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EP15 ぷー太郎、異世界にて処す

 扉を超えた先に待っていたリント・グレイマンは、しかし、その顔に張り付いていた余裕の色は陰りを見せていた。


「思っていたよりも、随分早い……」


 心底からの不愉快を、大人として隠してはいるが、分厚い仮面を貫いて滲む陰りは、俺の猛った精神を委縮させるには十分なものであった。怒り、憎しみ、恨みつらみ。様々、しかし負の一方向へと向けられた感情は、濁流のようにして押し寄せる。


 初めてだった、これ程のマイナスの感情を受けるのは。


 シスターの時のような、超自然的な害意・敵意とは異なる、人間的な感情の滓。


 リント・グレイマンの人らしいところを初めて見た。レフがそれを引き出したのだとも考えられるが、世に、手負いの獣程に恐ろしいものはないと言う。


「………………」


 息をゆっくりと吐きながらも、脚を前後に開き腰を落とす。


 右手は前に、左手は引く。

 戦いの構えを取った俺に、准教授は憎々し気な視線を送ってきたが、そうした視線を送るのは、こちらも変わらない。正義に燃えるというのも違うと思うが、この男の行為で悲しんでいるという事実は、俺の心を奮い立たせる。ミロ・ヴィーナスちゃんの姿が、今の俺に戦う意味を与えてくれる。


「……言葉を返してはくれないか。悲しいじゃないか」


 脚全体に込められた力は、べったりとつけられた足の裏から放たれて、俺の身体を加速させる。床板が折れた音を背後に、低姿勢で距離を詰める俺に杖を向ける准教授だが、【ダブル・ダウン】の中にある俺の身体能力の敵ではない。


 放たれた礫が撃つのは既に通り過ぎた空間であり、接近を予期して後ろに跳んだのも束の間、その頭を鷲掴みにした俺は、そのまま准教授を地面え叩き伏せた。仰向けに倒れた准教授の腹部へ馬乗りになって、強く握りしめた拳を、その歪んだ顔へと放つ。近付き、胸に灯った怒りのままに顔面を強打し続ける。


 口内が切れたのだろう。口から血を流し、顔を赤く腫れあがらせる准教授が俺の拳を止めようと手首を掴むが、力の差は歴然であり、俺はその拳すらそのまま落下させた。


 再び拳を持ち上げた瞬間、生まれた隙をついて身を捻り拘束から逃げた准教授は、よろけながらも研究室から、俺から離れようと開け放たれたままの扉を抜ける。そんな准教授を追った俺は、逃げる奴の二の腕を掴み引き寄せると、再びその顔へと拳を振るった。何度も拳を叩きこみ、その度に後退していく准教授の身体は、その背に壁を捕らえ、引き絞った弩が如く放たれた次の一撃で壁を粉砕しながらも落下する。


「――クリスタルストライク」


 落ちる准教授へ狙いを定め、飛び降りた俺はその足先を准教授へ向ける。

 この時の俺は、本来の目的である准教授の捕縛など忘れ去り、腹の底から噴き上がる焔の導くままに身体を動かしていた。最早、意識などというナイーブなものは無かったと言っていいだろう。無我夢中、突き動かされた肉体は精神を超越して、その自分自身を、意識では背後から眺めていた。


 自由落下の加速に後押しされながらも突き進む俺は、空気の層を切り裂き、猛禽の様に開かれた足が准教授の胸部を強襲する。魔力を流し込み、准教授を殺害することでこの戦いを終わらせようと目論んだ刹那、自分でもわからない衝動的な違和感を感じて俺は魔力を流さずに蹴りのみでこの一撃を終わらせた。


