EP05 ぷー太郎、異世界にて別つ
これは、俺の知らない物語。
夕闇がこんこんと手を伸ばし、執務室は暗い闇に包まれだした。補佐官が部屋の燭台に火を灯すと、暖かみのあるオレンジが部屋を照らす。
「なぜ、今回の作戦にライトさんをあれ程強引に参加させたのですか?」
政務も一段落し、傍に置かれた紅茶を嗜む私に、補佐官は質問する。私は、紅茶を飲み下して答えを練った。
今回の作戦——娘であるノエルを餌とした犯人の一本釣り。危険は多い上、どれだけ足掻いたところで状況不安定を打開する策はない。ノエルにも危険は十分にあり、同じく私にも危険は降り注ぐ。だが、可能性の高い賭けではある。
「領主として……まず第一に民草を、第二に土地を、第三に為政者である私やそれを取り巻くものを守る必要があると、私は考えている」
「……では、民ではないライトさんは最も優先度の低い、比較的切り易い手札であると?」
私の発言に対する見当違いな見方に、私は苦笑する。
それ程に、冷たく映ってしまうのだろうか。なんて、今更考えたところで何を取り戻せるでもないだろうに。
「それは、違うな。ライトって男を初めて見た時、あいつは、聖職者に向かって神の存在の有無について語っていたんだ。無神経な阿呆かと思ったが、どうにもしっかり頭は回ると見るに、ありゃ度胸だ。それに、その時に神父の方はどうにも穏やかな奴らしくって笑って水に流していたが、後ろに控えていたシスターの方がキレててさ。精神干渉系統の魔術をあいつに向けて放ってたのよ、でもあいつ、それにまるで気付かないでやんの。ノエル達の話を聞くに、これは高い耐魔力性によるものだろうさ。んで、最後……夕暮れ近くまで手間を掛けさせてくれたあの肉体だ。あいつは、戦士なのさ。本人の意思はどうあれ、身体は戦うための形をしているんだ」
短い間ではあれど観察してわかったが、カンダ・ライトの精神は戦士のそれではない。ただの、何の変哲もない青年のそれだ。だが、明確に優れた肉体を持っており、戦士としての素養は十二分な程に兼ね備えている。
切っ掛けがあれば化ける、王立騎士隊の方の甘ちゃんと同じだろう。そして、その切っ掛けなんてものは常にして戦場にしか在り得ない。
アドリアンは甘やかすが、こういう手合いこそ放り出してやるべきなのだ。頭でっかちめ。
「……それに、ノエルにそうゴテゴテと護衛を付けられない以上、適任はあいつの他にない。魔族が相手の可能性があるのなら、尚更だ……騎士団から出せるなら最高だったが、頭抜けたエースって奴がいないだろ? ウチは」
皆、優秀な奴らだが、同時に皆が優秀で止まった騎士団とも言える。長所であり短所であり、やはり戦場の功績でこんな地位に上げられただけの私では、アドリアンのように上手くやれはしないのだと思い知らされる。
「では、ノエル様については、どう考えておられるので?」
「あれは、私の娘だよ。領地を預かる者の娘……責任は、私の次に担う立場にある」
「貴族の在り方、という訳ですね」
「悲しいが、個人感情ばかりを語っていられる立場でもないからね」
母親である以前に、なんて。
開かれた扉の向こうから現れたのは、てらてらと不気味な光沢を持つ衣服のシスター・ペテルだった。その光沢が大量の返り血によるものだと理解するには、彼女の手に握られた真っ赤な頭部が無ければより時間を要しただろう。
無意識に、立ち上がっていた。ずり落ちた毛布は保温をやめて、身体を包んでいた熱は吹き抜ける風によって奪われていく。
「……どうして」
溢れた本音。
シスターの頭部からは、あの魔族と同じ右折れの左右非対称な角が生えており、胸元から喉にかけての焼け爛れた跡と合わせて、彼女があの魔族であったと語っている。如実に、疑いようもなく、逃れようもなく示されている。頭の中で必死に否定材料を探したって、眼前の真実が塗り替えていく。別に会ったのだって屋敷の前での一度きりだし、あの時だって話した訳ではない。けれど、だとしても……一度、確かに出会った人が人を殺している現実なんて、受け入れ難い。
