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EP11 ぷー太郎、異世界にて出逢う

 未だ残暑の残る日々が続く中、俺は特段やることもないので屋敷の庭に生え揃った芝に寝転がり日向ぼっこをしていた。


 亀に転じる願望があるのかと問われれば、無きにしも非ずな俺だ。今は隠しているが、実は見えない甲羅を持つためにこれに紫外線を当ててやらなければならないのだ。


「爽やかさの似合わない奴だな、君は」


 のんびりとしている時に限り、陰りはくるもので、俺と太陽の蜜月を邪魔する影に降ろした瞼を持ち上げれば、そこには俺を見下ろす人影があった。


「……なんで早々にそんなことを言われにゃならんのですか、義父さん。どうです? 一緒に。眩しくって寝られたものじゃないですが、気持ちはいいですよ」 


「休みたいのは山々だが、予定が立て込んでてな。君とて、その一人だ。……以前、話した者が会っても良いと返答をくれた。様々事情を話さなければならないが、会うだけでもして欲しい」


「構いませんが……着替えた方がいいですか?」


「そうだな。汚れた背中で城壁の敷居を跨ぐ勇気があるのならば、その限りではないが」


「着替えてきます。馬車は、屋敷の前ですか?」


「ああ。手早くな」


 言って直ぐに身を翻して立ち去るアドリアンさんの姿を目の端に収めながら、身を起こしひとつ伸びをしてから屋敷へと戻る。

 王都に構えられた屋敷は、セントリア領の屋敷に比べれば小さくまとめられている。とは言え、十二分に広い土地を有しており、使用人も十数人ではあるが在中していた。


 用意された部屋のクローゼットを開き、適当に見繕った服に着替える。脱いだ服は、それなりに打ち解け始められた使用人の一人に「お願いします」と告げてから渡し、軽く駆け足で屋敷の入り口へと向かった。既に着けられていた馬車では、静かにアドリアンさんが腰を落ち着けている。


 馬車の脇に立ち、俺を見るや扉を開けてくれた御者に感謝を伝えて乗り込むんで、俺はアドリアンさんの向かいに腰掛けた。嫌な沈黙が、響いている。


「それでは、出発致します」


 御者台から声が聞こえると馬車は揺れ始め、誰か俺に合わせたいという人の元へ歩を進め始めた。


 光を取り入れるため開かれたカーテンは、同時に外の景色も映し、流れる街中には今日も今日とて大勢の人がごった返している。王都というのだから、首都だろうと考えれば東京の方が幾分も人混みは酷いだろう。


 だとして、旅行と思うにはあまりにもこちらの世界に滞在し過ぎた。誤認するのも苦しくなる程に、俺は、この世界で暮らしてしまった。今では東京をこそ遠くに想い、眼前の人混みをリアルと取る。


 車内に満ちる空気は未だ残暑の残る季節柄とは異なり、まるで梅雨時期のように滅入るもので、口を開かないアドリアンさんに合わせて、俺も何を話すこともしなかった。流し目で彼を観察すれば、表情は普段と変わらないけれど、どことなくぎこちなく、緊張の色を伺わせていると見える。王立騎士隊の隊長を務めるのだから、その部隊の基地を併設するらしい王城へ赴くに当たっての緊張ではないとして、では、やはり今から会うという人物へ向けられたものだろうか。


 アドリアンさんが緊張する相手など、どのような人物であるか。冷徹か、苛烈か……どちらであれ、一線を超えているに違いはない。あるいは、その死線の上で綱渡りをしている存在であるからして、扱いに細心の注意を払わなければならない緊張感なのかもしれないが、そこは、会ってみなければ何も言えばしない。想像だけが全てではないのだから。


 大通りを通り抜けた馬車は、一つ大きな揺れを伴い王都の中心部に構える王城の大門を通り抜けた。古いその大門は名をフィリッポス凱旋門と呼び、セントリア領で銅像として祀られたライトールという勇者とはまた別の、マーロウという勇者の凱旋を祝して構えられたものだと言う。向こうの凱旋門はナポレオン・ボナパルトが三帝会戦の勝利を祝して作らせたものであるから、由来からしても似ている。


 勇者、というものについても気になり、少し調べたが、ここで言う勇者とは選ばれた紋章を持つ者などを指す言葉ではなく、どうやら勲章の一種であるらしい。言うなれば、文部科学大臣賞とかそう言った類のものであり、「戦争でめっちゃ活躍したんだってね〜お疲れ様」というだけのエンブレムに過ぎないようだ。


