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EP13 ぷー太郎、異世界にて堪能す

 屋上の一件から数日、俺はノエルさんから得た情報をアドリアンさんに持ち寄った結果、忙しい日々を過ごさせられた。あれをやり、これを詰めて、あちらにも手を回してとアドリアンさんもアドリアンさんで三人くらい存在しているのではないかという働きぶりであったが、俺の方は俺の方で予定を立てたり準備をしたりと彼とは別件で手をこまねいていたのだ。


 そうして迎えた、ウィタ・オルクス魔術学院は秋の文化祭——魔交祭。

 この日のため、学院内の出し物やイベントの時間を調べ、地図上での周回ルートの確立やタイムスケジュールを組み立て、十全に祭りを楽しむ準備をし尽くした。


「やれるな? レフ」


「勿論だ、ライト」


 学園の門には巨大なアーチが掛けられており、道行く人々も川が流れるように学院へと入っていく。奥からはガヤガヤとした人の犇めく音がして、「おお、これぞ正しく文化祭哉!」といった雰囲気を醸し出していた。


 魔術を身近に感じてもらうため、地域交流を云々という建前を持つらしいこの魔交祭。最も、生徒諸氏や俺達のような地域の人間にはそのような心構えなど無く、純粋一途、なんか面白そうだ以上の気持ちなどありはしない。一部生徒は「イベント事とかダリィ」と冷笑気取っているかもしれないが、こういったものは面倒だなと少しでも思ってしまったら負けなのだ。自分の心を楽しいで塗り潰さなければ、いけない。


「それでは、突入前に今回の作戦を振り返ろう。レフ、頼んだ」


「了解。今回、我々は魔交祭にてナンパを行う。当然、目的は女性とお近付きになることだ。突入後、取り敢えずお嬢の所属している『魔術制御研究部』の出すカフェへ顔を出し、その後で解散――太陽が天辺を迎えた頃に合流し、成果を報告し合う流れとなっている」


 レフの言葉に頷きを返し、俺達は覚悟を胸にアーチを潜り抜けた。

 入る前から聞こえてはいたが、いざ突入すれば響き渡る宣伝の声と人々の会話。建物に入る前から訪れた混雑に身を揉まれながらも、レフと共に、手を取り合い人流を掻き分けて進んでいく。途中、レフがおばちゃん一行に轢かれて離れそうになるアクシデントを、手首を掴み、引き摺り上げることで逃れ、意気消沈、俺達は艱難辛苦の果てにようやく目的の教室へと辿り着いたのである。


 九龍城砦もかくやという形相は残したままに、お祭り騒ぎに彩られた校舎の一角。素朴な立て看板がぽつねんと入口に置かれているだけの、やる気のなさというか、盛大な手抜き感を与える教室が、魔術制御研究部に割り当てられた場所であった。


 何とも言えない雰囲気に絶句しつつも、互いに視線を交差する。

 開け放たれた扉の向こうに見える教室内は、整えられている様子で、怪しげな魔女の巣窟といった雰囲気ではない。さりとて、最初の一歩を踏み出すには、やはり飾り気のない外見は二の足を踏ませるものであった。


 無言のままに先行を譲り、二の足どころか行進する。

 結果、先に折れたのはレフであり、俺はその後に着いて教室へと入っていく。


「……先行する」


「すまない」


 教室内はシックにまとめられており、人気店まではいかないけれど客足は絶えない路地の喫茶店といった雰囲気で、文化祭然とはしていないまでも相当のこだわりを感じさせる。何となく、このこだわりが店外を殺したのだろうな、と感じられる程に――ダークブラウンのテーブルにチェア、仄かに香る珈琲の香り、落ち着いたメロディ――教室という素材を感じさせないカフェテリア具合である。


 「いらっしゃいませ、マイ・ディア」


 興味深く店内へと目を泳がせていると、そんな声を掛けられて、咄嗟に声の方へ視線を向ければ、そこにはカフェベストに身を包んだ女性がいた。ショートの髪型は先端がカールしており、その笑みは優しく俺を狂わせる。


 ただ一瞬の挨拶のみで俺の心を打ち抜いたこの男装の令嬢に導かれるがまま、席に着く。王子様系というのだろうか、宝塚系か? 女性の持つカッコ良さというものは男のものとは異なり、甘いマスクはさながら蜘蛛の巣だ。


