パートナーとの出会い
熱から回復し、自らの置かれた将来の連帯責任での処刑ルートを回避するための計画を練り始めて数日後。
法注釈本を読み込んでいた時に、ふくよかで傲慢そうな男――今世での父親であるアッシュクロフト伯爵が、一人の少女を僕の部屋に連れてきた。
「アーサー、体調は良さそうだな。今日はお前の専属メイドを連れてきてやったぞ」
父親の後ろに控えていた少女を見て、僕は思わず息を呑んだ。
年は僕と同じか、一つ上くらいだろうか。
粗末なメイド服を着せられているが、目を引くような美しい銀糸の髪と、透き通るような白い肌を持っていた。冴え冴えとした美貌は、子どもながらにすでに完成されている。
だが、その見事な美しさ以上に強烈だったのは、彼女の「目」だった。
深海の底のように冷たく、静かな瞳。
表面上はメイドとしての慎み深い表情を作っているが、その奥には、周囲のすべてを拒絶するような強い敵愾心と、絶対に隙を見せまいとする警戒心が張り詰めている。
まるで、触れるものすべてを凍らせる「氷の姫」のようだった。
「こいつは先日の戦争で我が国が滅ぼした、隣の小国の王女だ。国王陛下への献上品として奴隷に落とされたが、妾にするにはまだ幼すぎるとのことでな。下賜品として我が家がもらい受けたのだ」
父親は、まるで珍しいペットでも自慢するかのような下品な笑みを浮かべた。
「とりあえずはお前の身の回りの世話をさせる。血筋だけはいいからな。あと数年して女らしく成長したら、私が妾として召し上げる予定だ。それまで傷をつけないように使えよ」
……最悪だ。
前世で散々見てきた、権力を笠に着て他人の尊厳を平気で踏みにじるクズの典型。
小国とはいえ、王女として誇り高く育てられた彼女が、戦利品のように扱われ、将来を弄ばれる。その絶望と屈辱は計り知れない。
「さあ、挨拶しろ」
父親に促され、少女は一歩前へ出た。
彼女の警戒に満ちた冷たい瞳が、僕の顔を観察しているのが分かった。
僕の見た目は客観的(家政婦長 老婆談)に見て整っているらしいが、それ以上に、前世から『人が良さそう』とか笑顔が『春の陽だまりのような微笑み』だと周りから言われていた。
今の彼女の目にも、僕は「無害でお人よしな、甘ったれた貴族のバカ息子」に映っているはずだ。
彼女は粗末なスカートの裾をつまみ、この国の最高位の貴婦も及ばない完璧で、洗練されたカーテシーを披露した。
「お初にお目にかかります、アーサー坊ちゃま。エレノアと申します。奴隷の身ではございますが、粉骨砕身、坊ちゃまに仕えさせていただきます」
鈴を転がすような澄んだ声。
だが、僕には分かった。彼女の心にはそんな事一ミリもこもっていない。理不尽な暴力に対する怒りを、完璧な王族の教育で分厚い氷の下に隠しているだけだ。
「よしよし。ではアーサー、私は仕事に戻るからな」
満足そうに頷き、父親が部屋を出ようと背を向けたその時。僕の中で火がついた。こうなると前世から人が変わってしまう。頭は冷たく冴えて、心は熱く燃え上がる感覚。
「……お言葉ですが、お父様」
僕の声が、重く、低く部屋に響いた。
顔から「陽だまり」のような温厚な微笑みがスッと消え失せる。代わりに浮かび上がったのは、法廷で理不尽な権力者を絶対に許さず、地の果てまで追い詰める冷徹で、底知れぬ威圧感を放つ顔だ。
「なんだ? その目は……」
僕の鋭い眼光に射抜かれ、父親は思わずたじろいだ。背後で、エレノアが息を呑む気配がする。
僕はゆっくりと一歩前に出た。部屋の空気が、急激に重く冷たくなる。
「彼女をただの雑用係として浪費し、あまつさえ慰み者にするなど……アッシュクロフト家の利益を著しく損なう愚行と言わざるを得ません」
「なっ……なんだと!?」
「僕はいずれ王太子殿下にお仕えする身。国際的な政治感覚や他国の歴史、最高峰の礼儀作法を学ぶのは急務です。そして王族というものの教育はどの国も過酷なもの。であればあのエレノアというメイドの頭脳に詰まった知識やマナーは、そこらの家庭教師など足元にも及ばないものだ」
僕は一歩、また一歩と父親ににじり寄り、逃げ道を塞ぐように理詰めで畳み掛ける。