姿形は先の化け物とは違い人間大で、あの時のシスターだとわかるのだけれど、あの独特の体毛が生えた手足は露店通りで暴れていた魔族のものだ。擬態……魔族は擬態すると、語っていた。確かに、語っていた。だが、だけれども、こう、来るか。
血濡れの修道女は、俺を見る。刹那、俺の腹に衝撃が走る。
背後の、今の今まで背もたれにしていた樹木に押し付けられ、薙ぎ倒し、民家の壁にめり込んだ。肺の空気が全部吐き出されて、酸素を失った金魚のように必死に息を吸う俺の眼前に、再び、シスターが迫る。刹那、打ち鳴らされた轟音に驚愕すると共に思考が追い付かない。めくるめく場面転換に脳がフリーズした。脳が揺れ、肉が揺れ、骨に響き、傷に響く――今、何が起こっているのかと地面に落とされたアイスクリームのように溶けだした俺は、その印象の無さに一瞬それが何であるのか理解出来なかったが、すぐさま教会の屋根上に吊られた鐘であると認識した。
可笑しい……俺は、教会から出てきたシスターに腹を殴られて、教会から離れる形で吹き飛ばされた。そして民家の壁にめり込んで、そこに追撃を加えんと接近するシスターを見た次の瞬間には教会の鐘に身体がぶつかっていた。この記憶がぶつ切りになる感覚は初体験では無いどころか、つい先程、別の誘拐犯にやられた催眠術のそれだ。だが、あれは杖の先端の光を受けるという明確な発生ポイントがあった。では、シスターはどうやって俺に催眠術を? というか、俺も連続誘拐犯対策の首飾りしてんのにどうして……いや、だからこそ短時間で済んでいるのだろうか? 可能性は高い。何の対策もしていない状態のノエルさんはダンジョンに入ってそこそこまで無意識のままだったのだから――では、どれだけの時間、俺は術中にいるんだ?
Q1・どのように催眠術を?
Q2・催眠術の効果時間は?
あとは、Q3に『術中の俺に命令出来るのか』、Q4として『術の効果範囲』辺りだろうか。
理不尽押し付けやがって。体中痛くてどこか特定の部分が痛いって状態じゃないのは幸いだ、逆に痛みで動きが鈍らない。全身が痛過ぎて動くことそれそのものが億劫だけれど、動かなければただサンドバッグにされるだけだ……今の状態だったら、まだ、ロランさんにやられた時と同じ状態だから動ける……けど、ここから先は心も肉体も折れる。
今、俺側に強いられているゲームルールは主に三つ。生命線は首に掛けた催眠対策のネックレスの死守。魔力を用いた蹴りの改良。なるべく攻撃を受けない。
逆にあっちは、ひたすら俺をボコボコにして俺を殺せば勝ち。
この場合、ロランさんは——要人である以上、現場になんざ出られないから、ここら一帯の住民を避難させた先の警備に回らざるを得ないだろう。来れない。騎士団の増援は? 期待出来るが、突入時点でかなりの人数集まっていたから避難先の警備を抜いたらどれくらいになるだろうか。集まったとて、この無法な催眠術を受けて敵に回られる可能性も大いに考えられるし、そうでなくても俺同様にフリーズからの粉砕だろう。
辛うじて俺が形を保てているのは、一発目をモロに受けてビビって、二発目の直前に全身に魔力を回していたからだ。肉体を頑強に、また自然回復能力も向上させる。
出来るかどうかは何となくでしか魔力ってものを扱っていないからわからなかったが、シスターが化け物の姿で俺の魔力を注がれた後にやっていた通りに魔力の流れを制御したら何とかなった。見たまんまをやっているから細部は異なるだろうし、俺の身体に適した形ではないのだろうが、今は完璧は求めやしない。六、七割で充分だ。
思考はここまで、再び、視界に影が映る。
太陽を背にして映るシスターは、神々しくなど無く、どちらかと言えば日食をもたらす悪魔のようで、それでも尚、シスターを影にしながらも衰えることの無い光に網膜がやられて、脅威を前にしながらも瞼を閉じた。細めるのではなく瞑ったのは、恐怖からか、本当にただ眩しかったに過ぎないのか。そんなことを確定させたとして何になるのか、あるいは何にもならないのかは定かではないけれど、だとして、この状況でそんな選択をした結果、俺は、三度となる痛打を受けて、屋根を破り、教会内へと叩き落とされた。
