EP25 ぷー太郎、異世界にて広げる
木国は、国土の八割余りを山林が占めていた。木々は地中から養分と水分、そして魔力を吸い上げ、日中に光合成により生成された酸素と共に空気中へと排出されている。そのため、大気には魔力が満ち満ちており、原初の風景に最も近しい光景とされているそうだ。
木国の住人——リェンちゃんのような、俗に獣人(こちらの言葉で言い換えるのならば"テリアンスロープ")と呼称される民族が、魔族に於ける怪人態と姿・性質を近しくするのはそのためなのだろうか。濃密な魔力が人体に影響を与える現象については、ネブ・ノウブ国王の口から証言されているし、自らの脚でもまた引き起こされている。おそらく、進化の過程で魔力に適応した存在こそが木国の民族なのだろう。
……あるいは、生きた化石なのだろうか。シーラカンスみたいに。
丸太組みの家々が乱立し、その間を広大な果樹であろう木々が埋め尽くす木国は豊朔領の畦道を歩きながらも考える俺の後を、包みを抱えた隊員の少女がついてくる。会話はない。語り合うような仲ではないし、彼女が今の俺が心中に秘める鬱々とした精神の程を察して口を閉ざしてくれているのだろう。
やがて、一軒の民家の前で脚を止めた俺は、戸を叩き、その民家に住まう住民へと呼び掛ける。少しして中から現れたのは兎人の男であった。体毛を黒色とする彼であるが、初老に差し掛かった毛先は白く陽光を受けて輝いている。
手短かに事情を話し、家に上がった俺達は、そこで白毛の兎人に迎えられた。リェンちゃんに何処となく似ているようにも感じられる二人は、それもその筈、彼女の両親である。リェンちゃんのお母様が提供してくれようとしたお茶を断り、俺は隊員の少女に持たせていた包みをリェンちゃんの父親へと渡しつつ、嘘を吐く。
語った顛末は、こういったものである——魔族・プロフェッサーの口車に乗せられて研究の協力をさせられていた彼女は、プロフェッサーの逮捕後、口封じのために命を狙われていた。そこで故郷である豊朔領へと帰り、ドゥ・ローとの繋がりを断とうという話になっていたのだが、帰還の道中で魔族・アンダーテイカーによって殺害された。守り切れなかったのは我々の落ち度である。本当に申し訳ない。
彼女の両親は涙したが、頭を下げる我々に非難の言葉を浴びせることをしなかった。実に大人らしい冷静な態度で、感情過多を自覚する俺としては憧れる存在と言えた。
しかしそれでも、悲しみに暮れるには静寂が必要だ。
ただそれだけでリェンさんの実家を後にして、辿った道を戻る形で歩くと、その後を着いて歩く隊員の少女がふと声を上げた。
「……恨まれて、いるでしょうね。今頃」
「だろうね。でも、それもまた我々の職務だよ。語らなかったとは言え、彼女を殺害したのは私なのだから、彼らが恨むならばそこに正当性はある。……それに、不慮の事故であれ何であれ、原因を恨めるのならばそれは悲しみを超える活力にもなり得るよ」
「悲しみを、推し量るだけなんですね……」
「それが公僕だよ。手を差し伸べる立場にはない」
それらしい事を口にして、誤魔化してみた。
だからだろう、彼女が納得いかないという風に唸っているのは。
「真実を語る訳にもいかないだろう? リェンさんは留学中の身、つまりはその身分を木国に置くのだから……危害を加えたとなれば、国際問題に発展する。ただでもネブ・ノウブとの間に不安定な情勢を抱えているのだから、下手な真似はできないだろう?」
「真実だけが、嘘だけが…………って話でも、無いんですよ。こういう結末を迎えるのが続くとして………………あのご両親のように、泣いている人の涙は拭えないものか、と……」
「………………今、君を選んで、本当に良かったと心から思っているよ。ミロくん」
「? なぜです?」
「いやね……」
言葉にするにはあまりにも恥ずかしい言葉だからと、口を閉ざして微笑で返した俺を、彼女は実に不審げな雰囲気で受け取る。
