不平等条約締結
株式会社と特許制度の導入により、アスタリアは爆発的な経済成長を遂げた。
安価で高品質な「紙」、誰でも使える「規格化された魔導具」、そして清潔な上下水道。かつての荒野は、近隣諸国すら凌駕する豊かな文明国家へと変貌していた。
しかし、出る杭は打たれるのが世の常である。
「……アーサー様。東の国境を接する『ガルム帝国』から、特使が面会を求めてきています。……近衛兵を武装させて連れてきているようですわ」
執務室で書類と格闘していた僕に、エレノアが冷たい声で報告してきた。
ガルム帝国。武力による領土拡大を国是とする、野心に満ちた軍事国家だ。
「ついに来ましたね。豊かな特産品と技術を持つ小国を、軍事力で脅してしゃぶり尽くすつもりでしょう」
「私が国境に出向き、特使ごと帝国の軍隊を『更地』にしてきましょうか?」
「駄目だよエレノア。僕たちは野蛮な侵略者じゃない。法治国家として、ここは『外交と法律』で平和的に迎撃しよう」
僕は法務執行人の黒革の鞄を手に取り、女王であるエレノアと共に謁見の間へと向かった。
謁見の間にふんぞり返っていたガルム帝国の特使は、玉座に座るエレノアと、その隣に立つ宰相の僕を値踏みするように見下した。
「単刀直入に言おう。我らガルム帝国は、貴国との『友好条約』を結ぶ用意がある」
特使が広げた羊皮紙には、友好などとは名ばかりの、とんでもない要求が書き連ねられていた。
* 第一条: アスタリアの持つ「紙」および「魔導具」の特許権を、ガルム帝国に無償で譲渡すること。
* 第二条: アスタリアの農産物および特産品を、市場価格の十分の一で帝国へ輸出すること。
* 第三条: 条約を拒否した場合、国境警備を理由とした『軍事介入』を行う権利を帝国が有する。
「……なるほど。完全な『不平等条約』ですね。これにサインしなければ、国境に集結させている軍隊で攻め込むぞ、という露骨な脅迫ですか」
僕が呆れたように言うと、特使は下品に笑った。
「脅迫とは人聞きが悪い。大国である我らが、歴史の浅い小国を『保護』してやると言っているのだ。大人しくサインすれば、命だけは助けてやるぞ?」
勝ち誇る特使。
しかし、玉座のエレノアは表情一つ変えず、ただ氷のように冷酷な視線を特使に向けていた。
「アーサー様。この無礼なゴミを、ミンチにして帝国の皇帝へ送り付けてもよろしいでしょうか?」
「待ってエレノア、まだ早い。彼らには、現代の『経済と法律』の恐ろしさをしっかり教育してあげないとね」
僕はスッと前に出ると、前世から染み付いた「氷のディベーター」の笑みを浮かべた。
「特使殿。この条約、すべて『無効』です。お引き取りください」
「なんだと!? 貴様ら、帝国の軍事力が恐ろしくないのか! たった数万の難民の国など、三日で焦土にしてくれるわ!」
激昂して剣の柄に手をかける特使。
「攻め込めるものなら、どうぞご勝手に。……ただし、一つだけ教えて差し上げましょう。現在のガルム帝国の『内情』をね」
僕は手元の鞄から、ギルドの情報網を使って調べ上げた分厚い束を取り出した。
「ここ一ヶ月。貴国の行政書類の八割は、安価なアスタリア製の『紙』に依存していますね。さらに、貴国の貴族たちの間では、火を使わない『魔導コンロ』や『魔導街灯』が完全に普及し、手放せない生活インフラとなっている」
特使の顔が、ピクリと引き攣った。
「もし貴国が我が国に宣戦布告をした瞬間。私は特許法と通商法に基づき、ガルム帝国に対する『一切の特許の利用停止』と『全面的な経済制裁(輸出停止)』を発動します」
「なっ……」
「紙がなくなれば、貴国の広大な領土を管理する行政機構は数日で麻痺する。魔導具の供給を止めれば、贅沢を覚えた者たちは暴動を起こすでしょう。……我が国を三日で焦土にする前に、貴国の内政が一日で崩壊しますが、それでも戦争をなさいますか?」
「そ、そんな馬鹿な……! 我々は軍事大国だぞ! 力で技術を奪えば……!」
「奪えませんよ。特許技術の中核を担うドワーフや魔法使いの職人たちは、我が国の『法』に守られているからこそ働いている。武力で脅せば、彼らは二度と技術を振るわない」
完璧な経済的・法的包囲網。
軍事力しか脳のない帝国にとって、自国の経済と生活インフラを完全にアスタリアに握られているという事実は、首元に致命的な刃を突きつけられているのと同じだった。
「ひっ……!」
特使は滝のような冷や汗を流し、膝から崩れ落ちた。
「さて、特使殿」
僕は完全に戦意を喪失した彼を見下ろし、一枚の新しい書類を突きつけた。
「我が国も、無用な血は流したくありません。そこで、こちらから『真の友好条約』をご提案しましょう。……帝国が特許を利用し続ける対価として、お互いの交易について国境地帯の関税を無くし、アスタリア商人の自由な通行と商権を全面的に認めること」
それは、一見平等な条件に見えてアスタリア側が有利となる事実上の経済支配だった。
特使はその書類にサインをするしかなかった。
「素晴らしい外交戦でしたわ、アーサー様! 一兵も損なわず、大国の市場を丸呑みにしてしまうなんて!」
謁見の間を出た後、エレノアは目をキラキラと輝かせて僕の腕に抱きついてきた。
「まあ、これで当分はちょっかいを出してくる国もないだろうね」
僕はふぅ、と息を吐き、ネクタイを緩めた。
「これでやっと、少しは休める……」
「ええ! 帝国の巨大な市場が開放されたことで、我が国の商会から『新規事業の申請書』と『関税撤廃に伴う通商手続きの書類』が、先ほどの三倍の量で執務室に届いております!」
「…………え?」
エレノアが満面の笑みで告げた言葉に、僕は自分の耳を疑った。
「大国の経済を飲み込んだのですから、当然、行政の手続きも莫大に膨れ上がります。さすがは私の愛する宰相閣下! アスタリアの発展は留まるところを知りませんね!」
僕は、エレノアの言葉と共に執務室の扉を開けた。
そこには、先ほどまで「壁」だったはずの書類が、もはや「山脈」となってそびえ立っていた。
「おかしい……仕事を減らすために論破したはずなのに、どうして仕事が三倍に増えているんだ……ッ!!」
「さあ、徹夜の準備は完璧です! あなた様が働きやすいよう、私が一睡もせずに隣で応援して差し上げますからね!」
外交で国を守り、領土と経済圏を拡大させた結果。
僕の平穏なスローライフは、またしても膨大な書類の山脈と、過保護な女王の愛の下敷きとなって圧殺されるのだった。
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