 着地し、土煙が上がる。


「………………ッ‼︎」


 地面に落ちた瞬間、俺の足首に掛けられた手は人のものではなく、その獣毛に包まれた腕は怪物のそれである。


 およそ人智を超越した膂力により引かれた俺の肉体は抵抗のしようもなく、投げ飛ばされた。


「……よくも、こうしてくれたものだよ。人間だけが知恵を求めて知恵を尽くす。獣の反応、獣性の中に陥れるとは…………厄介な奴だよ、キミは!」


「知るかよ、聡いだけの馬鹿がよ!」


 投げ飛ばされた挙句、地面を二、三回転げながらも両手足で地面を掴んで勢いを殺す。肉体を半ば獣に変え、魔族であるとこれ以上ない証明を果たした准教授に対して、俺は意識的に呼吸を落ち着けることで精神を追従させる。


 肉体を獣に転じた以上、身体能力に於けるこちらのアドバンテージは無くなったと見るべきだろう。手札は知られていて、肉体は良くて互角……やれる、とは言えない。


 離された距離を詰めるべく駆け出した俺に、准教授は杖を向ける。また礫かと、右へ避けて射線から外れようとした俺であったが、切り返しの踏み込みで強く地を蹴った左足は滑り、転倒したのだ。


「泥だと……ッ⁉︎」


 足元へ視線を送れば、整えられた石畳の中で俺の足元にだけ泥沼が静かに広がっており、その正体が准教授の魔術であるのは歴然だろう。


「やらしい戦いを……リント・グレイマン!」


「魔族らしく、プロフェッサーと呼んで欲しいな」


 泥沼から足を引き抜き、一呼吸を置いてから再び走り出す。


「アソシエートを忘れているなァ……‼︎」


 どうにか軽口を捻り出して、自分の平静を保とうとする。


 魔術らしい魔術というやつを初めて相手取ったが、なかなかどうして、面倒じゃないか。前提として、杖という指示器に意識を割かねばならないのは剣などの近接武器と然程変わらないが、リーチが想像でしか補えないのが厄介だ。


 更に、俺の知識不足のために、何ができてどれだけの距離を有効とするのかもわからないのだから……恐ろしいな、無知というものは。未知の恐怖という意味では、幽霊にも通じる。


 泥沼に始まり、棘や騒音といった致命的ではないものの肉体・精神的にやられるタイプの責苦を受けながらも後退する准教授もといプロフェッサーを追う。


 距離が詰まるに連れて攻撃は苛烈なものと変わり、あと一歩で間合いとなった瞬間、暗い陰が落ちた。肌感覚での危機察知、何が起こったのかを視線で確かめるには至らずに迫られる決断。一歩踏み込んでプロフェッサーを攻めるか、大きく引いて攻撃を回避するか。


「……迷ってはいられないッ」


 攻撃を察しながらも踏み込んだ俺は、その踏み込みで足を地面から離す。浮いた体を体重移動で地面と水平に変え、しかして視線はプロフェッサーを射抜き、つま先が指し示すがままに蹴り抜いた。背後では教室棟同士を繋いでいた渡り廊下が崩落したらしく、けたたましい崩壊音と衝撃波が轟いている。


 蹴られた衝撃で飛んでいったプロフェッサーは、眼前の建物の壁を穿って消えた。足先の感覚から衝突部位が怪物化していたのは明らかだったためにクリスタルストライクではないただの蹴りを用いたが、それでもノーガードでの直撃、それなりのダメージになっていて欲しいが、果たして。


 正直、かなり肉体的にはしんどい。身体を庇いながらも弱みは見せまいと、余裕を感じさせる悠然たる歩みを演出しながらも、プロフェッサーが壊した穴から建物内部へと侵入する。


 建物の中は、大混乱にあった。

 どうやら体育館の類であったらしいその建物の中には大勢の人が詰まっており、今のプロフェッサーにより幾人かが弾かれてしまったらしい。巻き込まれた人々にはどうか勘弁して欲しいという他ない。