彼女は未完成な部分を多く持ち合わせているために、その穴を埋めようと言葉を紡ぐ。そして同じ穴を持ち合わせる俺は、その穴を埋めようと言葉を尽くす。そして生まれたロジックは、彼女に納得を与えず、彼女の穴を埋めずとも、俺の未完成さを補填してくれるサイコロジカル程度にはなるのだ。
神田来人という人間には、その場で取り繕うために口にされた戯言くらいのロジックが丁度合う。俺という人間の生活を彩るのは高級な家具ではなく、百円ショップの雑具なのだ。
「……そうだね。私という人間が、如何に自己中心的な人物であるかって…………そういう話だよ」
「またはぐらかす……」
真面目に答えたつもりだったが、その答えもお気に召さなかったらしく、ミロ・ヴィーナス隊員はむっと口を閉ざしてしまった。そういう態度は隊長としては傷付くのでやめて頂きたいが、無駄話に花を咲かせたところで、俺との会話では、彼女の欲しい結論には至れないのもまた事実であり、致し方のない結果として受け入れる他ないのかもしれない。
そんなところで、ふと、脳裏に声が響く。
『お疲れ様♡ こっちは何の問題なく済んだわ』
「お疲れ様です、スィクルさん。わざわざ連絡をくれずとも、よかったんですよ?」
『仕事人ですもの、報連相はしっかり、ね?』
「です、か。……こちらも作戦は完了しました。これにて、今作戦は終了とします。これにて終業です」
『あらそうなの? それじゃ、お疲れ様。アデュー』
声は、ダンジョンを共にした冒険者——今では同じく処刑隊に名を連ねるスィクル・ソーさんからであった。別の場所で頼んでいた仕事を、無事、何事の波風も立たせずに終えてくれたようだ。
「君も、同じくだよ。ここからはオフだ。お疲れ様」
わかっているとは思えど、一応、後ろを歩くミロ・ヴィーナスにも伝える。
「お疲れ様です……ライト隊長は、この後は学院の交流会に合流を?」
「……いいや、どうしようかな…………とね」
あの夜の、自らの態度を振り返ると、流石にノエルさんに顔向けなどはできない。余裕が無いからと、ああいった対応しかできないのは、どうしようもなく俺という人間が未だ幼年期から抜け出せずにいると語ってくるものだ。
「これから忙しくなるし、私も、気を抜いて過ごそうかな……」
「だからこそ、言った方が良いと思うのですがね——え? 忙しくなるんですか?」
「うん。今、議員連中はこぞって魔対法の改正を可決しようと駆けずり回っているさ。それも、もうほとんど形にはなっているらしいしね。この法案が可決されれば、私達も現行の魔対法の穴を突いて活動するようなマネをせずとも良くなる……そういう法案なのさ」
この法案が議題に取り上げられたのは、やはり魔族という存在が抱えていた真相が関わっている。そして、その上で"魔族による不当な行為の防止等に関する法律"を我々のような処刑隊を動きやすくしてくれるということは、転じて魔族の真相を黙殺する決定を意味した。
納得はできる選択だろう。魔族が人であり、またネブ・ノウブ国民にのみ発現する症状でないなどと民衆に知られれば、混乱は避けられず、間違いなく社会的な規模で起こる。この真実は、人々に隣人すらも信用ならないのだと伝えてしまいかねないのだから。
勿論、誠実であるというのは社会に求められる姿勢ではあるが、それだけで回っていける程、人間は成長し切れてもいない。俺のいた時代も、この世界の現在という時間軸で見ても、それは変わらない話だった。嘘に欺瞞、偽装に建前と裏切り……そういう複雑怪奇なものを含めなければ、未だ賢くない人類種は自らの繁栄を行ってなどいけないのだ。
「………………つまり俺は、交流会に行かなくっちゃならないんだよな」
別に、ミロ・ヴィーナスに伝えるでもないのに呟いた声をキャッチした耳は、その言葉を再び脳内で咀嚼する。
ノエル・セントリアとの関係は、特段にして保守しなければならないものではない。セントリア家との繋がりならば、領主は侯爵の貴族地位にあるロランさんか王立騎士隊隊長であるアドリアンさんのどちらかで充分なパイプになる。それでもノエルさんを捨て切れないのは、俺が彼女に召喚された手前か……あるいは、何か別の、精神の情動によるものなのか。
