コピーキャット
夜霧の路地裏で暗殺者たちを沈めた後、僕とエレノアは封鎖された事件現場――殺された高利貸しの事務所へと足を踏み入れた。
警察のずさんな家宅捜索の跡が残る室内。
だが、僕の狙いは「警察が見落としたもの」ではなく、「警察が意図的に見逃したもの」だった。
「エレノア。高利貸しが悪どい商売をする時、必ず残すものがある。脅迫のネタを記した『裏帳簿』だ。真犯人が警察関係者なら、証拠隠滅のために持ち去るか、あるいは……」
「まだこの部屋のどこかに、巧妙に隠されている可能性が高いですね」
エレノアはランプの灯りを頼りに、無駄のない動きで部屋の構造を調べ始めた。
数分後、彼女が床板のわずかな軋みに気づき、隠し金庫を発見する。彼女のピッキング技術で開けられた中には、血のついた一冊の黒革の手帳が入っていた。
ページをめくった僕は、探していた「真実」を見つけ、冷たい笑みを浮かべた。
「……見つけた。王都警察の専属監察医、ギルバート。彼が警察の証拠品保管庫から横流しした麻薬の記録と、高利貸しからの莫大な強請の記録だ」
すべてが繋がった。
ギルバート監察医は、高利貸しからの度重なる脅迫に耐えかね、口封じを決意。世間を震撼させている『切り裂き魔』の連続殺人に偽装して高利貸しを殺害し、たまたま現場に居合わせたコリンにすべての罪を着せたのだ。
「これで動機と証拠が揃った。あとは法廷で、あの腐った医者の喉元にナイフを突きつけるだけだ」
「はい、アーサー様。証拠の裏付けと法廷への道程は、私が命に代えてもお守りいたします」
エレノアは静かに、けれど絶対の決意を込めて頷いた。
三日後。王都中央裁判所。
傍聴席は「切り裂き魔がついに裁かれる」という熱気に包まれ、異様な空気に満ちていた。
被告人席には、憔悴しきったコリン。
そして証言台には、王都警察の専属監察医であるギルバートが、白々しい悲痛な表情を作って立っていた。
「……遺体の切断面は極めて残忍であり、被告人のコリンが所持していた荷解き用ナイフによるものと完全に一致いたします。彼こそが、高利貸し殺しおよび、一連の切り裂き事件の真犯人に違いありません」
ギルバートの証言に、裁判官も傍聴人も深く頷く。
「弁護側。何か反論はありますか? なければ直ちに判決を下しますが」
裁判長が形式的に問いかける。
「ええ、大いに……大いにあります!」
僕は席を立ち、顔から微笑みを完全に消し去った。
前世で数多の悪党を地獄へ叩き落としてきた、氷のディベーターの顔で、法廷の中央へと歩み出る。
「ギルバート医師。貴方は遺体の切断面が『荷解き用ナイフ』によるものだと断言しましたね。では、この解剖図をご覧ください」
僕は遺体の詳細なスケッチを黒板に貼り出した。
「切断の軌道は、頸動脈を正確に切り裂き、肋骨などの硬い骨を完璧に避けて内臓に達している。これは暴漢が闇雲に振り回した刃傷ではない。人体構造を熟知した者による、極めて精緻な『外科手術』の痕だ」
「な、なにを馬鹿な……! 被告人は興奮状態にあったのだ、偶然骨を避けたに過ぎない!」
ギルバートが声を荒げるが、僕は冷徹に彼を見据えた。
「偶然? では、コリンの両手を見ていただきたい」
僕はコリンに両手を高く上げさせた。
「彼の指は、長年の肉体労働で分厚いマメができ、関節は変形している。このような手で、しかも粗末な荷解き用ナイフで、骨の隙間を数ミリ単位で縫うようなメス捌きができると? 貴方は医学の専門家でありながら、そんな物理的な矛盾すら無視して解剖書を作成したのですか?」
法廷がざわめき始める。ギルバートの額に、じわりと冷や汗が浮かんだ。
「そ、それは……彼が異常な腕力で……」