「――――――ア……がァ」
血の海に、墜つ。
妙な温かさは体温のぬくもりで。壁や天井、床に至るまで室内のその全てが赤に染まった教会は、仄あたたかく、また鼻腔を狂わせる程に血の匂いがした。酔っ払ったのかくらくらする頭で、俺の落ちた穴を空から覗くシスターはやはり、背後に陽光を背負うものだから、ただでも黒い修道服が全身を染めて、やはりその姿は悪魔のそれだ。折角の美人が台無しですよ、と軽口を叩くための口は痛みにわななき、浅く不定期的な呼吸と喉に絡まる血液の排出にのみ用いられている。
頭の奥がガンガンして、眼の奥の方がジンジン軋む。息を吸っても吐いても胸は痛むし、身体に衝撃が走る。くらくらして、次第次第に視界はボヤけていくのに意識は驚く程にハッキリしていて、頭の中はすっと冷たくなるのがわかる。それはわかるけれど、自分の体に、今、何が起こっているのかはわからなかった。
シスターが、穴に身を投じて宙へ身を翻す。それはフライに上げられた球か、はたまた流星か、前者であればキャッチし損じる訳にはいかないが、後者であればただ死を享受する他に道はない。
ああ、駄目だ動けない。痛みがジリジリ主張してきて、針留めされた標本のようだ。
迫るシスターに、せめてもの抵抗に息を呑む。衝撃に備える。
もう、残すところ一メートルを切った。
瞬間、影が過ぎる。
「——バゥッ」
落下するシスターの首に噛み付き、瀕死の俺を助けた黒き影は、何を隠そうノエルさんの召喚獣であった。露店通りでノエルさんを守っていた召喚獣が颯爽と駆けつけて、後輩である俺を助けてくれたのだ。
横からの強襲で落下位置が逸れたシスターは、およそ無事とは思えない角度で鮮血に染まった教会に落ちた。唸り声を上げて、俺とシスターの間に挟まる召喚獣は、しかしてシスターに追撃をするでは無く、俺を背に匿い、守護を優先しているらしい。痛む身体に鞭打ち、どうにか身を起こせばシスターの身もゆらりと立ち上がった。こちらが片膝を突いてどうにか耐えているというに、嫌に魅せてくれる。
『——聴こえますか、無事ですか』
ノエルさんの声が、頭に響く。
ああ、どうやら彼女は無事な様子だ。
「ええ……大丈夫、ですよ」
『大丈夫な声じゃないじゃないですか……今すぐに、撤退を。刻は、ラトラーレが稼ぎます。無茶は……いけません』
「皆さんの避難は?」
俺の被せるような性急な質問に、ノエルさんは気圧されながらも『完了しました』と答えた。
大丈夫、と言い張っていなければ折れてしまうのだ。どうか、わかっていただきたい。
「突入した騎士団は壊滅しました。ここにあるのは、俺とシスターだけです」
『シスター……そうだったんですね。戦う、のですか?』
「えぇ。今、彼女を一人には出来ませんから」
誰かと会話をして初めて冷静さを取り戻したと実感する俺は、次の一瞬で、冷静さを取り戻したのを後悔する。教会内に飛び散った、かつて人だったモノ達をまともに直視したためだ。
胃が痙攣を起こして、何度も嗚咽を漏らす。喉が灼ける感覚がして、口の中に吐瀉物が溢れる。
俺は、せめて吐き出さないようにと心をやるが、意識的な心遣いなど踏み躙るように無意識は次から次に逆流させるものだから、俺はついに、教会の床を汚した。背を曲げて吐く俺の嗚咽を合図に、無防備な俺を狙ってシスターが迫るが、俺を守るように構えていた召喚獣ラトラーレによって阻まれる。
気分は最悪。だが、今ので確信するものはあった。
「ノエルさん……魔法の発動条件って、どういうものがありますか? 例えば、杖の先端から光を発して魔法を使う……とか」
