EP03 ぷー太郎、異世界にて決意す
遠くで電子音が響いて、意識が深い水底からじんわりと引き上げられていく。だが、一定リズムの電子音では決定打が無く、聴こえるは聴こえるが意識の覚醒には至らない。力不足な目覚まし時計の音で再び眠りにこそ落ちはしないものの、起きれもしない夢と現の狭間で揺蕩っていれば、むん、と口元のしっとりとした感覚と共に生臭さが鼻を刺す。
んー、と唸りながらも顔を左右に振って逃れようとするが止まず、これを受けて俺の意識は決定的に浮上する。腕を布団から出して俺の口元を舐めまわす対象を捕まえながらも瞼を持ち上げれば「おはよ、兄ちゃん」と僕を見下ろす陰から声がする。俺の手元からも、ワン、と声を掛けられたものだから、俺も「ん、おはよ」とぼやけた頭のままに返す。上体を起こして、俺の口元を舐めまわしていた柴犬のレオパルドを何となく撫でまわしながらうつらうつらとしていれば、「起こしたからねー」なんて言って妹御はリビングの方へと消えていった。
『――続いてのニュースです。またしても、不可能犯罪が起こりました』
リビングからは、ニュースの音が漏れ聞こえてくる。
目元を擦り目やにを取り、辺りを見回せばそこは何のことは無い俺の部屋兼和室であり、まさかまさかの夢落ちなのか若干の萎えを覚えながらも布団から起き出す。俺が布団を出るのと入れ替わりにレオパルドが布団上で二、三度回転した後に着陸し、眠り出した。これに関してはいつものことなので良しとして、敷居を跨いで隣のリビングに足を踏み入れる。
「おはよ」
リビングでは父が席に着いてテレビを観ながら朝食としてウィンナーパンを食べており、その向かいで妹がスマホを弄りながらコーンフレークを食べている。俺もキッチンで舐めまわされた口を洗い、濯いだ後にブレッドケースからチョコパンを取り出して、出しっぱなしになっていた牛乳をコップに注いで妹の隣に運ぶ。パンとコップを置いた後で一度キッチンに戻り、冷蔵庫に牛乳を戻した後で席に着き、手を合わせ小さく「いただきます」と口にしてからパッケージを開けて口に運ぶ。
椅子を引いて、父が見ている科学エンタメ番組をぼんやりと観ながら朝食を食べ進めていく。少しすると妹が食べ終わり、食器を洗いにキッチンに立つ。
「あ、そうだ。兄ちゃん覚えてる? 今日のこと」
「んー? なんかあったっけ?」
「映画! オズの映画館で。カレンダーに書いてあんじゃん」
「見やらんよカレンダーなんて」
そう言いながら壁に掛けられているカレンダーに視線を移すと、今日の枠には可燃ごみと共に『A live you!!』と書かれている。ああそういえば、と約束を思い出したが、この映画がどのようなものかの概要が全く思い出せない。この手のものは調べてから足を運ぶ派であるため、本当に今の今まで忘れていたとわかる。
曖昧に返答を返し、学校終わりに、と言ってリビングを後にする妹を見送ったら、またぞろ身体の向きをテレビに向き直してパンを口に運ぶ。朝食は、どうにも苦手だ。寝起きはどうにも食欲が湧かず、しかし空腹ではあるために食べる手が滞り時間が掛かってしまう。
「姉ちゃんは?」
正直、どうでも良いけれど姉の所在を父に尋ねれば、まだ寝ている、と返された。まあ、そうだろう。あの姉は毎日、昼近くになってからのそのそと部屋から出てくるのだ。たまの仕事の時は朝っぱら動いているが、事情も無しに朝から動くタイプではない。
「来人」父の呼び掛けに、んー? と気のない返事で続きを促す。「向こうは、どうだ?」
「どう……どうだろ? 嫌なこともあるし、楽しいこともあるからなぁ。そんなに、こっちと変わらないんじゃないかな。魔物と戦うのは、怖いし、痛いし、生きてるって感じがするものを蹴ったりして罪悪感……っていうのか、嫌な感じがするから、やりたくないかな。でも、レフと適当な話をするのは楽しい。喋ったり遊んだりして楽しいのは、こっちでもいっぱいいるけどさ、一緒にいて楽しいって感じたのは、あいつが初めてかもしれない」
「変わらない……そうか。なら、良い。無茶はするなよ」
「大丈夫だって。無理・無茶・無謀は俺の嫌いな無三選だからね」
父はウィンナーパンの最後の一口を口に含み、咀嚼し、嚥下した。御馳走様でした、と手を合わせると、肘を卓上に乗せて指を絡み合わせ、俺をじっと見つめてくる。
「あらゆる異常事態には原因と結果がある。チーズの発酵室に納豆を食べた者が入ると納豆菌が持ち込まれ、チーズが駄目になるように。お前が向こうに連れていかれたのには、原因がある。お前はこれからそれを探らなければならないだろう」