「おすすめは、やはり喫茶店だからね、珈琲だよ。軽食ならば、ミートスパゲティが食べ応えがあるかな」


 女性としては低めの声は外見と見事にマッチして、促された俺はノエルさんへの挨拶など雲散霧消し、「じゃあ、それを二つ」と返す。


 これを受けた彼女は変わらぬ笑顔で注文を受け取り、店の奥へと姿を消した。他に客の姿はなく、壁を挟んでいるにしても静かな店内には穏やかなメロディに混じって店番同士のやり取りが微かに聞こえてくるのみだ。


「お嬢、呼んでもらわなくてよかったの?」


「……こうして自信有り気に店を構えているのだから、まずはその実力とやらを測らなければ太刀打ちできまい」


 不思議そうに俺に問うレフに心惹かれて忘れていたなどとは言えずに、俺は意味不明に返す。


 それはまた見事な困惑の表情を見せたレフであったが、数秒もすると「そうかぁ」などと無理やりに納得していた。その判断の速さは、この男にしては珍しく褒めるに値するものではないだろうか。


「ああいったのが、好きなのか……やっぱり、あの時の言葉は恥ずかしがって濁しただけなんだね。このムッツリさんめ」


「このッ……お前というヤツは、どうしてそうも」


「守って貰いたい、導いて貰いたいってタイプなんじゃないのか? えぇ? 草食系ってヤツかい」


「自分でも、惚れやすい自覚はある。……肉欲に振り回されている自覚もな」


「良いじゃないか、人間だもの」


「……准教授の一件を前に、無邪気に肯定してもいられないさ」


「そういうものかね……」


 考え過ぎなのかもしれないが、今はそれくらいが丁度良いだろう。ある程度の緊張感を以て、彼女の魅力から目を逸らす。

 振り切って見せるさ、肉欲などと!


「珈琲だ。スパゲティは今茹でているからな、少し待ってくれ」


 そんなところに、ウェイトレスの彼女はやって来た。

 コーヒーカップがそれぞれの前に並べられ、微笑の彼女は再び店の奥へと戻っていった。


「お嬢、呼んでもらわなくてよかったの?」


「同じやり取りをする気は、生憎とないぞ」


 そう言って、誤魔化し交じりにカップを手に取り、端を口に付ける。口に含む前から薫る、あの珈琲特有の芳醇な香りの奥にはどこかフルーティーな甘みが感じられ、実際に口にしてみればどこかジューシーで明るい酸味があった。


「美味しいな……」


 自然、ぽつりと独り言つ。

 零れた・溢れたとしか表しようのない言葉の向こうで、同じく口にしたレフも「んん」という唸り声を上げて頷いている。


 よもや、隠れた名店だ。三日しかない文化祭で、そのようなニッチな店を選択するのは変わっていると言わざるを得ないが、しかしそこに腕が付いて回るのならば最早何も言えない。


「美味しかったですか? それは上々。ならもっと好きになりますよ」


 予想外の珈琲に舌を巻いていれば、またしてもいつの間にかやって来たウェイトレスの彼女が不敵な笑みをしてそう口にする。やって来たのはミートスパゲティ。味付きの挽肉とパスタのシンプルな仕上がりながらも、盛り付けの妙か、実に空腹を刺激される。


 いざ実食、とフォークを手に取りそうになり、三度目ともなればどうにか意識的な免疫を獲得して忘れずに言う。


「ノエルさん、いますか? 俺達、彼女の知り合いでして。ライト、といえばわかると思うのですが」


「セントリアさんですか? 今呼んでくるよ」


 ちょいちょい仮面が外れて丁寧な面が出てくるのもまた良いな、と余計な思いを巡らせながらも「よろしくお願いします」と店の奥に舞い戻る彼女を見送り、今度こそフォークを手にしてミートスパゲティを口にする。


 こちらも、間違いもなく美味い。濃い味の多い異世界故に、味付きの挽肉を和えて口にするこのミートスパゲティは、味はしっかりと効きながらも分散し、ガツンと印象的な味では無いものの確かに全体へと行き渡っている。肉らしさは残りながらも、それでいて他にも隠し味があるのは確かな奥深さ。限りなく最高に近い。


