地獄の底までも
緑豊かな郊外の洋館で、買ってきたばかりの最高級の紅茶を楽しんでいた翌日の午後。
静寂を破るように、一台の早馬が我が家に駆け込んできた。
商業ギルドの使いから渡されたのは、緊急を知らせる赤い封蝋が押された速達便だった。
封を切って便箋に目を通す僕の顔から、次第に表情が消えていく。
「……アーサー様?」
エレノアが不穏な気配を察し、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
手紙の内容は、ギルドに所属する気のいい運送業の青年が、『殺人事件』の容疑者として捕らえられたという救援要請だった。
被害者は王都の悪徳高利貸し。青年は借金の返済猶予を求めにいっただけだったが、現場に居合わせたというだけで犯人に仕立て上げられたらしい。
この世界に来てから、契約トラブルや横領などの民事・行政事件は数多くこなしてきた。だが、人の命が関わる本格的な「刑事事件」の弁護は、これが初めてだ。
手紙には、絶望的な状況が綴られていた。
ずさんな現場検証。青年への自白の強要。そして、真犯人とおぼしき貴族の存在を揉み消そうとする、腐敗した警察機構の動き。
数日後には形だけの裁判が開かれ、彼は間違いなく絞首台へ送られる。
文字を追うごとに、僕の奥底で眠っていた前世の『検察官』としての血が沸騰していくのがわかった。
(罪なき弱者を力でねじ伏せ、濡れ衣を着せて死地へ追いやる……)
「……こんなこと、絶対に許されない」
手紙を握りしめる僕の手は、静かな、しかし確かな怒りで小刻みに震えていた。
スローライフを送りたい。平穏に生きたい。それは本音だ。だが、僕にこびりついている「正義感」と「法への執着」だけはどうしても、見過ごすことを許してくれない。
「エレノア。……王都へ戻るよ」
僕は振り返り、彼女の目を見た。
「この郊外からじゃ、事件の証拠も証言も集められない。ギルドが王都の中心街に宿を手配してくれたから、事件が解決するまでそこに滞在する」
言ってから、僕は深くため息をついた。
「ごめん、エレノア。せっかく、この家で静かな生活が手に入ったところだったのに。また君を面倒なことに巻き込んでしまう」
お人よしな僕のせいで、彼女の平穏まで奪ってしまう。その申し訳なさに目を伏せた、その時だった。
スッ、と。
エレノアの白く冷たい指先が、僕の震える両手を優しく、けれど力強く包み込んだ。
「謝らないでください、アーサー様」
顔を上げると、そこには深海の底のように静かで、熱く揺らめく瞳があった。
「理不尽に怒り、弱き者を救おうとする。……私は、あなた様のその気高き魂を愛しているのですから」
彼女は僕の手に自らの頬をすり寄せ、祈るように目を閉じて囁いた。
「貴方が向かう先が、私の行くべき道です。……例えそれが地獄であっても、私は必ずお供いたしますわ」
その声には、絶対的な愛が込められていた。
「……ありがとう、エレノア。頼りにしているよ」
「はい。アーサー様の剣となり盾となり、立ち塞がるすべての障害を排除してご覧に入れます」
そうして。
郊外の邸宅を買い取ってから、わずか数日。
僕たちはほとんどスローライフを満喫することのないまま、再び欲望と陰謀の渦巻く王都の中心街へと向かうのだった。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




