『鉄の女』の誕生
王宮の最奥に位置する、数百年間一度も使われることのなかった『特別貴族院法廷』。
重厚な大理石に囲まれた議場は、宰相をはじめとする高位貴族たちの異様な熱気と緊張感に包まれていた。
議場の中央、一段高い被告人席には、豪奢な王衣を身にまとった現国王が座っていた。だが、その顔にはかつての絶対的な威厳はなく、物流を止められたことによる苛立ちと焦燥で引き攣っている。
「……茶番だ。一国の王である余を、このような埃被った法廷に引きずり出すなど、万死に値する反逆行為であるぞッ!」
国王が玉座の肘掛けを叩き、議場に怒声を響かせる。
一部の貴族が怯んで目を伏せる中、僕は静かに、しかし議場の隅々にまで届く冷徹な声で口を開いた。
「『いかなる王権も、法の天秤と貴族院の総意の上には立てず』。王歴元年・獅子王の大憲章第12条に基づく、極めて合法的な手続きです。……この期に及んで、特権という名のメッキでご自身の罪を覆い隠せるとお思いですか」
僕は顔から一切の感情を消し去り、氷のようなディベーターの目で国王を真っ直ぐに射抜いた。
「起訴状の通りです。被告人たる国王は、ご自身の双子の姉である真の王位継承者の生存を知りながら、王位への執着から彼女をスラムへ遺棄し、さらに先日、証拠隠滅のために『王属特務兵』を用いて暗殺を企てた。……間違いありませんね?」
「黙れッ! そのような事実はない! スラムの売春婦が王家の血を引いているなど、頭のおかしな亡霊の戯言だ! 特務兵が襲ったというのも、貴様らの自作自演に決まっておる!」
国王の反論は予想通りだ。
僕は手元の黒革の鞄から、分厚いファイルの束を取り出し、弁護席の机にドンッと重い音を立てて置いた。
「自作自演、ですか。では、この『金』の流れはどう説明なさるおつもりで?」
僕は書類の一枚を高く掲げた。
「これは、ヴィクトリア様をはじめとする宰相派閥の皆様、そして商業ギルドの徹底的な調査によって暴かれた『王室機密費の裏帳簿』です。二十年前、貴方が王位に就いた直後から、スラムの孤児院、そして裏社会の元締めたちに対して、定期的に莫大な資金が送金されている。……目的はただ一つ。『あの女が死んだか、生きていれば決して表に出さないよう監視し続けること』だ」
「なっ……! そ、それは……」
「さらに!」
僕は国王に言い訳の隙を与えず、次の証拠を叩きつける。
「襲撃してきた特務兵たちから押収した、襲撃命令書。そこには、王宮の認印と共に、貴方の『直筆のサイン』が記されている。彼らの身柄はすでに商業ギルドの地下牢に拘束済みであり、全員が『国王からの直接の命令であった』と自白しています」
「偽造だ! そのような書類も、特務兵の証言も、すべて貴様らが捏造したものだッ! 余は一国の王だぞ! スラムの底辺で泥水を啜るような卑しい娼婦なぞ、最初から存在すらしておらんッ!!」
国王が顔を真っ赤にして立ち上がり、見苦しく叫び散らす。
その言葉を聞いた瞬間。僕の中で、前世から抱え続けてきた『理不尽に虐げられる弱者への想い』と『権力者の傲慢さに対する怒り』が、臨界点を突破した。
「……卑しい娼婦だと?」
僕は机を強く叩き、議場に響き渡る声で怒鳴った。
「彼女がなぜ、泥水を啜らねばならなかったのか! なぜ、誇りも尊厳も奪われ、スラムの暗闇で生きるしかなかったのか! それは他でもない、貴方が保身のために彼女の人生を奪い、見捨てたからだろうがッ!!」
圧倒的な僕の気迫に、国王がヒッと喉を鳴らして一歩後ずさる。
「『存在すらしていない』と言いましましたね。……ならば、これで終わりだ」
僕は最後の証拠として、古びた一通の羊皮紙を宰相へと提出した。
「それは、先代王妃の遺品の中から、崩御の直前に密かに信頼する神父へと託されていた『告解状』です。そこには、双子の姉の特徴である首元の『百合の紋章の痣』の記述と共に、貴方が即位式の日、母君である王妃に対して『あの女が玉座に近づけば、直ちに喉を掻き切る』と脅迫していた事実が、王妃自身の血文字で克明に記されている!」
「あ……あぁ……っ」
「王妃は、貴方の異常な権力欲と冷酷さに絶望し、暗殺の恐怖に怯えながら亡くなっていった。……母親の涙を踏みにじり、肉親をスラムへ見捨て、自らの手を汚さず暗殺者にすべてを押し付けてきた。貴方は王などではない! 権力にすがりつくことしかできない、哀れで卑小な泥棒だッ!」