そうだ。今思いついたことだけれど、確かめようってんだ……神田来人は。
自らが凪いだ水面のような精神を手に入れて、処刑隊としての大量殺人をやり切れるのかどうかを。
「それじゃ、俺はここで。…………もしも魔族に動きがあったら、知らせてくれるかな?」
「絶対、知らせませんからね。バッチリしてきてくださいね〜」
追い抜き際に背中をビシッと引っ叩いて走り去って行ったミロ・ヴィーナスの気遣いに微苦笑を浮かべながらも、自分の足に止まる事を許さず、俺は豊朔領を後にした。ここに来るのに使った馬車は、ミロちゃんが連れて行ってしまったし、残されていても乗馬などはできないのでどうにもならないのだが。
木国の首都は海岸沿いの京領にある。豊朔領は南方の平野部に広がっており、交流会はこの豊朔領から北東の山間部にて行われているそうだ。
石柱形の奇岩が立ち並ぶその場所は、中国の武陵源に近しい景色が広がっていた。
この先に横たわる山脈を越えれば、そこは既に国境を超えてボーデンの領域に入るそうだ。ボーデンがどのような国であるのかは書面上でしか知りはしないけれど、どうやら科学技術を主体とする国家なのだとか。
「いやしかし………………」天を覆う枝葉で覆われて直射日光による体感気温はないが、湿度が非常に高く、じっとりとした汗で肌に衣服が張り付いてくる。「……俺は、こんな湿潤な場所で干涸びるのかな?」
止めどなく滲み続ける汗を拭いながら、木々の隙間から垣間見える石柱を見上げて歩く。
如何に遠方よりの光景が美しく映ろうとも、その中を歩く者にとっては景色的な美しさなど感じられはしないものだ。感じられるのは、多大な湿度がもたらす蒸し暑さと、木の根や背の高い草葉に取られる足といった環境的な部分だけで。
そんな奇岩の石柱をすり抜けてしばらく進んだ先に、小さな観測所があった。森を切り開き開墾した地に建てられたそれは、この奇岩が含む魔石が放つ魔力、それに惹かれて接近してくる魔物を調査・研究する施設なのだとか。
今回の交流会は授業選択毎に行き先が変わり、何班かに分けられる中で、ノエルさんは魔術戦闘の授業を取っているらしく、この場所にて進行するそうだ。魔術的なインセンティブには未だ適応できずにいる旧人類な俺ではおそらく、呪文的にしか聞き取れない授業であっても、この世界に生まれて、またその頭の出来を俺などとは異にする彼女ならばこういったものも楽しめるのだろう。俺は他校交流会など、他校の奴と飲みに行くためだけのものだと思っていたが。
「あ……」
ノエルさんを探して歩きながらも、当のノエルさんを見つけた俺が喉から出したのは、そんな、情けのない一言であった。その声を聞いて振り返ったノエルさんは、俺を見るなり眉間に皺を作り、あからさまに怒っていると伝えてくる。
「………………」
それはそうだ。人間として、当たり前の感情だろう。
それに、見るに、今彼女は他の生徒達と足並みを揃えて歩いている。つまりは、授業間の移動か何かなのだろう。常に暇という人でもないのだ、レフと違って。
「………………………………」
一歩、脚を下げて、反転する。
刹那、俺の頭部に硬質な何かが衝突した。
「ライトさん!」
背後で呼ばれて、反射的に振り返ると、そこにはノエルさんが立っていた。腕を前に組んで、肩幅に脚を開いた仁王立ちの姿勢で。
俺がその立ち姿を認識したのを確認して、彼女はツカツカとこちらへ歩み寄って来る。先程、一緒に歩いていた学生達の姿は見えない。彼らを先に行かせて、彼女だけ残ったのは——誠実なんだな。
「……ノエルさん…………」
ポツリと口にしたこの言葉は、きっと彼女の耳には届いていないだろう。
足早に俺に近付いた彼女は、無言のまま俺の手を取ると、森の方へと脚を進めた。
「いいんですか?」
