EP06 ぷー太郎、異世界にて濁る
石造りの壁を見上げれば、青銅の洋鐘が吊るされている。背後の空は微かに赤く、紫がかっている。
正面に構える木造の扉は表面が荒れており、ささくれ立ち、薄ら汚れて見えた。
内から押し開かれた扉の隙間から身を滑り出すのは、黒衣に身を包んだシスター。俺は彼女を見た瞬間に視線を動かして視界からその両眼を外し、脚を前後に開いて腰を落とす。
鼻から息を吸い込み、軽く開いた口から吐き出していく。限界の限界、肺に吸い込んだ息の全てを吐き出す。
「——————シッ」
俺が一歩踏み出すと同時にシスターは距離を詰め、通り抜け際に振り抜かれた右腕を指を揃えた掌で押し逸らし、振るった腕の勢いをそのままに肩を入れる。体重移動により前傾に身体の芯を動かして、下方向に向けて肩から背中に掛けて体当たりを行う。
意図せず打撃でありながらも投げ技に近い性質を持ったこの一撃により、体勢を崩したシスターは、踏み止まれず、その身を地面に横たえる。俺はすかさず手を踏み付けて逃亡を防止しながらも逆の脚を上げ、踵を先にして振り下ろす。
「………………」
その後の展開は今の俺では想像ができず、如何なる動きでこの危機を脱するのか、或いは逃げることはせずにこの一撃を受けるのかはその時にならねばわからない。圧倒的な経験値不足を実感しながらも昂った心臓の鼓動を落ち着くのを待ちながらも、俺はまたしても同じ問いを自分に繰り返す。
なぜ、こんなことをするのか。
戦う意味なんてない。で、あるにも関わらず俺は部屋に籠ってノエルさんやレフの心配を他所に、作り出したシスターのイメージと攻防を続けていた。
けれど、けれどもさ……どうしても思ってしまうのだ。俺にもっと力があれば、ロラン・セントリアの思い描いた理想の形も超えて、より良い、誰も死ななければ殺しもしない結末に収められたかもしれないのに。シスターは、誰も殺してはいなかった。子どもと共に生きたかった人で、その気持ちが歪められただけなのだから。
共に生きる道もあったハズなのだ。プリーストだって、話ができて、心を通わせられた。
「……これが自分の傲慢さからくる考えだなんて、初めからわかっているんだけどね」
特別だと思ってしまうのは、俺が異世界にやってきたと思っているからに違いない。別に特別な人間でなければ、ここに来て一週間程度でありながらも、俺ができないことができる人は沢山見てきたし、俺でなくてはできないことなんて何一つとしてありはしなかった。
任された仕事も満足に熟せず、生き残れたはずのミコドリさんを犠牲にしてしまった。見られているのだ——俺は魔鶏に、大猪に、ドラゴン二匹に、教会に突入した幾十人の騎士団員に、ミコドリさんに、そしてシスターに。
「違うな、間違っているよライト」
「レフ……」
声に反応して部屋の扉へと顔を向けると、レフは平気な顔をして俺に近付いてきた。部屋という空間の仕切りは、奴には通用しない理論らしい。
「間違い、というと?」
「お前は傲慢なんじゃなくて怠惰だって話。働けよ、無職野郎」
「仕事などと……安心しろ。今の俺について、俺の中では傷病休職として処理されている。その煽りは効かないぜ」
「お前の中でかよ。つか実際問題、身体の方はどうなの? 怪我とか、何だとかかんだとか」
「もう大体全部治ったんだな、これが」
折れた肋骨や砕けた拳などは翌日には痛みも引いていたし、昼過ぎには腫れも引いていた。体表の傷は気付いたら塞がっているし、イメージとは言えど実際に身体を動かして組み手を行い続けても疲労が翌日に響かないのだから、便利な身体になったと思う。
「あそう? んじゃ、気兼ねなく。出掛けるから軽く水浴びて来いよ」
