訪れないスローライフ
狂信的な官僚たちとのデスマーチや、騎士学校のスパルタ指導など、数々の困難(?)を乗り越え、アスタリアの国家運営もようやく軌道に乗り始めた頃。
僕とエレノアは、ついに結婚式を挙げることになった。
「アーサー様。……私、今、世界で一番幸せです」
王都の大聖堂。ステンドグラスから差し込む七色の光の中、純白のウェディングドレスに身を包んだエレノアは、息を呑むほど美しかった。
普段のメイド服や女王の威厳ある装いとは違う、一人の女性としての可憐な笑顔。
「ああ。僕もだよ、エレノア。……色々と遠回りはしたけれど、君とこの日を迎えられて本当によかった」
僕は白いタキシードの襟を正し、彼女に微笑み返した。
祭壇の前には、ギルド長ウィンストンをはじめ、建国を支えてくれた多くの仲間たちが見守っている。
神父が厳かに聖書を開き、問いかけた。
「新郎アーサー。汝は病める時も健やかなる時も、この者を愛し、敬い、生涯の貞節を誓いますか?」
「はい、誓い――」
僕が言葉を発しようとした、まさにその瞬間だった。
『――ちょっと待ったぁぁッ!!』
バンッ!! と、大聖堂の重厚な扉がけたたましい音を立てて開け放たれた。
そこに立っていたのは、純白のドレスに身を包み、肩で息をしている元受付嬢――リリーだった。
彼女は周囲の唖然とする視線などお構いなしに、絨毯を踏み鳴らして祭壇まで猛ダッシュしてくると、僕の右腕をガシッと掴んだ。
「アーサー! あんたを連れ去りに来たわ! さあ、今すぐ私と一緒にここから逃げるわよ!」
「えっ!? リ、リリー!? 何を急に……!」
大聖堂が騒然となる中、僕の隣で、周囲の気温が一気に絶対零度まで急降下したのを感じた。
「……汚らわしい泥棒猫。花嫁の目の前で新郎を強奪しようだなんて、万死に値しますわね」
エレノアの瞳から光が消え、美しいウェディングドレスの深いスリットの中から、棘付き鉄球がズルリと姿を現した。
「ま、待ってエレノア! 神聖な式場で武器を出すのはやめて!!」
僕は慌てて二人の間に割って入り、ディベーターとしての理性を総動員して事態の収拾に乗り出した。
「リリー! 民法第百四条に基づく正当な婚姻手続きの最中に、部外者が式を止めるには、裁判所の『差し止め命令』が必要だ。……君に、この式を止めるための法的な根拠はあるのかい!?」
僕が理詰めで問い詰めると、リリーは顔を真っ赤にして、人差し指を突きつけた。
「法的根拠!? そんなものより、もっと確かなものがあるわよ! 今朝、おばあちゃんの夢を見たのよ!!」
「……はい?」
「おばあちゃんの導きでは! 『今日、思い切った行動を起こさなければ、あなたの人生と恋の運命は永遠に失われる』ってサムズアップして消えていったわ! だからおばあちゃんの教えに従って、強行突破で新郎を奪いに来るしかなかったのよ!!」
あまりにも斜め上の「異議申し立て」に、僕は思わず頭を抱えた。
「……リリー。夢で『婚姻の差し止め』を正当化する証拠にはならないよ」
「うるさいうるさい! 理屈なんてどうでもいいの! 私は、あんたのことが……っ!」
彼女の瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。
いつも勝気な彼女が、大勢の前でなりふり構わず見せた、不器用で、けれど真っ直ぐな本音。
ギルド時代、僕が法律相談で無茶をするたびに、裏で情報を集め、誰よりも心配してくれていたのは彼女だった。
僕はゆっくりとリリーの手を取り、優しく解いた。
「リリー。君がこれまでずっと僕を助け、支えてくれたこと、心から感謝している。君は僕にとって、誰よりも信頼できる大切な『パートナー』だ」
僕が真っ直ぐに見つめると、彼女は息を呑んだ。
「でも……僕が『生涯の契約』を結ぶと決めた相手は、エレノアだけだ。これは、いかなる占いでも、法でも覆すことはできないんだ。……ごめん」
大聖堂に静寂が落ちる。
リリーはしばらく俯いて肩を震わせていたが、やがてゴシゴシと乱暴に涙を拭うと、顔を上げて鼻で笑った。
「……ふんっ。あんたのそういう理屈っぽくて真っ直ぐなところ、本当にムカつくわ」
彼女は一歩下がり、ドレスの裾を少しだけ持ち上げて、僕とエレノアに向かって綺麗なカーテシー(お辞儀)をした。
「特別宰相補佐官リリー、これより業務に戻ります。……アーサー、エレノア。絶対に、絶対に幸せになりなさいよ!」
負け惜しみのように叫ぶと、彼女は踵を返し、去り際に仕事では一生一緒なんだから!と涙を隠すように足早に大聖堂から去っていった。
「……よろしかったのですか? アーサー様」
エレノアが、武器を隠して静かに問いかけてきた。
「ああ。これでいいんだ。……さあ、少し中断してしまったけれど、式の続きをしようか」
「はい。私の愛する、ただ一人のご主人様」
神父が咳払いをして、再び厳かに宣言する。
「では……誓いのキスを」
僕はエレノアのベールをそっと持ち上げ、その柔らかな唇に誓いの口付けを落とした。
大聖堂を包み込む万雷の拍手と、降り注ぐ祝福の花びら。
持たざる者の盾として戦い続けた元弁護士と、国を失った最強のメイド。
二人の長い長い道のりは、この日、ようやく結末を迎えたのだった。
……とはいえ、明日からはまた官僚たちが待ち構える執務室へ出勤し、リリーの鬼のようなスケジュール管理の下、女王陛下と国を回す激務が待っているわけだが。僕のスローライフは、今世でも達成できそうにない。
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