『様々ですが、基本は今、例に出された杖を用いたものです。魔術師の杖には魔石が嵌め込まれていまして、この魔石から魔力を体内に流入させることで魔術を行使します。この際に杖に仕込まれた魔石の魔力を体内に流し、この体内魔力を用いて杖の魔石に干渉することで魔術の運用コストを下げられるので、今はこれが主流になっていますね』
「では、魔石から魔力を体内に流しておいたならば、杖を用いずとも魔法は使えるんですね?」
『可能です。近接職の方などは、体内の魔力によって肉体強化を図るため、杖以外の方法で魔力を体内に取り込むべく鎧などに魔石を仕込んでいたりします』
「成る程……ありがとうございます」
となれば、Q1・どのように催眠術を? はおおよそ判明したに等しいだろう。あくまでも素人意見ではあるが。
鐘を背にした時、教会内に撃墜した俺を見下している時——双方、共にして意識が途切れることはなかった。予想するに、シスターの催眠術の発動条件は何かを見ること。そして、記憶を辿り何を見たところで意識が途切れたのかと言えば——
「おそらく、ですがシスターの催眠術は目が合うことが条件です。ともすれば、やはり彼女を野放しには出来ません」
『目が合う……ですか。首飾りの魔術では防げませんでしたか?』
「無効には至っていませんでした。ですが、耐性は得られているようで、数秒で意識は戻ります」
『オーララ! あとどれくらい稼げる? ライトくんよぉ』
淑やかなノエルさんと話していれば、ガツンと頭にくる大きな声が横合いから割り込んでくる。その溌剌な声は聞き間違えようもなくロランさんの声であり、横合いでは小さくレフの声も聴こえてくる。
何やら騒いでいる様子だが、何と言っているのかまでは聴き取れない。レフにしては珍しく怒気を孕んでいるように思えるが、果たしてどうなのだろうか。
「わかりません。少なくとも満身創痍です」
兎に角、ラトラーレとてどれだけ耐えられるか知らない今は、情報の共有を優先すべきと考え、有二無二言わず質問に答える。
『もうしばらく耐えられるか?』
「耐えろと言われれば」
『ならば耐えろ。直に、騎士団による魔術砲撃を行う。目と目が合えば終わりって話は聞かせてもらったからな、増援に寄越していた騎士連中は教会の周囲を張らせるだけにした。砲撃まで、耐えられるか?』
「やってやりますよ、存分に」
『砲撃のタイミングで連絡する。……死ぬんじゃないぞ』
『シスターが指定のポイントから離れたら連絡ください。砲術支援は報告を受けた教会に座標を定めますので』
「了解です」
短く返して、意識を切り替える。
どうにか俺を守ってくれているラトラーレ先輩にばかり世話になる訳にはいかないと、恐れ震える身体に鞭打ち、前進する。一歩、踏み出した足がまだ水分を多く残した血液を蹴り上げると同時、一言、『無事に、戻ってください』とノエルさんの声が脳裏に響いた。
ラトラーレは俺の参戦にいち早く気付き、サイドステップでシスターの背後に回り込む。俺はシスターの顔を見ないよう努めて、基本の視点を胸元に、そこから左右に視界を限定する。目を瞑り、視界を全て塞げれば催眠の術下に陥らずに済むのだが、とは言え戦いなど知らぬ俺がそのような動きをすれば待っているのは先程までと何も変わらないサンドバッグだ。今は、これしかない。
右手のストレートを右肩を前に、半身になって避け、そのままに伸ばした腕で彼女の襟を掴む。突きによって伸ばされた腕が戻る前に逆の手で袖を掴み、右足を入れて下半身を捻り、その捻りを戻すバネを利用して上半身へ伝達した力は爆発力となり腕を抜け、末端へ至る。不恰好な背負い投げではあれど、異形のシスターとて投げられるのだから武術とはよく出来た技術だ。
背中に接触した柔らかな感触がシスターがやはり女性だと伝えてくる。やはり、人間なのだと伝えてくるのだ。
血濡れた布に握りが弱まり、投げの途中で拳が滑り抜けたことで完璧な背負い投げとは至らなかったが、半ばまで完成した技にシスターは抗えず背中から地面に叩きつけられた。すかさず体重を掛けた肘を構えてシスターに倒れ込むが、身を捻り避けられる。