「どこにさ。つか、俺が行く必要あるの? 無いのなら、行きたくはないのだけれど」
「あるんだよ。汗臭ぇ部屋をいい加減掃除してもらえてんだよダァホ」
「なら、騎士団の人らに手合わせをば」
「ガタガタ言ってんじゃねぇ、行くぞ!」
手を引かれて部屋から連れ出されると、庭に連行されて井戸端で水をぶっかけられた。びしょ濡れにされたら、さしもの俺とて諦めがつくもので、あれよあれよと使用人の皆様により衣装ルームへと連行されてコーディネートされてしまう。
落ち着いていながらも高級感漂うスーツを着せられると屋敷から放り出され、玄関先で待っていたレフと共に用意されていた馬車に乗り街へ降りた。レフもレフで何やらいつもよりも気合の入った服装をしており、この先が思いやられる。
「で、どこに行くのさ」
馬車の中で流石に訊けば、レフは口の端を吊り上げて答えた。
「王都のカジノにね。軍資金はせびって来た、遊び倒せるよ」
「怠惰じゃねぇか。怠惰から怠惰に移行して何になるんだよ。何なら金を扱う分、より悪質な怠惰だろ」
「勝ちゃ何の問題もねぇだろ。そして賭け事ってのは怠惰じゃねぇ、真面目な勝負よ」
「ああ言えばこう言う。ろくでなし、これ極まりけりだ」
「言ってろ。部屋で燻ってる奴より、賭けられる奴のが幾分もマシだね」
確かに、人生の大切な場面で賭けられる奴は憧れるくらい人間として良い形をしていると思う。けれど、今から行こうと、やろうとしているのは金を賭けてその上下を楽しむ賭場での賭け事であり、ここで賭けたとて意味はない。
呆れ果てて馬車に揺られていれば、窓から見える風景は森林の中に開かれた道から街並みに変わり、揺れも泥道のものから石畳のものとなる。車輪の音が、響く。
ちらりと車窓から覗く街では子供達が駆け、おばちゃん達が話し、男達が筋肉自慢をし合っている。
何事もなかったように送られる日常的……筋肉自慢が日常に根ざすものかは少々議論の余地が残るが、しかし、それでも暴力の影が微塵と見えない街並み。犠牲を知らない、日常の姿。俺だってあの一員で、あれらを構成する一因であったのに、どうしてこんなにも胸がざわつくのか。ミコドリさんや、騎士団や、シスターの屍を誰も意識しない。
死は、どうしてこんなにも軽いのか。
「あれは……?」
大通りの広場。中央に鎮座する巨大噴水の中心に立つ銅像の少女を指して、俺は問う。
歳の頃はノエルさんと然程変わらないだろうか。左右から垂らされた三つ編みは長く、臍の辺りにまで伸びている。俯いているため、太陽の加減で影になり顔はよく見えないが、雰囲気からも充分に美人であると伝わる。
「エモティオの銅像だよ。魔皇を討った勇者ライトールの姫巫女だ。彼女はドゥ・ローの出身だから、ああやって像にもなる」
「勇者……」馬車は走り、噴水の広場をすぐに通り過ぎる。「ゾッとする話だね」
「男の子じゃないよね、お前さんは」
揺られた末に辿り着いたのは、聖堂塔だった。
よもや聖堂塔で賭け事が行われているとは思えないが、或いはこの国で信仰しているのは賭けの神であるのかもしれない。以前この場所にやって来た時にはそんな感じはしなかったが、それは俺の目が小豆か大豆のどちらかの豆であったに過ぎず、至るところで行われていたのかもしれない。
だとしたら、幻滅だ。ただでも異世界ロマンスを悉く足蹴にしてくれているのだから、せめてこれ以上は壊さないで欲しい。
俺ツェーと喜ばせてもくれなければ、やれやれ俺また何かやっちゃいましたとも言わせてくれないのだから、どうか、どうか異世界というかフランス感のあるこの聖堂塔に残る神秘だけは残していて欲しい。
