持たざる者の盾
第二部、無事に締められました。良かった。
それから、数年の月日が流れた。
王都はすっかり様変わりしていた。『鉄の女』エリザベス女王の苛烈にして公正な統治と、僕が血を吐くような思いで整備した新たな法体系により、かつてのスラムは活気ある商業特区へと生まれ変わり、腐敗した貴族たちは完全に一掃された。
そして今日。僕はついに、国家法典の最終巻を完成させ、玉座のエリザベス女王へと提出した。
「……見事だよ、アーサー。これであんたに押し付けていた、この国の法整備はすべて完了だ」
女王は分厚い法典を撫で、満足げに頷いた。
「これでようやく、僕は引退してスローライフを送れますね」
目の下に濃いクマを作った僕が安堵の息を吐くと、女王は豪快に笑い、そして真剣な眼差しになった。
「この数年、あんたはこの国の
『法』という根を作り、また、弱者を救ってくれた。その功績は計り知れない。……褒美として、一つだけあんたの『願い』を叶えてやろう。爵位でも、領地でも、莫大な富でもいい。望みを言いな」
一国の女王からの、白紙の小切手。
僕は小さく深呼吸をし、背後に控える「僕の完璧なメイド」を振り返った。
「では……亡国の王女、エレノア・ヴァン・アスタリア。先の戦争で滅んだ彼女の母国を再興し、彼女を正統な『女王』として戴くための、我が国からの全面的な軍事および経済支援を願い出ます」
その言葉が響いた瞬間。
エレノアの持っていた銀のトレイが、ガシャンと音を立てて大理石の床に落ちた。
「アーサー様……?」
常に冷静沈着な彼女が、信じられないものを見るように目を見開き、震える声を出した。
「そんな……私は、王になどなりたくありません! 私はただ、一介のメイドとして、アーサー様の傍にずっと、ずっとお仕えしていたいのです!」
彼女は僕の足元に崩れ落ち、すがりつくように僕の服の裾を握りしめた。
その目からは、大粒の涙が溢れ出ている。隣国の暗部すら恐れた最強の女が、今だけは、一人の弱い少女のように泣きじゃくっていた。
僕はそっと膝をつき、彼女の震える肩を抱き寄せた。
そして、その温かい身体を、力強く抱きしめる。
「……僕だって、そうあって欲しい。エレノアの事を、心から愛しているから」
「アーサー様……っ」
「でもね、エレノア。これは、どうしても成さなくてはならない事なんだ」
僕は彼女の銀糸の髪を撫でながら、静かに、けれど確かな決意を込めて語りかけた。
「君の祖国が戦争で滅びてから、難民となった君の民たちは、今も各地で虐げられ、酷い暮らしを強いられている。彼らには、法という盾も、帰るべき家もない」
『持たざる者の盾』としてこれまで多くの弱者を助けてきた。だが、国を失った難民たちの苦しみは、一介の法律家の手には余る。彼らを本当に救えるのは、正統な王家の血を引くエレノアだけなのだ。
「君なら分かるはずだ。理不尽に虐げられる弱き者たちを、見捨てるわけにはいかないって。……君の民を救うために、どうか、女王になってくれ」
僕の切実な声に、エレノアは僕の胸に顔を埋め、声にならない声を上げて泣き崩れた。
やがて彼女は、ゆっくりと顔を上げ、涙に濡れた微笑みを浮かべた。
「……我が主人の、仰せのままに。私は玉座へ赴きましょう」
数週間後。
祖国復興のために旅立つエレノアを見送った僕は、ギルドの最上階で一人、空になったティーカップを見つめていた。
「……寂しくなるわね」
ポン、と背中を叩かれた。振り返ると、ギルドの制服を着たリリーが、少しだけ優しい顔をして立っていた。
「まあ、あんたは正しい事をしたわよ。あの過保護メイドがいなくなって、少しは静かな暮らしが送れるんじゃない?」
「……そうだね」
リリーの不器用な慰めに苦笑した、その時。
ドタバタとものすごい足音を立てて、ウィンストンが部屋に飛び込んできた。
「アーサー!! エリザベス女王陛下から、至急の命令書だ!!」
「えっ? 法整備はもう終わったはずじゃ……」
嫌な予感しかしない。僕は震える手で、王室の封蝋がされた羊皮紙を受け取り、目を通した。
『――新国家アスタリアの復興を強固なものとするため、我が国の最高法務顧問アーサーを、エレノア女王の【王配】ならびに【初代宰相】に任命する。直ちに現地へ向かい、建国を一から手伝え』
「……は?」
僕の思考が停止した。
「王配って……夫!? それに、宰相!?」
リリーが横から覗き込み、悲鳴のような声を上げた。
「がはははっ! さすがはエリザベス様だ、粋な計らいじゃねえか! 再興された国の法律もインフラも経済も、全部お前さんが再整備するんだ!良かったな、愛しの嫁さんの役に立てて!」
ウィンストンが腹を抱えて大爆笑している。
エリザベス女王は最初から分かっていたのだ。僕がエレノアを愛していることも、そして、僕を隣国に送り込めば、国の復興が進むということも。
「ま、待ってよ……! 国を一つ、一から再興するなんて……これまで以上の激務じゃないか!! 法律も、裁判所も、戸籍も、全部ゼロから!? しかも王配って、逃げ道ゼロ……!!」
僕は両手で頭を抱え、絶望の叫びを上げた。
「私の出番はこれからだったのに! あの女、アーサーを持っていきやがったわねええぇ!!」
リリーが悔しそうに地団駄を踏んでいる。
かくして。
『持たざる者の盾』としての僕の戦いは、王都から新国家へと舞台を移して再スタートを切ることになった。
愛する愛の重い無敵の女王陛下と共に。
僕の夢見た静かなスローライフは、さらに遠ざかっていったのだった。
<第2部 完>
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