「原因か……ノエルちゃんが俺を喚んだから、じゃなくて?」
「召喚術は人を召喚しない、と言っていただろう? ある意味で、それは結果に過ぎない」
「あ、そっか」
原因と、結果。
俺が向こうに呼ばれるという結果を導き出すに至った原因――途中式。
「まあ、心配するな。俺達はお前の心配などしない」
「いや、そこはしてよ。親だろアンタ」
「夏休みに何も告げずに日本一周旅行へ出掛けた時だって、特に心配しなかったしな。これが信頼というものだ」
「それを信頼とは認めないぞ俺は。社会はそれを放任というんだ」
「彼女がいる訳で無し。世の中、金を払えば大抵の体験は出来る。お前が気にしている女性関係だって、金があればどうとでもなる。だが、今、お前がしている経験はどれだけ金を積もうと万人が体験出来ることじゃない」
「なーんか釈然としないけど、まあ、土産は期待するべからず」
「勇者の装備一式とか持ち帰ってきてくれ」
「期待すんなっていったでしょうが」
笑って返しながらも立ち上がり、食べ終えたパンの包装はゴミ箱へ、コップはスポンジで洗って置いておく。俺が洗い物を終えると入れ違いで父が朝食の後片付けを始め、それを見ながら俺は居間へと戻り着替えを行う。廊下から頭だけリビングに入れた妹が「いってくりゅ」と言い、父と俺で「いってらー」と見送った。
着替えを終えたら脱衣所へ行き、洗面台で歯磨き・洗顔を済ませる。顔を洗ってようやくすっきり目が醒めた気がする。和室に戻って大学用のタブレットと財布程度しか入っていないリュックサックを手に取り、枕元のスマホをポケットに入れたついでにレオパルドを撫でると「何さ」と言わんばかりに一瞬目を開けて、すぐに前足で顔を隠してしまう。
「じゃ、行ってくる」
玄関で家の中にそこそこの声量で告げると、二階から「いってら」と父の声がした。それだけかよ、とか思いながら腰を下ろして靴を履いていると、扉が開いて母がゴミ出しから帰ってきた。
「うおぅ! びっくりした」
「あ、多分だけどだいぶ帰り遅くなるから。ゆめ、心配して待っててくれ給え」
「えー、大変だから却下」
「無慈悲な」なんて言いながら靴を履き終えた俺は、リュックを肩にかけて玄関を出る。「行ってきまーす」
*
目を醒ませば、見知らぬクリーム色の天井があった。おお、これなるは世に言う知らない天井というものか、と多少心躍ったのだが、よくよく考えてみれば、起き上がった時に知らない天井が見えるとはつまり、俺が寝ている内にどこかへ連れ去られたという事実の提示であり、瞬時に心は恐怖にズンドコドンドン。身震いする。
誘拐誘因体質なのかな、と自身に降りかかる艱難辛苦を呪いながらもベッドを抜け出す。立ち上がり、身体を伸ばし、捩じる軽度運動を行ったことで気付いたのだが、体のどこにも痛みがない。ドラゴンに吹っ飛ばされて背中を強打したり、ノエルさんに背中くすぐられて魔力解放されてから変な筋肉痛になりそうな動きをしたりしたから、起きたら辛いだろうなぁ、と思っていたが何もない。床を掴む脚も、カッチョイイレッグからノーマル生っ白い脚に戻ってしまっている。見下ろした折、傍に俺のとは違うが靴が揃えて置いてあったので拝借する。
しかし、変身か。
「名乗り口上を考えなくちゃな」
呟き、十何畳もあろうやけに広々とした部屋を見渡す。天井と同色の壁は広く、家外を眺める壁には大きな窓がはめられている。いくつか見える絵画は美しい風景画が描かれており、その一つは聖堂塔と見受けられる。床には細かな花模様が刻まれた絨毯。一見しただけで知識のない俺で金の掛かっているは見て取れる。
窓とは逆の壁に扉を見つけた俺は、そそくさと抜け出してやろうとこれに近付くも外から、お嬢様の連れ帰ったあの男の人って誰なのかしらね、などと女性の美声が聴こえてきたものだから脱出を断念。逆に窓へ近付いて外を見る。
どうやらここは二階のようで、地面までの距離は四か五メートルといったところだろうか。風景を眺めれば公園かと勘違いしそうになる異様に広大な庭が広がっており、遥か向こうに取り囲む壁が見える。空は青く、雲は厚くあるので季節柄は夏なのだろうか。
今の俺のテンション的には二階からであれ降りられる気がするが、物理現象とやる気は対照の存在ではない。いくら俺がやれる、と心の底から思っていても液体石鹼でボーリングは出来ない。ならば固形石鹸ならば出来るかといえば、それはやる気があれば可能だろう。そこは問題ではないのだから、どうだって構わない。
さて、どう逃げ出そうか。というか、レフとノエルさんは無事なのだろうか。