逃げ場を完全に塞ぐ、完璧な論理の檻と、動かぬ証拠の数々。
僕は、膝の震えが止まらない国王を真っ直ぐに指差した。
「奪われた者の痛み。権力に踏みにじられた弱者の絶望。そして、法を愚弄した罪の重さ……! そのすべてを、法と証拠をもって、今ここで『徹底的に精算』していただくッ!!」
僕の咆哮が、広大な法廷に雷鳴のように響き渡った。
静寂。
誰もが息を呑む中、ついに国王は膝から崩れ落ちた。
「あ、ああ……余の、余の玉座が……」
力なくうわ言をこぼす王の姿は、もはや君主のそれではなく、すべての罪を暴かれ、抜け殻となった一人の罪人でしかなかった。
宰相が重々しく立ち上がり、冷酷な宣告を下す。
「……貴族院の総意をもって判決を下す。現国王の王位継承権を無効とし、直ちに廃位、および国家反逆罪ならびに殺人未遂罪にて、終身投獄とする」
木槌が打ち鳴らされる。
それは、数百年続いた腐敗した王室の終焉と、一人の若き法務執行人が「国」そのものを打ち倒した歴史的な瞬間だった。
閉廷後。
僕は緊張の糸が切れ、弁護席の椅子に深く沈み込んでネクタイを緩めた。
「……ふぅ。終わった。これで、王室の腐敗も完全に片付いたはずだ」
「見事な論破でございました、アーサー様」
背後から、いつものようにエレノアが僕の首元に柔らかな腕を回し、労うように抱きしめてくる。
「どんな巨悪が相手であろうと、絶対に怯まず正義を貫くあなた様のお姿……見惚れましたわ」
耳元で囁かれる声に苦笑していると、法廷の出口で、真の王位継承者である老婆が僕を待っていた。
「見事だったよ、お坊ちゃん。まさか本当に、あの馬鹿な弟を玉座から引きずり下ろすとはね」
「約束ですから。……さあ、これからは貴女が正統な女王として、この国を導く番です」
僕が告げると、老婆は短く息を吐き、愛用のキセルをしまった。
「スラムの娼婦のババアが、煌びやかな玉座に座るなんてね。どう考えても悪い冗談だ。……だが」
彼女は背筋を伸ばし、かつてスラムの底辺を生き抜いてきた凄みと、王家の血に連なる者としての誇りが混じり合った、強烈な覇気を放った。
「二度と、この国で泥水を啜って泣く孤児を出さないためだ。腐りきった貴族どもを叩き直し、弱者がまともに生きられる国を作る。……あの血生臭い王冠、私が被ってやるよ」
その力強い瞳に、僕は深く頭を下げた。
後に彼女は、王宮の悪しき慣習を次々と打破し、スラムの再建と腐敗貴族の容赦なき粛清を断行することになる。いかなる圧力にも屈しないその苛烈な治世から、彼女は歴史書に『鉄の女』と記され、王国中興の祖として後世に語り継がれる偉大な女王となった。
だが、その栄光の影には、常に一人の男の存在があった。
女王が最も信頼し、彼女の政策に立ちはだかるあらゆる理不尽な抵抗勢力を、完璧な法と論理で打ち砕き続けた『盾』。
「というわけで、お坊ちゃん。国を根底から作り直すんだ、あんたの頭脳とギルドの力、女王の専属顧問として死ぬまでこき使わせてもらうよ。逃がさないからね」
「えっ? いや、僕はそろそろ田舎でスローライフを……」
「新女王の最初の勅命を断る気かい? 国の法整備、頼んだよ!」
豪快に笑いながら、新たな玉座へと歩み去っていく女王。
つまりそれは、『一国の頂点に立つ女王の影の右腕として、国家レベルの法整備と貴族たちの粛清という前代未聞の超絶激務が確定した』ということを意味していた。
「……嘘、だろ」
僕は両手で顔を覆った。
悪党は一掃した。正義は勝った。弱者は救われた。
だが、僕のスローライフは、今度こそ完全に、永遠に消滅したのだ。
「アーサー様? どうなさいました?」
「いや……僕の人生、これからどれだけ休めなくなるんだろうって……」
絶望する僕の背後で、エレノアがとろけるような笑い声を漏らした。
「ふふっ。ご心配なく。国を動かすほどの激務であろうと、私が二四時間、一分一秒の隙もなく、あなた様の身も心も完璧に管理して差し上げますから」
深海のような深い愛の拘束具はもう外れることはない。
『持たざる者の盾』が、歴史に名を残す偉大な女王の「影の法務執行人」になってしまった日。僕の終わらない激務と、過保護なメイドとの生活は、これからも続いていくのだった。
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