騎士学校の設立
ガルム帝国の特使を経済と法の力で退けたとはいえ、我が国アスタリアの根本的な弱点は依然として残っていた。
「……有事の際の防衛力が現状全く存在しないのは、国家として非常に不健全だ」
執務室で一人ごちた僕は、次なる国家プロジェクトとして近代的な軍事組織『アスタリア騎士学校』の設立を断行した。
腕っぷしの強い獣人や、体力のある人間の難民たちを広く募集し、法と規律を守る正式な『騎士』として育成する機関である。
数日後。王都の郊外に切り拓かれた広大な訓練場には、血の気の多い屈強な生徒たちが数百人集まっていた。
「いいかい、君たち。ただ力任せに武器を振り回すだけなら、それはただの暴徒だ」
僕は演壇に立ち、集まった屈強な生徒たちに向けて新たな『階級制度』を発表した。
「我が騎士団では、実力を正当に評価するため『段位制』を導入する。特に指導的立場となる上位の階級――『三段』および『四段』の昇段審査においては、単なる模擬戦の勝敗は評価しない」
生徒たちの間に、ざわめきが広がった。
「じゃあ、何を基準に昇段させるんだい、宰相の旦那?」と、大柄な獣人が首を傾げる。
「『形』だよ」
僕は前世の知識として持っていた剣術の昇段審査の基準を彼らに説明した。
「三段・四段の審査では、あらかじめ定められた木太刀の『形』を正確に打つことが求められる。心技体の完全な一致。そして何より重要なのが『残心』だ。打突の後も油断せず、相手の反撃に即座に対応できる心構えと姿勢を維持できているか。これを厳格に審査する」
力任せの喧嘩しかしてこなかった彼らに、高度な精神性と規律を叩き込む。それが僕の狙いだった。
「形? 残心? ……なんだか難しそうだな。俺たちに教えられる教官なんているのか?」
「ええ。もちろんおりますわ」
訓練場に、鈴を転がすような、しかし背筋が凍るほど冷たい声が響き渡った。
生徒たちが一斉に道を空けると、そこには、騎士学校の特注教官服に身を包んだ女王エレノアが、木太刀を片手に優雅に歩み出てきた。
「アーサー様が定めた法と規律は絶対です。……本日から、この私があなたたちの『特別最高教官』として、その身体に直接、剣の道を刻み込んで差し上げます」
その瞬間から、騎士学校の生徒たちにとっての『地獄』が幕を開けた。
「遅い。形が崩れています。そのような隙だらけの太刀筋で、万が一アーサー様に危険が及んだらどう責任を取るつもりですか?」
『ヒィィッ! じょ、女王陛下、木太刀からとんでもない殺気が……ッ!
「『残心』が全く足りていません。打った後、敵の息の根が完全に止まるまで警戒を解かない。それが残心です。……さあ、私が殺気を放つのを止めるまで、永遠に素振りを繰り返しなさい」
『ギャァァァッ!! 誰か、誰か助けてくれェェッ!!』
エレノアが手本として見せる『形』は、文字通り芸術のように美しく、完璧だった。しかし、そこから放たれる『残心という名の、アーサーの敵を絶対に殲滅するという重すぎる執念』の圧力が凄まじすぎた。
屈強な獣人たちでさえ、エレノアの放つ残心のプレッシャーにあてられ、次々と白目を剥いて泡を吹き、訓練場に倒れ伏していった。
* * *
翌日の午後。
宰相の執務室の机には、またしても新たな書類の山が築かれていた。
「……これは何だい?」
僕がこめかみを押さえながら尋ねると、文官が青ざめた顔で答えた。
「はっ。騎士学校の生徒たちからの『教育環境の改善を求める嘆願書』です。獣人の生徒は『あの教官は俺たちを殺す気だ』と泣き叫び、ドワーフの生徒は『残心が怖すぎて夜も眠れない』と工房に引きこもってしまいました……」
「…………」
僕は深く、深くため息をついた。
彼らを野蛮な兵士ではなく、規律ある騎士に育てるための『三段・四段の形審査』だったはずだ。それがまさか、妻の過剰な愛情とスパルタ指導によって、生徒たちの精神を物理的に破壊する結果になるとは。
ガチャリ、と執務室の扉が開いた。
「アーサー様、お疲れ様です。特別教官の任、素晴らしい手応えを感じておりますわ。彼らもすぐに、あなた様をお守りする無敵の盾となるでしょう」
生徒たちの絶望を浴びて、どこか清々しい笑顔を浮かべるエレノアが、極上のダージリンティーを運んできた。
「ありがとう、エレノア。……でもね、僕はこの国に『労働基準法』と『教育ガイドライン』を急いで制定しなきゃいけなくなったみたいだ」
「あら、また新しい法律ですか? さすがはアーサー様、仕事熱心でいらっしゃる」
「君が原因だよ……ッ!」
実務を減らすために軍隊組織を作ったはずなのに、その組織から上がってくるクレーム処理と新たな法整備で、僕の仕事はまたしても激増した。
愛する妻の暴走を止めるための法案作りに追われながら、僕のスローライフは、今日も音を立てて崩れ去っていくのだった。
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