 日本人としては認識の薄い常識なのかもしれないが、事によると啜るという行為は非常にマナーの悪い食事法らしく、スパゲティの正しい食べ方はフォークで巻き取って口に運ぶやり方らしい。家では箸で食べていた俺とて、さしもの外ではこの方法で食べていたので、言うまでもない話かもしれないが。


「お待たせしました。楽しんでいますか?」


 二巻き目を口に運び、嚥下を終えた頃にノエルさんはやってきた。

 先のウェイトレスと同じくカフェベストに身を包んだ彼女だが、先の彼女とは異なり、可愛らしい仕上がりとなっている。


「はい。珈琲もスパゲッティも美味しくて、それでいてノエルさんや彼女のような目の保養になるウェイトレスもあるのですから、楽しむ以外に道はないと言うものです」


「それは良かったです。部長が張り切り過ぎて、外、何も無くなっちゃいましたけど……味だけはその分、美味しく仕上がっているわです」


「それは……部長としてどうなんです? 僕も言えたものじゃないですが、上に立つ者として金銭管理は……ねぇ?」


「それは……言っちゃいけません」


 苦笑いで口にして、困ったように頭を少し傾ける彼女を尻目に三巻き目を口に運ぶ。

 他に客もいないためか、あるいは休みを貰ったのか。ノエルさんも掛けて、腰を据えて話す気らしい。


「それで、今日の予定は?」


「以前、お伝えした通りに。合流も、時間に変更はありません」


「アドリアンさんにも伝えてありますよ、お嬢。些細、抜かりなく。あとは充分に楽しんで、その上で気張るだけにですね」


「了解しました。私も、午前には抜けられると思いますので、作戦は変わらずということで」


「イエス・マイ・ロード……ああ、ところで、ノエルさんはさっきの彼女みたいに『マイ・ディア』ってやってくれないんですか?」


「……聴きたいですか?」


「いずれは……」


 何だか、やはり恥ずかしいのか怖気のようなものを感じ取ったので言葉を濁して、その場では会話を打ち切った。その後も他愛のない雑談を続けながらもかなり早い昼食としてミートスパゲッティを食べ終えて、会計に想像以上の値段を請求されつつも店を後にするのであった。二点で千四百円。


 予定通りレフと別れた俺は、冷やかしがてらにモニカちゃんとリェンちゃんがいると伝え聞いた出店に向かう。校舎内から再び中庭へと出るのは苦労に次ぐ苦労を重ね、見知らぬ女性と魔術式ホラーハウスに入る珍事と、割と安全基準が低いセットに様々迷惑したりもしながらも中庭へと抜け出て、ようやくと彼女らのいる出店へ這い寄るに成功する。


     魔石について知ろう!


 などという謳い文句を掲げる出店。

 石なんぞ、誰が興味を持つのかという俺の第一印象は見事に合致しており、道行く誰しもが一度顔を向けるものの足を止めることなくその前を通り過ぎていく。現実で例えれば『ガソリンについて知ろう!』なのだから、そりゃ、まあ誰も興味をも持たないだろうさ。


 真面目過ぎるな、と思いながらも近付いていけば、人が来ないためか完全に気の緩んでいる受付らしき場所に腰掛けるモニカちゃんが、初めての客かと期待の眼差しを向けて、一瞬で泥のように濁った瞳に逆戻り。


