未来への希望
畑の開墾は順調に進み始めたが、作物が実るまでには数ヶ月の時間がかかる。
備蓄の食糧が底を尽きかけており、難民たちの間にはタンパク質の不足による疲労が見え始めていた。
「宰相閣下。北の森に、凶暴な大猪の群れが住み着いています。あれを狩れれば当分の肉には困りませんが、今の我々の貧弱な装備では犠牲が出ます」
人間の猟師が顔を曇らせて報告してきた。
「犠牲は一人も出しません。正面からぶつかるのではなく、戦術で狩りましょう」
僕は広げた森の地図に、いくつかの印をつけた。
数日後、北の森。
行われたのは、個人の武力に頼らない、アスタリア国民総出の『大規模な包囲猟』だった。
「そらそらっ! こっちだ猪ども!」
足の速い獣人たちが、森の奥でシンバルや太鼓を打ち鳴らし、大猪の群れをパニックに陥らせて特定の獣道へと追い立てていく。
彼らの役割は「戦うこと」ではなく「誘導」だ。
「来たぞ! ドワーフ衆、罠の起動を頼む!」
猪の群れが誘導された先(細い谷底)には、人間の難民たちとドワーフたちが協力して数日がかりで掘り上げた、巨大な落とし穴と柵が連なっていた。
群れが次々と穴に落ちて身動きが取れなくなったところを、高台に陣取った人間の弓兵と槍兵が一斉に安全な位置から仕留めていく。
「よし、大成功だ! 一人の怪我人も出さずに、これだけの獲物が手に入ったぞ!」
人間も亜人も、互いの肩を叩き合って狩りの成功を喜んだ。
しかし、本当の戦いはここからだった。
難民キャンプで最も恐ろしいのは、魔獣でも飢えでもない。「不衛生による疫病の蔓延」だ。
僕は獲物を解体する広場に巨大な鍋をいくつも用意させ、前世の知識である『衛生概念』を徹底させた。
「生水は絶対に飲まないこと! 獲物の血肉を触った手は、必ずこの『石鹸』で洗ってから食事をしてください」
僕がドワーフたちと一緒に、獣の脂と木炭の灰を煮込んで作った即席の『石鹸』。
最初は泡立つ不思議な塊に戸惑っていた民たちも、それを使って手や体を洗うと、見違えるように汚れが落ち、嫌な匂いも消えることに感動していた。
煮沸消毒と石鹸の普及により、アスタリアの難民キャンプでは感染症による死者が劇的に減少することになる。
その日の夜。
臨時王都の広場では、大猪の肉を焼く香ばしい匂いと、人間、獣人、ドワーフたちが入り乱れてジョッキを交わす、盛大な宴が開かれていた。
「……素晴らしい光景ですね、アーサー様」
広場の隅からその様子を見つめていた僕の隣に、エレノアがそっと寄り添ってきた。
「種族も、生まれも関係なく。皆が法の下で手を取り合い、笑い合っている。……あなた様が、私の民に『生きる希望』を与えてくださったのです」
「僕一人の力じゃないよ。彼ら自身が、法を信じて力を合わせてくれたからさ」
僕が微笑むと、エレノアは僕の腕に自分の腕をきつく絡ませ、体をすり寄せてきた。
「ええ。でも、その道標を作ったのはあなた様です。……ああ、やはり私の目に狂いはありませんでした。アーサー様は、絶対に手離してはいけない、世界でただ一つの私の『宝物』ですわ」
耳元で囁かれる、相変わらず重い愛の言葉。
広場で楽しそうに笑う民たちの姿を見ながら、僕は「この笑顔を守るための激務なら、悪くないか」と、遠ざかるスローライフへの未練を少しだけ手放すのだった。
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