折角脅威が去ったというのに、またぞろ変な事態に巻き込んでしまったのだとしたら、ノエルさんには申し訳が立たないな。人の生は幸福なだけでは過剰だけれど、不幸なだけでは不格好だ。幸福と不幸は七対三が丁度良い。人は五分だ五分だと言うけれど、本当は七対三くらいが丁度良い、とザ・センターマンも語った通り、Win-Winは五分五分では成立しない。不幸に次ぐ不幸は、在ってはならない。レフは……あいつは、多分どこでも楽しめるタイプだし別にいいだろ。知らんけど。
「……全員ボコるか?」
いや、暴力に頼るのはいけない。力を得たからとそれに頼り、行使するのは愚か者だ。
本能を理性で超越して、理性を超えて本能に至る……どういうことだ? 自分でもわからないが、何か真理めいて聞こえるから良い言葉だな。知恵者と嘯く馬鹿に効きそうだ。俺とか、そういうの好き。
「冷静に、普段通りに」
まずは脱出を最優先に考えよう。だが扉側は先に声が聴こえた通りに人がいる。男女差別的思考だが、やはり女性と老人、子供にはなるべく手を出したくはない。となると、使うは窓。
窓を開き、身を乗り出す。庭を見回すが人影は見えない。薄気味悪いくらいの無人具合に、逆に罠なのではないかと疑心も生まれるけれど、それを言い出したらキリがない。窓枠から身を放り、足裏からふくらはぎ、太もも、尻、背中の順に両脚をぴったりと閉じた状態で膝を軽く曲げ、顎を引いて着地する。受け身のお陰か、あんな身体になれるこの身体のお陰かは定かではないものの、安全に怪我無く着地をしたら遠くに見える門へと一直線に駆ける。下手に壁を越えて逃げては道などがなかった際に迷子の危険がある。あえて正面の門から抜ければ、そこには必ず道がある。このレベルの屋敷を保有する以上は、必ず馬車の類いがある筈なのだから。
門には守衛の類いがいるだろうけれど、そのくらいならば、何か上手いことやってどうにかしよう。
しかし広いなぁ、などと呑気に庭を走れば、すぐに門に到着した。今ならばボルトを圧倒して走れるかもしれない、世界記録に俺と言う汚点を残せそうだ。
さて出ようと思う前に、門の向こうで何やら言い争う三人の影。一人はこちらに背を向けて立つ者で、声からして男、手に持つ槍から守衛の類いと推測出来る。その向かいには黒一色で足元までの、何というのだったか、確かキャソックとかいう服の初老の男、服装からして神父辺りか。その隣には黒いベールで頭を覆い、同じく足元までの、こちらは確かハビットとかいうワンピースのような衣服に身を包んだ女性、こちらは修道女だろう。宗教関連の二人の侵入を守衛が止めているらしい。
これは好都合と端を抜けて出ていこうとしたら、そこの君、とまさかの守衛ではなく神父の方に呼び止められた。いやはや、予想だにしない展開だ。
「何でしょう?」
逃れ得ぬと悟り、素直に神父の方へと視線を向ける。
害意の介在しない微笑み。少し後ろに構えるシスターさんの顔は無念にもベールの影に隠れて窺えない。
「君は、この家の方でしょうか?」
「質問にしろ何にしろ、まずは名乗るべきでしょうに。余程、世界が低く見える様子で」
「ああ、これは失礼を。君の言う通りですね。すみませんでした。私はアメン教で神父の席に着いております、セケルと申します。後ろのはペテル」
「いえ、こちらこそ失礼な物言いを。私の故郷では挨拶に重きを置いていましてね、名乗りを上げない者は無礼な奴、あるいはこちらに敬意がない相手と見てしまうんです。どうも、セケルさん、ペテルさん。私は神田来人と申します。以後お見知りおきを」
腰を曲げ、挨拶をする。挨拶は人が他者と関わる上での基本中の基本だ。これ一つで相手への信頼度は上がるし、警戒心は薄れる。
「それで、ですね。受神料の方を頂きたく参上したのですが」
「受神料……ですか?」
何を言い出すのか、と守衛の方に視線を向けて助けを求めるが、視線を動かした瞬間に目を逸らされた。もう面倒くさいから関わりたくない、という気持ちを隠す気もないらしい。
「はい。お宅の方に、偶像など、神の御意思を受け取れるものはございませんか? もしございましたら、受神料受け取りたいのですが」
「はぁ……どうですかね。神の意思なんて曖昧なものを聴ける道具、あったかどうか。大体、何か聴こえたとしてそれが神の意思であるのか否かってどう確かめるんですか? 自己申告ですかね? じゃあ、俺は神なのでどちらかと言えば発神側なので、今、セケルさんが首元にぶら下げてある巻貝の徽章に向けて声を発しているので金を寄越してくださいって言って、払いますか?」