 どこまで行っても自分を特別視させてくれないこの世界にはほとほと呆れるが、さりとて伝説の勇者で俺があったとしても、各地を旅して悪を成敗していくだなんてゴメン被る。だが、りゅうおう配下程に悪役に徹してくれるのならば、あるいはスカッと勧善懲悪で終われるのかもしれないと思うと、少し、揺れる気持ちが芽生える。


 騎士隊庁舎の前で馬車が止められ、扉が開かれる。アドリアンさんが先に出て、俺もそれに着いて降りる。


 豪華さとはかけ離れた建物は、街並みによく見るものと変わらぬ造りであり、規模が大きな以外に違いは見られない。権威を示す気がないのか、結局この作りが最も堅牢であるのか。真実の程はわからないが、変に威張っている雰囲気がない質素な見た目は好みではある。


 扉を開き、廊下を歩く。

 幅広の廊下は物が置かれておらず、帯剣している者に対しての配慮が見える。それでも壁に傷が見えるのは愛嬌というべきか、あるいは改善された結果が今であるのか、どちらかだろう。


「先んじて言っておくべきだったが、これから先で見聞きした情報については機密保守のため、外部への漏洩は禁止されている。……喋ってくれるなよ?」


「ええ。わかりました」


「……独り言だが…………軍関係の場所であるのもあるが、単純な話、国の恥部なのさ。……だから、国としても隠したいし、本人も公にはしたく無い……新聞の件だが、あれは彼女に君の姿を見る決心をさせる意味もあったと言えば、君は許してくれるかな」


「……さあ。……そうやって計算高い内は、どこまでも仲良くはなれませんね…………」


「そりゃ、言えてるな……」


 苦笑するアドリアンさんに、同じく苦笑で返す。互いに僅かな傷を無為に突き合うだけの、成果の見込めないやり取りの最中も動き続けた足は、ふと、目の端で捉えたものにより止められた。


 目立つ橙の髪の青年——あの夜に見た彼が、いたのである。


「モース・リジットか……」


 足を止めた俺に気付き、振り返ったアドリアンさんが、俺の視線を辿った先の彼について口にする。

 やはり腰に鞘の類いを吊るしていない彼は、どうやら同僚の人物と話しているらしく、こちらに気付く気配はない。


「模擬戦ならば群を抜くんだがな……そういう手合いは、実戦じゃ使えん」


「そう、なんですか? ……十分強く感じられましたけど」


「だが、逃げられた。あの戦い、俺は目標の捕縛を命じていたんだ……それを益々逃すような真似、鈍っている証拠だ」


 期待のし過ぎ、と考えるのは、モース・リジットに対しても失礼に当たるだろうか。だが、命令を遂行することこそを軍人の職とするのならば、やはり、アドリアンさんの態度が正しいのだろう。

 アンダーテイカー。あの夜の魔族は、去り際、自らをそのように表した。


「……でも、姿を消したあの魔族を、どうにもやりようがないでしょう。見えないんですから」


「君ならできるだろう? カンダ・ライト」


「期待のし過ぎですよ。俺は、何の変哲もないごく平凡な青年です」


「だとして、姿を消したところで探しようはいくらでもある。音を発端に、視覚以外の感覚器官など人体にはいくらでもあるのだからな」


「無茶でしょう、そりゃ」


「その程度の無茶、自身の無理で押し倒してもらわなきゃ困る。王立の名を背負うのだからな」


「酷い人だ……」


 歩を進めた先は、宿舎のようだった。

 先程まで通っていたロビーとは異なり、少々手狭な廊下の右側の壁には扉が立ち並び、その上には番号の刻まれたプーレトが掛けられている。逆の側は窓ガラスが定期的に嵌め込まれており、昼時故に、光を取り込んで室内の明るさを保つ一助となっていた。


 その、更に奥。おそらく施設としては中心部に近い位置。


 先程の宿舎的な場所と造りは似ているが、少しロビーに近しい、外向きの造りとでも表すべき雰囲気を残す廊下を進み、アドリアンさんは、一枚の扉の前で立ち止まった。軽いノックを三度行い、声を掛ける。