「やあやあ、楽しそうで何より。ライトお兄さんだよ」


「誰がお兄さんなんですか。何です? 冷やかしなら帰ってくださいよー」


「いやいや、まあ冷やかしなのだけれどもね。……今日だろう? ライブは。俺は少しばかり予定があるから見には行けなくってね、だからこうして、その前に会いに来たのさ」


「ですかー。そりゃあ、嬉しいですねー」


「随分と適当だな……緊張していないのならば、そりゃ良かったけども」


「いえいえ、これは私の賦質魔術に依るところでしてね。私は、周囲に影響されやすいんですよ」


「なんとなく、そんな感じはする」


「ムキー! 嫌な言い方しますね、ホント。まあ、だからこうして浮かれている人が多いと、私も浮き足立って緊張とかできないんです」


「……雰囲気に乗せられる魔術?」


「魔力が他所に影響されて変質するって魔術ですー。自分色だけでなく、他の人の波形にも合わせられる、結構珍しい魔術なんですからね?」


「成る程?」


「何ですか、そのパッとしない反応! つまりですよ、他者の魔力の波形をコピーできるって感じな訳ですから、その魔力を放出すれば、魔力補給も可能になるって寸法ですよ」


「贋作師って訳だ」


「なんですとぉー!」


 茶化して返したが、成る程、強力だ。

 外部からではあるが、それはつまり、魔族のように自分のロスを極限まで減らした最大効率での魔力補充が可能になるのだから。


「どちらにしても、産まれ持った個性があるならば随分なことじゃないか。俺なんて平々凡々、手元には何もないのだからね」


「ですかね? 元々持っているものもですが、成長の過程で手に入れ、積み重ねていったものこそが本当に羨むべきものに思えますけどね」


「モニカちゃんは、俺のそれが羨ましい?」


 冗談で、訊いてみた。


「恥を忍べば」


 平気で返された。


 よもや、そんな返答が来るだなどとは思ってもいなかった俺は、唖然として言葉を吐くにも至らずにいた。本当ならば「そんな素直な子どもに育てた覚えはありません!」とでも叫んでやるところだったのだが、素直に驚きが混ざってしまった。

 口をパクパクと開閉して、音にならない声を発する俺に呆れ顔にじっとりとした非難の瞳を向けるモニカちゃんに、どうにか自分を引き戻す。


「失礼じゃないです? その反応は」


「いや、だって……予想外で」


「それが失礼だとなぜわからん⁉︎」


 しかし、他者に対して嘘を吐く方が余程に失礼ではなかろうか。

 まあ、嘘も方便という言葉があり、それは俺も肯定的な意見を返すものであるのだがね。考えなんてものは、他者に伝えるべく言葉に落とし込んだ時点で歪曲し、捻れた部分が嘘になるのだから。


 だが、失礼を承知で敢えて素直に返す。

 誠実さには誠実さで返してこその外交だ。


「何が外交ですか。公害の間違えでしょう、あなたの場合」


「誰が公害だよ。そこまで酷くあるものか」


「現に、こうして店先で話しているのは営業妨害に他ならないでしょう。警備を呼びますよー」


「客足のない店で、よく言うよ。実際問題、集客としてはどうなのよ。つか、展示なの?」


「客なんて来やしませんよ。見ていきます?」


 肩肘着いたまま背後を指差して言うモニカちゃんに、「うーん……」と曖昧な唸り声を返す。

 正直なところ、全く興味がないとも言わないけれど、では興味があるのかと問われればそこまでの興味はない。十位中七位くらいの興味で、優先順位としては大分下火にあるのだ。


「……やめておくよ、この後立て込んでいるしね。代わりに、今度また何か奢るさ。その時は、折角だ。リェンちゃんも呼んでくれ」


「まあ、構いませんが……」


 何やら歯切れの悪さを感じつつも、わからないものは仕方がないと流す。


「他がザ・魔術って見せ物を出している中でどうしてこんな地味な出し物を……」


「まあ、研究の一環ってヤツですよ。それに、他がそうして魔術ばかりを使っているから、空気、悪いじゃないですか」


「そうなのかい? 俺は、どうにも普段は魔力云々に関しちゃザルもいいところだから、どうにもわからないけれど……」


「大分ですよ。どこもかしこも魔術ばかりで、ぐちゃぐちゃしてて。何て例えると伝わりますかね……魚屋が立ち並んだる、みたいな? 生臭さから逃れられない! 的な」


「成る程。嫌だな」


「でしょう」


 へー、と返しながらも、ともすれば自らの提案とその根拠としての考え方が正しかったのだと、少し前に取り行った会議での記憶に内心ガッツポーズする。やはり、魔術学院の文化祭ともあればそこら中あちこちで魔術が使用されて、探知に長けていればある程に苦しくなるだろう。


「……まあ、何だ。これ以上、ここで喋るのも野暮だし、君の言う通りに営業妨害だからね。そろそろ行くよ」


「さっきの言葉を気にしているのならば、杞憂ですが……」


「君の言葉なんて気にはしないさ。ただ、もう少し見て回るための口実に過ぎないとも」


 そう言い残して立ち去ろうとしたのだが、しかし、そんな俺をモニカちゃんは呼び止めた。熱視線に、モテる男の辛さを思い知る。


「熱視線は熱視線でも、零度の熱ですけどね」ドライアイスでの火傷タイプの熱視線を向けながらも、モニカちゃんは律儀にツッコむ。「ライトさん、リェンちゃんに何やらかしてくれたんですか?」