大振りな肘打ちを打ち損じ、肘を強打しながらも地べたに身を広げた俺に立ち直ったシスターが両腕を振り下ろそうとするも、俺を飛び越えて猛然とシスターの左足に噛み付くラトラーレにより俺も体勢を立て直す時間を確保出来た。互いに態勢を立て直し、再度、睨み合いが始まる。
ぴちゃりぴちゃりと、血の雨が降る教会。ステンドグラスから取り込まれた光は、滴る血液に反射して、いっそ美しさすら思わせる。
「こんな綺麗な景色で美女と二人……妬かれるかな?」
「………………」
軽口に付き合う気がないらしい。
このまま睨み合うだけで規定の時間まで過ごせるのならば、などと手慰みに考えるが、刹那、シスターが態勢を下げると同時にその姿は眼前に移り、左側面にチラリと影を見る。咄嗟に、右に体重を任せて倒れつつも右手を着き、そのままシスターのくるぶしに対して蹴りを入れた。攻撃の空振りと右くるぶしへの蹴りによって完全に重心を崩したシスターは俺に覆い被さるようにして倒れ、倒れ来るシスターの袖を掴んだ俺は蹴りとは逆の右脚で地面を蹴ることで下半身を上げ、左脚を折ることで膝蹴りへと繋げる。
袖を離し、シスターを送りつつも立ち上がれば、片手を血の海に浸して腰を上げた四足獣のような姿で着地をしていた。立て直しが洗練されて行っており、じわじわと嬲り殺しにされているのを感じる。それに俺の動きのせいでラトラーレに繋げられず、先輩が宝の持ち腐れに終わってしまって……自身の無力を感じるばかりだ。
ゆらりと動くシスターに、果たして俺の攻撃は効いているのだろうか。残り体力が見えないし疲れも見えないとなると、終わりが見えないものだから未来すらも見えなくなる。盲目になるのならば、恋が良い。
もう、そろそろ限界だ。
だからどうという話では無いが、俺の精神は今表面張力で保っている。
短く息を吸い込み、時間を掛けて吐き出す。鼻に抜ける鉄の匂いにはもう慣れたと思っていたが、多く吸い込むと、やはり嫌な気分になる。
「大丈夫大丈夫、楽勝ォ!」
メガロマニア。
自分の身体によくよく言い聞かせて、腰を落とす。力を溜め、血飛沫を巻き上げながらも前進、シスターが右脚を踏み出して振るう腕を更に深く腰を落として髪の毛数本で避け、一歩、踏み込んで右腕は下に、左腕を上で、肘を曲げて突き上げる。顔を狙う左手にシスターは左腕で顔を守るも、腹部を狙う右手は顔への左手に対する本能的な防衛に隠れ、ノーガードの元に吸い込まれた。
着撃と同時に右腕へと魔力を流し、無理矢理に殴り抜ける。全身を巡る魔力の四割を右腕一本に集中したために、腕に巡る魔力循環路の許容限界を超えて、肩口からズワッと魔石の逆鱗が生え揃う。五指は鴉の嘴の如き鋭い爪となり、前腕には魔石が固まり鎧の様に変化した場所さえも見受けられた。
「—————ジャッ」
俺の腕は、脚に比べて魔力循環路の量が少ないために限界を超えたとて魔力を込めた蹴りに勝る威力には至れない。だが、それでも全力を尽くす。超えぬまでも並び立てと、魔力を回す。
殴り飛ばされたシスターは教会内に並ぶ長椅子を幾つか破壊し、椅子に着席する形で止まる。拳を殴り抜けて魔力の循環量を戻せば、腕は元の姿へと回帰した。痺れが残っている、直ぐには思う様動かせないだろう。
『準備、出来ました。返答次第行動を開始します』
そんなところで、ノエルさんから連絡が入った。
「シスターは変わらず教会内に……」
『退避を』
短いやり取り。けれども、それ以上の言葉は不用だ。
たった今の一撃で、シスターは意識を朦朧とさせている様子。俺は急ぎ教会外へと出るべく足を動かすが、背後で鳴り響いたギシリ、という軋み音に背後を振り返る。
「………………坊や……良い子だ、寝んねし…………や……」
不確かな足取り……しかし確かに足を前に出すシスターは、教会の外に「逃げるつもりなのか」
だが、残れば俺は諸共に魔術砲撃を受けることになる。シスターをみすみす逃がす選択は無いが……では、どうする? どうすればいいんだ?
