第3章 第1節 カニ鍋の余韻に浸る相田の前に現れたのは、焦燥という名の鬼火を纏ったトップランカーだった
第3章 修羅の如き令嬢、酒の席にて改心する
第1節 カニ鍋の余韻に浸る相田の前に現れたのは、焦燥という名の鬼火を纏ったトップランカーだった
地下水道ダンジョンの最奥。かつてのマッドクラブの住処は、今や芳醇なカニ出汁の香りに包まれていた。
携帯コンロの火を落とし、相田悟は満足げに息を吐いた。
ワンカップ大関の空き瓶が二本転がっている。胃袋は温かく満たされ、毛玉による精神のデトックス効果も相まって、相田の心は春の陽だまりのように穏やかだった。
「さて、片付けをして帰りますか。明日……いや、今日はもう無職なんでしたっけ」
独り言を呟きながら、相田はゴミをビニール袋にまとめ始めた。立つ鳥跡を濁さず。来た時よりも美しく。それが彼の流儀だった。
その時だ。
静寂な空間に、場違いなほど鋭利な殺気が突き刺さった。
ダンジョンの入り口から、一陣の風が吹き抜ける。湿った空気ではなく、ヒリヒリと肌を焼くような闘気だ。
カツ、カツ、カツ。
硬質な足音が響く。
相田が顔を上げると、そこには一人の少女が立っていた。
煌びやかな銀髪、透き通るような白磁の肌。身に纏っているのは、一目で最高級品とわかるオーダーメイドの深紅の軽鎧。手には身の丈ほどもある巨大なハルバード(戦斧槍)が握られている。
神宮寺麗華。国内屈指のクラン『天照』の次期当主にして、Sランク探索者候補の筆頭。
だが、その瞳は尋常ではなかった。
充血し、瞳孔が開ききっている。まるで獲物を探す飢えた獣の目だ。
「……見つけましたわ」
麗華が口を開く。その声は震えていた。歓喜と、切迫感と、狂気が入り混じったような音色。
「貴方が、相田悟……『晩酌の探索者』ですね?」
相田は首を傾げた。
「ええ、そうですけど。何か落とし物ですか?」
「とぼけないでください! 私は見たのです、貴方のあの拳を! あの在り方を!」
麗華はハルバードの石突きを地面に叩きつけた。コンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れる。
「私は強くなりたい。誰よりも、何よりも! 富も名声もいらない、ただ純粋な『最強』の二文字だけが欲しい! そのためなら人間など辞めてもいいと思っていました」
彼女の全身から、どす黒いオーラが立ち昇る。それは魔力ではない。彼女自身の精神が生み出す、歪んだ執着の形だった。
相田の胸ポケットで、毛玉がピクりと反応した。
『――感知した。極上の苦味だ』
毛玉の声が脳内に響く。
『焦燥、自己否定、渇望。熟成されたビターチョコレートのような味わいだ。相田よ、あれは旨いぞ』
「チョコですか。デザートには少し重いかもしれませんね」
相田は暢気に返事をした。
目の前の少女がどれほど危険な状態か、彼には理解できていなかった。ただ、毛玉が「あの子、苦しそうだから吸ってあげたい」と言っているようにしか聞こえなかったのだ。