 痛い、質問だった。

 酒に酔ってロクに覚えていない、というのが真実であり、基本的に偽言ばかりを口にして、ホラ話こそを至上命題と据える俺ではないけれど、ことこの件に関しては本当に何も覚えてはいない。何か泣き言を溢して、慰めてもらって……そういえばあの注射器……いやさ、まあ、その後については記憶がない。回答のしようがない質問だが、リェンちゃんがどうにかなっているというのならば、やはり何かあったのだろうか。


「ピンク色の空気がどれだけキツイか、身をもって体験させてやるので奢りの約束は破らないで下さいよ」


「……待ってくれ、誤解だろう。きっと、おそらく、多分」


 俺の言い訳をしようとする態度を受けて、モニカちゃんはシッシと手を払い取り付く島もない。


 何か大いなる誤解があるのは確かであろうが、実際のリェンちゃんを目にしなければこればかりは何を言えたものではない。実際に目にしたところで、精神科医どころか歯科医ですらない俺には、その精神の揺らぎを見抜けるかは甚だ疑問ではある。


 まあ、いいさ。美少女と美女を侍らせて食事をできるのならば、願ったりだ。


 そう、思うことにする。例えモニカちゃんが精神的にブサイクな人間であると知っていても、人間は内面だけで決まる訳ではないのだから、上っ面だけを受け止めれば幸せはそこにある。楽しむ努力、とは何も文化祭ばかりに適用されるものではない。如何なる状況であれ、精神次第で楽しくも辛くもなるのだ。


「さて……」


 ひとつ意気込んで、意識を切り替える。

 太陽の位置から、随分と時間を食って余裕が無くなってしまったと見える。残された時間はそう多くない。さりとて、今から見知らぬ女性に声を掛けて回っていては、合流時間に間に合わないだろう。


 ではどうするか、と悩んでいると一人の女性が目に付いた。俺はするりと人流を掻き分けて近付き、にこやかに話しかける。


「お久し振りです、エマさん。いつぶりでしょう。お変わりないようで、何よりです」


 その女性は、聖堂塔の職員のエマさんであった。辺りを見回す限り連れの人はいない様子なので、丁度良い。


「ライトさんではありませんか。お久し振りです。セントリアさんのお屋敷以来ですね」


 どうやら、社会人としては当然なのかもしれないが顔を覚えてくれていたらしく、声を掛けずに話し掛けてしまったために、一瞬驚いたように目を見開かれてしまったものの、微笑と共に応対してくれる。


「どうしたんです、こんなところで。セントリア領から、わざわざお祭りのために?」


「あー……いえ。それが、ですね……初めてライトさんの対応をしたのが私だった、ということもありまして、アドリアン卿に彼女の対応もするようにと言われてしまいまして……」


「彼女って……」


 ニホニさんですか、と明に暗に口にすると、エマさんはこくりと首肯する。


「恨みます」


「申し訳ないです」


 申し訳なさそうに項垂れて見せるが、正直、そんなこと知らんわいって感じだし、内心では運が無かったな……と思っているのはここだけの話だ。悪いのは俺とは言えないし、引っ張ったのはアドリアンさんではないか。

 そうだ、アドリアンさんだ。全てアドリアンさんが悪いのだ。


「息抜きに、って感じですか?」


「はい。一度、来てみたいとは思っていましたので」


「そうなんですね……あれ? アドリアンさんから聞いていませんか?」


「何をですか?」


 不思議そうに俺の発言を受けるエマさんに、やはりこの人はただ不幸の星の元に産まれただけなのだなと涙を禁じ得ない。とはいえ、軍事回りの話をおいそれと語る訳にはいかないので、知人として、遠回りな助言に止める。


「第三校舎周辺には、近付かない方がいいですよ」


 できれば、昼前に帰った方が。

 その言葉に、訳がわからないという表情をするエマさんではあるが、これ以上を語ると壁に耳あり障子に目があるこの魔術学院、どこから情報が漏れ出るか未知数だ。ここは意味深な語りをする信用ならない語り部に達しよう。こういう積み重ねが、将来、俺の声を石田彰にしてくれる。