「苦しい言い訳ですね。では、次に行きましょう」
僕は手元の鞄から、あの『黒革の手帳』を取り出し、裁判長席へ提出した。
「これは、被害者である高利貸しが隠し持っていた裏帳簿です。ここには、王都警察の証拠品保管庫から押収品の麻薬を横流しし、莫大な利益を得ていた人物の名前が記されている。……ギルバート医師。貴方の名前が、ね」
「なっ……!?」
ギルバートの顔から一瞬にして血の気が引いた。
「貴方は高利貸しに弱みを握られ、破滅寸前だった。だから口封じのために彼を殺害した。自分の犯行を『切り裂き魔』の仕業に見せかけるため、外科医としての技術を使って遺体を損壊し、たまたま現場に居合わせた青年に罪を着せた。……これが事件の真相だ!」
「ち、違う! それは偽造だ! 私を陥れるための陰謀だ!!」
発狂したように叫ぶギルバート。だが、僕は彼にトドメを刺す「最後の一手」を用意していた。
「偽造かどうかは、貴方の『医療鞄』の中身を調べれば分かりますよ」
僕はエレノアに向かって小さく頷いた。
エレノアは静かに進み出ると、警察署のギルバートの執務室から合法的な手続きの末、押収してきた彼の医療鞄を法廷の机に置いた。
「この鞄の中には、特注の外科用メス一式が収められています。しかし、最も鋭利な『6番メス』だけが一本欠落している。……なぜなら、そのメスの刃先の一部が、被害者の頸椎の骨に挟まって欠けた状態で残っていたからです。これこそが、真の凶器の証明だ!」
「あ……あぁ……」
言い逃れの不可能な、完璧な物証。
ギルバートは膝から崩れ落ち、法廷の床に両手をついてガタガタと震え出した。
「罪なき弱者を死地へ追いやり、自らの保身を図る。……その浅ましい罪の対価、法の下で徹底的に支払っていただきます」
僕の冷徹な宣告が法廷に響き渡ると同時に、傍聴席からは割れんばかりの歓声が上がった。
裁判長の木槌が打ち鳴らされ、コリンの無罪と、ギルバートの逮捕が即座に命じられた。
* * *
「アーサー先生……! ありがとうございます、ありがとうございます……!!」
法廷の外で、解放されたコリンが涙を流して僕の手を握りしめていた。
僕はいつもの人好きのする笑顔に戻り、彼の背中を優しく叩く。
「気にしないで。当然の仕事をしたまでだよ。早く家族のところに帰ってあげて」
コリンを見送った後、僕は大きく伸びをした。
「ふぅ……これでようやく、王都での仕事は終わりだ。今度こそ、郊外の家に戻ってスローライフを満喫しよう」
「はい、アーサー様。素晴らしい弁護でございました。……しかし」
僕の背後で、エレノアが静かに、そしてひどく冷たい声で言葉を紡いだ。
「あの監察医は、高利貸し殺しの真犯人ではありましたが……一連の『切り裂き魔』ではありません」
「……ああ、わかっている」
僕は王都を包む濃霧を見上げた。
今回の事件は、あくまで模倣犯》による犯行だ。王都の女性たちを夜な夜な解体している本物の『切り裂き魔』は、まだこの霧の奥深くに潜んでいる。
さらに言えば、脱獄したリリー男爵令嬢と隣国の暗部の脅威も、未だ去ってはいない。
「アーサー様。いかなる闇が迫ろうと、私がお守りいたします」
エレノアが僕の隣に立ち、そっと僕の指先に自分の指を絡ませてきた。
その手は、裏社会の暴力を粉砕してきた血塗られた手のはずなのに、僕に触れる時だけは、信じられないほど優しくて温かかった。
「……頼りにしているよ、エレノア」
霧の都で産声を上げた法務執行人とメイドのタッグ。
スローライフへの道程は、まだまだ長く険しいものになりそうだった。
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