何度見ても胸が一杯になる聖堂塔に目を奪われながらも、醜いアヒルの子よろしくレフの後を着いて回る。受付でどうのこうのと話している姿を少し離れた場所に並べられた椅子に座って待ち、市役所を感じていると、何か番号札を持ったレフが俺の隣に座った。札の番号が呼ばれるまで待たねばならないらしい。
賭け事というものを、俺はやったことがない。別に忌避していた訳ではないが、身近な賭け事なんてパチンコくらいなもので、ああも騒音鳴り響かせる場所に一人で入る勇気のない俺には縁がない場所なために入った経験がない。某娘の影響で競馬には行こうと思ったこともあったが、結局、競馬場に足を運ぶのを面倒くさがって行くことは終ぞないままに終わってしまった。
やりたいと思いながらも思って終わり、実際に行動を移さない点が俺の精神貧乏性な悪徳だろう。
「自覚が有りながらもこの有様なのだから」
「自覚で変われるのならば、今頃人間は皆神様だろ」
俺の独り言に、レフが被せて言う。
「変化って、そう簡単じゃないよ? 錬金術と同じだ。手を変え品を変え、パターンに配列、果てには今までやって来た条件を全て変えてようやく化ける。違う? 違わない筈だ。急ぎ過ぎなんだよ、せっかち」
「だとして、長く時を使えるだけの余裕があるとは思えないけど?」
「遠回りが一番早く目的地に着く」
急がば回れ。
俺はそうでもないと思うが。
「それは、知恵者の言葉だな」
「ドーモ」
番号を呼ばれ、受付へと向かうと昇降機で聖堂塔の上へと運ばれた。この昇降機、エレベーターとそう変わらないのは楽でいいのだが、やたらと揺れ、際が鳥籠のように棒で囲われているだけとかなり怖かったりする。
ジェットコースターで登りに入る際のような、人の恐怖を煽る揺れを伴い停止した昇降機。前面の扉が開き、どこかへと到着する。
先に足を踏み出したレフに続いて俺もどこかへ降りると、そこは聖堂塔の頂上付近で、ここから先は幾つかの尖塔に分かれるらしい。高所故の強風に晒されながらも進めば、そこには何やらげに恐ろしげなる機械が鎮座している。U字の筒状のそれは人が二人並べる程度に空いており、二十五度程の角度を付けて設置されていた。
何に使うものなのかは知れないが、どこか兵器然とした見た目に、あまりいい印象は抱けない。
「ほれ、早く来い」
と誘われるがままにレフの後を追い、何それとありこの機械の中に立つ。
何が行われるのだろうか、辺りを見回しながらも待っていると、このU字の管理担当らしい職員さんの「いきますよー」という声がして、俺達は射出された。何やら防御系統の魔法で身体から五センチ程離れた空間にボディーラインに沿った膜が作られたかと思えば、瞬間的に左右側面から膨大な魔力を叩きつけられて、莢から出される枝豆のように弾き出されたのだ。
防御膜のおかげか空気抵抗などは受けないものの身体に掛かる加速圧は現在で、前面から押さえつけられる力に身体は自由を奪われた。頭は必死に何が起こっているのかを理解しようとして、まさか廃棄処分されたのだろうかとも過るが、それならばレフが意気揚々とそれを受け入れる訳もなく、現在、何が行われているのかわからないままに壮絶なGを受けながら空中遊泳を果たす。
十分かそこらだろうか。射出直後の精神動揺も消えて、真っ平らな精神となっていた俺の身体が降下を開始した。抗う術などなくとも、自由落下は潜在的な恐怖心を煽るものの、何ができようはずもなく。
地面に叩きつけられて二、三転どころでは済まない程に転がって、着陸を果たした。怪我はない。あの膜のおかげだろう。
「………………」
しばらく放心して空を眺めていると、影が差した。それは俺を覗き込むレフであり、伸ばされた手を掴み、引き上げられてようやく立ち上がった。