「誰ッ!」


 キッとした厳しい声が扉の向こうから聞こえてくる。

 警戒というか、敵対的な声。


「アドリアンです。カンダさんを、連れてきました」


「そうですか……鍵なんて、掛けていませんよ。今日来るっていってたから……」


「失礼します」


 嫌に丁寧なアドリアンさんの態度を訝しみつつ、着いて室内に入れば、彼女はいた。質素でありながらも過不足のない部屋は、しかし人物の気配を感じられない客間といった雰囲気である。そんな部屋の一角、テーブルを挟んで並ぶソファの向こう側に彼女は腰を掛けていた。


 豊作の麦畑を思わせる金の髪を後ろで束ね、対を成す白い肌との組み合わせは淑女然とした空気を感じさせる。座っているからか小柄に見え、しかし正された姿勢が品の良さを見せている。


 可憐という言葉は彼女のために在ろう。そう思える人物が、そこにはいた。


「お邪魔します……」


「貴方が……」


 視線が、値踏みするように上から下へと過ぎ去る。


「……どこまで、話しましたか」


「お望み通り、何も」二、三言葉を交わした後で、こちらを振り返り、彼女を手で示した。「……こちらは、ニホニ・フォニィさん。ドゥ・ローが国家として魔族へのカウンターとして喚び出した――君と同じ存在だ」


 ……召喚獣、とは口に出せるはずもなく。

 ドゥ・ローが国家として魔族に対抗して――同じ存在とは、異世界からの来訪者を意味するに他ならない。いやさ、現実世界から連れて来られた同郷の友と称するべきか。だが、少なくとも外見や名前から日本人ではないだろう。あるいは、ハーフなどの可能性も考えられるが、そう言った事情などはわからないのだから配慮のしようがない。


 骨格からして東洋人という風ではなく、がっしりとした印象を受ける。更に金髪碧眼と、俺達日本人がパッと想起する外国人のパターンその1といった具合の特徴だ。


 だとして、どこの出身者なのか。アメリカ人とフランス人であれ、パッと見て見分けのつかない審美眼では、とても国籍など言い当てようがない。


「どうも。神田来人です」


 礼をしながらも巡らせた頭は、混乱を隠せはしない。同じ状況の人物、いないとは考えなかったがこうも巡り合うなどとは思わずに。


「……で? どういう状況で」


 説明不足に、話を進めるようにと誘導する。

 これにアドリアンさんが視線をニホニさんへと向けて、ニホニさんが首肯で返す。情報開示の許可を得たらしく、彼は向き直り、語り始めた。


「事態が始まったのは、君が来るよりも以前の話だ。

「以前も一度話題に出したことがあるのだが、ウォンレイ領での魔族騒ぎを発端にして、ドゥ・ロー国会は魔族に対する対応強化することとなった。人的な被害を抑えるべく、採用されたのが召喚獣による間接的対処であり、国庫を開いて使用された大量の魔石により、召喚術が執り行われたんだ。


「そして、彼女が召喚された。


「無論、君と同じくして想定外の事態であるのは言うまでもないだろうが」


 国家によって召喚されたニホニさん。

 ノエルさんという個人によって喚ばれた俺。


 その現場による違いは、一体何を導いたのか。俺と彼女の違い……召喚獣としてこちらに喚ばれた結果を同じくしながらも。原因と結果、そこにある途中式——忙しさにかまけて目を逸らしていた原初の思案が、再び浮上する。


「……えぇと…………日本の人で、いいんですよね?」


「はい。正真正銘、生まれも育ちも日本生まれ日本育ちです。練馬区の産婦人科で出生体重三二〇〇グラムのちょっと大きめの男の子として生を受けました」


「そこまでは訊いていませんよ……」


「まあ、いいじゃないですか。どうせなら語らねばならないでしょう、俺がどう生まれて、育ち、そして悲恋の中で結構楽しく生きてきたのかを!」


「それは……またの機会に」


「ちゃんと断った方がいいですよ、こういうのは。ニホニさん」


「貴方が話し始めたのに⁉︎」


「だとして、断る勇気も大切です」


「理不尽だ……」


 ふっと、厳しく引き締まっていたニホニさんの顔が少し緩んだ。

 なんだかギスギスとして嫌な空気だったものだから、耐えかねてふざけてしまったが、好転して内心でどっと息を吐く。これでおふざけを嫌うような人物であれば、冷たい目線を向けられて、いよいよ俺という人格が旅に出るところであった。


