冤罪
王都の中心街は、どんよりとした厚い濃霧に包まれていた。
数歩先も見えないほどの霧は、最近この街を震え上がらせている『切り裂き魔』の恐怖を、そのまま象徴しているかのようだった。
ギルドが手配してくれた高級宿に荷物を置くのもそこそこに、僕とエレノアは王都警察の薄暗い地下拘置所へと足を運んだ。
「……助けてください、アーサー先生。俺は、高利貸しの旦那を殺してなんかいません……っ」
鉄格子の向こうで、顔を腫らした青年のコリンが涙ながらに訴えてきた。
度重なる警察の過酷な尋問と暴力により、彼は心身ともに限界を迎えている。警察は彼を「高利貸し殺し」の犯人であると同時に、世間を騒がせる連続殺人鬼『切り裂き魔』の正体として、すべての罪を被せて処刑しようとしていた。
「大丈夫です。深呼吸して、僕の質問にだけ答えてください」
僕は声を低く落とし、彼を落ち着かせるように静かに尋ねた。
「警察は、君が仕事で使っている『荷解き用のナイフ』を凶器だと断定していますね。……コリン、両手を鉄格子のこちら側に出して見せてくれますか」
コリンが震える手を差し出す。
その手のひらには、重い木箱や麻袋を毎日運んでいる証拠である、分厚く硬いマメがいくつもでき、指の関節は太く無骨に変形していた。
(……やはりな)
僕は前世の検察官としての知識――数々の検死報告書を見てきた経験と照らし合わせ、確信を抱いた。
遺体は、骨の関節や内臓の位置を正確に把握していなければ不可能なほど、緻密に「解剖」されるように切り裂かれていたという。
そんな外科医レベルの繊細なメス捌きが、この分厚いマメだらけの手で、しかも粗末な荷解き用ナイフでできるはずがないのだ。
「アーサー様。やはり、この一件は……」
背後に控えるエレノアが、ひそやかな声で問う。
「ああ。連続殺人鬼は快楽犯だが、高利貸し殺しには『借金の帳消し』や『口封じ』という明確な動機がある。真犯人は、高利貸しを殺すために『切り裂き魔』の手口を模倣し、たまたま現場に来た彼に罪を着せたんだ」
そして、警察がこれほど性急にコリンを処刑しようとしている理由は一つ。
真犯人は、警察の内部捜査情報を知ることができ、かつ高度な外科手術の腕を持つ人物――『警察の専属監察医』などの内部の人間である可能性が極めて高いということだ。
「コリン。絶対に君を死なせはしない。僕が法廷で、真実を証明する」
僕の言葉に、青年は声を上げて泣き崩れた。
拘置所を出た後、僕たちは高利貸しが殺害されたスラムの路地裏――事件現場へと向かっていた。
陽はすでに落ち、夜霧が街灯の光を不気味に滲ませている。
「……アーサー様」
人気のない路地を歩いていた時。
エレノアの声が、いつもの甘さを完全に消し去った、氷のように冷たく張り詰めたものに変わった。
「そのまま、歩調を変えずに前だけを見てお進みください。振り返ってはいけません」
「エレノア……?」
「片付けてまいります」
僕が立ち止まるより早く、彼女の気配が僕の背後からスッと消えた。
濃霧の立ち込める路地の奥。
僕たちの調査を嗅ぎつけた真犯人が放ったのだろう。暗器を手にした五人のならず者が、音もなく僕たちの背後に迫っていたのだ。
エレノアは彼らの前に、一切の足音を立てずに立ち塞がった。
「なっ……女!?」
「どけ、そいつの首を――」
ならず者の一人が声を上げるよりも早く、エレノアの蹴りが暗闇を裂いた。
『――ッ!?』
鈍い音が響き、大柄な男の膝の関節が完全に逆方向へとへし折られる。悲鳴を上げる隙すら与えず、エレノアの手刀が男の頸動脈を正確に打ち据え、瞬時に意識を刈り取った。
圧倒的で冷酷な暴力の行使。
「私からアーサー様を奪おうとする者は……」
エレノアの瞳が、濃霧の中で酷薄な光を放つ。
彼女は手にした日傘の柄を引き抜き、そこに仕込まれていた細身の刃を抜き放った。
「何一つ残さず、この世から消し去ると決めているのです」
残る四人が恐怖に顔を引き攣らせ、一斉に襲いかかってくる。
だが、エレノアは表情一つ変えなかった。
冷徹なステップで刃を躱し、相手の急所を的確に穿ち、骨を砕き、命を奪わぬギリギリのラインで彼らの『戦闘能力』だけを完膚なきまでに破壊していく。
血飛沫が霧に舞う。
わずか数十秒。路地裏には、呻き声すら上げられず手足を砕かれた五つの肉塊が転がっていた。
エレノアはハンカチで刃の血糊を静かに拭い取ると、乱れたメイド服の裾を直し、冷たい目で見下ろした。
「……次に我が主人に牙を剥けば、命はありません。地獄の底で怯えて暮らしなさい」
* * *
「エレノア?」
霧の向こうから、僕を呼ぶ声が聞こえる。
僕は言われた通りに前を向いたまま、彼女が戻ってくるのを待っていた。
「お待たせいたしました、アーサー様」
霧の中から現れたエレノアは、いつもの完璧で美しいメイドの姿だった。
ただ、その頬にほんのわずかに赤い血の跡が跳ねているのを見て、僕は背筋が粟立つような緊張を覚えた。
彼女が裏で何をしてくれたのか、愚鈍ではない僕には痛いほど理解できた。
この事件は、これまでの貴族の小競り合いとは次元が違う。命の取り合いなのだ。
「怪我は、ないかい?」
「ええ。メイドの嗜みで少々お掃除をしただけですから」
彼女は静かに、絶対の忠誠と覚悟を込めて一礼した。
その真摯な姿に、僕は改めて決意を固める。
「行こう。悪党を法廷に引きずり出して、絶対に地獄へ落とす」
「はい。どこまでも、お供いたします」
我々に向けられる刃は、彼女がすべて叩き折る。
ならば僕は、法と論理という見えない剣で、この霧の都に巣食う巨悪の心臓を確実に貫いてみせる。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




