看病合戦
新女王エリザベスの誕生から数週間。
「鉄の女」として王宮の改革を推し進める彼女の政策は、すべて僕――アーサーの机を経由して法制化されていた。
「アーサー先生! 今度の新しい『孤児院保護法案』の条文チェック、お願いします!」
「アーサー! スラムの再開発特区の件、貴族院からクレームが来てるわよ!」
ギルド長ウィンストンと、受付嬢のリリーが次々と書類の山を運んでくる。それに加えて、相変わらず王都中の平民たちからの法律相談もひっきりなしに舞い込んでいた。
(……おかしい。僕はただ、郊外でスローライフを送りたかっただけなのに)
前世の検察時代すら生温く感じるほどの激務。
休む間もなく分厚い判例集に目を通していた僕は、ふと視界がぐらりと揺れるのを感じた。
「……あれ?」
熱い。息が苦しい。
ペンを握る手から力が抜け、僕はそのまま書類の山に突っ伏して意識を手放した。
「アーサー様ッ!?」
最後に聞こえたのは、普段の完璧な冷静さを完全に失ったエレノアの、悲痛な叫び声だった。
「……ん、ぁ……」
重い瞼を開けると、見慣れたギルド最上階の寝室の天井があった。
額には冷たいタオルが乗せられており、全身が熱っぽく怠い。どうやら、過労によってただの風邪を引いてしまったようだ。
「気がつきましたか、アーサー様……!」
「アーサー! あんた、急に倒れるから心臓が止まるかと思ったじゃない!」
ベッドの右側には、涙目で僕の手を握りしめるメイドのエレノア。
ベッドの左側には、同じく顔を真っ青にして身を乗り出してくるリリーの姿があった。
「ごめん……ちょっと無理をしすぎたみたいだ。ただの風邪だから、数日寝ていれば治るよ」
僕が弱々しく微笑むと、二人の女性はホッと安堵の息を吐いた。
しかし、次の瞬間。
二人の視線がベッドの上で交差し、バチバチと青白い火花が散った。
「……リリーさん。アーサー様がお目覚めになられました。一介の受付嬢は、早く一階の持ち場へお戻りください。ここから先は『専属メイド』である私の領域ですわ」
エレノアが、氷のように冷たく、しかし絶対的な独占欲を滲ませて微笑む。
「はぁ? 何言ってんのよ! あんたみたいな過保護メイドに任せたら、アーサーが息苦しくて休まらないでしょ! 私が看病するわよ!」
リリーも負けじと、元暗部幹部の負けん気を爆発させて睨み返す。
仁義なき『甘やかし(看病)合戦』の火蓋が切って落とされた瞬間だった。
「アーサー様、まずは栄養をつけなければなりません。滋養強壮に効く『幻の霊鳥』を裏山で狩ってまいりました。これを一晩晩煮込んだ特製スープです。さあ、あーんして……」
「ちょっと待ちなさいよ! 胃が弱ってる時にそんな重いもの食べられるわけないでしょ! ほら、アーサー、私がリンゴ剥いてあげたわよ! べ、別にウサギの形にしたのは、あんたが喜ぶかなんて思ったわけじゃないんだからね!」
エレノアがスプーンで差し出してくる黄金色に輝く謎のスープと、リリーが顔を真っ赤にしながら差し出してくる不格好なウサギリンゴ。
「い、いや、二人ともありがとう。でも今は食欲が……」
僕が苦笑して断ろうとすると、二人はさらにエスカレートし始めた。
「では、汗を拭きましょう。アーサー様、お召し物をすべてお脱ぎください。隅々まで、私が綺麗にして差し上げますわ」
エレノアが真顔で僕のパジャマのボタンに手をかけようとしてくる。
「ちょっと! 病人に何しようとしてんのよこの変態メイド!! 汗を拭くなら私がやるわよ!」
「……泥棒猫には、やはり物理的なお仕置きが必要なようですね」
「上等よ! 表へ出なさい!」
「あー!! もう、二人ともストップ!!」
僕は最後の気力を振り絞って、大きな声を出した。
ピタリと、二人の動きが止まる。
「……お願いだから、静かに眠らせてくれ。僕に必要なのは、スープでも何でもなく、ただの『睡眠』なんだ」
僕が懇願するように言うと、二人はハッとして、シュンと肩を落とした。
「……申し訳ございません、アーサー様。私としたことが、出過ぎた真似を……」
「ご、ごめん。あんたが倒れたから、焦っちゃって……」
素直に謝る二人に、僕は小さく息を吐いた。
「気持ちは嬉しいよ。ありがとう。だから……少しだけ、休ませて」
目を閉じると、すぐに心地よい睡魔が襲ってきた。
だが、僕の意識が完全に沈む直前。
ベッドの右側から、エレノアが僕の右手を両手で包み込み、自分の頬にすり寄せる感触があった。
同時に、ベッドの左側から、リリーが僕の左手をギュッと握りしめる感触。
(……君たち、これじゃあ寝返りが打てないんだけど)
両手を二人にガッチリとホールドされたまま。
僕は病床においてすら、のんびりとは休めないのだった。
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