 派手なライトに視線を向ければ、舞台の上では音楽バンドが驚きからか演奏を止めて俺の姿を見遣っており、そのバンドがモニカちゃん達であると理解するには数秒を要した。


「……だからと、止まるな」


 自分に言い聞かせる。

 俺は真っ直ぐとプロフェッサーに近付いていき、慌てふためき統率を失った観客らは我先にと押し合いながらも体育館を後にしようと俺達から距離を取る。


「それが正義なのであれば、とんだ善行じゃないか……」


「だとして……?」


 プロフェッサーの強さは、シスターのような肉体・魔術と躊躇いのなさではなく、カスな性格と無駄に広い知識とクソ垂れな恥の無さにある。生きているだけで恥ずかしい生命であるにも関わらず、その恥ずかしさを蓑虫が如くファッショナブルに着こなし、あたかもそれが普通であるかのように振る舞う性質こそが彼の強さだ。


 言うなれば、普通に異常者なくせに悟らせない場の掌握力とでも言うのだろうか。

 だから、乗らない。プロフェッサーのリズムに乗せられたら終わりなのだから、今はただ自分の勢いを活かして進む。


 研究室から落下攻撃に掛けてこちらが有利を取れていたのは、一重に俺がプロフェッサーに聞く耳持っていなかった故だ。それが結果的にプロフェッサーのリズムを意識せず、自分のリズムで戦えていた。しかし、落下の最中に感じたプロフェッサーの部分的な怪物化に際して感じた危機感が、逆に俺の冷静さを取り戻させたために、そこからは若干の不利を譲ってしまった。


「キミのやり方では、人は救えないよ」


「………………」


 相手にせずに相手取る。

 この男には、それが必要なのだ。


「モニカちゃん!」壇上で震えるモニカちゃんに、俺は呼び掛ける。「……アンコールだ」


「……‼︎ はい!」


 ワン、ツー……ワン・ツー・スリー・フォー。


 再開した音楽は、プロフェッサーの戯言を掻き消して。体育館の床というものは運動をする場所というだけあり滑らず、よくグリップが効くもので、振り込みの鋭さは外のそれとは比べるまでもなかった。


 俺の動きに反応して動いたプロフェッサーであったが、杖を向けるには遅すぎ——向けたところで、杖なんてものを持つ指は五指を揃えて消滅させた。某かの魔術に失敗したのか、あるいは代償としたのかなどと知らないが、その隙は明確で、俺の足が胸中を捉える。


「ライトさーん! 貴方に、オールイン! です!」


 ファンサービスの充実したアイドルもいたもので、俺を指差して全ベットした彼女の魔力も含めて、仰向けに倒れるプロフェッサーの胸を踏み付けた足先から魔力が迸った。


「クリスタル——ストライク」


 溢れ出た魔力に、最期の足掻きとプロフェッサーは部分的な怪物化を……人間をやめ、全身を醜い獣へと変貌させた。


 人間だけが知恵を求めるとは、正しく的を射た言葉であったらしく、怪物と化したプロフェッサーは逃亡ではなく俺への攻撃を選択して、流し込まれた魔力に耐えきれずに胸から上と下にその身を分断したのであった。とは言え、まともに受けて結晶化しなかったのは、怪物化したためなのだろうし、命を繋ぐという意味では、獣の方が有利なのだろうさ。


「……生きてはいるらしい」


 魂がどこに宿るのかなんて話は結論など出ない話だが、よく言われる頭や心臓の、その両方を内包した胸から上の肉体は裂け別れながらも命を繋いでおり、しかし痛みに耐えかねて失神していた。両手の指も無し、拘束などせずとも逃げられないと踏んだ俺は壇上のモニカちゃんに親指を立てて感謝を伝えると、プロフェッサーの頭を掴んで体育館を後にしたのであった。


 体育館から出るや否や、既に集まっていたらしい王立騎士隊の連中が集まって来て、プロフェッサーを奪い取っていく。


「派手にやってくれたものだな、ライトくん」


「アドリアンさん……」


 平気そうな顔で言うアドリアンさんに呆れながらも、傷の痛みと様々な心配を胸にして、彼の方へと歩き出した。


「怪我はないかい?」


「見ての通り、ボロボロです」


 敢えて重症に見えるように身体を晒して見せたが、アドリアンさんは、心配するようにしながらも、言葉を続けた。


「だが、作戦は成功だ。魔族を生きたまま捕えた、これは成果だ」


「そりゃ、良かったですよ……」


「被害は確かに大きいが、建物などというものは直そうとすれば幾らでも治せるのだから、死人さえ出なければな。レフくんならば、騎士隊で回収して治療を受けているよ。あのくらいならば、死にはしないさ」


