EP14 ぷー太郎、異世界にて対する
俺は、この学院のどこからどこまでの区間を第三校舎としているのかを正確には理解していない。これは外見的な話であり、いざ内部に立ち入れば渡り廊下によって繋がっている都合、区分がはっきりとしており自身がおよそどの辺りにいるのか理解できる。これは、ショップングモールにも似たことが言えるだろう。
第三校舎の渡り廊下から伸びる分かれ道を右折すれば、その尖塔は存在する。研究施設故に隔離された地点にある尖塔は、しかして魔術学問に於ける最前線を行く場所であり、教授・准教授といった特権階級の学者に与えられるらしい。
その一つ、扉を開く。
軋むこともせず、滑らかに引き開けられた扉の向こうでは、待ち侘びたと言わんばかりに深く、背もたれに身を任せて腰を掛けるリント・グレイマン准教授がいた。
「遅かったじゃないか。首を長くして待っていたよ、諸君」
「約束もしていないのに、それを恩着せがましく言われるのは納得いきませんね……リント・グレイマン准教授」
三人、研究室内に入る。
俺とレフが前に出て、ノエルさんにはいつでも循環器を開いてもらえるよう、俺の背後に回ってもらう。
窓の外には召喚獣の先輩であるアーラが、今入ってきた扉の向こうにはラトラーレが姿を潜ませている。監視の目は十分、逃走は強行以外では不可能と言えよう。
無論、魔術学院の准教授なのだから、術理を阻害する結界を張ってそちらの方面での対策もしている。そのおかげで手が空かず、彼女らがナンパに応じてくれなかったのだから良し悪しだが。
「グレイマン准教授、大人しく投降してください」
「無理な相談だ……というのは、理解の上での発言かな? セントリアさん。キミ達が俺について調べて回っているのは知っていたし、敢えて妨害するような手間暇はかけなかった。そんなキミらがここにいるということは、どこかで俺の行いが証拠として捉えられた訳だ。ならば、大人しく投降をしてしまえば終わりではないかな?」
「……? 投降をすれば、自首としても捉えられますので、反省の態度を加味されて刑期が短くなりますが……」
逆に言えば、抵抗をするだけ刑罰は重くなる。
准教授の発言がわからないという風に口にしたノエルさんは、俺の背後で、罪の告白を求める。常識的な人間にとって、非常識をこそ常識とする者の頭脳の巡りはわからない。
「刑期が短く、ねぇ。しかし、いくら短くとも刑期は刑期だろう? 人生の空白期間など、不都合この上ないとは考えないのかな?」
「何を……?」
「術学の研究に於いて、手を休めるなどという過程は存在しない。走り、走り、走り抜けて……その果てにある真理を目指す。学問に傾倒する者ならば、理解は容易だと思うが?」
視線が語るのはノエルさん、そしてレフ。
視線だけを動かして二人を見れば、言葉にはできない感情の渦に渋く顔を歪めている。
「立場を悪用しておいて、それですか?」
「立場を……だが、行われた行為は全て同意の上での行いだったがね。取り引きというものだよ、同価値による。自らが持てるものを差し出して、己が失敗を挽回しようとする……当人が、当人の持てるもので能力不足を補おうとしているのだから、手を貸してこその教員ではないかな?」
「戯言をッ……職業倫理とかねーのかよ、アンタって人は」
「そう言われると弱いな。だが、言っただろう? 俺という個人が持つ欲望と、彼ら彼女らの欲するモノ——取り交わされたのは、紛れもなく契約だ。明確な取引だ。順当な交渉だ。誰も止める術などない」
「………………ッ」
最早、言葉を交わすのも馬鹿らしく感じる言い分。
罪であると知り、それで尚も自らの欲望と生徒の求めるモノを交換する選択。社会常識を理解し、職業倫理を知った上で……それを言われると弱いなどと宣いながらも、知りながらもその道を突き進む。到底理解できる人間ではない。イレギュラー、言葉を交わすべきではなかった。