「座っても?」と訊けば、彼女は手で了承を返してきた。アドリアンさんの横を過ぎながらも、この人の横に座るのもなと思い、彼女の横に腰を降ろす。指を絡めた拳を腿の間に据えて、ニホニさんの顔を覗き込むように背を曲げる。


「それで……えぇと、ニホニさん。俺の側の、話をしますね」


 そう前置きをして、俺はこの世界にやって来た経緯を掻い摘んで語る。


 ダンジョンに潜り、ノエルさんを救助して、目を醒まして法務関連のあれやこれやを済ませ、今でもセントリアに厄介になっているところまで一気に話してしまったが、彼女は、真剣な面持ちで聞いてくれた。


「大変、でしたね」


「そうでもありますが、でも、結構楽しくやれてますよ。ニホニさんは、どうですか?」


 困ったような微苦笑をして、またしてもアドリアンさんへと視線を向けるニホニさん。釣られて俺も彼に視線を向けると、それに気付いたらしく「私は、少々やらなければならない仕事があるので失礼させていただきます。扉の前に騎士を立たせておくので、何かありましたら……」と部屋を後にした。


 このようなチャーミングな女の子を、初対面の俺と密室で二人きりにしていいのか、何も起きない筈もなくになるぞ――とか思いながらも、特段止めもせずに見送り、再びニホニさんへと目を戻す。ふっと短く息を吐いて、どこか緊張がゆるんだ雰囲気のニホニさんは、数秒瞼を閉じて、ゆっくりと俺に向かう。


「……来人さん」先程まで存在していた震えのない、落ち着いた声に背筋が伸びる。「来人さんは、魔術って見ましたか?」


「魔術……えぇ、はい。何か、ビームって感じの光線を出すヤツと、剣を出したり消したりするヤツですが」


「私も、同じようなものを。ですが、光の弾を出す魔術が当たった案山子が……燃えたり、凍ったりもしていたんです」


 俺が目の当たりにしたモノは、シスターの魔力を削るための砲撃であり、あの時は、延焼などは発生していなかった。と考えると、俗にいう属性的な概念が魔術にもあるのだろう。シスターとの戦いで見た砲撃に用いられたものは、俺も扱っているようなニュートラルな普通の魔力による魔術として、ギミックは不明だが、おそらく魔力に火炎の性質を付与していると見える。


 ではなぜ火炎を作り出さないのか……感覚的な話だけれど、きっと、魔力にて火炎を作り出すよりも、火炎の持つ熱という性質を付与した方がコスパが良いのではなかろうか。メラ、ヒャド、デインと現象をそのまま引っ張り出すのではなく、基本らしい魔力ビームにそれぞれの現象が持つ性質の一端を付与する……少しばかり興味があるから、今度ノエルさんに詳しく教えてもらおう。口実にもなる。


 もしかしたら、属性を操れるようになれば、俺の脚もフレイムやストームといった具合にフォームチェンジができるようになるかもしれない。


「何か、思い出しませんか? ……現実での、出来事で」


「何か……?」


 続いたニホニさんの言葉に、俺はオウム返しをする。


 現実。つまり、俺にとっては現代日本周辺で、あのような光景を見ることなどあり得ないだろう。あったとして、それは次元を一つ下げた向こう側の話で、現実とは言えない。


 ムムム、と唸りながらも記憶の引き出しをひっくり返して探す。


 そうして回想されたのは、最も新しく、しかして夢での実家の様子。ダンジョンで初めてダブル・ダウンを使用した後の、俺の見た夢。


「………………不可能犯罪」


 至り、漏らす。


「はい、はい! ですよね、やっぱり思いますよね!」


「えっと…………確か、全世界的に起こっていた連続超常殺人でしたよね。日本だと、大田区のアーケード街を歩いていた人々が、火元になるようなものも無いのに焼死したとか。でも、すみません……詳しくは」


「大体は、そういうものです。私の地元……アメリカなのですが、フロリダのオーランドでは炎天下での凍死が起こりました。イギリスも中国でも、先進国なんて言われている国では、誰かが……」