「……なぜ、とは訊いてくれないんですね」


「今の言葉は、お巫山戯ナシに見えたので……」


 そんなことを言われてしまい、け恥ずかしさから頭をぽりぽりと掻いて「なんだかなぁ」とぼやくが、そんな俺を見てエマさんはくつくつと笑みを浮かべた。悪戯っぽい笑みも今の俺からしてみれば意地悪で、しかしそれを美人が行うのだから文句の付けようがない。


「まあ、大丈夫ですよ。問題は起こしませんから」


「お願いしますね」


 そうして当たり障りない会話の末に別れた俺とエマさんであったが、ああして美人と言葉を交わしては、つい数分前に立てた時間がないのだからナンパは諦めようという覚悟などというものは水泡に喫して、再燃した情欲は俺を戦場に駆り立てた。時間はまだ残っている、せめてお茶だけでもと学園内を右往左往して——この先は、記憶に封印処理を施しているのでダイジェストでお届けしよう。




   やぁやぁ、そこの道行くお姉さん。どうかな? この後、俺と少しお茶などは。

   あっ! いえ、遠慮させて頂きます!




   お姉さん可愛いねぇ! 今一人? てか暇? どうかな、俺と少し茶をしばきに行かない?

   はっ! 遠慮させて頂きます。




   どうも、そこのお姉さん。俺とお茶などは、如何です?

   はいっ⁉︎ あ、はい。遠慮させて頂きます。




 皆、口を揃えて「遠慮する」と言うのだ。

 正直、この言葉のチョイスは明確に拒絶の意思を示されるよりもダメージが大きい。こう、相手にされていない感じというか、適当にあしらわれている感じがして、精神衛生に多大な汚染作用を働かせる。


 明確な壁が眼前にあるのならば、そこは通らぬ道だと思うに済むが、その壁がフェンスであったのならば、向こう側が見える分、口惜しさが生まれるようなものだ。であれど、無理に通るような真似は、紳士な俺は行わないし、この感情は自らの内に封じ込めて直視することもしないがね。


「細工は流々、フラグはバッチし、至る仕上げを御覧じろってなァ」


 おめおめとノエルさんのいるカフェに舞い戻った俺は、既に腰を据えて再び珈琲に舌鼓を打つレフの向かいに腰掛ける。見たところ女性の影はなく、あちらとてナンパは失敗に終わったと見えてホッとひと心地つく。


 あのボーイッシュなイケメンウェイトレスのシフトは終わってしまったようで、これまた異なる可愛さを持つウェイトレスに珈琲とノエルさんの呼び出しを頼み、彼女を見送ってから口を開く。


「お互い、ナンパは失敗に終わったらしい……」


「喜ばしいことだな。……アドリアンさんは?」


「見てはいないが、彼女らの動き様からして、予定通りに事態は進行していると見て構わないだろう」


「だと良いが」


「何か不安が?」


「水面下で蠢いて全貌が見えない事態に、不安を覚えない方が可笑しいだろう」


「……だな。俺としても、こうしてポーンの一つとして扱われている現状は望ましくはないが、今更、将棋に転向する訳にもいかないだろう。始めてしまったのならば、チェックメイトまで付き合うべきだ」


「だとして、だな。行動と精神が同一である必要など、無いと思うけれどね……」


 悪態をついてカップに口を付けるレフ。

 俺は何も言い返すことをしなかったために、卓には沈黙が蔓延した。


「お待たせしました、珈琲です」


 沈黙からしばらく、香り高い珈琲の注がれたカップを左右の手に持ったノエルさんが卓に合流した。それはその片方を受け取ろうと手を伸ばしたが、逆に溢す危険性を危惧して手を引き、卓上へと置いてもらう。


 席に腰掛けたノエルさんは、どうにも重くなってしまっている空気に不思議そうな顔をするが、俺もレフも、互いに原因は自らの内に溜まっている不安・不満の類いであると理解しているものだから、微苦笑を浮かべる他ない。


「最後の晩餐に食べるのならば、何が良い?」


 ふと、思いついた言葉を口にする。


「少なくとも、この珈琲ではありませんね」


 ノエルさんは、苦しげな笑みで答えた。

 珈琲は、先程のものと豆は変わらないであろうに、えらく不味かった。

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