交えない、完璧に正論の忠告。
だが、痛いところを突かれたバカな権力者が取る行動は、いつの時代も決まっている。
「うるさいっ!!」
エドワードはヴィクトリアに向かって、ワインの入ったグラスを怒りに任せて投げつけた。
ガシャン、とヴィクトリアの足元でグラスが砕け散る。
「貴様のような可愛げのない、説教ばかりの冷たい女など顔も見たくない! その点、リリーは私を心から敬い、癒してくれる。次期王妃にふさわしいのはリリーの方だ! 宰相の娘だからと調子に乗るなよ!」
大勢の貴族が見ている前で、自らの婚約者を口汚く罵倒する王太子。
ヴィクトリアは表情一つ変えずに黙ってその暴言に耐えていたが、彼女の瞳の奥には、確かな「失望」と「静かな怒り」が宿っているのが僕には分かった。
(……あーあ。やっちまったな。あれは絶対に『証拠』を集めて裏で反撃の準備をする顔だぞ)
僕は会場の隅――「モブ貴族」の定位置である目立たない柱の陰で、紅茶をすすりながら内心で冷ややかなため息をついた。
前世で多くの犯罪者を見送ってきた経験から言えば、エドワードのあの行動は法的に見ても完全な自滅だ。
婚約契約の不当な破棄の示唆、公衆の面前での名誉毀損。相手が実質的に国の実権を握る宰相の娘となれば、これは単なる痴話喧嘩ではない。国家を揺るがす「権力闘争の火種」そのものだ。
「……本当に、救いようのない愚か者ですね。あのような者が次期国王などと……虫唾が走ります」
僕の斜め後ろに控える専属メイド、エレノアが、氷のように冷たい声で囁いた。
彼女は公の場では常に『完璧なメイド』として振る舞い、一切の隙を見せない。姿勢は正しく、僕の一歩後ろで静かに佇むその態度は、極めて冷静で慎ましい。
……のだが。
あの書庫での事件以来、彼女は僕に対してだけ、内に秘めた激しい熱情が時折、無意識に行動からあふれ出してしまうようだ。
「まあまあ。彼が勝手に自滅してくれる分には、僕たちにとっては好都合さ」
「ええ、その通りです。あんな者たちの茶番など放っておいて、早く屋敷に帰りましょう、アーサー様」
僕が空になったティーカップを差し出すと、彼女は「失礼いたします」と恭しくそれを受け取った。
その際、彼女の白い指先が、不自然なほどゆっくりと、名残惜しそうに僕の指を撫でるように触れて離れた。
ハッとして見上げると、エレノアは己の行動に気づいたのか、ビクッと肩を揺らして慌ててメイドとしての無表情を取り繕おうとした。
だが、白磁のような頬はほんのりと朱に染まっており、伏せられた瞳の奥には、隠しきれない熱と愛情が揺らいでいるのが見えた。
冷静であろうと努めているのに、ついつい想いが溢れて距離感を間違えてしまう。そんな彼女の姿は、どうしようもなく可愛らしく、愛おしく感じられた。
前世、世の中の「悪」も「善」も、法廷という人間の剥き出しの欲望が渦巻く場所で嫌というほど見てきた。だからこそ、今こうして隣にいてくれる彼女の純粋で一途な想いが、何よりも代りがたく愛おしかった。
エレノアの有能なサポートと、日々の癒やしのおかげで、僕たちは先日、見事にオックスオード大学の超難関な入学試験を主席、次席(僕)で突破し、奨学生として学ぶ事が決定していた。
だが、問題はここからだ。
「……オックスオードでも、またあいつの顔を見なきゃいけないんだよな」
僕はうんざりしながら、ふんぞり返る王太子を睨んだ。
エドワードは試験など受けていない。「王太子特権」という、どんなバカでも最高学府に無試験で入学できる制度を使って、僕と同じ法学部に入ってくるのだ。
いずれ、エドワードはヴィクトリアとの婚約を破棄し、取り巻きである我がアッシュクロフト家を巻き込んで盛大に自爆するだろう。
「大学生活の間に、巻き込まれないように逃げ道を作っておかないとね」
「はい、アーサー様。……このエレノアが、あなた様の目となり耳となり、お力となりますわ」
エレノアは一歩後ろに控えたまま、静かに、けれど熱を帯びた声で誓いを立てる。
言葉こそ慎み深いが、僕を見つめるその視線は熱く、一途に燃えていた。
前世の検察官として培った「世の不正を見抜く冷徹な目」と、元王女の「内に秘めた愛とサポート」
僕たちは最高学府という新たな盤上で、バカな権力者たちから離れるための準備を始めるのだった。
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