操られた狂人
北の離宮の警備記録と、ギルドの情報網。そしてエレノアが裏ルートで手に入れた「安物のシャツ」の流通経路。
それらをパズルのように組み合わせた結果、僕たちは一つの答えに辿り着いた。
「北の離宮の警備兵たちは、隣国の金貨で買収されていた。そしてエドワードは週に二度、兵士が意図的に開けた裏口から抜け出し、王都へ向かっている。……今日が、その日だ」
深い霧が立ち込める王都のスラム街。
僕たちは『切り裂き魔』が現れると予測した路地裏に潜んでいた。
「アーサー様。ご覧の通り、今の私は夜道に迷い込んだ、隙だらけで無防備なメイドですわ」
「……どう見ても、隙なんて一ミリも見当たらない鋼鉄の要塞にしか見えないんだけど」
エレノアはあえて外套を着ず、目立つメイド服のまま濃霧の通りをゆっくりと歩き始めた。
標的は、自分を破滅させた女たちへの逆恨みを募らせているエドワード。ならば、僕の「身内」であり、彼を追い詰める決定打を放ったエレノアは、最優先で狙われるはずだ。
数分後。
霧の奥から、ズル……ズル……と、足を引きずるような不気味な足音が近づいてきた。
「……あァ……汚れた女……浄化しなければ……」
現れたのは、かつての豪奢な面影など微塵もない、ボロボロの安シャツを着た男だった。
落ち窪んだ目、虚ろな焦点。手には、血にまみれた鋭利な肉切り包丁が握られている。
間違いない。元王太子、エドワードだ。
「甘い煙の声が……言っていた……。僕を貶めた悪女どもを……排除すれば……僕は再び王になれると……ひひっ、ひひひっ!」
彼は壊れた機械のようにうわ言を繰り返し、狂気に満ちた笑い声を上げながら、エレノアに向かって飛びかかった。
ド素人の、ただ闇雲に刃物を振り下ろすだけの単調な攻撃。
「……身の程を知りなさい、愚か者」
エレノアは一切の感情を交えない冷たい声と共に、優雅なステップで包丁を躱した。
そのまま手にした日傘の柄で、エドワードの手首を的確に打ち据える。
『ガァッ!?』
鈍い音と共に刃物が落ちる。エレノアは容赦なく彼の膝裏を蹴り砕き、地面に這いつくばらせた上で、背中をヒールで冷酷に踏みつけた。
「あァァッ!! 痛い、痛い!! 許して、ごめんなさい、父上!!」
先ほどまでの狂気はどこへやら、エドワードは子供のように泣き叫び、地面に顔を擦り付けた。
「……エレノア、そこまでだ」
僕は物陰から歩み出ると、這いつくばるエドワードの顔を覗き込んだ。
「ひっ……あ、あァ……? 誰だ、お前は……邪魔をするな……僕は王になるんだ……甘い香りが、僕を導いて……」
焦点の合わない目で虚空を見つめ、ぶつぶつと呟くエドワード。その異常なほどに縮瞳した目と、彼の呼気から漂う独特の甘い匂いに、僕はハッとした。
「……隣国特産の違法薬物の匂い。それに、この暗示にかかったような異常な執着……」
僕は前世で扱った薬物事件の知識を総動員し、事の真相を悟った。
「彼は、自らの意志で切り裂き魔になったんじゃない。……『何者か』に薬漬けにされ、洗脳され、王都を混乱に陥れるための『使い捨てのテロリスト』として操られていたんだ」
恐らく、隣国の暗部が軟禁状態の彼に接触したのだろう。
絶望し、精神が衰弱していた彼に薬物を与え、「復讐すれば王に戻れる」という甘い幻覚を見せてスラムへと放り出したのだ。
「哀れな男だ……。王太子という地位を剥奪された挙句、最後は敵国の操り人形に成り下がるなんて」
僕は彼を拘束するようエレノアに指示を出し、馬車を手配した。
向かう先は、彼を心待ちにしている『あの女』の病室だ。
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