SS4 Every man has his humor.
木国からの帰路、馬車に揺られながらも私の脳裏にはあの時の光景が繰り返されていた。
見晴らしの良い崖際。遠く青空が広がる中、眼前には彼の背中が示されている。手を添えて、魔力を注ぎ、彼の魔力循環器を拡張していった。
「………………」
ジッと、彼を添えた手のひらを見つめる。
彼——カンダ・ライトの魔力循環器系は、既にボロボロだった。当たり前と言えば当たり前、当然の顛末とも表せるだろう。つい数ヶ月前までは、一度として魔力を身体へと流した経験の無かった彼が、この数ヶ月で幾度死闘に身を晒したのか……それも、薬物を扱って無理矢理に。
父の差し金であることは、想像に難くない。あの人は、そうした人間なのだ。大勢民衆のためならば、本当に心から大切なものであっても切り捨てられる。そうした心根は、上に立つ者として備えていなければならないものなのかもしれないが、しかし、私はどうにも受け入れられない思考だ。
ライトさん——。
彼の歩んでいる道は、緩やかな自殺に他ならない。真綿でゆっくりと首を絞めていくように、苦難の道を左右へブレながらも一歩一歩と確実に前へと進んでしまっている。
止めなければならない。それだけは、確かなのだ。
このまま進んだ先には、善いものなどは何も待ってはいない。あるいは、大きく見れば確かに平和らしきものはあるのかもしれないが、平和とは全くそれで良いなどと……犠牲の上にあるものだとは、信じたくないものだ。
彼を引き留めることは、父と相対するのと変わらない。反抗期だなんて可愛らしく表現されるかもしれないが、元より彼は私の——。
——いや。
彼は道化の仮面を被り、哀しみの涙を隠しているけれど、仮面の下にある本心を私には見せてくれた。カンダ・ライトは、死んでいない。けれど、誰かのためにと、傷む拳に喝を入れて意地で立っているだけなのだ。
大体、似合っていないのだ。ああした、ぴっちりした格好なんて。
王立騎士隊の制服に身を包んでいても、彼がライトさんである限りは、どこまで行っても服に着られてしまっている。即刻脱ぐべきだ、あんな物は。
「どうしたんですか? そんな暗い顔して……お腹減ってます?」
「いえ……特には。モニカさんも、どんよりされていますが。どうなさったんですか?」
「あー……ははー。何と言いますか、少し、お財布の軽さに身を割かれる思いをしていると言いますか…………」
隣に腰掛ける彼女の乾いた笑い声に、つい小さく笑ってしまう。彼女——モニカさんは、どうやらライトさんとも懇意にしているらしい。
だからだろうか、こう口を滑らせてしまったのは。
「モニカさん…………最近のライトさんって、変じゃありませんか?」
「ライトさんは……いつも変じゃないですかね。常に酔っ払ってるって感じで」
「あー………………いえ、そういうところがあるのは否定しませんが、もっとこう、表面上と言いますか」
「まあ、そうですね。何というか、最近やけに生真面目気取っててキモいですよね。似合わない服も着ちゃってて、騎士ごっこでもやってるみたいで。子供なら微笑ましいですけど、あの歳であれは。いやー、キツイですよね」
「そこまで非難する程では無いと思いますが……まあ、そうですよね。何をやっているとか、聞いていませんか?」
「特には。最近は会ってもいませんからね。街中で時折り見かけるくらいで、その時も知らない人と一緒に居たりするので話し掛けたりとかは」
「どの辺りを歩いていたんですか?」
「南の方の大通りで…………七番通りの辺りだったと思いますよ」
七番通りとなると、騎士隊庁舎の付近である。やはり、父がまた何事かに彼を巻き込んだのだろう。間違えなく。
ライトさん当人の発言から察するに、それは魔族——それに、それを取り巻く様々な事柄へと対処辺りであろう。でも、なぜ今更になってその様な行動に出たのだろうか。王立騎士隊という手足があるのだから、前々からできる動きである筈だ。
准教授と、それを伴う薬物問題が片付いたからと考えるのが妥当だろうか? いや、元より組織全体をこれらの調査に回しているはずがないのだから、こうも大きな一手を打つ理由のひとつにはなれども、それだけという話で動くとは思えない。
私の知り得ないところで、何が起こっているのか。思惑は様々あるのだろうけれど、そうしたものに置いていかれるのだけは、嫌だ。
「まあ、でも……大丈夫じゃないですか?」