遥かな高い空のY軸から、空間のX軸へ目を向けてようやく、俺は近くに並び立つ壁を目にした。石レンガに草木が茂るそれは、いくぞや目にした五稜郭を思わせるものであった。
「ようこそ、ドゥ・ローの王都へ」
「王都……王都⁉︎」
「おうともさ。何だよ、エアライン乗った時点で大体わかるだろ」
「知らねぇんだよエアラインを。あれエアラインって言うのかよ、人間大砲とかに改名しやがれ」
「まあ、理論としてはウィザードエヴェリンと変わらんからね。大砲って言い分も大きく間違いじゃない」
「駄目だろ、そんなものに人を乗せちゃあ。倫理的に」
俺の相手も程々に、またしても先を行くレフを必死で追いかける。
どうやらエアラインで吹き飛ばされた先は街の外、それも人の立ち入りが制限されている空港でいう滑走路のようなエリアであったらしく、壁に向かって進めば中規模の小屋のようなものが建っていた。その中の受付にて何か書類を見せると奥に通されて、流れはそのままに王都の壁内へと抜ける道を進んだ。
一度出て、しかし街並みには特に驚くところはなかった。
なだらかな傾斜がある王都は、中央に見える王城に向けて大路が伸びてあるらしく、確かに街並みは豪奢でタリン歴史地区のような様子であったが、多少豪華になったセントリア領の街くらいなものである。人通りは多いは多いが、こちらも池袋や渋谷とは比べ物にはならないのだから驚きは薄い。
一応、何やら獣人って見た目の人やリザードマンって見た目の人などがいて「ファンタジ〜」とは思ったが、いざ実際に目にしてみれば、生活感のある空間にそういう人なんだな、程度の感想しか浮かばなかった。街中で外国人を見たところで別に何を思わないように、獣人やリザードマンを見てもふーんで終わる。
「何さ、反応薄いなぁ……つまんね」
「いや、セントリアの街もそう変わらないじゃん」
「そりゃ、セントリア領ったらかなりデカいトコだからねぇ。結構、凄いところなんだよ? あそこって」
「そうなんだ」
「ホント、さっきから反応薄いなぁ……もっと大仰に行こうぜ」
「そう言われてもねぇ……滾る程でも無いというか、何というか」
「ケッ、くだらねーの」そう悪態吐きながらも振り返れば、何やらウィンクを投げかけられた。「だが、本番はここからだぜぃ。びっくりし過ぎて心臓止めてやるからな」
「そしたらどうか捕まってくれ。牢屋にぶち込まれる楽しみにしてるから」
「可愛げとかないのかよ」
「ふむ……ザーコ、ザーコ、ザコ錬金術師。私をびっくりさせてぇ、心臓止まっちゃったら、牢屋にぶち込まれるの楽しみにしてるからねっ♡」
可愛げを見せたら、無視された。
言葉にできないくらいに嬉しかったらしい。
その後、一切の会話がないままに連れて行かれた先は、まあ、馬車の中で言っていた通りに賭場だった。賭場、というか西洋風にカジノだ。
超強化された駅前のパチンコ屋・中世風味、って感じだな。国道沿いのコンセプト店舗とかならありそうな外観で、これがカジノか、という感心が感情の最大上昇地点だ。
「俺、金持って来てないんだけど」
「安心しろ、軍資金は貰ってきた」
「……お前それ研究費用じゃねぇのかよ」
「言うな……」
「言うな、じゃねぇよ! 何をしようとしてんだよテメェは! 俺はそんな極悪に手を貸さないぞ!」
「残念だが、ここに来るために使ったエアラインは研究費用から捻出されている」
「……なん…………だと⁉︎」
「お前は、既に手を染めているんだよ。残念だがね」
膝から崩れ落ちる俺の首根っこを引っ掴んで、レフは無理矢理にカジノへと俺を引き込んだ。奴は、確かに予告通りに俺の心臓を止めてみせたのであった。
R.I.P.