「いいや……大丈夫」
俺は、脚を反転させた。
強力な魔力群が接近しつつあるのは、何とはなしにわかる。肌感覚だが、ピリピリするのだ。
だからと、ここでシスターを逃がす選択はありえない。
「ウアアアアアァァァァァッッ!」
そんなところで、腹の底からの叫びが聴こえた。
自分自身の叫びが漏れたのかと一瞬考えるも、否、それはシスターの眼前、一人の血塗れの男によるものだ。男は両手で剣を握り、シスターの腹部を刺し貫くとそのまま首に腕を回して地面に抑え込む。
「命ッ! 猛り散らすは今と見たりッ!」
ミコドリ。その男、その声はミコドリさんのものである。
生きて、いやそれよりも彼を逃がさなければ。だが今、彼が抑えてくれて。当てられる。逃がさずに。けれどそれでは彼は。代わる? その隙に逃げられるかも。
「だ、だめだミコドリさん! はやく……早く逃げろ!」
「逃げるは貴方だ! ガァーーーーーッツッッッ!」
瞬間、眼前を閃光が包み込んだ。
俺は本能的に全身に残る魔力の大半を回し、魔力防御を張る。耳の奥でキーンという音がするだけで辺りの音が何も聴こえない。口の中に土の味が混ざったことで、俺が吹き飛ばされて、横になっていると気付いた。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、屋根と壁の大半を失った教会の中心でシスターは――生きていた。だが、その姿は半身を焼き焦がし、かろうじて生きているに過ぎない様子。満身創痍はお互い様。ミコドリさんの姿は、どこにもない。
シスターの肉体が膨れ上がり、露店通りに現れた怪物の姿へと変貌していく。しかし、あの時程の強大さは感じられない。魔力はかすかす、身体もぼろぼろ、得意の視線も警戒外。
『目標の弱体を確認。ウィザードエヴェリン発射シーケンス達成』『照準、整いました』
『カンダァ、舌ァ噛むんじゃないぞ』
頭の中にレフとロランさんの声が響いたと思えば、一瞬の無音を挟み、再度の閃光と共に極大の魔力が線となりシスターの首を弾き飛ばした。それは天の梯子の解釈のようで、桜吹雪のように血液を散らして倒れ伏すシスターの姿は、次第次第と人の姿へと戻っていく。
終わった、のだろう。
最早、シスターに魔力は感じない。動く気配も、ありはしない。
勝ち……なの、だろうか。これを勝利と言うのだろうか。
俺には、そうは思えない。心の空虚が、間違っているとわなないている。
『――――――』
頭に響く声を掻き消して、俺は佇む。
これは、違うはずなのだ。
ばらつく頭に思考が散逸していれば、視界が陰った。反射的に影を追うと、その先には、セケル神父がいた。
「シスターを、弔ってくれたのですね」
声色は落ち着いていて、しかしどこか物憂げでもある。
怒りの類いは、感じられない。
「あなたも、魔族ですか?」
「ええ、私も、魔族と呼ばれている存在です。戦い、ますか?」
「……いえ、今の俺には、出来ません」
「そうですか。でしたら、少し話しませんか? それと、彼女のために、穴を掘ってほしいのです」
俺はそれを肯定して、二人でシスターの身体を裏庭に運んだ。騎士団の皆も弔おうと考えたが、魔術砲撃の影響だろうか、まともに形を保っている遺体がなく、断念した。
土は柔らかかった。立ち並ぶ墓はいくつか倒れており、戦いを物語っている。
土を掘る道具が無いので、壁に刺さっていた剣を用いた。
深くは掘れなかった。だが、人ひとりならば十分に埋められるだろう。
「魔族だからと、人を襲いたくはないのです」
穴を掘る最中、神父は誰に言うでもなくぽつぽつと語った。
「何のことはなく平凡に生きていると、狂気が正気を蝕んでくるんです。抗えば抗う程に狂気は色濃くなり、それは、彼女の理性を超えました。……子ども達は無事です。各御家庭の前まで、送り届けてきました」
かつん、と切っ先に当たった石を除ける。
「彼女は、子どもを探していました。故郷の街の孤児院で、ある事件からこの国へと逃がした子どもです。心配と、罪悪感を抱えていた彼女は……耐えられなかったのでしょう。狂気に、堕ちたのです」
「それを、俺に話して……どうするんですか?」
「……覚えていて、欲しかったんです。彼女のことを、私以外の方にも」
太陽を雲が覆い、晴天を埋め尽くすと雨が降り始めた。
雨が、降り始めた。