「……当然、魔術対策はしているのか」どこか愉快そうなニュアンスで口にしたグレイマン准教授は、微笑を浮かべたままに動き出す。「では、対抗しよう。権利として、俺も」
動くな、と言い放てる者は、この空間には居なかった。
悠然と、自然な形に視線を持ち上げられて見上げる影が、意識をすると人のカタチとなっていく。しかしてその肌は人のものではなく、それはまるで、鴉の羽毛のような艶のある黒の鱗に被われている。
「知っているだろう? ミロ・ラフィーネさんだ……二人は会ったことがあったね」
理解が追いつかなかった。あるいは、本能的に拒んだのかもしれない。
とても、女性らしさなどという概念とはかけ離れた姿と転じた彼女のその姿は、同時にどうしてか見慣れた、自らの脚を思い出す。いや、どうしてなどという疑問符は不要だ。その全身を包む黒曜の外骨格は、ダブル・ダウンを使用した俺の姿と同位体のものなのだから。
「どうして……どうしてッ! アンタは、話し合いで終わらせてくれないんだよ‼︎」
「回答は、俺が魔族だからで満点かな?」
衝撃が、背中を突き抜ける。
そんな、落第点も良いところな台詞を口にしたグレイマン准教授へと意識を向けた瞬間、今の今まで生きているのかすら不安になる程に微動だにしなかった彼女が前傾姿勢となり、突撃してきた。俺は咄嗟に、というか反射的に、振り返り背後のノエルさんを守るように彼女を抱きしめ——その背中に強烈な一撃を受ける。
痛みはあるが、一気に吐き出された息の苦しさに紛れて然程気にはならない。
肺から吐き出された空気を求めて息をする中、脳裏には「そっちは任せる」というレフからの声が響く。奴が残ったのならば、せめて准教授の足止めは叶うだろうと希望的に観測しながらも、同時、それはミロちゃんの追撃を意味していた。
飛翔し、転がり出た渡り廊下にて静止するまでしっかりとノエルさんを抱えていた俺は、両脚を踏ん張り勢いを殺すと彼女を解放する。無言による疎通——蹴りか殴りか知れないが、一撃を受けた背中に手がそっと触れられた。
顔を上げれば、ミロちゃんはそこにいる。
果たして本当にミロちゃんであるのか、准教授の言葉を間に受けていいものか……疑問は残るが、どちらにせよ人であることに変わりはないのだから、関係はない。
「あの姿、戻せますかね」
循環器を開かれながらも口にした疑問に、即座に返事は返らなかった。
「……わかりません。ですが、止めましょう。やれるだけの手を尽くすのは、彼女を捕縛してからでも遅くはありません」
そりゃ、そうだった。言われなくとも、この暴力が彼女の本心であろうとなかろうと、止める他に選択はない。
やるしか、無いのだ。
「——変身ッ!」
ノエルさんにより開かれた魔力循環器は周囲の魔力を喰い散らかして、両脚を鴉の趾足と化す。戦う形へと、変貌する。
右足を後ろに引いて腰を落とし、構えて、ミロちゃんと対峙する。
「抑え込んでいただければ、捕縛はこちらで」
「了解!」
迫るミロちゃんに、こちらも足を踏み込んで迎撃する。向けられた右拳を掌底で押し込んで逸らし、振り抜いた腕の勢いをそのままに肩からタックルした。
身を押されたミロちゃんは体勢を崩して、続けた俺の回し蹴りに、壁を貫いて渡り廊下から地面に向けて呑まれていった。一瞬、研究室に後ろ袖を引かれる思いを覚えたが、視界の内に写ったノエルさんの頷きに心を決め、頷きを返して壁の穴へと身を投げる。
落下先を見るが、ミロちゃん以外に人の姿はない。
遠くから聞こえる喧騒からして、警備エリアの区分によって分断しているのだろう。一般人の立ち入りが制限されているために、他を巻き込む心配は不要となる。
「王立騎士隊も間に合ったという訳だ」
果たされた約束に安堵しながらも、ともすれば多少の犠牲で持って全体の安全を得ることを良しとするであろうアドリアンさんに現状を知られれば、ミロちゃんを切り捨てる判断を下されるであろうと読む。別に、アドリアンさんには俺に対する絶対的な命令権は無いが、それでも今この場で最も場を支配する力を持つ存在は彼に他ならず、和を乱しては准教授に付け入る隙を作るだけだ。