「払いませんよ」
「それはどうして?」
「私が信仰しているのは、貴方では無いからです」
「成る程。では、俺が貴方の信仰対象では無いとなぜ言えるのですか?」
「アメン神は姿なき者、だからです。私の目の前にいる以上、貴方は紛れもなくカンダ・ライトさんです」
姿のない神、とはまた面白い信仰だ。日本であれギリシャであれ、どこであろうと人は神に形を与える。それも人の形を。で、あるにも関わらず、彼らのアメン教は姿のない存在を神として崇めているらしい。そのくせ、偶像があったら受神料を寄越せと……トラップじゃないか。
「姿がないんじゃなくて、まず存在していないんじゃないですかね。神様に助けてもらった経験がないし、会ったこともないものですから。いもしない存在から放たれる毒電波を受信したとして、払いたくないですよ金なんて。どんな健康被害があるとも知れないのに」
「ふふふ、貴方は面白い方ですね。でも、それを信仰している私達の前では言わないで欲しいところですね」
「ああ、すみません。配慮が足りず」
「いえいえ、謝ることではありません。信仰は自由です。誰が何を信じるにしても、それは許されるべきだ、と私は考えています」
「珍しいですね。俺、自分が信じてるものを押し付けるのが宗教かと」
「押し付けられたものは信じられないでしょう? 何を信じるも、当人の感じ方次第であると私は思います。私はピーマンが苦手なのですが、あれを好き好んで食べる人っているじゃないですか? それと同じですよ」
「その考え方、ナイスですね」
笑顔で肯定してみると、セケルさんは、貴方は楽しい人ですね、と褒めているのか別の何かを秘めているのか、裏の言葉は読み切れないものの確実に秘匿された意味を持つ言葉を返される。ふふふ、と爽やかな笑みで言われると、何だか存在しない乙女回路が刺激される気分になるが、どうせ乙女回路を刺激されるのであれば男勝りな性格のバイクとかに乗ったお姉さんに刺激されたいと意思を強く持ち、耐えた。危ないところであったが、浸食された部分の心を切り離すことでどうにか神父堕ちせずに耐え抜く。
これが愁いを帯びた後ろのシスターだったら、終わっていた。終わるというか、俺のラブ・クラフトの始まりなのだけれども。
「おいおい、なんだよ楽しげじゃないの」
何故か楽し気に特段楽しくもない話に花を咲かせていると、俺の背後から声がした。振り向けば、ブロンドの髪がよく似合う翡翠の瞳を輝かせた、それこそ今しがた俺が夢想したバイクが似合いそうな女性が立っていた。快活な笑顔は人を照らす暁光にして、肌は健康的な発色をしている。声は女性特有の高い音ではあるが、その実でよく通り、スキップでもするような陽気な喋りは俺の心を掴んで離さない。
見惚れてじっと熱視線を向けていると、どうした? とずずいと顔を近付けられて、俺の乙女回路は限界寸前。緊急着陸・胴体着陸の大騒ぎ。燃えだした乙女心エアラインから大事な感情の数々が急いで避難を開始する。
「おや、これはロラン様。今日もお元気な様子で」
「受神料は払わないと言ったはずだが?」
「ええ、存じております。それは口実でして、本日伺ったのは娘様が帰られたとの噂を耳にしましたので、お見舞いにと」後方のペテルさんからバスケットを受け取ったセケルさんが、ロランというらしい俺の恋泥棒へと受け渡す。「つまらない品ではありますが、お納めください」
バスケットを受け取ったロランさんは、人目を気にせず悠々とその場でカバーを捲り、中身を検分する。ちらりと盗み見てみれば、中身は何の変哲もない果物かごであり、ふむ、と鼻を鳴らしたロランさんは「ありがたく受け取ろう」と感謝を述べた。
「では、私達はこれで。ライトさん、もしよろしければ、是非アメン教会へ足を運んでください。歓迎しますよ」
「機会がありましたら、寄らせていただきます」
二人を見送り、さて俺も出て行こうと足を踏み出そうとした刹那、ロランさんに肩を掴まれ引き寄せられる。強引に肩を寄せられ、ドキッと心臓が高鳴った。
「どこに行こうってんのさ」
「あー……い、家に帰ろうかと」
「だとしたら、方向が間違っているな。お前のウチはこっちだろ」
なんぞ、と驚いている間に方向を百八十度回転させられて、背中に手を回されたかと思えば屋敷への道を進んでゆく。おかしい、俺は俺の意思であの屋敷からの脱出を敢行したというに、どうして屋敷に戻る道を歩んでいるのだろうか。いいや、考えるまでもない。それが、心の望む行動だからだ。恋した乙女は、自分で自分を制御しようがないバーサーカーなのだよ。