 笑って語るアドリアンさんだが、こめかみの辺りに手を当てると「何がだ!」と怒鳴った。


「馬鹿を言え、馬車へ運べ。道は閉鎖させればいいだろうが! 何? 構わん、やれ!」


 部下から連絡が入っているのだろうというのは、口調からわかった。軍人らしい側面の粗野さはセントリアのアドリアンさんには似合わないが、だが、王立騎士隊の隊長としてのアドリアンさんにはこの上なく似合いの姿と言える。


 そんなアドリアンさんの声はどうにも響くと、離れて俺も治療を受けようと騎士隊の簡易テントへ入ると、そこにはノエルさんが待ち構えていた。


「ライトさん、無事ですかっ」


「ええ、何とか。ミロちゃんは……」


 話ながらも医療キットを手にしたノエルさんは、俺を椅子に座らせると流れるように傷の治療を始めた。元々大規模な施設を用意できない都合、収容人数が少ないテントであり、怪我人の数に対してベッドの数も医療班の人数も足りていないようだ。


「ミロさんは無事です。姿も、元に戻りました」


「それは、何よりですね」


 消毒のアルコールが傷に染みて、身体がピクリと反応してしまう。


「ノエルさんは、何ともないですか?」


「はい。何も……」


「……? どうしたんです?」


「いえ、ミロさん……どうやら、准教授の魔術によってあんな姿になってしまったそうで……どうしてそんな、そんなことができるのかなって…………」


 魔術師であるノエルさんには、理論上、同じ行為が行える。包丁を持っている時に包丁で人が刺されたとニュースが流れれば、いつも使っている包丁であれそこに凶器という情報が加算されて悍ましい何かに感じられるように、身近にあった魔術が、今の彼女には悍ましく思えるのだろう。


「魔族だから、とかそう言ったものでは無いでしょうね。きっと、言い分なんて聞いたところで俺達に理解できるものではありませんよ」


「そういうもの、何ですかね」


「さぁて、俺にもわかりません。彼の本性なんて、多分、彼自身にもわからないんじゃないですかね」


「です、かね。はい! 終わりました」


 傷の上からガーゼで押さえつけられて、そのガーゼを押さえるべく包帯が巻かれる。どうにも動き辛いし蒸れるので包帯の類いは好きではないのだけれど、だからと言って折角巻いてくれたものを拒んだり、今この場で外す訳にもいかないので諦める。


「騎士隊も学院も、これから大変になりますね。私も、少しはお手伝いをしなければなりません」


「大変ならば、ちゃんと他人を頼ってくださいね。俺でもレフでも、やれることをやれる範囲でならばお手伝い致しますので」


「ライトさんにできることとなると、大分限られてしまいますね」


 どうしましょう、と語るノエルさんの顔には微笑が浮かんでいた。


「否定はしませんが、召喚獣ハラスメントで労基に訴えますよ」


「それは怖いですね」


「そうですよ」


 笑いかけ、レフの様子でも見に行こうと席を立った俺の手首を、彼女が掴んで引き留めた。


 彼女にしては大胆な行いで、またその手が微かに震えていたものだから、俺は振り向いて彼女に視線を向けることができずに、背を向けて言葉を待つ。


「大丈夫ですか、ライトさん…………」


 シスターの時のように、傷ついていないかと。

 また、苦しんではいないかと。

 そういう、心配であった。


「大丈夫ですよ、ノエルさん。俺、もう戦うって決めたので!」


 プロフェッサーは、悪であったのかはわからない。だが、ミロちゃんの笑顔を奪い、傷つけたのは確かだ。


 独善だし、基準を俺自身とした曖昧な揺れる天秤だけれど、それでも。


 誰かのための、味方でありたいのだ。

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