レフの発案の作戦。心から賞賛したくはないが、始まった以上はやり切るしかない。
「だから今は、君が邪魔だ――ミロちゃん」
見つめ合ったとて、恋の始まりとは程遠い。
右腕を振りかぶるミロちゃんに、俺は左へ身を避けることで攻撃を躱し、空を切った腕に振り回されて背を見せた彼女に左の握り拳をかざす。しかし彼女は直感したのか、右脚を踏み込んでブレーキを掛けるとそれを軸に翻り、俺の拳を辛くも腕で受けた。
殺し切れなかった衝撃は彼女の上体を仰け反らせたが、逆にそれをバネのようにして横一文字に腕が振るわれる。俺はこの腕をスウェーで避け、身体を抜けたところで身を戻すと、彼女の肩と腕に手を置いて固め、力を込めて押し抜ける。
元の身体の問題もあってか、力負けした彼女は抵抗も薄く押し出され、校舎の壁に背をぶつけた。生まれる隙にすかさず駆け寄った俺は、地を蹴り身体を浮き上がらせて彼女の腹へと蹴りを入れる。せめて、後遺症の類いが残らぬようにとの判断であったが、それで十分に、彼女は呻きの声を上げている。
所謂、自慢話ってやつで恐縮だが、ミロちゃんは膂力も技術も俺よりも劣っていると見えて、勝てる要素は見当たらない。
「所詮は模造品だな、リント・グレイマン……‼︎」
熱くならないよう、意識的に呼吸を深くする。
後悔を糧に戦いに身をやつすを良しとして、寝る魔は惜しんで努力をした俺に、いち学生でしかない彼女では敵わない。だから、学生であればいいのだ、君は。
口を軽く開け、深く息を吐く。
壁から抜けようと手を着いて力を込める彼女だが、その瞬間、壁は内側から破壊されて、肋骨を想起するような白亜の棘によりその肢体を絡め取られた。いかに強化しようとも、人体である以上はその構造による制限は受ける。関節を固められ、額を抑えられた状態では動くことなど儘ならないのだ。
「カウンターにしては……随分とヌルかったですね」
「そう、慢心するものではありませんよ」
俺の言葉に、杖を握り校舎の壁の凹凸を頼りに降りるノエルさんが釘を刺す。
男女、あるいは主従の絆によってバッチリのタイミングで放たれたノエルさんの魔術により捕縛されたミロちゃんは、それでも強い敵意の視線を俺に向けている。
「どうです? ミロちゃんは」
「……魔術循環器系が、必要に開かれている…………のでしょうか。疑似的に、ライトさんを再現しているようですね。それに、強力な催眠魔術が掛けられているようです。催眠を解いて、循環器を絞めれば――おそらく、戻せるかと」
「彼女は……」
「魔族では、無いようですよ。ちゃんと、人の形をしています」
「よかったぁ~」ミロちゃんを触診したノエルさんは、推察を語ると安心させようとふっと俺に笑いかけてくれた。「じゃあ、これもそれも全て准教授の仕業って訳だ」
「そうとも言えませんが、しかし状況からしてあの人なのでしょうね……ライトさん!」
叫びに呼応して咄嗟に地を蹴ると、一秒前に俺が立っていた場所を震源として衝撃が伝播する。
「なんだよぉ、もう。気付くんじぇねぇよぉ、ライトちゃんよぅ!」
「アンダーテイカーッ!?」
衝撃によって舞い上がった土煙の中、発された声は聞き覚えのある憎々しい声。
土煙が落ち着くにつれて見えてきた姿は、やはり、あの夜に霊園で対峙した旅人風の装束の男であった。
「ロハ~。この間振りだな、元気してた?」
「お前こそ、情けなく尻尾巻いて逃げた後、一人でトイレ行けてんのかよ」
「心配いらないぜ。撤退でクヨクヨしてちゃ、傭兵なんてやってらんねいし、目的自体は達してたからな。なんなら、あの後、浴びるほど酒を呑んで気分は有頂天さ」
「どうでもいい。消えろ、お前は」
「対話しようぜ、ライトちゃん。お前の甘ったるい覚悟は、そういうのだろ?」