そうして、あれよあれよと屋敷に連れ戻され、あれよあれよと階段を登り、あれよあれよと客間らしきところに連れ込まれれば、そこには何故か見知った人々が集まっていた。ノエルさんにエマさん、そして唯一の知らない顔の良い男。ロランさんに部屋へ連れ込まれたのを見て、ノエルさんは驚いたような顔をしていたが、エマさんが呆れ顔を浮かべており、エマさんの適応能力の高さに関心を覚えたりそのようなことに適応させてしまい申し訳無かったり。謎のハンサムはそんな俺を見て笑っていたが、その笑い声からこの男がレフであると悟った俺は、あの髭面の奥にはこのようなハンサム顔が眠っていたのかと、侘しい気持ちになる。
「連れ帰ったぞぅ」
そう言って俺を席に座らせると、ロランさんはノエルさんの隣に腰掛ける。最早、展開がわからないが今に始まったことで無し。だが、ノエルさんやレフだけでなくエマさんがいるを見るに行政関係、俺を連れ帰ったということはつまり召喚獣扱い神田来人に関しての議論になると推測出来る。ではロランさんは誰なのだろうか? どこか、目鼻立ちが似ているようにも感じるしノエルさんの姉君かな? いや、だとしても同席する意味が不明だけれど、楽しそうだとかで出席しそうな気配もある。そう考えながらもじっと見つめていると手を振ってくれたので、振り返す。
まあ、何にせよエマさんがいる時点でここが誘拐グループのアジト説は雲散霧消した。それにノエルさんは元気そうで、喜ばしい限りだ。
「ライトさん、お身体の方は大丈夫ですか?」
「ええ、問題らしい問題は思い当たりません。大丈夫です」
「頭の悪さは問題らしい問題でしょうよ」
「阿呆め、これは愛嬌のためのフリであって頭は悪くないんだな」
「寝起きで窓から脱走する奴のどこが頭悪くないんだよ。馬鹿もいいところでしょ」
「誘拐されたのかと思ったんだよ、見知らぬ天井に。お前は知るまいだろうさ、起きた時に知らん天井が目に映る恐怖を。結構ビビるぞ」
「ビビったのはこっちだよ。ちょっと目を離したら窓が開いてて遠く庭で走るお前の姿が見えたんだからね」
頭を抱えて語るものだから、俺はそうするレフを指差して笑いものにした。そんな俺らの姿にエマさんは地母神かと見紛う包み込むような笑みを浮かべていたが、ノエルさんが冷たい視線を向けているのを察した瞬間に、己がどれだけガキみたいな動きをしていたのか突きつけられて我に返る。
口をつぐみ、手のひらをエマさんに向けて話を促す。
「では、始めさせていただきます。今回、お話しさせていただく議題は二つあります。一つ目の議題はライトさんの今後の扱いについて。こちらは法制度の話になってきますので、私が続けて進行させていただきます。二つ目の議題としまして、ノエル様の身に起きた出来事について。こちらは私はあくまでも意見を述べる身となり、進行は当領地の領主であり騎士統率者でもあるロラン・セントリア侯爵にお願い出来れば、と考えています」
「いえ、二つ目の議題について、母様はその手の話は不得手としますので、進行は私に任せていただければと」と、ノエルさんが取る。
「ロラン様、よろしいですか?」
「ああ、任せる。私も口出しするだけのが楽だ」
尊大に応じるロランさん……様。
母親……まさかの、母親と来たか。そうなると、俺の心狂わされた事実が大分恥ずかしい過去になってしまう。友人の母親にドキッと来ちゃった小五の夏、みたいな? 過去よ消えろと祈っても、この手の嫌な記憶程に頑固な汚れとして脳にこびりつくので敢えて無視を決め込む。
「まず、現在のライトさんは魔術行使等の規制等に関する法律の第十六条魔術生成物の所有者又は占有者の責務等に於いて、召喚魔術の行使者であるノエル様の所有物として扱われ、ノエル様はライトさんの行動によって起きる責任を取る立場にあります。しかし、召喚魔術の行使により人間を呼び出したという前例は無く、ノエル様、ライトさん両名の合意の元であれば特例としてノエル様はライトさんの所有権を放棄し、ライトさんにここドゥ・ローの国籍を付与する手配をして参りました」
そう口にして、五人が囲む机に二枚の紙が取り出される。
ノエルさんが紙を手に取り読み進めていくので、それに倣って俺も書面に目を通すが英語とも何とも取れない謎の言語で記載されており、まるで読めたものではなかった。致し方なく隣のレフの二の腕を引き、これってなんて書いてあるの、と訊くと書面を受け取りざっと目を通してレフが答える。
「要約すると、今、エマさんが言っていたことを受け入れるって誓約書だな。特段、問題らしい点は見当たらないね」