「駄目です! でも、ここに居ては先生方に見られて、連れ戻されてしまいますから。場所を変えましょう」
「……仰せの通りに」
手を引かれて、進んでいく。
とは言っても、彼女も俺も地元でもないこの場所には詳しくないものだから、結局、辿り着いたのは嫌が応でも目につく奇岩の上であった。彼女を抱えて断崖絶壁を登るのはなかなかにスリリングであったが、必要最低限の指示しか飛ばさない口数少なな今のノエルさんに比べれば、まだマシに思える体験である。
景色は、よかった。空気も澄んでいて、気持ちが良い。
「カンダ・ライトは…………死んだんですか?」
開口一番、彼女が口にしたのは、澄み渡る青空と脈々と続く大自然の圧巻には似ても似つかわない黒々とした言葉であった。
「………………ええ。神田来人は、死にました。今の私は、処刑隊の隊長であるカンダ・ライトです」
「そうですか……その割には、まだ私に関わってくるんですね。ハッキリと口にしてしまうと、私は、父様のような大人の慣れ過ぎたやり方は嫌いです………………でも、貴方が変わるというのなら…………」
「——俺は、昔、憧れてたヒーローがいるんです。その人は、二人で一人のヒーローで……街を泣かせる悪人を、倒したり救ったりしていたんです」
「ライトさん…………?」
「俺は! そうなりたかった…………でも、なれなかった。……俺の力は、壊すためのものだったから………………でも、諦め切れない……憧れを、心が望んでしまうんですよ。…………だから、壊すんです。理不尽も、絶望も、運命も、全部……その先にはきっと、涙ばっかり残るかもしれない。けど、けれど…………負債を壊せば、残るのは再生だけだから——人は……」
打ち勝って、前に行けるはずだ。
"だから、俺は悪くない"。
「——————ッ!」
最後の言葉に至る前に、頬を殴られて言葉は中断された。
パーではなかった。グーで、かなりガッツリと。
「ノエルさん………………嫌いだな、そういう即物的なやり方は」
「私も、そういった迂遠な言い方で感情を誤魔化すやり方は嫌いです」
「じゃあ、どうしろって言うんですか! 誰かが、やらなくちゃならないでしょう! 明日、明々後日って話じゃないことくらい……貴女も馬鹿じゃないからわかる筈だ!」
魔族の脅威は、精神が狂気に押し負けた時に発現する。
普段ならば、何も問題はない。それはベーカリーさんが証明している。彼ら彼女らは、肉体的に変わってしまっても、元の人間性を残している訳だから、共存できる存在なのだ。
しかし、狂気に呑まれれば、人の手に余る。それは、シスターが証明してしまった。
狂気という爆弾を抱えて生きる存在が、社会に紛れて生きている。無論、人間が狂気を孕まないと言えば嘘になる。人間だって魔が刺して物を盗んだり、盗撮したり、痴漢をしたり、殺人を行ったりする。けれど、誰しもが持つものではないのだ……誰しもが爆発させる訳ではないのだ。
「だからって……怖いことしますよ」
「恐怖を振り払うためならば、俺は恐怖そのものになりますよ——成り替わりますよ」
「そうした果てに、貴方は——なれるんですか?」
「わかりません。でも、やらなくちゃならないんです。やりたいんです……俺は」
誰かのためではなく、自分のために。
これは、俺の心を何処に置くかっていう。そういう、単純な話なんだ。
「……貴方は………………カンダ・ライトでは、無いんですね…………」
「そうです。……でも、今はオフですので、あるいは、神田来人でもあるのかもしれません」
「ズルですね」
「イカサマ、チートにハッタリかまして違法に嘘吐き偽言を交えて……ですよ。どうにも俺は一本筋の立った人間ではありませんから、決まらないんですがね……今この時は、貴女の手足となって。マイ・マジェスティ」
「では、行きましょうか。交流会は、午後には模擬試合を行いますから……貴方は、私の杖となるように」
跪き、胸に手を添えて傅く。
首を差し出すようなその格好は、しかし処刑を待つのではなく敬意を表す姿勢であった。