「大丈夫?」
モニカさんの言葉に、つい疑問符で返してしまう。
「いえ、確証とかそういうのは無いんですよ? ホントに……でも、何て言うか、寄せては返す波と言いますか…………帰ってきますって、フラフラしてる人って」
「ふふっ。何ですか、それ」
「ま、真面目だったりするんですよ。これでも…………そうは思えないかもしれませんが」
「いえ、わかっていますよ。大丈夫……そうですよね。大丈夫って言って、格好つけているのが私達流、ですもんね」
穢されちゃってますね、というモニカさんは、しかし太陽の様な満面の笑みを湛えていた。
*
木国の一件を乗り越えて、王都へと帰投した俺は、ふらりと一軒の酒場へと足を運んだ。
燻んだ木造の店内にはカウンターと幾つかのテーブル席があり、ランタンの暖かみを感じさせるオレンジの光に照らされている。夜も深まって酒も進み、出来上がった客の溢れた空間は豪快だったり爽快だったり様々であれど、笑い声に満ちていた。
そんな酒場のカウンターの隅に腰掛けた俺は、店員に「適当に度数のあまり高くないのを」と注文を付けて、雰囲気に浸っていた。こうした場面で落ち着いた態度を取ってこそ、大人の男というものだろう。姿形を大人とするのならば、態度もそれに倣わなければならない。
馬子にも衣装、とは決して言わないでほしい。
傷つくから。
「旦那、ミルクと……あと何か摘めるもの」
そんな俺の隣に、一人の男が腰掛けた。
「ここは酒場だぜ」
「ミルクねぇの? じゃあ水で」
「火が着くやつか?」
「違ェーよ! そうはならねぇだろ! なぁ! オイ!」
「はいはい、ミルクとつまみな。ガキじゃねぇんだからよ……ったく」
「酒はやらねぇ主義なのさ。女も、博打もな」
嫌味な笑い声を上げる隣の男は、ニヤニヤと不遜な笑みを浮かべて俺を見やる。言葉はない。ジッと視線を耐えていれば、やがてカウンターの向こうからそれぞれ酒とミルクが一杯に注がれたジョッキが並べられた。
ひとくち飲めば、臭いくらいのアルコールが鼻へと抜けていく。
「——で? 取り敢えず、あれは貸しひとつってんでいいのか?」
「心底から認めたくないものだが、そうしておいてやるさ」
隣の男、アンダーテイカーもミルクに口をつけた後で、拗ねた様な口調で答えた。
木国の森中、シーカーとの戦闘の最中で薮に潜んでいたコイツの姿を見つけた時は目を疑ったものだ。瞬時、追われていたのはこの男なのだなと、妙な納得と共に理解した。そして脳裏を駆け抜ける阿呆の顔。
「何で、追われてたんだよ。女子更衣室でも覗いたのかい?」
「お前じゃないんだからしねぇよ、そんなこと」
「俺もしねぇよ⁉︎ 何をナチュラルにそういう奴だとか思ってくれちゃってんの⁉︎」
「恥ずかしながら、顔……ですかね」
「顔ぉ⁉︎ 何だお前! 俺が変態の顔をしていると言うかよ!」
「顔というか、最早全身だがな。黒塗りにしといた方がいいんじゃないのか?」
「**、*****! **⁉︎ ***、**! やめろ!」
互いに大仰な身振りで行ったやり取りであったが、ひと段落してしまえばその余りの阿呆さに呆れ返り、カウンターへ向き直るやジョッキに口をつけた。寒風の吹き荒む財布を思い、ちびりちびりと。
一時の沈黙の内は、酒場の中に響く客のどんちゃん騒ぎが埋めている。それから、先に口を開いたのはアンダーテイカーの側であった。
「……人探しをしているのさ、ずっと。で、ネブ・ノウブの王城にいるって話を耳にしたから忍び込んだら、この首に賞金が掛かっちゃった。ほら、大爆笑〜」
「間抜けだな」
「馬鹿に言われたかねぇよ」
「誰が馬鹿だよ間抜け。で? 誰を探しているのさ。もしアレならば、手伝ってもいいけれど?」
無自覚に口にした言葉に、アンダーテイカーは信じられないものでも見るように目を丸くしていた。一拍置いて、俺自身でも何故この男にそのような親切をしなければならないのだと疑問に思う。少し考えてみても、条件反射でしかないのだと結論が出る。
そんなところで、アンダーテイカーの頼んだつまみが出された。表面を焼かれて少し焦げているウインナーの山だ。熱された脂が皮を押して歪に変形したそれらは、ほかほかと湯気を上げており、酷く空きっ腹を刺激する。
「お前も食えよ」アンダーテイカーの言葉に、俺は片手を軽く上げて感謝を伝えるやフォークを手に取りそそくさとウインナーを口へと運ぶ。「……妹だ、オレのな。生き別れ、ってヤツでな。親がどこぞの貴族に売り付けたらしくてさ、足跡を辿り辿りとここまで辿り着いたんだよ」