「そう、あんがと。……ついでに訊くけど、髭はどうしたんだよ」
「剃った。ここは設備が揃ってるからね、ようやくサッパリ出来た」
あれがニュートラルではないのか、と少しがっかりしたり。
「あー、じゃあ、ノエルさん。俺って、元の場所に帰れたりって、しないんですか?」
「……申し訳ありません。本来、召喚獣を引き戻す際には、その個体が持つ魔力を手繰らせて引き戻すのですが……ライトさんは、その、魔力を持たないので、どのようにすればよいのか…………」
「あー、そうなんですね。大丈夫ですよ、まあ、なんとかなりますって」
俺の根拠のない確信と共に行ったサムズアップに、ノエルさんは微苦笑を返す。
だが、成る程。帰れないとなると、眼前の誓約書にどちらであれ答えを出さねばならない訳だ。
これに同意すると俺はこの国の人間として扱われるのか……つか、ここってドゥ・ローっていう国なのか。大陸図とか、世界地図の類いはあるのだろうか。後で調べなくてはならないな。
「私は、受け入れます。彼には明確な自律性と判断能力が備わっています。少し破天荒なようですが、立派な方ですよ」
ノエルさんは俺に目を向けて宣言すると、エマさんの指示に従って書類に記入を開始した。
俺は……俺は、どうしようか。ダンジョンに潜ってノエルさんを探したのは、こうして人権を得るためだ。それは間違いない。しかし、原因と結果――本来起こり得ないエラーとしてこの世界に来たとして、なればノエルさんの元に喚ばれたにも、何か意味があるはずだろう。とすると、今ここで人権なるを得て、ノエルさんから引き剥がされるのは原因を追う意味で不利益が多いのではないだろうか。大体、人権を得たとしてノエルさんに引っ張られる帰巣本能は残る訳だから、生き辛いのではなかろうか。それに国民とか、そういうのになっては勤労・納税の義務が発生するのでは? 嫌だよ、俺の意思で越して来た訳でもない国に納税するために働くのとか。
「俺は、このままで良いです」
俺がぽつり、と言うと全員の視線が一気に向いて肩をびくりと震わせる。
「それは、また、どうして?」
「えぇ~……いやぁ、だって、勤労も納税もしないで済むならしたくないじゃないですかぁ」
「スゲーなライトぉ。阿呆もここまで行くと尊敬に値するな」
「いや、それにさ、こっちのことを何も知らないのにそんな簡単に生きていける訳もなくなくない?」
「それは、そうですね。しかし、こちらで初めに申請しようと目論んでいた生活保障制度を申請するという方法もあります。もちろん、私も相談に乗りますよ」
「そうですか、それはいいですね。でも、俺の意見は変わりませんよ」
ふふふ、と不穏な笑みを漏らしてみると先程まで室内に満ち満ちていた悩まし気な雰囲気が取り払われ、呆れや笑いが充満した。しかし、そんな中でもノエルさんの表情はどこか陰っているように思えるが、別に彼女に対する知見が高い訳ではないものだから、俺の発言で怒らせてしまったのかもしれない。怒られて然るべき発言をした自覚は、なんと俺にもあるんだな、これが。
「何より、こうして自分の思想を口に出すのは憚られますが、今ここにいるという結果には原因と意味が必ず存在していると思うんです。であれば、それらを知る時まで前提をあまり破壊したくはない、という気持ちがありまして……」
「原因と結果、そして意味……要は、イレギュラー性の保存を貴方は求めているのですか?」
「ええ、その通りです。ノエル……さん? 様?」
「呼び捨てで構いませんよ。関係性は、対等なのですから」
しかしそうですか、と口にしながらも彼女は目を伏せ、数瞬瞑り、そうして俺の視線を再び射貫く。
これで、俺についての話は終わりだ。エマさんの配慮で、特例に関してはあくまでも見送りと言う形で処理し、また申請を行えば帰化処理を行えるように取り計らってくれるそうだ。無理を言ってしまったようで心苦しいが、こればっかりは俺達には成し得ぬことなので拝むことで感謝に変えた。良きに計らえ~、と俺とレフのノリに彼女も取り込まれ始めていたが、これを彼女に自覚させるは酷と断じた我々はエマさんの前ではまともであろうと無言のアイコンタクトをするのだった。
「さて、では進行を変わりまして、ここからは私、ノエル・セントリアが務めさせていただきます」
立ち上がり、生真面目な進行を執り行うノエルさんの姿に「よっ! 待ってました」「セントリ屋!」と大向うを言いたい気持ちを、今俺が持ち得る全身全霊を以てして押し殺す。たったワンアクションでこれ程か、精神の摩耗が激しい、果たして俺に耐え続けられるのかッ!