物語はここで終わる。
「しかし終わらないのであった」
呟きながらも、ホログラムのように浮かぶ絵柄を揃える異世界版のスロット的なものを次々に揃えていく。この絵柄、一定のサイクルを刻んでいるので絵柄を見てその絵柄になるワンテンポ前に止めれば大体当たる。こちらに来てから基本的スペックの上がった改造人間神田来人は、驚異的な動体視力を持ってしてこのゲームをほとんど完全攻略していた。果たして、真実として動体視力の然らしむる勝利であったのか否かは議論の余地が残るところではあるが、そういうことにしておいた方が自分が凄いと思えてお得であろう。
程々に当てたり外したりしながらも、一人だらだらとゲームをしている間、レフはカードゲームの方面で大賭けして大勝ちしたり大負けしたり大負けしたり大負けしたりを繰り返していたようだ。堅実に賭けている俺よりも稼ぎは少ないものの、充実度で言えば絶対的に奴の方が上だ。
「どかっと賭ければいいじゃん、男ならさ」
「男だ女だと、性別でやり方を押し付けるのは嫌いだな」
「俺もー」
「お前、自分の発言に責任感ってものはないのかよ」
「いや、よく考えてみろよ。ロランさんを前にして、淑女なんだからーとか言えるか? 言えないだろ。つまり、性別云々を抜きにして当人の努力と適正を重視するべきだと思い知ったのよ」
「あの人、女騎士なのに『くっ、殺せ』とかならなさそうだもんな。『くっ、死ぬのならば一人でも多く道連れに殺す』ってタイプでしょ」
「違いない」
人の陰口というものはどうしてこれ程までに盛り上がるのか。明確に、憎悪心を抱きながらも直接的な挑戦が無謀と知れているためだ。
ゲラゲラと悪どい嘲笑の声を上げながらも元手よりも増えたチップを手にねりねりとカジノ内を練り歩いていたために、ドンと、誰かと肩がぶつかって幾ばくかのチップを落としてしまう。
「ああ、すみません」と言いつつも取り落としたチップを拾おうと手を伸ばした刹那の話である。あわあわと焦りを見せていたぶつかった少女は、何か覚悟を決めたようにキッと口を引き結び、ハの字眉毛でチップを拾って逃げ出して行ったのだ。一瞬の犯行である。
「oh……shit……」
「すごい……すごい、アウトロー的な? ドンッ! バッ! パクッとぉ、奪っていったよ。え、追いかける? 取り戻す感じなのライトぼん——あーもうあんな遠くに、二人して……この声ももう聴こえてないんだろうな」
背後でボソボソ実況するレフを鏡張りの壁面で見ながらも、チップを持ち逃げした少女を追いかけ追いつき、並走しつつもどうにか言葉を尽くして返してもらおうと画策する。
「ねぇ、それ、俺のなんだけど。返してくれない?」
「パヒャァ⁉︎ あ、わ……わァ……ご、ごめんなさい…………ごめんなさいぃ!」
言葉は、どうやら通じないらしい。
目尻に涙を浮かべながら走り去ろうと目論む少女の肩を掴み、後ろに引いて軸をずらし、その隙を突いて膝裏と背中に腕を回してお姫様抱っこをすることで少女を捕縛する。顔を真っ赤と真っ青に点滅させながらあわあわと口を開きっぱなしにする少女を尻目に辺りを見回して落ち着ける場所を探し、丁度いい物陰を見つけたので、彼女をそこへ運び込む。
後から追ってきたレフを交えて壁際に追い詰めて二人で囲う。鏡の壁に映る虚像を含めて、縮こまり震える影が二つ。
金髪に根元のみがカラメルのプリンじみた髪の毛を揺らしている少女を囲んでいると、どうにも俺達の方が悪人に思えてならないが、しかし違うのだ。盗人であるこの女こそが、悪しきものであり、俺に関しては被害者でしかない。
「……で? 返してくれるの?」
「うううぅぅぅ……返じます~殺ざないでぐださい」
「誰が殺すものかよ、阿呆」
「でも男はみんな狼って言うじゃないですか」
「物理的に取って喰う訳ないだろ」
「物理的ではあるんじゃないの?」