「そこにお前は含まれない」
構えを取り、ノエルさんらを守るべくアンダーテイカーと彼女達の間へと身体を移動させる。警戒をしている素振りを見せないあちらに、どうしてもムカッ腹が立つが、しかしそういう姿勢でいられることそれ自体が空気に慣れているのだと思わせて止まない。
「例外規定か……よくないなぁ。『個』と『全』、正義を名乗るなら『全』を大切にしなくちゃァ」
「俺は正義なんかじゃない。ただ、綺麗事を言ってるだけな、首輪付きだ」
「そうかい。ああ、そうそう、初めましてだったなノエル・セントリア。聞いているかしれないけど、アンダーテイカー。お前らの敵だ」
「ライトさん!」
「わかっています! それよりミロちゃんを!」
返された言葉は短く、「はい!」と一言のみであった。
アンダーテイカーが鞘に手を掛けて、抜剣する。刀剣に関する審美眼などというものを持ち合わせない俺なので、これが正しいのかはわからないが、その剣は何か特別なところなどない、安物の剣のように思えた。
早く片を付けて、一秒でも早くレフの元へ戻らなければならない。それに祭りの最中なのだから、このようなところで暴力沙汰を起こしている時間など、ありはしない筈だ。
祭りは、楽しまなければ。
「ハナっから、トバして行くぜ! 来い、天天骸!」
言うや、アンダーテイカーのコートははためき、魔力を帯びる。何か魔術を行使されたと見るべきだが、現状では警戒以上に打つ手立てはないのだから、俺は心ばかりを割きながらも駆け出す。奴も同時、大地を蹴った。
アンダーテイカーの視線は俺を射抜いている。正直、とても怖い。冷徹な視線に、怯えている。
だが、視線が俺に向けられている以上は、後ろの二人に危害は加えられないだろう。あるいは、そうした動きすらもブラフなのかも知れないけれど、出させない。コイツは、俺だけに夢中に、釘付けにしてみせる。
蜻蛉に構えられた剣は力のままに振り下ろされ、俺はそれに脚を合わせる。甲高い金属音が響き、弾かれた互いの武器は、一呼吸の間を置いて再びぶつかり合う。
超至近距離での連撃の応酬。攻防一体にて行われる接近戦は、互いに引かず、退かず、顧みずに行われた。上下左右、絶え間なく行われる連撃を防ぎ、逆にこちらも相手の意識の隙を縫うように攻撃を叩き込む。
チリチリと刻まれていく自身の肉体は痛みを熱として発して、しかし同等の傷を打撲としてアンダーテイカーには打ち込んだ。戦況は互角。傷が裂傷である分こちらが不利にも思えるが、打撲の痛みは肌に留まらず骨に達して、俺も言えたものではないが、奴の動きは徐々にその速度を落としていった。
「………………ッ、七面倒臭い奴だなお前は」
「お前程ではない、アンダーテイカー。暴力に生きる、お前程ではな」
「口ばかりの言葉だな。逃げる選択をせず、背後に守る者を持ちながらも戦う選択をしたのはお前だろう?」
「だからこそだと、なぜわからないんだ!」
弾かず、刃と脛で鍔迫った中での短いやり取りでさえ、この男とはわかり合えないのだと理解させられる。話が通じないのだ、話し合いの余地などない。
この思いは、あるいはアンダーテイカーに対する嫌悪感が思考を性急にさせた結果なのかも知れないけれど、だとして、心を定めたからとそればかりに妄信することなど出来ない男なのだ。俺は。
個人的な感情を切り捨てずに動くのだから、大人には成りきれない。
……いや、大人だ子供だって話ではないか。
「邪魔をしてッ!」
蹴り払い、再び超至近距離での応酬が開始する。
「来い、愚演奏者!」とアンダーテイカーが口にすると、頭部を包む形で魔力が集まり、逆にコートの魔力は霧散する。形質の変化は、魔術の変化——能力の変容と見ていいだろう。
奴が口にした「天天骸」が如何なる能力であるのかすらも見抜けなんだのに、その上で変化を有しているとなどと……恵まれた力を有しているものだ。妬ましい。