「まずは、私の身に起こった事実のみを、私の知る限りお話しします。誘拐当日、私は私用により街へ降りておりました。太陽の位置から、午後一時までは確かに。その後、私の意識が再浮上した際には既にダンジョン内に。ここで私の身に残っていた魔術を復元したところ、性質としては精神干渉系統の魔術であるとわかりました。御存知の通り、精神干渉系の魔術は学院に於いて原理魔術に分類される、精度を抜きにすれば魔術師ならば大半の人物が扱える魔術になります。そのため、多くの対抗術式無効化術が存在します。また、簡単なものであれば洗礼による魔術循環器系に魔力の流れた状態の魔力抗体のみで防げます。私の場合、召喚獣であるアーラにこの対抗術式無効化術を常時代替行使させているため、アーラが破壊されない限り一般的な精神干渉系統の魔術には呑まれないと断言出来ます」
「召喚獣を破壊されていた、という線は?」
「ありません。破壊されれば、私との繋がりが一時的に閉じるので、わかります」
精神干渉系統の魔術による誘拐……しかし対抗する魔術を召喚獣が常時使用しているため、本来起こり得ない、と。精神干渉系統の魔術とは、つまり催眠術の類いだろう。操られて、自らダンジョンに連れ込まれた――ミステリの軸に合わせて考え、Why・How・Whoに当てはめると、Whyは現状不明、Howとしては『催眠術により被害者の自由意思を奪い行動させた』、Whoは少なくとも『魔術師』と置ける。
「学院と原理魔術、というのは?」
今のノエルさんの発言に於いての不明点を隣のレフに訊く。
「この国で魔術師は認可制でね、魔術学院に通っていないと認可が降りない。学院……行政の下部組織で、主に魔術に関連する調査・研究・管理を行うところって感じかな。で、その学院が認可の降りた魔術師に広く公開している魔術式が原理魔術。使おうと思えば誰でも使える魔術ってイメージかな。逆に特定人物にしか扱えない魔術を賦質魔術って呼ぶ」
「成る程……では、精神干渉系統の賦質魔術を用いられたとすれば、犯行自体は可能なのではないでしょうか?」
「それは、可能かと」
しかし、その場合は特定人物しか扱えないという特性上個人特定が容易となる。であるにも関わらず、こうして話し合いの場が設けられているということは、それ即ち、その魔術を扱える人物が発見出来なかった事実を表す。
「じゃあ、私から一つ」と、ロランさんが口を開くと全員の視線がそちらへ向く。「今、街で児童誘拐事件が問題になっている。騎士団も使って探ってるが、未だ調査は進んでいないと言える。ノエルの誘拐、これとの関係に関してはどう見る?」
「調査報告書には目を通させてもらいましたが、この児童誘拐事件の被害者は七から十歳の男児に限定されています。確かに身代金の要求がない、誘拐方法が不明等、似通った点はありますが、現在十七で女の私が突然狙われるとは、考え難いかと」
「……か。敢えて、あるいはお前だからこそ、とも考えるがね」
「と、言いますと?」
ノエルさんの質問に、背もたれに体重を任せていたロランさんは身を起こし、答える。
「魔術知識があるお前に犯行現場を見られたとする。咄嗟にそいつの魔術でお前の意思を奪うが、そいつの趣味には合わなかった……だからダンジョンに差し向けて、自分の手を汚さずに殺そうとした。こう考えれば、説明は付くだろ」
「それを言い出しては、領主の娘としても狙われる理由になるのでは?」
「だとしたら、被害者をお前に合わせるだろ。十七前後の若い娘に。一般狂人が起こした事件に紛れさせようとしたとて、同じだ。前例を作ってから、お前を狙うだろ」
「私に警戒されると考えた、とか」
「児童誘拐の時点で警戒はしていたはずだ。なのに喰らったのだから」
「ですか……」
目的……ノエルさんを誘拐した目的は不明だが、ダンジョンに潜らせた目的はおおよそ明確だ。自身の手を汚さずに彼女を殺害すること。催眠の類いが扱えるのならば、あの二匹のドラゴンも支配下に置かれていて、だからこそ執拗にノエルさんを追跡した? 筋は通るか。誘拐は成功したが目的が達成されなかったとなると、今後も狙われる可能性は大いにあり得る。
「エマさん。行政として、今件を事件としては扱えますか?」
「正直、難しいかと。入窟届が出されている以上、ノエルさんは自らの意思でダンジョンへ入った扱いになります。精神干渉系統の魔術を用いられ、自由意思を奪われた状態での入窟が証明出来れば事件として取り扱うことは可能ですが、今回の場合ノエルさんの身体に付着していたという魔術式も時間経過で採取出来ませんでしたので」
「事件として扱えりゃ、学院に登録者の魔術痕を提出させるって荒業も通せたが……上手いやり口と言わざるを得んな」と、ロランさんが続ける。
「そうなんですね。ありがとうございます、参考になりました」
事件として扱えない……だから、法の強制権は適用出来ずにいる。
こちらの法は、何かと特例が多そうでどうにもだな。まあ、イレギュラーに弱いのは日本国憲法とて同じことか。犯罪を行うような輩がいなければ、ルールってだけで済むものを。
「犯人は騎士団に任せるとして、今後はどうするので?」
ここで発言したのは、レフであった。まともな意見も出せるのかと驚愕にも似た感情が生まれるが、今口に出来る空気感ではないのでそっと心に留めるものとする。
「防げないとなると、再発は視野に入れるべきでしょう。そこへの対策は?」
「それに関しては、既に私に用いられた魔術式を解体し、防御を任せています。街に住む対象年齢の男児がいる家庭には、同じ防御式を組みを込んだ魔石をネックレスにして届けさせました」
「成る程。でも、ネックレスである以上は奪われる等で身体から離された場合に効果を発揮しない。単純に忘れる。誰かに渡す、あるいは売却する。このようなケースも考えられるのでは?」
「しかし、広く対策するには……では、レフさんには何か妙案が?」
「敢えて言おう、そんなものは無いと。正直な話、見回りを増やす、子供から目を離さない、暗くなる前に帰すとか、そういった対策以外に取れる手は無いと思うね。あとは、いち早く犯人を見つけるくらいしか」
「ま、それに関しちゃ騎士団を挙げて行わせているんだがね。どうにも、だ。既に十三人だ、いい加減に止めなきゃ面目も何もあったもんじゃないんだが……遺体で挙がってないのを幸運と取るか、不幸と見るか」
児童は見つかっていない……ダンジョンへの不正入窟? 子供のみ、あるいは子供を連れて潜れるものか? いや、不可能と見るべきだ。国家要の設備だけあり、手荷物の検査等の犯罪防止策は取られていた。ノエルさんが最大の手掛かりに感じるが、この外れ値をどう扱うべきだ?