「妹……妹か。やれるだけはやってみるが、ネブ・ノウブが最後の痕跡となれば、俺にできることは無いかもな」
妹は、俺にもいる。映画を一緒に観に行くって約束して、その約束を果たさずに俺は今ここにいる。帰ればきっと怒るだろう。そして、この約定破りをネタに様々な要求を押し通そうとするのが彼奴のやり口だ。
「ああ、そうだ。折角だから、また城に潜ることがあれば地下を調べて来てはくれないかい?」
「地下? 通路だの何だのって話か?」
「そうだね。地図を書いて来てくれれば、謝礼は払う。それと、最深部になるのかな……国土結界の発生源もそこにあるハズだ。それを見つけて、ポイントをチェックしてくれていたら追加報酬を約束する」
「いいじゃない、仕事となりゃ俄然やる気も出る。…………ま、もうちょい時間を空けて、警備が緩んでからになるがな」
「構わないよ。どうせ、こっちの準備も一昼夜で行えるものじゃないからね」
「……何が始まるんだよ」
やけに真剣な声で問うアンダーテイカーに対して、俺は戯けたままに「第三次大戦だ」と答えたが、しかしこのミームが通じる相手である訳もなく、はてなと頭に浮かべられて赤っ恥を掻く。異文化交流の辛いところだ。
『隊長、今よろしいでしょうか』
脳裏に響く声は、新たに処刑隊に配属された騎士降りの声であった。確か今日はスィクルさんと共に魔族が潜んでいるとされている街へ出張させていた筈だが。
俺は手刀を作りアンダーテイカーへ謝罪して、この連絡を受ける。
「ああ、構わないよ。何か問題でも?」
『はい! 魔族、隠匿した町民共々捕えたのですが如何すれば良いのかと思い、連絡させていただきました』
横目で外の様子を見ると、未だ太陽は紅を映していない。流石はスィクルさんと言うか、手の早いことこの上ないな。新人も、死なずにいられたのならばそれなりに使えるかもしれない。
「町民は聖堂の連中に渡しちゃって構わないよ。魔族は、駆逐で……よろしく」
『ハッ! 失礼します』
声のみであるにも関わらず、その威勢からしっかりと敬礼の姿勢を作っていると見える。王立騎士隊の一員ながらも裏方に落とされて同情の気持ちもあったが、まあ、当人が楽しくやれていそうで安心した。
「駆逐ねぇ……オレは良いのかよ」
隣で、アンダーテイカーが口にする。
ニヤニヤと、小馬鹿にして。
「まあね。処刑隊の隊長たる俺は、独自裁量権を与えられているからさ」
「職権濫用じゃねぇか……」
ウインナーを食べようと伸ばしたフォークは、しかし空を突くのであった。
*
セントリア領の郊外にぽつねんと立つ粉轢き小屋。周辺四方は未だ青い麦穂に囲われており、一見するだけでは間隔的に並ぶ作業小屋のひとつに過ぎない。小屋の近くには二頭の馬が括られて、方や干し草を貪り、片や水桶に頭を入れている。
そんな小屋へ、少女が二人訪れた。
小屋の中は一段階層が下げられており、外見よりも広い空間を作り上げている。しかしその空間を満たすのは方々へと放られた資料と、機材の数々。散乱した機材にはそこかしこに修理を試みた形跡が残っているが、致命的な破損の方が大きく刻まれるものばかりだ。
荒れ果てた小屋の戸が開かれて、停滞していた空気が動く。もう既に、風は肌寒さを感じさせる季節へと巡り、頬を撫でる一陣は紙束に埋もれた青年を浅い眠りから引き上げる。
「おお、お帰り。無事で何よりだよ」
青年が大きな欠伸をしながらも、二人を迎えた。
二人を迎えるその声で、向かいの椅子で死んだように眠っていた中年の男も目を醒まし、「おお」とだけ低く唸る。
「そちらは……上手くいっていないようですね」
軽く口を言いつつも短い階段を降り、室内へと入った二人。なるべくは散らばるものを避けようと足を動かして、手近な椅子へと腰を下ろす。
「面目ない限りだね、全く」
中年の男は背もたれから身を起こしながらも口にすると、目元を二度三度指の腹で揉み解してから再び机に向かう。逆に青年は身体ごと二人へ向き直り、次第を訊く姿勢を取る。
「まずはお疲れ様、ミロちゃん」
「いえいえ、構いませんよ」
「それに、無事でよかった、リェンちゃん」
「……いえ。こちらこそ、助けてもろてありがとうございます、レフさん」
青年レフ・トールギストの言葉に、二人は返した。