持つ者であるにも関わらず、奪う立場に陥るだなんて、そんな話があっていいものか。力を持つのならば、その力を持ってして多くを守って見せろよ。
俺が、お前の力を持っていたならば。
「ストライク・キック」
「愚演奏者ッ」
決着は一瞬で着いた、と言えれば格好良く纏まったのだが、しかし、俺の蹴りと奴の剣戟が生んだ膠着状態は、体感にして二十秒を超えた。そして、俺の切り札とおそらく奴の切り札であろうそれのぶつかり合いで尚決着が着かず、互いに後方へと押される結果となる。
ミロちゃんの拘束されている壁際にまで押し戻された俺は、少しばかりの冷静さを取り戻し、今は奴の相手をしている場合などではないのだと思い直し、敷かれた石畳に爪先を突き立てて捲り上げ、巻き上げて目眩しとして、ノエルさんとミロちゃんを小脇に抱え、校舎内へと身を隠すこととしたのであった。
「ノエルさん、すみません。アドリアンさんに、現状報告をお願いします」
「……それなのですが、どうにも、通信環境が悪く。アドリアンさんにも、レフさんにも連絡が付きません」
「………………ッ。わかりました。ミロちゃんは?」
「催眠は、およそ解除出来たかと。なので、後は魔力循環器を絞れば……」
「どこか、身を隠せるような場所に心当たりはありますか?」
「……はい。なので、私と彼女は置いて、貴方は貴方の戦場へ」
「⁉︎ しかし……」
言いながらも、ノエルさんへ視線を落とせば、まるで俺を射殺さんばかりの狩人の瞳に刺し貫かれる。意志の強い瞳は、俺から言葉を奪い、また反抗する気概も失わせた。
「お気をつけて」
「はい。ご武運を」
ノエルさんとミロちゃんを校舎内の、せめて見つかり辛いであろう一階の階段下で話して、俺達は別れた。
俺はただ一人、階段を駆け上がり、廊下を走る。
「……情けないな、どうにも」
呟いたのは、脚の痛みから。
アンダーテイカーとの最後の撃ち合いにて、互いに決定だとはならないまでも、凡そ致命傷にも成り得る攻撃を交わし合った。空元気でノエルさんの前ではやり過ごしたが、あの場で用いた左足、その爪先から股関節にかけて、今まで俺自身すらも知らなかった程に多くの神経が通っていると知らせてくる。痺れと熱で伝えてくる。
足をつく毎に、電流でも流れるように駆け巡るそれらは、地道に、しかしながら確かに俺の精神を蝕んでいた。
今まで俺がこの場に立っていられるのも、意地あってこそのものであり、一人の孤独は、この意地を見せる相手の不在を知らせて削っていく。
奴も、同じだけの傷は負っているとして、だとしたならば戦場に残る意味もない。撤退したと見て、問題は無いだろう。俺が脚なのであれば、奴は指先から肩口にかけてこの痛みに苛まれているのだろうさ。
そう思うと、気分が良かった。
嫌だ嫌だと思いながらも身体を動かして、俺は再び、あの渡り廊下に立つ。壁に開いた穴が、この場で間違いがないと知らしめている。
「……やけにボロボロだな、レフ」
そんな廊下の真ん中で、レフは血塗れで転がっていた。腹部が上下しているために呼吸があるとわかり、それはレフの生存を意味している。
「……頑張った子に対する評価が…………それかよ……」
「そりゃ、ね」上体を起こして話を聴こうかとも思ったが、脚の痛みもあり、頭の脇に立ってレフを見下ろす。「ここは任せろって言ってこのザマじゃあ……准教授は?」
「……まだ中に……いるかね…………」
「ああ、わかった。後は任せて、大人しくそこで死んでろ」
「……ああ…………先に地獄で待ってるぞ……」
言ってろ、と吐き捨てて、俺は渡り廊下を進んでいく。
鼻から息を吸い込んで、口から息を吐き出す。
冷静に冷静に。言い聞かせたところで、沸々と湧き出る感情の土石流は、俺の情緒、その冷たい部分を押し流す。
「………………壊す」
ポツリと出たその言葉は、最早、俺自身すらも意識の外にして溢れた本当の感情であった。