「ニホニさんは……それが、魔術によるものだと見ている訳ですね?」


「はい。無関係だなんて、思えません」


「確かに、らしくはありますが……だとして、魔力を使える人がいたということになりますよね」


 魔術による犯罪であると仮定して。

 だとすると、不可能犯罪という存在が何を示すのか——単純な話で、繋がりだ。


 魔力というものが元々存在していて、それでいて秘匿されていたという可能性を一度除外して自らの常識に当てはめて考えると、俺という存在そのものが日本からここドゥ・ローへと渡航が可能であると証明している。その上で日本やアメリカ等で魔術犯罪が行われていたとなると、逆にこちらから向こうへ渡航することも可能であるという訳だ。


 それでなぜ・誰がわざわざ殺人をして回っているのかは不明だし、自ら進んで人殺しをするような人間の思考など知りたくもないが、ともすれば、帰宅は現実味を帯びる。一方通行ではなく、双方向での干渉が可能であるのならば、手段さえ講じれば実現可能性は存在しているのだ。


「つまり、そういうことです! 一緒に、帰る方法を探すために頑張りましょう」


「……ええ、よろしくお願いします。ニホニ・フォニィさん」


 ふっと笑みを浮かべて改めて挨拶をするが、彼女はなぜか不安そうな表情で俺を見た。


「…………あれ? えぇと、もしかして来人さん……あまり乗り気ではないですか?」


「……えっ? いや、そんな」ニホニさんの言葉に、俺は自然、彼女の顔を覗く。「……いえ。かも、しれません。……でも、帰りたくないって訳じゃないんです。ただ、戦うって決めたから。だから……この戦いが終わるまでは、帰れないんです。大丈夫! ニホニさんが帰れれば、俺だって帰れますから! 全力でお手伝いしますよ」


 絡めた拳を見下ろして、頭の中で自分の感情を整理する。

 原因と結果、そこにある因果――導き出された自分なりの答を口にしながら、笑顔でサムズアップして彼女に伝えた。


「戦う――そう、ですね。新聞、文字は読めないので読み上げてもらって、知ってます。……戦ったって。倒したって」


「はい……でも、新聞の通りじゃありません。俺なんて、そう、大したことはしていませんよ」


「私……私も、戦えって、言われたんです。…………戦うために喚ばれたというのは、知ってます。でも、私、戦いたくなんて……ないんです」


 心という器から零れた慟哭は、彼女がこちらにやって来て貯め込み続けた感情なのだろう。


 彼女の瞳から流れる涙から目を逸らし、俺は「大丈夫です」と口にしながら手を握り、守るように優しく抱擁する。戦いたくないという彼女の感情は、何も間違いなんかじゃないのだから。それを望むのならば、俺だけでもそれに応えてあげたい。彼女にも、笑顔でいて欲しいから……俺が、戦おう。


 そっと、彼女の涙が尽きるまで傍にいる。

 人の熱が伝わるように。


「来人さんは、怖くは、ないんですか……? 戦うこととか、傷付くこととか」


 俺の胸の中で、聞こえないくらいに小さな声で彼女が問う。

 伝える気なんてなかったのだろう。だけれど、俺の耳には彼女の声が届いてしまったから、耳元に口を寄せて本心のままに伝える。


「怖いですよ。でも、それでも、中途半端は嫌なんです。誰かが傷付いて、涙を流すのも」


 だから。

 自分本位な理由ではあるけれど、それが、それこそが俺だ。


 彼女の存在が、果たして何を意味するのかなんて、そんなものは今はまだわからないけれど……俺の定めた、俺の旅路には彼女の救済も含まれている。


「強いんですね……」彼女が言う。


「そんなことはありません」と俺は答える。


 溶けるように過ぎ去る時間の中で涙を枯らした彼女は、向こうの存在に久し振りに出会えた安心感からか、気付けばすやすやと緩やかな寝息を立てて眠っていた。俺はそんな彼女の身体を抱きかかえ、ベッドに寝かせて、部屋を後にする。


 部屋の前には、モース・リジットが立っていた。


 軽く頭を下げて通り過ぎれば、彼は敬礼でこれに答えた。しかし、その瞳には強烈な感情が秘められており、以前アドリアンさんが口にしたあの狂言で揺さぶられた心が、未だ残っていると見える。ああいうのを若さというのだろうな、なんて老人じみた考えをするが、そういった熱を持っているからこそ、彼はエースの座を現在射止めているのだろう。


「執務室まで、ご案内します」


 さてどこへ行けば、と迷う刹那、モースさんとは逆の位置に立っていた騎士に声をかけられた。モースさんに目を引かれてその存在を認識していなかったものだからギョッとしてしまったが、どうにか押し殺す。