「ここだけの話」ロランさんは、指を絡めた拳で口元を隠しながらも力強く言う。「魔族、という可能性が騎士団内では挙がっている」
「まさか……いえ、しかし」
ロランさんの発言に一同動揺するが、俺だけどうにも取り残される。
魔族、といえば人っぽい姿をした悪役くらいのイメージだが。
「あー……魔族、なんて言うべきかなぁ。人の世に紛れて、人を殺す化け物くらいのニュアンスで伝わるかな?」
「何となく。でも、だとしてどうしてそんなにざわつくので?」
「それは、一重に魔族の能力にあります。魔族は人間を超越した魔力循環器を持ち、また魔術の扱いにも長けます。身体能力は個体によりまちまちですが、やはり最たる特徴は人に擬態する点だな」
「はぁ……」
まあ、聞いた限りではおおよそ一般的にファンタジー作品で扱われる魔族といった感じだ。特別な点など何もないように感じる、というかダンジョンのドラゴンの方が危険なのではなかろうか。デカいし、強いし。
人の形をした魔物、では終わらないのだろうか。まあ擬態する訳だから、その分で危険度は上がるだろうけど。
「伝わらないかぁ」
「そう……ですね。何がそれ程に危険なのか。殺せるのでしょう?」
「殺せる……が、魔族一匹倒すのに精鋭の騎士三人と同じ数の魔術師が欲しい。最低限な」
「ああ、成る程。街に紛れるのが問題な訳ですか」
精鋭の騎士と魔術師を集めて街中で戦闘。相手は魔術に長けフィジカルもあったり無かったり。となると街へは大なり小なり被害が出て、巻き込まれる住民も出てくる訳だ。被害者を必要経費と考えるのは、雑魚の思考だ。
「強い弱いの前にダルイ訳だ」
「いや強いんだよ馬鹿。それに、魔術の扱いに長けるってことは魔力の扱いに長けているのと同義。魔力痕の話が出ないと思ったら、隠蔽されてロクなの採取出来ていないんでしょう」
レフの指摘に、ロランさんは嫌そうに首肯する。
魔族……魔族かぁ。またぞろ、ファンタジーらしくなってきたものだな。
「でも、可能性の話で終わる。子供を選別している理由、年齢条件の意味……何か魔族に関係が? ない? であれば、この年齢でなければならない理由が存在するのでは? どうしてか、は知りませんがこだわっているのだからこだわるだけの意味がある筈です。犯人としてなのか、魔術的な何かなのかは知りませんがね」
「あの、ひとつ思い付いたのですが」俺が疑問提起してしまったせいで引っ張られて進んだ魔族談義を責任をもって打ち切ると、沈黙を挟まずエマさんが挙手をした。「洗礼、ではないでしょうか? 法律で定められた魔力循環器系の励起はおよそ七歳です。個人差がありますので最大で十歳に伸びることもありますし……」
「魔力を扱い始めた男児……か」
レフが溢すが、そうなるとやはりノエルさんがノイズになる。
ここまでが条件に則っているのに、どうしてずらした? 模倣犯か? あるいは別目的? 絞れない、議論も結局ぐるぐると同じところを走っている。何度も同じ地点に差し戻されて、結論に至る道程はどこだ。条件は揃っているのに、核心だけが霧のまま……不愉快だ。
「ここまでにしましょう」
これ以上話す意味もないだろう。そう思っていた俺の気持ちに呼応するように、ノエルさんは短く、しかし確かに口にした。
「まとめます。年齢の条件は洗礼の時期に近い、これは騎士団に調べさせましょう。頼めますか、母様」
「勿論、言われずとも」
「誘拐の目的は不明ですが、選別は確かです。そして、児童誘拐事件と私の誘拐に関しては完全に別問題として扱います。同一犯とも、言い切れませんから。以上です」
結局、ノエルさんの誘拐については街の事件とは例外として扱う以外には判明していない。
ノエルさんの誘拐は結果であるのか、またこの誘拐に俺の喚ばれた意味はあるのか。正確なことなんてなに一つわからないところが実に現実らしいが、そんな現実らしさなんて、異世界ファンタジーには求めてないっつの。もっとかわいい女の子に囲まれて幸せな日々を送るものじゃないのかよ。不服だ、ファンタジーらしからぬ異世界にも、何もわからない現状にも。
「……あるいは、子供に降りかかった不条理にこそ、俺は気持ちを揺らされているのか?」
自分に問うが、答えは出ない。
異世界などと、のたまうだけの現実だ。