「もし彼女をただの奴隷として扱い、その知識を腐らせるようなことがあれば……それは我が家の将来にとって取り返しのつかない大損失。」
「そ、それは……」
「彼女を僕の教育係兼学友とし、共に食事をとらせテーブルマナーの教材とすべきです。彼女に高度な教養を保たせておけば、将来お父様が召し上げる際にも、『元奴隷』ではなく『気高き小国の王女』としての付加価値が極限まで高まる。投資としてはこれ以上ないほど有益なはずです。……違いますか?」
最後の一言は、地を這うような低い声だった。
一切の反論を許さない、絶対的な論理と、相手の「欲」を正確に突いた交渉術。なにより、その異常なまでの眼力と迫力に完全に呑み込まれ、父親は脂汗を流しながら何度も頷いた。
「そ、そうだな……! ま、全くお前の言う通りだ。さ、さすが我が息子、賢い使い方を思いつく……!」
こうして僕は、重苦しい威圧感と理詰めによる論戦で、エレノアを「物」や「奴隷」として扱う環境から引き剥がすための、堂々たる大義名分をもぎ取ったのだ。
* * *
バタン、と重厚な扉が閉まり、部屋には僕とエレノアだけが残された。
「ふぅ……うまくいってよかったな」
僕は小さくため息をつくと、顔から人を射殺すような威圧感をサッと消し去った。そして、ふたたびいつもの「陽だまり」のような、お人よしの微笑みに戻って、彼女を振り返る。
「ごめんね、怖い顔しちゃって。エレノア、そこにある椅子に座ってくれるかな」
声をかけると、彼女は戸惑ったようにその場に立ち尽くしていた。
無理もない。先程まで、この部屋の空気を凍らせるほどの恐ろしい気迫で当主を圧倒していた男と、目の前で申し訳なさそうに笑う「春の陽だまり」のギャップに、頭が追いついていないのだろう。
「……坊ちゃまは、いったい何者なのですか?」
警戒と困惑を混ぜながら尋ねてくる彼女に、僕は両手を上げて敵意がないことを示した。
「ただの変わり者だよ。誤解しないでほしいんだけど、君の誇りを傷つけるつもりはないんだ。もし良ければ君の王族としての『知識』と『知恵』を、僕に貸してほしい、メイドでなくパートナーとして」
その日の夕食。僕の部屋のテーブルには、二人分の食事が並べられていた。
僕のお願いで、向かいの席に座ったエレノアは、温かいスープを前にして、じっと僕の顔を見つめてきた。
「……なぜ、このようなことを?」
「僕が、君を尊敬しているからだよ」
僕はスープ用のスプーンを置き、彼女の目をまっすぐに見返した。
「国を奪われ、理不尽な扱いを受けても、君は決して自分を見失わず、気高く立ち、自分がこれから何をどうすべきか冷静に考えていた。それは、誰にでもできることじゃない。僕は君を一人の貴人として考えているし、さっきも言ったけど大切なパートナーとして考えてる」
前世から続く、僕の悪い癖だ。
傷ついている人を見ると、どうしても放っておけない。
エレノアは目を見開き、信じられないものを見るような顔をした。
父親を圧倒した時の、あの権力者すら震え上がるような冷徹な顔。それとは対極にある、自分に向けられた、春の陽だまりのように優しく温かい微笑み。
ずっと張り詰めていた彼女の肩から、ほんの少しだけ、ふっと力が抜ける。
「……本当に、不思議な、お方ですね」
ぽつりとこぼれたその声は、メイドとしての作られた美声ではなく、年相応の、等身大の少女の響きを持っていた。
「よく言われるよ。さあ、冷めちゃうから食べよう。明日はさっそく、君の国の歴史について教えてほしいんだ」
「……はい。喜んで、アーサー様」
その時、彼女が見せた微かな微笑みは、氷が溶け、春の陽だまりが顔を出したかのように温かく、そして残酷なほどに美しかった。
(よし。とりあえず、最悪の環境からは保護できたぞ)
温かいスープを飲みながら、僕は密かにガッツポーズをした。
この時の僕はまだ知らなかった。
この二面性――敵に対しては底知れぬ威圧感で容赦なく追い詰め、自分のためだけに最高に甘く優しい微笑みを向けてくれる――という事実が、のちに彼女の僕に対する『海より深く、鋼より重い絶対の愛情』を呼び覚ます引き金になってしまったということに。
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