「ああ、お願いします」


 騎士は、宿舎とは逆のエリアへと移動すると、二階の執務室に案内した。


「薬の出どころは、まだわからないのか! いつまでも時間を掛けてはいられないとわからないのか!」


 そんなアドリアンさんの怒鳴り声が、扉越しに聞こえてくる。

 案内の騎士は、一瞬躊躇したように扉の前で握った拳を止めてから、三度ノックをした。


「誰だ!」


「カンダ・ライトさんをお連れしました!」


「よしっ! いい加減に、成果の一つでも出してみたらどうだ。調査部隊だからと、自らを低く見積もるな。お前達の成果でこそ、騎士隊は堂々動けると忘れるな。いいな!」


 案内の騎士が扉を開けると、窓を向いて耳に手を当てていたアドリアンさんが、こちらを振り向いて俺達を迎えた。


 扉の脇に立って、敬礼をして部屋を後にする騎士を見送る。去り際の彼に軽く会釈をして感謝を伝え、そうして一歩、室内に近付く。


「どうにも、嫌いになりそうですよ……この国も、それが取るやり方も」


「優しく言う。……で、どうだったんだ? 彼女との逢瀬は。ああ、そこの椅子に掛けてくれ。俺の仕事も、直終わる」


 指差された先には、来客用と見えるソファがあった。黒革のシックなデザインが、執務室という堅苦しい空間にはよく合っている。


「国は違いますが、同じトコの出身みたいですね。……で? アドリアンさんは、彼女、どうしようっていうんですか?」


「戦ってくれるのならば、ありがたいんだが。彼女の魔力、わかったか?」


「いえ。脚を使っていない時に魔力云々はからっきしで」


「凄まじいぞ。騎士隊の奴ら処じゃない」


「だからと、彼女は戦いたくはないって言っていた。……彼女、ニホニさん。いつからいるんですか?」


「丁度、君と同じ頃だ。……言い訳じみた話だが、だから、娘の行方不明に家にも帰れなかった。軍属の嫌なところだな」


 カウンターテーブルに向かい、ペンを走らせながらも口を動かすアドリアンさんに目を向けて、ふとその背後に構えられた大きな窓から空を見る。昼間から見て雲の増えた空は、快晴とはいかないが、それでも晴れ渡っている。


「彼女は、帰せないんですか? 召喚獣っていうのなら、帰せるでしょう?」


「普通とは違うのさ、やり方が。だから、帰せない。こちらとて、人を喚ぼうだなんて思ってはいなかったんだ。帰せるのならば、帰ってもらうさ」


「誘拐ですからね」


「だな。シスターとやっていることは変わらん。……普通、召喚術ってヤツは顕現させているだけで維持コストが掛かるものなんだ。だから、術者は大抵、長期間に渡って召喚獣を出し続けない。だが、魔族との戦いともなれば終わりは未知数だ。だから今回は、それを踏み倒すために、オペレーションを与えているんだ。目的を設定して、それを達成したら帰れってね。こうすると、召喚のコストは若干上がるが、召喚獣自身の魔力で存在を繋げるんだと」


「では、彼女はその目的を達成するまで帰れないと?」


「逆に言えば、達成さえすれば帰れる訳だ。魔族を統べる、キングさえ取ればな」


 そういって、卓上に置いてあったチェス盤から黒のキングを投げて寄越す。

 俺はそれをキャッチにて、前の机、その中心に立てる。


「……脅しに聞こえますね」


「どうだか……だとして、やることは変わらないだろ? 私も、君も」


 皮肉など無視して、アドリアンさんはテーブルに向かう。

 リアリストというべきか、あるいは騎士隊という組織だったものを背負えば誰でもこうなってしまうのか。自分の中でアドリアンさんという存在が、優秀なチェス・プレイヤーに見えてならない。それでいて、自らも盤上に立っているのだから尚厄介な人物といえる。


「だから、そういう大人のズルさが嫌いだって、言っているんですけどね」


 俺の言い分など聞こえないと、室内にはペンの走る音だけが木霊する。

 都合のいい耳も、大人の特権か……。


「……そうだ。一つ、頼みがあったんですが」


「頼まれるのもやぶさかではないよ。私からの依頼を、聞いてくれるのならばだがね」


 大人の特権か。

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