どうでもいいことにツッコミを入れるレフを軽く蹴りつつも、続ける。
「ほら、早く返しなさいよ。悪いようにはしないから」
「悪役が物を騙し取る時のセリフです~……」
「まずいなライト、若干面白い。好感が持てるぞこの子」
「まずいのはお前の頭だアホ。……説得している内に返してもらえると、助かるかな」
「命がです?」
「奪わない言うとるやろがい」
言いながらも、俺とて若干、この子のノリに惹かれているので早期決着を着けなければならない。
別にノエルさん一筋とか、ロランさん一筋だとか禊を立てている訳ではないが、あれこれと手を伸ばしているといささか視線が痛くなってしまう。女遊びが好きな奴だと思われるのは、癪だ。
「返したくないです」
「おお、言った! 言ったぞライト!」
「……えぇ」盛り上がるレフを視界の端に追いやって、未だ縮こまり被害者振りながらもキッパリ返却を断りおった少女を見下ろす。「なんで?」
最早、言葉はこれしかなかった。
「えぇと……ウチ、チップ全部スっちゃってぇ」「自業自得だな」
「お金がないと学費が払えないんですぅ……」「聞いたか! 学費を考えずに賭けたらしい!」「カスだな」
「……学費が払えないと、ウチ、学院にいられなくなっちゃってぇ」「ヤバイ! 僕、好きだこの子」「こんなものに惹かれるな、わかるが」
「なので、どうか貸していただけないでしょうか。なんでもしますから」「ん? 今なんでもするって言った?」
手でTの字を作り、レフと肩を組んで作戦タイムを設ける。
あーだこうだと話し、互いの納得の上で笑顔を作り上げて振り返る。そうして俺は優しく、彼女に手を差し伸べた。
「貸しはしないが、俺達が取り返してあげよう。なぁに、心配しなくてもいい。困っている子がいたら手を差し伸べてこその年長者だからね」
「ふふっ、さあ、行こう! 戦乱の園へ。いくら注ぎ込んだのかな? 上乗せとはいかないまでも、その分は取り返してあげようじゃないか」
うふふ、あははと爽快な男として困っている女の子に手を差し伸べたハンサムな俺らを見る彼女の眼は黒く濁り、口角が歪に上がって不信の色を濃く映していた。だが、鐘を突きこんで二進も三進もいかない以上、話の通じる俺達以外を頼れるタイプには見えない。ここは嘘と誠実がまかり通るカジノだ。誠実を絵に描いた餅な俺達がいて不思議はない。
「ご……五十万とか、そんなもんです……多分、おそらく、ニアリー…………」
はは、と乾いた笑いが漏れる。互いに。
「チップ一枚が?」
「百だね。んで、今の僕らの持ち駒がおよそ三十五万」
「ウチも、奨学金を使えばあと十五万は出せます」
計五十万――倍額の百万に持っていかなければ、元金の払い戻しと彼女の負け額は取り返せない。倍額をちまちまと稼いで取り返せるとは思えないが、しかし、大きく勝負に出るには危険が大きすぎる。
元金がこれだけあるのだから、負け次第掛け金を倍にしていくマーチンゲール法を用いて稼ぐか? ……いや、ほとんどの場にはテーブルリミット、掛け金の上限が存在する。リミットがない場所は同時に掛け金の下限が高く設定されていて、今の元金ではマーチンゲール法は取れない。
どうする? どう、稼ぐ?
俺が勝ちの目を思索していれば、レフは半ば強引に俺の手からチップの束を奪い、また賭け負け女子から十五万を巻き上げていった。俺のチップは元々ヤツの――正確にはセントリア家のものだが――ものであるために、あまり抵抗もせずに渡してしまったが、思案する俺の聴覚に響いてきた言葉に、俺は絶句する。
「二十五万」
レフは――レフ・トールギストは、ヴァンテ・アン(日本で言うブラック・ジャック)の席に着き、二十五万分のチップを賭け金に勝負を開始しやがったのだ。
「ライト、見せようか! 錬金術師のアルケミーを」
路傍の石を金にするように、二十五万を百万へ。
錬金術師は嘯くのだ。