神田来人により謀殺されたリェンがなぜ生きているのか。それは単純な話であり、彼の部下であるミロ・ヴィーナスは性根を処刑隊に属してはいないためだ。
神田来人によるリェン謀殺の策を耳にしたミロはレフ一派との協議の末、彼女の賦質魔術である【頽廃空虚】により形状を変化させた豚肉や馬骨を用いた遺体での死亡偽装が計画された。顛末は、偽リェンであるとも見抜けずまんまと騙された来人の一人負け。そういった、事情であった。
「――成る程、了解。メッセージも?」
「万事抜かりなく。今頃、もう既にご両親はリェンさんの生存を知っています」
「オーライ。で、リェンちゃんはここのこと……」
「道中、おおよそは」
「そっか。で、もうひとつの方は?」
優しく微笑みリェンを安心させたのも束の間、レフは即座に切り替えてミロへ問う。
「聞けましたよ。……やはり、魔対法の改正は確かなようです。それも、強権的な方向で」
「時期は?」
「直ぐにでも。上の連中は、いつにもなく活発に動いているようで」
「厄介だな、全く」
歯噛みして悪態をつくレフの姿は、事態の悪化をこの上なく表している。
その最中、嫌でもミロ、リェンの目を引いたのは向かいの中年であった。
「本当に……引き入れたんですね、准教授を」
「ん? ああ…………こういう言い方しかできないのは歯痒いが、耐えてくれ。こんな成形されたゲロでも、今は必要な自体なんだ」
「わかっているつもりです」
ミロ自身でも理解していた。あの中年リント・グレイマンに身体を売ったのは、自分自身の選択の結果であるのだと。しかし、それでも――もう二度と出会わなくて済むと思っていた自らの穢れ、それそのものとこうして対面するには、ミロ・ヴィーナスはまだ幼かったのだ。
「――それで、そちらは今、何を?」
邪念を振り払うように話題を変えたミロであったが、その言葉はレフに刺さった。
「あー………………まあ、ちょっとね。魔族が体内で生成する魔力に、ある一定の周波があることが判明したから、その調査を。この魔力っていうのが、彼らが怪物態へと変じる時にも人体へ影響を与えているようだから、きっと、何かあるのだとは思うのだけどねぇ」
「魔力の波形解析って、そんなに難しいものでしたっけ?」
「いや、本来は難航する程でもないよ。でも、今回のは……特殊でね。君らは高音と低音、一遍に出せる?」
「いえ……というか、喉の構造上、不可能では?」
「そう、人体の構造上そんなことはできっこない。でも、この波形はそういった代物なのさ」
そういってレフが手渡してきた紙には、上下に揺れる波形が刻まれていた。しかし何度か上書きされているらしく、その波形の線はブレて、まとものものではない。研究発表に出せば、教員から大目玉を喰らうだろう。
「これは予想だが」そこへ唐突に、しかし視線は向けぬままリント・グレイマンが割って入る。「おそらく、人間の魔族化には未だ解明されていない何者かの関与がある。それは人類などよりも魔力というものに造詣が深く、価値観に相違がある存在だろう」
「価値観に? なぜ?」
「まともで、ああした事態は引き起こせない。だろう?」
「ああ…………」
それは、矜持故の言葉であった。
しかしだからこそ、この上なく人に納得感を与えるのだ。
「たとえ今、時間が無かったとしても………………一歩一歩、堅実に進むしかないのさ」
深いため息と共に吐き出された言葉はレフ当人への応援となり、「よしっ」と一言意気込むと、彼もまた机へと向かった。至急のこと、先の魔力を突き止めなければ先には進めないのだ。
カリカリとペンの走る音が響く中、報告を終えたミロは立ち上がり、アジトの案内をリェンさんへと行おうと彼女を誘う。地下に根を張るように広がるレフ一派のアジトは、個人の部屋を含め好き好きに改築が続けられており、既に全貌を知る者は一人といはしないのだが。
『よう。順調か?』
そんなところで、レフの元へとロラン・セントリアより連絡が入る。彼女こそがレフの計画、最大の出資者であり、元より上がらない頭は更に低くあった。
「まあ………………ぼちぼちです」
『行き詰まりか——まあ、いい。例の方と、コンタクトが取れた。四日後の予定だが、いいな?』
言葉は疑問系であれど、しかし、そこに含まれる意味は否定を許すそれではない。そして、否定をするような内容でもない。
ストルムグレン・ヘイズマン。
ネブ・ノウブの政治に参画する程の上級貴族にして、魔族災害の被害を身に受けずにいる生き残りであった。




